バズる間取り

福澤ゆき

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12.拒絶

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番組の降板について、キリのいいタイミングで申し入れをして貰うことになり、伊織は自宅のマンションに戻ってきた。
エントランスホールに入ると、すでに重い空気が漂っているような気がした。

──もうすぐ死んじゃうの、怖くないの?

囁くような子供の声。「死ぬぞ」という警告文。
思い出すと足が竦むが、他に帰る場所はない。

704号室に辿り着き、ためらいがちに鍵を回し明かりをつけてから恐々と足を踏み入れようとしたが、その時不意に背後に人影を感じた。
振り向くよりも素早く、後ろから片腕で羽交い絞めにされ、大きな手で口を塞がれた。

(!?)

そのまま部屋の中に押し入られ、ドアを閉められると、ようやく口を塞いでいた手が外される。
振り返った先に立っていたのは隣人の狗飼で、伊織は目を見開いた。
彼は、推し入ってきたにも関わらずなぜか唖然とした顔をして伊織の肩を掴むと、真剣な顔で言った。

「こ、こんな簡単に部屋に入れるとか……もっと背後気を付けてくださいよ! レイプ魔に押し入られたらどうするんですか? これじゃ簡単にヤれちゃうじゃないですか!」
「お前が押し入りだろーが!! 何考えてんだ!」

バクバクと鳴る心臓を押さえながらそう抗議すると、狗飼はさすがにバツの悪い顔をした。

「手荒なマネしてすみません。普通に話しかけても無視されると思って……」
「……」

昨日から、インターフォンを何度鳴らされても無視していた。朝もゴミ出しのタイミングで待ち伏せされていたが、何を話しかけられても完全にだんまりを決め込んでいた。

「だからって……もう少しで警察呼ぶところだったぞ。やることが過激すぎんだろーが。……で、何の用だよ」

部屋に入られてしまっては追い出せないが、一刻も早く帰ってほしくて、伊織は玄関先で立ったまま話を促した。

「昨日は本当に、すみませんでした。あいつ泥酔状態で……全部出たらめなので気にしないでください」
「……全部? 俺のファンだったってこと? 劣化したからファン辞めたってこと? 両方?」

狗飼は、おそらく無意識にだろう。ほんの一瞬躊躇した後に、きっぱり言った。

「……はい、両方です。俺はあなたの、ただの隣人です」

あの時の狗飼の動揺ぶりを思い出すと、それは嘘だろうと手をギュッと握りしめた。

「……そっか。別に気にしてないのに。そんなことのためにわざわざ押し入ってきたのか?」
「いいえ。もう一つあります」
「?」

狗飼は薄暗い廊下の奥を見つめた。釣られて伊織もそちらを見ると、朝は確かに閉まっていたはずのリビングへと続く扉が開け放たれていて、だらりとぶら下がった縊死体の足が見えた。
だが、いつもと違うのは死体がこちらを向いている。

白濁とした目はいつも伏せられて床を見つめていたが、今日ははっきりと伊織を見つめていた。怒りのような強い感情を剥き出しにして、目を見開き、睨むようにこちらを見ている。

その異様な姿に、思わず悲鳴を上げて後ずさり、眩暈のようなふらつきを覚えると、狗飼が咄嗟に抱き止めてくれた。震えが止まらず、その肩に顔を埋めて「怖い、怖い」と呟くと、ぎこちなく狗飼が抱き止めている腕に力を込める。

「もう消えましたから、大丈夫ですよ。でも、あの霊は段々変質していってる。このままここに住むのは危険だ。顔色も悪いですし、もう限界でしょう。それでその……もし行き場所がないなら……」

狗飼はそう言って、震え続ける伊織を抱きしめたまま、胸ポケットから何かを取り出し、伊織の手に握らせた。

「……何、これ、鍵?」
「俺の部屋の鍵です。あの霊の問題が解決するまで、一緒に暮らしませんか?」
「え……?」
「研究とバイトが忙しいので留守がちではありますが、俺の部屋には地縛霊とかいないんで。俺に憑いてる強烈なのはいますけど、基本俺の後を追ってくるので、留守中に三笠さんの前に現れることはありません」
「なんで……」

なぜ、ただの隣人に合い鍵など渡すのか。母親ですら、伊織が家を訪れることを拒否していたのに。
信じられない思いで、狗飼の顔を見上げると、彼は低く呻き顔を逸らした。そこでようやく、自分が彼に抱き着いたままなことに気づいて慌てて体を離した。

(そんな露骨に嫌がらなくてもいいだろ……)

黒歴史、という言葉を思い出して伊織は僅かに俯いた。

「あの霊の問題が解決するまでですよ。無言の霊なので、手がかりが少なく、時間かかりますが、今月中にはどうにかしますから……」

狗飼の申し出は、涙が出るほどありがたい。もうこの部屋で暮らすのは限界だった。だが、伊織はしばらく黙り込んだ後、首を横に振り、鍵を狗飼の手に返した。

「いい。……やばいときはマネージャーの家に泊めてもらうから。子供の頃から世話になってるし、昔から時々泊めて貰ってたし。今日も荷物だけ取って、マネージャーん家泊まる。だからこれはいらない」

この部屋にこれ以上一人でいるのは怖い。

だが、それ以上に、狗飼が昔の伊織のファンだったというのが本当なら、今の自分の姿をこれ以上見られたくなかった。

顔を燃やされたポスターを思い出すと、死んだ人間に、あそこまでされるほど何もかも劣化してしまった今の自分がひどく恥ずかしく思えてならなかった。

(これ以上黒歴史なんて、思われてたまるか)

くだらない意地だと分かっている。きっと狗飼が帰った後、この部屋で死ぬほど後悔するだろう。
だが伊織にとって、ファンに、自分のファンだったことを後悔されること以上に耐えがたいことはない。
狗飼とはこのまま距離を置き、かつて彼がファンとして愛してくれていた「三笠伊織」をこれ以上壊さないようにしたかった。

狗飼は突き返された合鍵を見つめて黙り込んでいたが、やがて言った。

「他に安心していられる場所があるなら、良かったです。色々余計なことをすみません。若宮の霊については、引き続き俺の方でも調べてみます」
「……ああ、ありがとな」

尚も何か言いたげな狗飼を半ば追い出すように部屋から送り出すと、一人きりになった部屋で、伊織は重くのしかかるような後悔に苛まれながらリビングへと続くドアを睨んだ。
そこにはもう、誰もぶら下がっていない。だが、未だに強い視線を感じていた。

「マサくん、俺、この企画降りる。今度ディレクターに話してみる。すぐに次の部屋も探す。あと少しだから……我慢してくれ。今の俺の姿が許せないなら、見なきゃいいだろ」

懇願するように言うと、ビリビリと感じていた視線がようやく外された気がした。

その夜、伊織は明日の仕事の確認を全て済ませると、睡眠薬を飲んでベッドに入った。
とてもそのままでは寝付けそうになく、かといって、今日も徹夜ではカメラ映りに響く。タレントは、自分自身が商品だ。眠れないなら眠るための方法を考えなければならない。
ネットカフェに泊まるという手もあるが、そんなところを週刊誌に撮られても面倒だし、どうしても「事故物件に住む」という仕事をしている以上、視聴者に嘘を吐くことには抵抗がある。
正式に番組を降りるまでの短い間ぐらい、なんとかここで我慢しなければならない。

(所詮あいつは幽霊だ。幽霊が殺しなんて出来ない。〝呼ばれて〟死にたくなるほど、俺は弱くないし)

伊織はダイニングルームから一番大きな皿を持ってくると、大量に塩を盛り付け、寝室の前に置いた。
目覚まし時計は止まる可能性があるため、スマホのアラームと、タブレットのアラームを両方かけることにした。

(何もかも忘れて、とにかく寝なきゃ……仕事に集中するんだ)

無理やりにでも眠って、他の時間は仕事に没頭していれば、恐怖も忘れる。とにかく、今は貰っている仕事を完璧にこなさなければ、またすぐに干されてしまう。

(仕事がんばって……〝今の俺〟のファンを増やすんだ。見てろよ狗飼。俺のファン辞めたこと、いつか絶対後悔させてやるからな)

睡眠薬の効果は抜群で、伊織はその晩、久しぶりに不安も焦りも恐怖も忘れて夢も見ず、気絶するように朝まで眠った。
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