取扱説明少女の取扱説明書

織賀光希

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第四話

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「取扱説明少女の有坂すてらです」
 彼女は、昨日の朝と全く変わらない。表情や背筋などすべて。その状態で訪ねてきた。
 昨日の夜から比べれば、オカシイほどに、別人なのだが。あの夜から一度、夢の世界に旅に出ただけなのに。今の部屋には、普通の彼女がいる。リビングには、涙で濡れた痕跡のカケラもない。

 彼女が、また来てくれた。その事実の中身を探索すれば、小さな喜びくらいは見つかるだろう。
 泣いていた女の子が、普通に戻れば、誰だって少しは嬉しい。正確に言えば、戻ったのは普通の女の子ではない。したり顔の、ひねくれ者だ。

 なるべく優しくする。彼女を無視しない。本当に必要な時だけ話しかける。それを頭の中で、右往左往させた。
 無理矢理、自分に言い聞かせているのかもしれない。でも、これでいい。相手のことを、それほど考えていなかった。そんな自分は、昨日までだ。

 可愛くも、可愛くなくもない彼女に、優しくする。娘だと思って接すれば、気難しくても、可愛いと思えるかもしれない。
 いつもの朝を演じて、少女をいないものとして行動する。それが、一番かもしれない。でも、逃げたくはない。

 早速、電子レンジがぶっ壊れた。電子レンジのドアを開閉しても、反応なし。ボタンをいくらイジっても、変わらない状況。
 小さい画面に、文字らしきものは何ひとつない。毎朝食べている、チンする冷凍うどん。昨日は、訳あって食べられなかった。二日連続はありえない。

 彼女はソファのいつもの位置で、じっとしていた。騒ぎ声を横目に、彼女はずっと、したり顔を続けている。
 彼女に、説明をさせるチャンスではある。だが同時に、失敗をしてしまえば、後のない苦境でもある。

 そもそも、完全に壊れていれば、彼女の出る幕はない。機嫌が直っているようには、見えない彼女。だから、説明という名のエネルギーを与えてあげたい。
 動かない箱で、冷たくため息を吐く冷凍うどん。その冷凍うどんのように、心は冷えきってなどいなかった。

 満ち足りた朝や、元気のない電子レンジ。それらのためには、彼女がご機嫌でないといけない。
 とりあえず、気難しい彼女に近づく。そして、壊れた電子レンジの対処法を乞うことにした。

 彼女に、彼女自身の対処法を聞いた場合。文句も言わず、優しく答えてくれること。それが、今一番求めているものなのかもしれない。
 でも、それは無理な話。刺激を与えないように。不快を与えないように。そっと、彼女に聞いた。

「今はどういう状況でしょうか? 詳しく教えてください」
 彼女は、決して動かない。彼女は、決してこっちを見ない。彼女は、耳で聞いた情報のみで説明をしようとしている。
 他の従業員は、このような場合、復旧作業を手伝ってくれると聞いている。でも、これは彼女のいいところ。そう、勝手に思い込ませようとしている、自分がいた。

 このまま一日、彼女があの場所から動かなかったら。ソファと一体化してしまう。そう思うくらい馴染んでいた。
 とりあえず、出来る範囲で、電子レンジの病状を彼女に放った。

「コンセントに、電子レンジのコンセントプラグが差し込まれていないのだと思います」
 誰しもが、まず始めに確認するであろう電源の確認を怠っていた。そんな自分を情けなく思った。
 コンセントが入っていないなんて【困ったときは・・・】のページのトップにくる。それほどの初歩的なミスだ。

 彼女が、普通に答えてくれたことは嬉しかった。でも、ほんの少しの恥ずかしさを覚えた。
 いつもと変わらない彼女を見る目は、いつもと少し変わっていた。

 少し経って、疑問がドンドンと地団駄を踏むように訴えかけてきた。未だかつて、引っ張ったことのない電子レンジのコンセントプラグ。それが抜けるだろうか。
 絶妙な振動を長時間与えても、抜けることはない。酔って記憶を無くした形跡もない。誰かが抜いたとしても、最近この部屋に入ったのは彼女だけ。

 もう犯人は決まったようなものだ。しかし、それを犯人に伝える方法が出てこない。
 犯人は気難しく、すぐへそを曲げてしまう。なので、物腰の柔らかい人となり、推理の結果をふんわりと、犯人に伝えてみた。

「はい、私が抜きました。使用していないときに消費する電力が、調理家電の中では上位に位置します。待機電力を減らすために、電子レンジのコンセントプラグを抜かせていただきました」
 感謝の気持ちを口にするなんて、今までだったら考えられなかった。イライラは、ある程度この胸の中にいる。

 でも、彼女の滅多に見せない満面の笑みがそうさせた。節電のためであったとしても、仕返しのためであったとしてもいい。少しずつ心を許してくれている、彼女の姿は、とても清々しかった。

「嫌がらせということは、一切ありませんので安心してください」
 電子レンジと、僅かに関連はしている。だけど、説明染みてない発言は初めてのような気がしていた。
 初めて彼女のことを、人間らしいと思った。コンセントプラグを差し込み終えて、彼女の方を見ると、優しい笑顔をしていた。

 動かず、どしんと座っている彼女。その表情と言葉の中には、人間味が生まれかけている。
 スイッチを押す。冷凍うどんが、電子レンジの光に照らされる。どんどん熱を帯びてゆく冷凍うどん。それと心は、対照的だった。

 怒りたい気持ちは、抑えなくても出てきたりしない。イライラは、どんどん鎮まってゆく。気を遣うことへの必死さは、心の奥底にある何かが補ってくれるような気がした。
 説明の欲があるにも関わらず、自分からは仕掛けてこない彼女。そんな彼女を、電子レンジのように、光を当てて温めてあげたいと思った。うどん一本分にも満たない、小さな感情ではあるが。

 ピーという電子音が鳴った。束の間の出来事だった。取り出したうどんには、魂が乗り移っていた。
 いつも、時間に余裕を与えてくれる冷凍うどん。それに、卵と醤油を落とし、いつものようにかき混ぜた。

 機械が好きな彼女は、興味無さそうにこっちを見ていた。人間がうどんを喰らおうとしている姿に、何の感情も抱かない。それは、当たり前なのかもしれない。
 彼女が原因。とはいえ、彼女が救ってくれたピンチ。彼女に分ける義務がある。これを料理と呼んでいいかは、疑問だ。しかし、料理を振る舞いたい気持ちが、しとしとと降り続いている。

 料理を振る舞うのが、一般的。という常識は、嵐のような彼女に吹き飛ばされて、忘れていた。
 小皿に半分よりも少し少ないくらいのうどんを移した。そして、箸と気持ちと一緒に彼女に差し出した。

 案の定だった。ほぼ不動の彼女が、醤油と卵の香りに誘われて寄ってくる。そんなはずがない。
 うどんの味の説明を促し、食べさせようとも考えた。でも、取扱説明書が必要ないものに、彼女が説明してくれるとは到底思えない。

 機械疑惑が再燃しつつある今。一般人が扱える代物ではない彼女を、どうすることも出来ない。徹底した、孤高の取扱説明少女ぶりを発揮する彼女だから。踏み込むと、巻き込まれる恐れがある。
 これくらいに、しておくしかない。自分のお皿と、彼女のお皿を、あっという間に空にした。そして、まったりと会社に行く準備を整えた。

「お時間になりましたので、帰らせていただきます」
 電子レンジのコンセントプラグを、差し込んでから。彼女は、無表情と無口しか見せなかった。
 でも、彼女の笑顔の記憶の断片は、体内にしっかりと存在している。心待ちのカケラも、片隅にひっそりと存在している。そう感じた。
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