取扱説明少女の取扱説明書

織賀光希

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第三話

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「取扱説明少女の有坂すてらです」
 帰宅して、着替えていた。そこに彼女は、朝と変わらぬ姿で現れた。彼女は何も言わず、一直線にソファの真ん中を陣取った。
 何も変わっていない。機械的な動作が、不安を煽る。そして、彼女を喋らせる自信が、徐々に失せてゆく。
 とにかく説明をさせなくては、何も始まらない。とりあえず聞く。説明が好きだという、彼女の説明とやらを。

 テレビは、ただ普通に見るだけ。そんな感じだ。どんな機能があるかなんて知らない。機能は重視せずに、ただ大きいというだけの理由で選んだ。だから、見られればそれでいい。
 このテレビには、満足している。満足の向こう側には、行かなくてもいい。ただ、彼女を有効活用するという目的のために、説明を煽る。
 喋りが聞けることを信じた。このテレビの隠れた機能や、オススメの機能。それらについて、彼女に質問をした。

「はい。このテレビは内臓HDD録画対応でして。テレビ本体に録画できるハードディスクが内臓されたものなんです。なので外付けのハードディスクの接続の必要はなく。テレビ番組の録画と再生が気軽に出来るんです。お使いになられてますか?これは使わなくてはもったいないですよ」

 彼女の口は軽かった。南京錠でも付いているのか、と思うくらいに閉ざしていた口。それは、説明を乞うという鍵が、簡単に開けた。
 取扱説明少女の取扱説明書。それに書いてあることに、偽りはなかった。そういうことだ。
 一度も口を利いてくれなかった彼女。なのに、逆に質問をしてくるほどの説明熱。ずば抜けた記憶力や、完璧な説明に、引くことはなかった。でも、無口と饒舌の高低差には、身体が震えた。

「はい。他には画面分割という機能がございまして。テレビの画面の分割が出来ます。2種類の映像を同時に再生出来るという機能で。テレビ&テレビやテレビ&ゲームやテレビ&DVDなど色々な組み合わせで映像を楽しむことが出来ます。時間の有効活用に便利な機能です」

 顔が可愛いかどうかは、どうでもいい。説明の時だけ笑顔になる彼女に、好意などない。可愛さなんて、求めていない。
 もちろん、ふて腐れた顔や、したり顔も求めてない。ただ、説明があればいい。彼女の攻略法を確かめた今、充実のある生活の光が見えた。

「内臓されている録画機能を使ってみますか?」
 彼女の方から話し掛けてくるのは、予想外だった。気難しいひねくれものだと、聞いていたから。
 今の彼女からは、気難しさが一切感じられない。意外と素直な少女かもしれない、とさえ思った。でも、そこまで話したくもない。
 本当に必要な話だけで、十分だ。新機能に興味がない。新しい道を、開拓するつもりはない。使う機能は、最低限でいい。彼女は、説明以外の質問を嫌がる。黙らせるには、個人的な質問をすればいいだろう。

「リモコンで簡単に操作出来ますよ。説明しましょうか?」
 説明の提案には、断りをいれた。そして、彼女の好きなテレビ番組について、聞いた。黙らせるために。
 案の定、彼女は黙った。しかし、最初の姿とは、明らかに違った。肩を落とし、頭は垂れていた。
 顔には、次第に悲しさが溢れ出した。説明を絶つことは、いけないことだったのだろうか。涙と泣く声が、心に訴えてくる。

 もう見ることはないだろうと思っていた、分厚い冊子。それを、ティッシュ箱の下から引き抜いた。考えが甘かった。
 気難しい少女だとは、分かっていた。でも、ここまでだとは、思っていなかった。彼女自ら持ち掛けた、説明という好意を拒否した。
 誰だって拒否されたら、悲しい気持ちになる。個人的な質問を無視して、最初に拒否を示したのは彼女。彼女の方なのだから。

ぺらぺらと、ページを捲った。そして、そこにある太字。大きい文字を、できるだけ脳に焼き付けた。
 少女を悲しませたくない。それは、全国民共通。彼女には、ほとんど興味がない。それに、彼女の笑顔にも、特に興味はない。
 でも、前よりもほんの少し、興味が出てきた。米粒のような、小さい興味ではあるが。

 ランダムで開いたページには、彼女の歴史が刻まれていた。父親がいないこと。スイーツが好きなこと。男性が苦手なこと。
 読むことで少しずつ、彼女の人柄が分かってきた。だが、この時間は、大半がお金のため。彼女の情報のために脳を使うことは、正直時間の無駄。

 彼女のために時間を費やすことは、本望ではない。人の気持ちを読むことに、越したことはない。
 説明書を読むこと。そんなことより、人の気持ちを読むこと。それに慣れる方が、絶対に楽だ。

 説明を拒否してしまった時の対処法。それが、朝みたいにすぐ見つかるはずもない。彼女は、今も怒ることなく、悲しそうに黙り込んでいる。
 喋る声は、全くない。だが、泣きわめく声が、うるさいほどに響き渡る。説明拒否に関するページがあるかさえも、分からない。
 でも、何とかしたい。彼女も、人と接することが苦手なのが、伝わってくる。少し性格が、似ているのかもしれない。

「私なんて私なんて私なんて私なんて私なんて・・・・・・」
 彼女は泣きながら、ぶつぶつと喋り始めた。放っているのは、同じ言葉の繰り返し。
 家電の説明を必要としていない、今日この頃。説明が要らないとなると、ただの少女。レンタル家族と、さほど変わらない。
 子守りの一種に分類される状況で、むしろお金を貰う側だ。ページを捲る手の
、いら立ちは隠せない。あいにく、ご機嫌取りの趣味は全くない。

 彼女のエネルギー源は、説明させること。そう信じて、一度断った録画機能の説明を、促すことにした。言いたくない。でも、教えてと言うしかない。
 分厚い冊子を放置して、取扱説明少女に教えを乞った。【すてら】という彼女の、下の名前を敬称を付けて何回も呼んだ。しかし、彼女の顔の悲しさは消えなかった。
 ぶつぶつも、わめきも収まらない。これにとどまらない何か嫌な予感。それが、沸々とわいてきていた。

 ぶつぶつは次第に、はきはきへと変わっていった。一度へそを曲げると、止まらない。一生喋り続けるのではないかと、思うくらいに。
 発することは、全て自分に向けている。依頼者を攻めたりしない、少女らしい。
 激怒しないことに、少しだけホッとした。だが、自己嫌悪型の方が、地味に突き刺さる。【どうせ私なんて・・・・・・】を止める方法を必死で探した。

「私の名前なんか呼ばないでください。私のこと見つめないでください。私は見る価値もない女なんですから。私のことなんか誰も分かってくれないんですから。うるさく言わないでもらえますか?私に関わらないでいただけますか?あなたから振ってきたのに断るんですね。私のことをからかったんですよね。私にイライラしましたよね。もういいです。」

 彼女は、ソファの中央にいる。腕組みをすることなく、足組みをすることなく。体育座りをして、小さい球体になっていた。
 延々と喋り続ける彼女に、脳も心もおかしくなりそうだった。彼女の取扱説明書を、見つめることに集中する。それと同時に、彼女の機嫌がこれ以上悪くならないように、気を使う。
 まるで思春期の娘のような態度だ。困惑は隠せなかった。思春期の娘がいる父親の気持ちとは、こういうものなのだろうか。

 相手を間接的に、ほどよく攻撃しながら、自分への不満を垂れ流す。それを、小耳に挟みながら、必死に分厚い冊子を捲り続けた。
 そして、一時間以上が経過した。その時、説明拒否の対処ページに辿り着いた。安堵した矢先、対処法を探すのに費やした努力が、パッと消えた。

【もう止められません。諦めてください。】冊子には、それしか書いてなかった。厄介なものを掴まされた。
 自ら掴みに行ったと、表した方が正しい。たぶんそうだ。
 説明を求めなければ、こうはならなかった。話しかけなければ、機嫌が悪くはならなかった。
 そう考えると、オブジェとして部屋にいてもらう。その方が、だいぶ楽だったかもしれない。彼女は、芸術作品としてなら美しい。

「お時間になりましたので、帰らせていただきます。」
 最後の最後まで、静寂が訪れることはなかった。愚痴を部屋に充満させて、彼女は帰っていった。
 帰った後の部屋は、望んでいない喪失感たち。それらを含んだ静寂が、包んでいた。明日は、来ない確率が高い。彼女に契約を解除されても、仕方ない。

 明日、また彼女が来たとしても、接し方は分からない。いくら取扱説明書を読んでも、彼女の移りゆく心は読めない。
 誰とも上手く接することが出来ないのに、彼女を部屋にむかい入れてしまった。後悔は尽きない。彼女が怖い。彼女の悲しみが怖い。
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