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第2章 邂逅編 あるいは花畑スカイビュー
最終話 まだ見ぬ景色へ誘う風
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『シロの魔力が戻ったら、今から指定する都市に跳躍んでくれ』
勇者さんのリクエストで天井を露天風呂仕様に変えるなり、助手席のクリスさんが言う。
てきぱきと、かつ凛然とした、騎士団長の顔をして。かっこいい。好き。
『全世界に向け、勇者と魔王が手を取り合って終戦を誓う姿を発信したい。
正式な終戦協定は後日になるが、民と兵を安堵させるのは一秒でも早い方がいいからな。
諸々の下準備は済んでいる。すぐにも始められる』
終戦協定という言葉に、俺は驚いてしまう。
そうか。言われてみれば、戦争が終わる条件は揃ったのか。
世界は既に上から下まで厭戦ムード。行方不明だった勇者と魔王も既に和平に合意した。だから――って、あれ? 陛下さん合意したっけ?
「しとるしとる」
湯舟で長い足を組み換えながら、裸の魔王陛下が笑う。
「……いいんですか? 勇者さんに殺されたいとか言ってた気が」
「それは性癖の話」
「せ、せい……」
「魔王さんはこう見えて世界の半分の統治者であるからして、情欲にまかせて勝手に死ぬわけにはいかんのよ。
何しろ、これからは戦後が始まるのだ。しかと君臨する者がおらねば、天下の魔族は不安のどん底じゃろ?」
凄くしっかりした国家元首の発言だった。
やはりこの人、ただの性癖ヤバめお姉さんではない。
『痛み入ります。魔王陛下』
クリスさんは深々と拝礼し、
『では、勇者との終戦宣言の後、御身は魔王城へお戻りになり、御自ら終戦の詔を。
人類、魔族とも、和平使節団派遣の手はずは既に整っておりますが、陛下の御意であると知らしめてこそ魔族のお歴々も安堵なさいましょう』
「うむ」
「……めっちゃグイグイ話進めるじゃん」
口を尖らせてブーたれたのは、勇者さん。
胸の前でそわそわと指を絡めつつ、クリスさんにジト目を向けている。
「こっちはまだちょっと、戦後ってヤツにビクビクしてんだよ正直。
功労者に配慮して、覚悟する時間くらいくれてもよくない?」
「………」
心配になって、俺はハラハラしてしまう。
黒龍にはああ言っていたが、やはり不安なのか勇者さん。
考えてみれば当然だ。習慣も、価値観も、これから全てが激変していく。そんな未来を前にして、怯えぬ者がいるものか。
でも、大丈夫のはずだ。だって、勇者さんにはクリスさんという頼もしいご友人がいる。不安を吹っ飛ばす優しい言葉をかけてくれるに決まって――
『ダメだ馬鹿』
ええ……?
クリスさんは勇者さんを見ようともせず、ごく淡々と切り捨てる。
『民と兵の安心が最優先だ。
聖煌騎士団長の友人だったのが不幸と思って震えてろ』
「クリスさん? クリスさーん?
もうちょっと優しくしてあげてもいいかなって……」
「――くくっ」
差し出口を挟もうとした俺を、笑い声が引き留める。
他ならぬ勇者さんの笑い声。湯舟の縁に頬杖を突き、緩んだ顔で歯を見せている。
ちっとも怯えていない――どころか、まるで故郷に戻って来たような、柔らかな笑みを浮かべている。
……ええと……?
「キミも気をつけてねエイジ。
クリスはね、仲良くなった相手をこんな風に雑に扱うんだ」
あらやだ。
『お前だけだ、フィリア』
「どーだか? ……まあ」
勇者さんが細めた目には、ゆるぎない信頼と親愛が宿っていた。
「クリスがこうやって容赦なく平和工作するから、私は何も考えないで暴れ回ってりゃ良かったんだけどさ。今日までありがとねクリス」
『明日からもそう変わらん』
これくらいで感謝するな。
大丈夫だ。
クリスさんがそう言ったように、俺には聞こえた。
『エイジも言ってくれただろう。
フィリアの仕事も、居場所も、存在意義も、新しいものがこれから山ほど湧いてくる。
というか私が押しつける。
感謝の言葉を口にする機会など、今際の際まで無いと知れ』
「怖っ」
フィリアさんはさらにケラケラ笑って、
「イヤになったらエイジくんに連れて逃げてもらおっかな。
この猫の足なら誰も追いつけないもんね」
『おいっ!?』
それを聞いて、クリスさんがいきなり血相を変えた。
はて、何がそんなに引っかかったのか。心配しなくても、充分休ませたら連れて帰るが。
「……仕事といえば」
二人のやり取りが途切れたのを見て、俺はクリスさんに訊ねる。
「差し当たって、俺は何をしましょうか。
黒龍には偉そうなこと言いましたけど、何から始めたもんかさっぱりで」
『! そ、そうだな! まずは――』
勢いよくこちらに振り向いて、クリスさんが淀みなく答えてくれる。
そんな彼女の瞳がひどく艶めいていることに、俺は不覚にも気づけなかった。
俺とクリスさんを見詰める、フィリアノールさんのひどく優しい視線にも。
◆ ◆ ◆
全てはいずれ陳腐化する。
黒龍ペーネミュンデの予言が、フィリアノールの胸を蝕む。
全身を包み込む熱い湯ですら癒してくれない底冷えに、フィリアノールは我が身を抱いた。誰にもバレないよう、そっと。
クリスと魔王は言ってくれた。自分はこれからも必要としてもらえると。
エイジ=マトバも居てくれる。彼の力の研究を続ける限り、私の力の価値は消えない。
――本当にそうだろうか?
何かを研究することは、古い常識を捨てることだ。
エイジがこの世界にもたらす革新は、文明の力そのものを引き上げる。そうなったとき、切り捨てられるのは私ではないのか。旧い世界の遺物として。既に追い抜いた目標として。
戦乱の世界なら、その心配は無い。戦場は私を見捨てない。そこに在って力を振るう限り、私の価値を認めてくれる。価値が無くなれば、その瞬間に殺してくれる。
――だから、戦いは続いてほしい。
それがフィリアノールの本心。震えるほどの渇望だ。
平和な時代が来るなんて、怖くて怖くてたまらない。何が怖いって、いつか耐えられなくなった自分がこの手で平和を破壊しかねない。
ねえ。
どうしたらいいのかな、クリス――
『そうだな』
「!」
はっとして、フィリアノールは顔を上げる。
自分の問いに答えてくれたような、親友の声。しかし彼女は、運転席――地球では御者台のことをそう呼ぶらしい――に収まったエイジを見詰めていた。
フィリアノールが初めて見るような、キラキラ輝く横顔で。
おや、これは。
『まず何より、ミラージュダリアの解毒剤を作りたいな。力を貸してくれ』
「もちろん」
力強く頷くエイジに、クリスは嬉しそうに笑う。
騎士の仮面が外れかけるほど、とびきり無邪気な喜びようで。
『まずはその花を』
と彼女が指差したのは、白い解毒花の冠をしている白龍だった――って、うわ。静かだと思ったらウトウトしてるよ白龍公。
世界の守護者がお風呂で溺死しないよう、フィリアノールはその体を支えてやる。白龍が鳴いた。うー、と気持ちよさそうに。おい可愛いぞこいつ。
『まずはその花を氷漬けにする。
一時間ほどすると、解毒成分が茎と花に満ち渡る』
「越冬キャベツみたいですねえ」
『しかし、氷漬けにするにはかなりの魔力と時間が必要だ。手近な雪と氷は黒龍が融かし尽くしてしまったしな。
エイジ、何か道具を創造できるか』
「冷凍庫使いましょう。ほらそこの」
『もう有るのか!? 道具が!?
……げ、解毒成分が満ちたら、花を火で焙ってお香のように吸い込むのだが……
これを青い火でやる必要がある。
地球にも青い火はあるか?
赤い火よりも温度を高め、かつ安定させると色が変わるのだが、並の魔力量と制御技術では……
エイジ?
どうしたんだ、台所になど立って……わーっ!? 竈から青い火がー!?』
「コンロの火でモノを燃やしたら危ないんですけどね。まあお目こぼしってことで」
『……キミという男は』
言葉も無い、というように、親友が異世界の男を見詰める。
恋する人に向ける瞳で。
そう――フィリアノールは確信する。クリスはエイジに恋をしている。
(聖煌騎士団長の初恋か。……違うな。私の友だちのだ)
きっと一目惚れだったのだろう。
彼の顔ではなく、行動に、在り方に惚れた。それがフィリアノールにはわかる。
だってエイジは、スキルをとことんまで平和に使う。鉛の弾を吐く鉄の鳥でも、天から降り注ぎ街を灼く塔でもなく、家を担いで走る猫を創り出す男。誰より戦争終結を望むクリスが心惹かれないわけがない。
あるいは、他にも何か理由があったのか。例えば、何年か前に私が失くした剣でも拾ってくれたとか。もしそうだったら私もエイジに土下座しなくちゃ。
「――ああ、なんか……」
フィリアノールのその独り言を、誰も聞いてはいなかった。
いや、魔王だけは聞いていたはずだが、何食わぬ顔で鼻歌など歌っている。ムカついたからその鼻を捩じっておく。
「あひん!?」
「なんか、勇気出てきたよ」
魔王の耳元で、勇者は囁く。
勇気――そう。新しい世界を生きてみる勇気が。
だってそれは、私の親友とその想い人が創造る世界だ。見てみたいじゃないか。ビビって逃げるなんてもったいないじゃないか。
「そうか……そうだなフィリアノール」
くしゃくしゃと頭を撫でてくれる、幾度も殺し合った人の掌が、なんだか嬉しくてたまらなかった。
「いい眺めだねえ、バルマウフラ」
笑い合うクリスとエイジを眺めながら、フィリアノールは万感の想いで呟く。
我知らず息をつく胸の中、勇者は、戦争の終わりを阻む最後の魔物を討ち果たした。
◆ ◆ ◆
「……んあ」
シロさんがベッドで目を覚ましたとき、キャンピングカーはのんびりと、砂金街道を南へ向かっていた。
サイドミラーには、たった今越えてきたばかりの環状山脈。そして正面には――まだまだ青い空の下、一面の草原が広がっている。地平線というものを、俺は生まれて初めて見ていた。
「おはよ」
「おはようございます」
夕刻前としてはあり得ない挨拶をしながら、シロさんがこっちへやって来る。――あのねシロさん、川の字になって一緒に寝ていた勇者さんと陛下さんを踏んづけるのはやめてあげてくださいね。「ぐえ」とか言ってるんで二人とも。それでも寝てるあたりが流石だけど。
「んー……」
シロさんは目をこすりつつ――ついでに、真っ裸だった体に魔力製の白いワンピースを纏いつつ、てくてくこっちへやって売る。なお、湯舟は畳んで片づけた後。
「ねーエイジ、クリスは?」
空っぽの助手席に飛び乗りながら、シロさん。
クリスさんは何やら会議があるとかで、あの後すぐ通信を切ったのだ。
一旦切ると宣言してから、しばらく「落ち着いたらすぐ戻る」「これからは直接、毎日会えるな」と寂しそうに繰り返すものだから、俺はずいぶんドキドキしたものだ。
「直に会ったら抱き締めてあげなね、エイジ」
「何で!?」
いきなり凄いことを言うシロさんに、また心臓が騒ぎ出す。
「俺が育った国では、抱擁は一般的じゃないんですが……」
「こっちでは普通なの」
「本当ですか!?」
「……………本当だヨ?」
嘘くせえ。
しかし疑う理由も無い。何しろ俺は、この世界のことを何も知らない。いろいろ教わって学んでいくしかない。
「エイジ」
シロさんが俺を呼ぶ。少し不安げな、珍しく弱々しい声で。
「ここからじゃ、世界が見えないねえ」
「――ええ」
キャンピングカーのコクピットにいる俺たちの目線は、地上二メートルも無い。空中道路を駆けていたときのように――あるいは白龍や黒龍のように、世界を一望とはいかない。
そのことが申し訳ない、とでもいうように、シロさんは俯いて先を続ける。
「何も見えなくて心配だろうけど……ここ、いい世界だから。
これからもっと良くなると思うから。
だから……」
「大丈夫」
え? とシロさんが俺を見た。
彼女の黄金の瞳に、俺の笑みはどう映っているだろう。
伝わっているだろうか。俺の、一点の曇りもない昂揚が。
「何も心配してませんよ、シロさん。
だってここは、貴女たちが創ってきた――創っていく世界だ。
隅から隅までキャンピングカーで駆けつけたくなる、素敵な場所に決まってる。そうでしょう?」
「そう思って……くれるんだね」
花が咲くように、シロさんは笑った。ほら、絶景がまたひとつ。
楽しみだ。
こういう景色に、俺はいくつ出逢えるのか。
「ねえねえエイジ! 窓、開けていい?」
満開の花を咲かせたまま、シロさんは外を指差した。
「空間跳躍できる魔力もまだ戻ってないからさ、今なら顔出しても大丈夫!
地上の風、浴びてみたいんだぁ――って何? なんで笑うの?」
「すみません」
噴き出したことを詫びたは良いが、顔が笑うのを止められない。
だって、白龍ズィーガ=マデンツァともあろうお方が、街道の風も浴びたことがないなんて。
なんだか可笑しかったんだ。
それではまるで、俺と同じではないか。
「ちょっとお待ちを」
窓の開け方がわからず四苦八苦しているシロさんのために、俺はドアの端末を操作。ういーん、と窓が下がると同時に吹き込んでくる涼風に、シロさんが歓声を上げる。勇者さんと陛下さんは揃って「寒ゥい!」と怒鳴っていたけど。
「わあ……!」
窓から小さな体を乗り出し、思い切り風を浴びる純白の少女。
長い髪が風に流れて、龍の尾のようにたなびいた。
無邪気にはしゃぐ彼女の姿に、知らず、俺は目を細める。
ここに来られてよかったと、思った。風の中の絶景に、俺は時を忘れて見惚れ――
「危ねえっ!?」
危うく石畳を踏み外しかけ、慌てて正面に視線を戻す。
いかんいかん。
景色を見に行くにも安全運転。それはどこの世界でも、変わらない。
【完】
勇者さんのリクエストで天井を露天風呂仕様に変えるなり、助手席のクリスさんが言う。
てきぱきと、かつ凛然とした、騎士団長の顔をして。かっこいい。好き。
『全世界に向け、勇者と魔王が手を取り合って終戦を誓う姿を発信したい。
正式な終戦協定は後日になるが、民と兵を安堵させるのは一秒でも早い方がいいからな。
諸々の下準備は済んでいる。すぐにも始められる』
終戦協定という言葉に、俺は驚いてしまう。
そうか。言われてみれば、戦争が終わる条件は揃ったのか。
世界は既に上から下まで厭戦ムード。行方不明だった勇者と魔王も既に和平に合意した。だから――って、あれ? 陛下さん合意したっけ?
「しとるしとる」
湯舟で長い足を組み換えながら、裸の魔王陛下が笑う。
「……いいんですか? 勇者さんに殺されたいとか言ってた気が」
「それは性癖の話」
「せ、せい……」
「魔王さんはこう見えて世界の半分の統治者であるからして、情欲にまかせて勝手に死ぬわけにはいかんのよ。
何しろ、これからは戦後が始まるのだ。しかと君臨する者がおらねば、天下の魔族は不安のどん底じゃろ?」
凄くしっかりした国家元首の発言だった。
やはりこの人、ただの性癖ヤバめお姉さんではない。
『痛み入ります。魔王陛下』
クリスさんは深々と拝礼し、
『では、勇者との終戦宣言の後、御身は魔王城へお戻りになり、御自ら終戦の詔を。
人類、魔族とも、和平使節団派遣の手はずは既に整っておりますが、陛下の御意であると知らしめてこそ魔族のお歴々も安堵なさいましょう』
「うむ」
「……めっちゃグイグイ話進めるじゃん」
口を尖らせてブーたれたのは、勇者さん。
胸の前でそわそわと指を絡めつつ、クリスさんにジト目を向けている。
「こっちはまだちょっと、戦後ってヤツにビクビクしてんだよ正直。
功労者に配慮して、覚悟する時間くらいくれてもよくない?」
「………」
心配になって、俺はハラハラしてしまう。
黒龍にはああ言っていたが、やはり不安なのか勇者さん。
考えてみれば当然だ。習慣も、価値観も、これから全てが激変していく。そんな未来を前にして、怯えぬ者がいるものか。
でも、大丈夫のはずだ。だって、勇者さんにはクリスさんという頼もしいご友人がいる。不安を吹っ飛ばす優しい言葉をかけてくれるに決まって――
『ダメだ馬鹿』
ええ……?
クリスさんは勇者さんを見ようともせず、ごく淡々と切り捨てる。
『民と兵の安心が最優先だ。
聖煌騎士団長の友人だったのが不幸と思って震えてろ』
「クリスさん? クリスさーん?
もうちょっと優しくしてあげてもいいかなって……」
「――くくっ」
差し出口を挟もうとした俺を、笑い声が引き留める。
他ならぬ勇者さんの笑い声。湯舟の縁に頬杖を突き、緩んだ顔で歯を見せている。
ちっとも怯えていない――どころか、まるで故郷に戻って来たような、柔らかな笑みを浮かべている。
……ええと……?
「キミも気をつけてねエイジ。
クリスはね、仲良くなった相手をこんな風に雑に扱うんだ」
あらやだ。
『お前だけだ、フィリア』
「どーだか? ……まあ」
勇者さんが細めた目には、ゆるぎない信頼と親愛が宿っていた。
「クリスがこうやって容赦なく平和工作するから、私は何も考えないで暴れ回ってりゃ良かったんだけどさ。今日までありがとねクリス」
『明日からもそう変わらん』
これくらいで感謝するな。
大丈夫だ。
クリスさんがそう言ったように、俺には聞こえた。
『エイジも言ってくれただろう。
フィリアの仕事も、居場所も、存在意義も、新しいものがこれから山ほど湧いてくる。
というか私が押しつける。
感謝の言葉を口にする機会など、今際の際まで無いと知れ』
「怖っ」
フィリアさんはさらにケラケラ笑って、
「イヤになったらエイジくんに連れて逃げてもらおっかな。
この猫の足なら誰も追いつけないもんね」
『おいっ!?』
それを聞いて、クリスさんがいきなり血相を変えた。
はて、何がそんなに引っかかったのか。心配しなくても、充分休ませたら連れて帰るが。
「……仕事といえば」
二人のやり取りが途切れたのを見て、俺はクリスさんに訊ねる。
「差し当たって、俺は何をしましょうか。
黒龍には偉そうなこと言いましたけど、何から始めたもんかさっぱりで」
『! そ、そうだな! まずは――』
勢いよくこちらに振り向いて、クリスさんが淀みなく答えてくれる。
そんな彼女の瞳がひどく艶めいていることに、俺は不覚にも気づけなかった。
俺とクリスさんを見詰める、フィリアノールさんのひどく優しい視線にも。
◆ ◆ ◆
全てはいずれ陳腐化する。
黒龍ペーネミュンデの予言が、フィリアノールの胸を蝕む。
全身を包み込む熱い湯ですら癒してくれない底冷えに、フィリアノールは我が身を抱いた。誰にもバレないよう、そっと。
クリスと魔王は言ってくれた。自分はこれからも必要としてもらえると。
エイジ=マトバも居てくれる。彼の力の研究を続ける限り、私の力の価値は消えない。
――本当にそうだろうか?
何かを研究することは、古い常識を捨てることだ。
エイジがこの世界にもたらす革新は、文明の力そのものを引き上げる。そうなったとき、切り捨てられるのは私ではないのか。旧い世界の遺物として。既に追い抜いた目標として。
戦乱の世界なら、その心配は無い。戦場は私を見捨てない。そこに在って力を振るう限り、私の価値を認めてくれる。価値が無くなれば、その瞬間に殺してくれる。
――だから、戦いは続いてほしい。
それがフィリアノールの本心。震えるほどの渇望だ。
平和な時代が来るなんて、怖くて怖くてたまらない。何が怖いって、いつか耐えられなくなった自分がこの手で平和を破壊しかねない。
ねえ。
どうしたらいいのかな、クリス――
『そうだな』
「!」
はっとして、フィリアノールは顔を上げる。
自分の問いに答えてくれたような、親友の声。しかし彼女は、運転席――地球では御者台のことをそう呼ぶらしい――に収まったエイジを見詰めていた。
フィリアノールが初めて見るような、キラキラ輝く横顔で。
おや、これは。
『まず何より、ミラージュダリアの解毒剤を作りたいな。力を貸してくれ』
「もちろん」
力強く頷くエイジに、クリスは嬉しそうに笑う。
騎士の仮面が外れかけるほど、とびきり無邪気な喜びようで。
『まずはその花を』
と彼女が指差したのは、白い解毒花の冠をしている白龍だった――って、うわ。静かだと思ったらウトウトしてるよ白龍公。
世界の守護者がお風呂で溺死しないよう、フィリアノールはその体を支えてやる。白龍が鳴いた。うー、と気持ちよさそうに。おい可愛いぞこいつ。
『まずはその花を氷漬けにする。
一時間ほどすると、解毒成分が茎と花に満ち渡る』
「越冬キャベツみたいですねえ」
『しかし、氷漬けにするにはかなりの魔力と時間が必要だ。手近な雪と氷は黒龍が融かし尽くしてしまったしな。
エイジ、何か道具を創造できるか』
「冷凍庫使いましょう。ほらそこの」
『もう有るのか!? 道具が!?
……げ、解毒成分が満ちたら、花を火で焙ってお香のように吸い込むのだが……
これを青い火でやる必要がある。
地球にも青い火はあるか?
赤い火よりも温度を高め、かつ安定させると色が変わるのだが、並の魔力量と制御技術では……
エイジ?
どうしたんだ、台所になど立って……わーっ!? 竈から青い火がー!?』
「コンロの火でモノを燃やしたら危ないんですけどね。まあお目こぼしってことで」
『……キミという男は』
言葉も無い、というように、親友が異世界の男を見詰める。
恋する人に向ける瞳で。
そう――フィリアノールは確信する。クリスはエイジに恋をしている。
(聖煌騎士団長の初恋か。……違うな。私の友だちのだ)
きっと一目惚れだったのだろう。
彼の顔ではなく、行動に、在り方に惚れた。それがフィリアノールにはわかる。
だってエイジは、スキルをとことんまで平和に使う。鉛の弾を吐く鉄の鳥でも、天から降り注ぎ街を灼く塔でもなく、家を担いで走る猫を創り出す男。誰より戦争終結を望むクリスが心惹かれないわけがない。
あるいは、他にも何か理由があったのか。例えば、何年か前に私が失くした剣でも拾ってくれたとか。もしそうだったら私もエイジに土下座しなくちゃ。
「――ああ、なんか……」
フィリアノールのその独り言を、誰も聞いてはいなかった。
いや、魔王だけは聞いていたはずだが、何食わぬ顔で鼻歌など歌っている。ムカついたからその鼻を捩じっておく。
「あひん!?」
「なんか、勇気出てきたよ」
魔王の耳元で、勇者は囁く。
勇気――そう。新しい世界を生きてみる勇気が。
だってそれは、私の親友とその想い人が創造る世界だ。見てみたいじゃないか。ビビって逃げるなんてもったいないじゃないか。
「そうか……そうだなフィリアノール」
くしゃくしゃと頭を撫でてくれる、幾度も殺し合った人の掌が、なんだか嬉しくてたまらなかった。
「いい眺めだねえ、バルマウフラ」
笑い合うクリスとエイジを眺めながら、フィリアノールは万感の想いで呟く。
我知らず息をつく胸の中、勇者は、戦争の終わりを阻む最後の魔物を討ち果たした。
◆ ◆ ◆
「……んあ」
シロさんがベッドで目を覚ましたとき、キャンピングカーはのんびりと、砂金街道を南へ向かっていた。
サイドミラーには、たった今越えてきたばかりの環状山脈。そして正面には――まだまだ青い空の下、一面の草原が広がっている。地平線というものを、俺は生まれて初めて見ていた。
「おはよ」
「おはようございます」
夕刻前としてはあり得ない挨拶をしながら、シロさんがこっちへやって来る。――あのねシロさん、川の字になって一緒に寝ていた勇者さんと陛下さんを踏んづけるのはやめてあげてくださいね。「ぐえ」とか言ってるんで二人とも。それでも寝てるあたりが流石だけど。
「んー……」
シロさんは目をこすりつつ――ついでに、真っ裸だった体に魔力製の白いワンピースを纏いつつ、てくてくこっちへやって売る。なお、湯舟は畳んで片づけた後。
「ねーエイジ、クリスは?」
空っぽの助手席に飛び乗りながら、シロさん。
クリスさんは何やら会議があるとかで、あの後すぐ通信を切ったのだ。
一旦切ると宣言してから、しばらく「落ち着いたらすぐ戻る」「これからは直接、毎日会えるな」と寂しそうに繰り返すものだから、俺はずいぶんドキドキしたものだ。
「直に会ったら抱き締めてあげなね、エイジ」
「何で!?」
いきなり凄いことを言うシロさんに、また心臓が騒ぎ出す。
「俺が育った国では、抱擁は一般的じゃないんですが……」
「こっちでは普通なの」
「本当ですか!?」
「……………本当だヨ?」
嘘くせえ。
しかし疑う理由も無い。何しろ俺は、この世界のことを何も知らない。いろいろ教わって学んでいくしかない。
「エイジ」
シロさんが俺を呼ぶ。少し不安げな、珍しく弱々しい声で。
「ここからじゃ、世界が見えないねえ」
「――ええ」
キャンピングカーのコクピットにいる俺たちの目線は、地上二メートルも無い。空中道路を駆けていたときのように――あるいは白龍や黒龍のように、世界を一望とはいかない。
そのことが申し訳ない、とでもいうように、シロさんは俯いて先を続ける。
「何も見えなくて心配だろうけど……ここ、いい世界だから。
これからもっと良くなると思うから。
だから……」
「大丈夫」
え? とシロさんが俺を見た。
彼女の黄金の瞳に、俺の笑みはどう映っているだろう。
伝わっているだろうか。俺の、一点の曇りもない昂揚が。
「何も心配してませんよ、シロさん。
だってここは、貴女たちが創ってきた――創っていく世界だ。
隅から隅までキャンピングカーで駆けつけたくなる、素敵な場所に決まってる。そうでしょう?」
「そう思って……くれるんだね」
花が咲くように、シロさんは笑った。ほら、絶景がまたひとつ。
楽しみだ。
こういう景色に、俺はいくつ出逢えるのか。
「ねえねえエイジ! 窓、開けていい?」
満開の花を咲かせたまま、シロさんは外を指差した。
「空間跳躍できる魔力もまだ戻ってないからさ、今なら顔出しても大丈夫!
地上の風、浴びてみたいんだぁ――って何? なんで笑うの?」
「すみません」
噴き出したことを詫びたは良いが、顔が笑うのを止められない。
だって、白龍ズィーガ=マデンツァともあろうお方が、街道の風も浴びたことがないなんて。
なんだか可笑しかったんだ。
それではまるで、俺と同じではないか。
「ちょっとお待ちを」
窓の開け方がわからず四苦八苦しているシロさんのために、俺はドアの端末を操作。ういーん、と窓が下がると同時に吹き込んでくる涼風に、シロさんが歓声を上げる。勇者さんと陛下さんは揃って「寒ゥい!」と怒鳴っていたけど。
「わあ……!」
窓から小さな体を乗り出し、思い切り風を浴びる純白の少女。
長い髪が風に流れて、龍の尾のようにたなびいた。
無邪気にはしゃぐ彼女の姿に、知らず、俺は目を細める。
ここに来られてよかったと、思った。風の中の絶景に、俺は時を忘れて見惚れ――
「危ねえっ!?」
危うく石畳を踏み外しかけ、慌てて正面に視線を戻す。
いかんいかん。
景色を見に行くにも安全運転。それはどこの世界でも、変わらない。
【完】
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◇ ◇ ◇
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とんでもない能力だね。
材質変えられるだけでもすごいのに
キャンピングカーを作れるということは
内部構造を知らなくても作れるということだし
電子制御系のプログラムまで再現してるってことだからね。
ご感想ありがとうございます!
あのスキルは、エイジ自身のイメージにあるものをこの世界の物理法則に則って再現している……のではないかと思います。なので、持っているイメージや知識が曖昧すぎるものは作れないかもしれません。それにしたってちょっと無法すぎるとは思いますが!