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六
坊ちゃんの確信
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数日後の夕刻、行商を終えて帰って来ると、店先の長椅子に不機嫌な顔で座っている藤田がいた。
店の棚に飾られた投げ入れは、楓から錦木へと変わっている。黒釉の壺の下には一円札が畳まれていた。
「どういうことなんですかい」
無礼だとは思ったが、挨拶もそこそこに問い詰めてやった。だってよ、紙幣が畳んであるということは、坊ちゃんの神通力を使ってみようと目論んでいるってことだろ。
「春木屋のやり手婆の死体。俺もあれを自殺だと思えなくてな」
俺はこの間、豆千代とかわした会話を思い出す。
「結局警視庁は、自殺だと決めたのか」
「いや、ミネの死が自殺だとはまだ決めかねてはいる。だが、小林を殺したのは概ねミネであるというのは決定したようなものだ」
「その根拠は?」
あんな状況だけでは、ミネを人殺しだと決めつけるための証拠が乏しいように思える。
「ミネと小林を繋ぐ接点が見つかった。小林はミネに女を買う金とは別で、金を渡していることが調べでわかったのだ。実際、ミネと小林が揉めているのを菱屋の亭主も目撃している。ただ、春木屋の亭主は、それでミネが小林氏を殺すなどということはありえないと、真っ向から反論している」
「そうだろうとも。だってよ、その説で通すなら、ミネが小林に殺されそうなものなのに、逆じゃねえか」
「確かにそうだが、しかし、もう金を払わねえと言われた、あるいは小林に何か弱みを握られちまった……ということも考えられる。どちらにせよ、二人の間に諍いがあったのは確かだ。とにかく、そういうことで、上の人間は小林殺しについて、ほぼミネの仕業だと決めつけているってぇわけだ。先刻、その話をしたら、こいつがすっきりと事件を解決してやると言いやがったのさ。で、この時刻を指定して、俺をここに呼び出したというわけだ」
顎で坊ちゃんを指した。
坊ちゃんは「ただいま」を言わなかった俺に「おかえり」を言いそびれたというような顔で、頬杖を突いた状態のまま、俺を見ていた。
「僕が睨んでいた厠殺人の黒幕が、この藤田さんの話ではっきりしたってだけさ。第一、藤田さんもおミネさんの死には疑問を抱いているんだろう。かといって、上が一旦咎人を決定してしまったら、それを覆すのは難しいから困っている」
(だからって、坊ちゃんに殺人の真相を探らせようってのか)
しかし、追加で頼むということは、前回の紙幣の分の働きは、あれで満足したということだ。辻斬りの件に関しては、俺は何ともすっきりしない顛末だと感じていたのに。
(だが藤田さんは辻斬りを、大石鍬次郎の蟲が起こしたと認めたってぇことだ)
だとしても結局、大石の蟲は逃げた。三井の体を捕まえることはできたが、中身は空っぽになっていたのだから。
坊ちゃん曰く、『他人の蟲に乗っ取られた人間の魂は、主導権が入れ替わり、あの状況だと三井は死んでもおかしくない』らしい。
それなのに三井が生きているのは、大石の蟲は三井の蟲を敢えて殺さなかったということなのだと言っていた。もはや生気を吸い取られ、動くことすらできなくなってしまった死にかけの魂で、三井は生きながら極刑の恐怖だけを突き付けられている状態だという。
「僕が思うに、多分、三井さんの記憶は失われてなどいない。彼には、自分の力で意志を示すほどの生気が残されていないだけだ」
これにはぞっとした。
つまり、大石鍬次郎はまんまと復讐を成し遂げたということだ。これを解決と呼んでいいはずなどねえ!
「で、藤田さんは此度の件も、〈魂の蟲〉が絡んでいると思ってなさるのですかい」
「そういうことではない。ただ単に、てめえんとこの店主の洞察力が頼りになると判断したまでだ。そこへ来て、殺人者の念の色とやらを見分けられるとなりゃあ、無実の罪を誰かに被せるってえ過ちを犯さなくて済む。それが死人だとしてもだ」
「俺はこれ以上……」
そこまで言いかけて坊ちゃんを見ると、不機嫌な顔で睨んでいるのだから、つい続けようとした小言は唾と一緒に飲み込まざるをえなくなった。
「ハイハイ。で、坊ちゃんはどうするおつもりで」
「今から菱屋へ行くんだ。次の殺人を止めるためにね」
頬杖をついたまま横柄な態度で命じるが、さらりと、とんでもねえことを言ったよな。
「次ですって?」
声を上げた俺に、さらりさらりと続けた。
「殺した側も、まだ全部をやり遂げていないからさ。そいつの目的までは見えないが、まだ怪しい動きは続いているんだ」
藤田が神妙な顔で確認する。
「その勘は当てになるのか」
それに対し、自信たっぷりに答えた。
「なるさ」
その自信は、神通力なのか……それともただの推察なのか。
「いったい何か根拠でもありなさるのかい」
「伊勢屋さんの証文箱だよ」
返ってきたのは、『念の色』だとか『魂の蟲』といった神通力絡みの話ではなく、至極具体的な答えであった。
「伊勢屋さんの?」
この間、坊ちゃんが見つけてあげた証文箱のことなのか。
「とにかく、お前が行きたくないと言うのなら来なくていい。警部補と二人で行くから」
根拠を求めたということは、俺が坊ちゃんの洞察を疑ったのも同然で、それに対し坊ちゃんは、冷ややかな拒絶で俺を罰した。
「申し訳ないことを致したと認めますよ! 行きます、行きますったら。 行かないわけないでしょうが」
慌てて反論し、「すぐに支度をするから」と釘を刺し、服を着替えるために二階へと駆け上がった。
店の棚に飾られた投げ入れは、楓から錦木へと変わっている。黒釉の壺の下には一円札が畳まれていた。
「どういうことなんですかい」
無礼だとは思ったが、挨拶もそこそこに問い詰めてやった。だってよ、紙幣が畳んであるということは、坊ちゃんの神通力を使ってみようと目論んでいるってことだろ。
「春木屋のやり手婆の死体。俺もあれを自殺だと思えなくてな」
俺はこの間、豆千代とかわした会話を思い出す。
「結局警視庁は、自殺だと決めたのか」
「いや、ミネの死が自殺だとはまだ決めかねてはいる。だが、小林を殺したのは概ねミネであるというのは決定したようなものだ」
「その根拠は?」
あんな状況だけでは、ミネを人殺しだと決めつけるための証拠が乏しいように思える。
「ミネと小林を繋ぐ接点が見つかった。小林はミネに女を買う金とは別で、金を渡していることが調べでわかったのだ。実際、ミネと小林が揉めているのを菱屋の亭主も目撃している。ただ、春木屋の亭主は、それでミネが小林氏を殺すなどということはありえないと、真っ向から反論している」
「そうだろうとも。だってよ、その説で通すなら、ミネが小林に殺されそうなものなのに、逆じゃねえか」
「確かにそうだが、しかし、もう金を払わねえと言われた、あるいは小林に何か弱みを握られちまった……ということも考えられる。どちらにせよ、二人の間に諍いがあったのは確かだ。とにかく、そういうことで、上の人間は小林殺しについて、ほぼミネの仕業だと決めつけているってぇわけだ。先刻、その話をしたら、こいつがすっきりと事件を解決してやると言いやがったのさ。で、この時刻を指定して、俺をここに呼び出したというわけだ」
顎で坊ちゃんを指した。
坊ちゃんは「ただいま」を言わなかった俺に「おかえり」を言いそびれたというような顔で、頬杖を突いた状態のまま、俺を見ていた。
「僕が睨んでいた厠殺人の黒幕が、この藤田さんの話ではっきりしたってだけさ。第一、藤田さんもおミネさんの死には疑問を抱いているんだろう。かといって、上が一旦咎人を決定してしまったら、それを覆すのは難しいから困っている」
(だからって、坊ちゃんに殺人の真相を探らせようってのか)
しかし、追加で頼むということは、前回の紙幣の分の働きは、あれで満足したということだ。辻斬りの件に関しては、俺は何ともすっきりしない顛末だと感じていたのに。
(だが藤田さんは辻斬りを、大石鍬次郎の蟲が起こしたと認めたってぇことだ)
だとしても結局、大石の蟲は逃げた。三井の体を捕まえることはできたが、中身は空っぽになっていたのだから。
坊ちゃん曰く、『他人の蟲に乗っ取られた人間の魂は、主導権が入れ替わり、あの状況だと三井は死んでもおかしくない』らしい。
それなのに三井が生きているのは、大石の蟲は三井の蟲を敢えて殺さなかったということなのだと言っていた。もはや生気を吸い取られ、動くことすらできなくなってしまった死にかけの魂で、三井は生きながら極刑の恐怖だけを突き付けられている状態だという。
「僕が思うに、多分、三井さんの記憶は失われてなどいない。彼には、自分の力で意志を示すほどの生気が残されていないだけだ」
これにはぞっとした。
つまり、大石鍬次郎はまんまと復讐を成し遂げたということだ。これを解決と呼んでいいはずなどねえ!
「で、藤田さんは此度の件も、〈魂の蟲〉が絡んでいると思ってなさるのですかい」
「そういうことではない。ただ単に、てめえんとこの店主の洞察力が頼りになると判断したまでだ。そこへ来て、殺人者の念の色とやらを見分けられるとなりゃあ、無実の罪を誰かに被せるってえ過ちを犯さなくて済む。それが死人だとしてもだ」
「俺はこれ以上……」
そこまで言いかけて坊ちゃんを見ると、不機嫌な顔で睨んでいるのだから、つい続けようとした小言は唾と一緒に飲み込まざるをえなくなった。
「ハイハイ。で、坊ちゃんはどうするおつもりで」
「今から菱屋へ行くんだ。次の殺人を止めるためにね」
頬杖をついたまま横柄な態度で命じるが、さらりと、とんでもねえことを言ったよな。
「次ですって?」
声を上げた俺に、さらりさらりと続けた。
「殺した側も、まだ全部をやり遂げていないからさ。そいつの目的までは見えないが、まだ怪しい動きは続いているんだ」
藤田が神妙な顔で確認する。
「その勘は当てになるのか」
それに対し、自信たっぷりに答えた。
「なるさ」
その自信は、神通力なのか……それともただの推察なのか。
「いったい何か根拠でもありなさるのかい」
「伊勢屋さんの証文箱だよ」
返ってきたのは、『念の色』だとか『魂の蟲』といった神通力絡みの話ではなく、至極具体的な答えであった。
「伊勢屋さんの?」
この間、坊ちゃんが見つけてあげた証文箱のことなのか。
「とにかく、お前が行きたくないと言うのなら来なくていい。警部補と二人で行くから」
根拠を求めたということは、俺が坊ちゃんの洞察を疑ったのも同然で、それに対し坊ちゃんは、冷ややかな拒絶で俺を罰した。
「申し訳ないことを致したと認めますよ! 行きます、行きますったら。 行かないわけないでしょうが」
慌てて反論し、「すぐに支度をするから」と釘を刺し、服を着替えるために二階へと駆け上がった。
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