孤高の騎士団長は誰のものにもならないオメガ

ゆなな

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フェリクスの過去

 遠い存在であると思うほどに、フェリクスの心も体も彼の腕の中で切なく疼いた。
 もう、会えなくなるとわかってしまったからだろうか。

「……っすごい香りだ……アルファ用の抑制剤を飲んできたのにっ……」

 バルトは力が入らないフェリクスの体をベッドから抱き上げると、狂おしい声で言ったが、すぐに何かを追い払うように頭を振った。

「……っ心配しないでください。帝国の王子だからといって、貴方を無理やりどうにかしようなんて思っていません。私は今まであれだけ貴方のそばにいても、耐えられたんですよ。忍耐力なら世界一と自負してますし、これまでの我慢を思えば、これぐらい訳ないことです」

 バルトはフェリクスを安心させるように微笑んだ。
 あぁ、いつの間にこんなに大人の表情を見せるようになったのか。

「ここは強烈なオメガの発情促進剤が焚かれているらしいですね。馬車に戻れば帝国製のオメガ用の発情抑制剤があるはずです。一緒に戻りましょう。ここに来た兵士たちはオメガフェロモンに反応しないよう、薬を服用しているので安心してください」

 そう言うと、バルトは兵士たちを振り返って言った。

「こちらにいらっしゃるフェリクス様は八年前に私をアンダーバーから助け出してくださった、かけがえのない恩人だ。よく理解して私以上の立場だと思って丁重に仕えてくれ」

「はっ‼」

 そうやって兵士たちを従える姿は、眩しいほどに輝かしかった。
 目を細めてバルトを見ていると、周囲にいる帝国軍の兵士たちの中にいるクリストファーが見えた。
 フェリクスは声を振り絞るようにして言った。

「クリストファー、フ……フィーは……? フィーも帝国の人間なのか?」

 バルトの腕の中で呼吸は乱れていたが、フェリクスはフィーのことがどうしても気がかりで、聞かずにはいられなかった。番に捨てられたオメガの末路は悲惨だ。他のアルファも受け付けなくなるため、発情期は強い薬で乗り切るしかない。
 強い薬は、長年飲み続けていると副作用が強く、体を蝕む。
 強い薬を飲み続けたオメガは長生きできず、長く生き続けることができないのだ。
 フェリクスはクリストファーがフィーのことをどうするつもりなのかが心配でたまらなかった。
 フェリクスを騙していたとしても、フィーが帝国の人間であってほしいと思い尋ねた。

「いえ、フィーは私が帝国の人間であることを知りません。フィーと番になったのは、偶然ですが、フィーには改めてこのことをきちんと話す機会を作ります」

「そうか……お願いだから……フィーを捨てるなんてことしないでくれ」

 フェリクスはまるで自分がクリストファーにとりすがるように言った。
 大切なフィーのためなら、みっともなく縋るのも大したことではない。

「まさか。フィーは私の大切な番です。そんなことは決していたしませんのでご心配しないでください」

「……その言葉を聞けて安心した……」

 フェリクスは安堵のため息を吐いた。

「フェリクス様、フィーのことを頼んでいるとわかっていても、貴方が私以外の人に縋っていると妬けてしまいます。さぁもう行きますよ。早くこんなところは出ましょう」

 フェリクスがクリストファーとの会話が終わったのを確認すると、バルトは兵士を後ろに従えてフェリクスを抱いたまま部屋から出た。

「うわ……」

 ダントルグストの別宅の玄関を出ると、バルトの腕の中からフェリクスは思わず声を上げた。
 なぜならすぐには数えられないほど何両もの馬車やたくさんの騎馬隊がそこに待機していたからだ。

「バルトヴィーノ様、お乗りくださいませ。馬車の中に発情抑制剤の入った小瓶が置いてあります」

「ありがとう。助かる」

 その中で一番立派な四頭立ての馬車の前に立っていた従者の言葉に礼を言ったバルトは、馬車の扉の中に入った。
 バルトに抱かれたまま馬車に乗り込むと、馬車の中はちょっとした豪華な部屋と言ってもいいほどだった。
 座席は広く取られていて、見るからに上質な濃紺の天鵞絨。
 フェリクスを抱いたままバルトが座れるような立派な座席だ。

「フェリクス様、抑制剤です」

 バルトが液体の抑制剤を渡してくれたので、震える手で受け取った。
 なんとか小瓶の中身を飲み干すと、馬車は滑らかに出発した。

「こんな危ない目に遭わせる前に制圧するつもりだったのですが、兵の招集に思ったよりも時間がかかってしまい……申し訳ないですっ」

「お前は悪くない。一人で行かないでくれというお前を振り切って行ったのは俺だからな……」

「そんなことはいいんです……っ間に合ってよかった……っ」

 抑制剤を飲み終わったフェリクスの顔を見ながら、バルトは感極まったように言った。
 そう言ってくれたバルトの顔を見ると、抑制剤を飲んだにも関わらず、下腹部の発情を司る部分がきゅんと疼いた。
 この馬車がフェリクスの家に着いたら、何よりも強い不思議な絆で結ばれていた二人の関係もおしまいだ。
 恋人でも家族でも友達でもない上に、こんなに身分が離れているのだから。
 フェリクスを家で降ろしたら、この馬車を含む隊列は、クランブルク帝国へ戻るだろう。
 そして帝国の第三王子であるバルトヴィーノの失脚を先導したガーランド宰相と、人身売買組織アンダーバーの黒幕であるダントルグストを捕らえたバルトは、もうフェリクスの家へは二度とはやってこない。
 これ以上フェリクスに用はないだろう。
 これが最後だ。
 そう思って凛々しいバルトの顔を食い入るようにフェリクスは見つめた。
 フェリクスが助けた小さな男の子は、こんなにも逞しく成長した。

「……っフェリクス様……っそんな目で見つめられたら……っ」

 バルトは絞り出すような声で言った。
 抑制剤のせいでフェロモンは落ち着いてきているというのに、バルトを見て湧きあがる狂おしい気持ちは消えなかった。
 これで最後だと思うと、どうしても触れたいと、一度だけでいいから熱く抱きしめられたいという卑劣な気持ちが沸き上がってきた。薬は効いてきたというのに。
 しかし、ここまで鉄のような意志で、愛しいこの男の腕に抱かれることを拒んできた。
 フェリクスはバルトのような前途ある若いアルファに、自分のような汚れたオメガは相応しくないと考えていたからだ。
 さらにそこに大国の王子なんてものが加わったら、それこそ釣り合わないどころの話ではない。フェリクスのような者は近づくだけで大罪だ。

「……だ……だめだ……俺は……お前に想ってもらえるような、そんな人間じゃないんだ」

 バルトがずっとフェリクスを大事に愛していてくれたことは知っている。
 だからこそ最後だと言って、真実を隠したままバルトに抱かれることはできなかった。

「どうして……? 俺、ようやくわかったんです……フェリクス様は俺のことが、好きなんだって。俺が抱き上げたら、フェリクス様のフェロモンがうんと甘くなった。俺はこんなにもフェリクス様が好きで、フェリクス様も俺のことが好きで。フェリクス様の最大の命題である、アンダーバーの壊滅も達成できた。俺たちが結ばれてだめな理由が俺にはわからない」

 大国の王子、バルトが必死に言葉を紡いでフェリクスを口説く。
 いつもとは違い、昔のように自分のことを『俺』と称して愛を告げるバルトに、胸の奥が引き絞られるように疼いた。
 このまま『好きだ』と告げることができたらどんなに幸せか。
 でもフェリクスのオメガフェロモンに誘惑されてではなく、彼が心からフェリクスを愛していて、言ってくれているのがわかるからこそ、フェリクスは言わなくてはならなかった。

「お前に、隠していたことがある……」

 これを聞いたらもうバルトは、今までのようにフェリクスを愛さなくなるだろう。
 だからこんな風にフェリクスを愛おしく見つめてくれるバルトを目に焼き付けておきたくて、フェリクスは彼を見つめながら言った。

「隠していたこと?」

 バルトはフェリクスの額におちる汗に濡れた前髪をそっと避けながら優しく尋ねる。
 これも最後かもしれない。
 でもこれを言って徹底的に嫌いになってもらえれば、きっぱり終われる。

「……俺もお前達と同じでアンダーバーに捕らえられていた子どもだったんだ。俺はオークションに掛けられて、ザクルド・ガーランドに愛玩用オメガとして売り払われた。……そこで……」

「フェリクス様っ……わかってるからっ」

 フェリクスの発した言葉を聞いて、バルトが言わなくていいと遮った。
 フェリクスがザグルドの奴隷のような存在であったことは、バルトも承知しているだろうが、どんなことをされてきたのかを本当に知ったら、きっとフェリクスと結ばれたいとは思えなくなるだろう。
 だが、フェリクスは続けた。辛いことだが、自分できちんと伝えて終わりにしたい。

「……ありとあらゆることをされたと思う……それこそ……に……妊娠しなかったのが不思議なくらいだ。おそらくまだ体が成長していなかったのに、薬で起こされた発情期だったから幸いにも妊娠はせずに済んだのだと思う」

「フェリクス様……っ」

 バルトの苦しい声を聞きながらも、フェリクスは続けた。

「ザグルド・ガーランドから逃げ出せたのは、病院に入院したからだ。薬の過剰投与が原因で意識が戻らなかったことがある。さすがに高額で買った奴隷オメガが使い物にならないのはもったいなく思ったんだろうな。病院に入院することになった。ザグルドの奴隷と遊ぶための屋敷よりはずっと逃げやすかった」

 そう言ってフェリクスは深く呼吸をして、バルトの瞳を見た。
 心臓が高鳴るのが怖くて、真っ直ぐに見つめられなかったけれど、なによりフェリクスが愛しているものだった。

「だから、俺みたいに汚いのはバルトにはふさわしくない。散々汚された疵ものだよ。お前が帝国の王子だっていうのなら、なおさら俺みたいなのは釣り合わないよ」

 すると、バルトの顔がくしゃりと歪んだ。
 あぁ、長いこの恋もこの一瞬で終わってしまった。
 
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