幻日~遠い日の夢

森野あとり

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薩摩っぽ

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 全ての家人の朝餉が済むと、台所脇の井戸は、掃除や庭仕事に従事する奉公人たちで賑わう。
 土蔵からハツの泣き声が聞こえると、誰かが言った。

「朝っぱらから、旦那様に叱られていたからねえ」
「あの子、がさつなのよ。どんな躾をされたんだか」

 年配の女たちは、ハツの行儀の悪さや口の悪さを、冷ややかな眼で見ていた。

「にしても、いい歳して、土蔵が怖いもんかね?」

 庭師の青年が嗤った。

「んだねえ。いつも威勢がいいのにさあ」

 そして、嗤いながら、自分たちの仕事場に散って行った。


 井戸の周りに誰もいなくなったのを確認し、鉄之助が土蔵に近付いた。
 喚き疲れたのか、土蔵の中からは、時折ハツの鼻をすする音が聞こえるだけだった。

「ごめんよ。俺の所為だな」

 分厚い扉。鉄之助の声が伝わったかどうかは怪しい。中からは、一切の反応が無かった。
 扉にそっと、手を当てた。その時、背後に近づく人の気配に、鉄之助の体が固まった。
 日が高くなると表門が開かれ、数人の客人が出入りしていた。そのうちの誰かが、こちらに近付いて来たのだと思われる。
 全身を耳にして、その気配を窺う。

「……でごわすな」

 何を話しているのか分からないが、その言葉尻の方言は、「薩摩野郎……」
 鉄之助は血の気が引くと同時に、じわじわとした怒りを感じ、両手の拳を握りしめた。ぎりりと奥歯を噛みしめる。
 薩摩は官軍である。幕府軍にとって、一番の敵だ。鉄之助にとっても、敵としての認識が先立つ。
 彼らは玄関にも土間の大戸にも行かず、まっすぐ土蔵の方に歩いて来た。ここに、没収すべき新選組の遺品があることを疑い、時折改めに入っていることを、鉄之助は知らない。
 怒りで腹の奥が沸々とたぎる。だが腰の刀はもう無いのだ。

「ちっ」

 口惜しさに唇を噛み、じっと土蔵の扉を睨んでいた。

「おいこら、小僧! こげん所で何ばしちょる」
「使用人で ごじゃっとか?」

 洋装軍服に二本差しの二人組だった。
 頭の中では、飛びかかってその腰のモノを抜き、その刀で斬りかかろうとする己を描いていた。鉄之助が、扉に当てた手を下ろした時、たまたま通りがかり見つけたのか、清太が慌てて駆け寄って来た。

「お、お侍様! その者が何か?」
「いや、何。土蔵の中を見せてもらおうと立ち寄ったんじゃが、この小僧が前におったもんでな」

 鉄之介は振り返り、まるで挑むかのような目つきで彼らを睨んだ。

「なんじゃ、小僧、文句あるのか」

 ガッチリとした体躯の薩摩兵が、鉄之介の肩に手をかけようとした。清太が慌てて、話題を逸らせる。

「この土蔵にはもう、何もございませんよ。骨董品ばかりにございます。すでに先月、改めも終わって御座います。それに今朝は旦那様がお出かけですから、急な土蔵改めは、ご勘弁願えませんかねえ。御客人もすでに出入りしておりますし……」
「そげなこつ」
「それに今朝は、のう?」

 さらに、鉄之介に同意を求める様な仕草を見せた。

「今朝はこやつの妹が悪さをしましてな。旦那様に叱られて、悪さをした妹が土蔵の中に閉じ込めらておりますのじゃ」

 清太の大きな声は、土蔵の中のハツに届いたのだろう。

「清太さん! そこに居るの?」
 
 土蔵の中から、ハツの叫ぶ声が聞こえてきた。

「ほらね」
「奉公人か」
「へえ。この戦で父親を亡くしとります。それを、ここの旦那様が引き取って来られたんですよ」

 鉄之介が思わず清太の方を見た。

「ならば、賊軍の娘と息子でごわすな」

 連れの兵士が、蔑む様な目をした。

「勝った新政府軍から見れば、そうでしょうな。じゃが、彼らはただの百姓。何のしがらみも有りませぬ。ただ、ご先祖様からの土地と、上様が与えてくだすった生活を守るため、西国の外様とざまと戦っただけにございます。己の大義に従っただけにございますよ。決して賊ではありませぬ」

 官軍をひとくくりに『外様』と言われたことに、ぴくりと反応したが、清太の口調は静かで、薩摩兵を責めるものでは無かった。無かっただけに彼らの心に響いたのか、それ以上、鉄之介にかまうことを止めた。

「まあ、折檻もほどほどにしちゃれ」

 薩摩兵が、情けをかけるような事を言った時だ。

「なあ、清太さん、早く出してよ! 早くってば! あたし、絶っ対に旦那さんに文句言ってやるんだからあ!」

 土蔵から、再びハツの声がした。
 清太が薩摩兵に肩をすくめてみせた。

「ワハハハハ、こりゃ、もうちょい閉じ込めといた方が良いでごわすな」

 薩摩兵が大声で笑いながら、長屋門を通って出て行った。立ち去る後ろ姿を見届けると、ホッとしたのか、清太が大きく息を吐いた。

「ふぃー。戦が北に移動した後も、この界隈には、しつこく薩摩っぽがうろつきやがる。市村様もお気を付けくだせえ」

 鉄之介は小さく頭を下げた。

「……あの、さっきの話」
「あゝ、ハツの親父さんの話ですか」
「あれ、本当の話なのですよね」

 鉄之介には、あの話がハッタリやその場しのぎの作り話ではなく、まことの話だと感じていた。

「ええ、あのまんまでさあ。新選組がここに来た時、農兵を募ったでしょう。あいつの親父さんは、その時にゃあ参加しちゃおりませぬ。父ひとり子ひとりの家でしたから」
「なら、何故」

 清太は腕を組み、空を仰ぎ見た。

「何故でしょうなあ……。新選組が甲州を去り、ここの旦那様も官軍に追われ、源之助君も囚われて、そのうち近藤先生が、斬首されちまって……悔しかったのでしょうな……あいつも」

 思い出すのも辛いのか、言葉を詰まらせた。だが、清太は笑っていた。それがこの武州の男なのだろう。
 からっと笑って話す清太を、鉄之介は眩しそうに見上げた。

「さてと、仕事が溜まってらあ」
「あの、おハツさんは?」
「放っておきましょう。ハツには反省の色が見えん!」

 土蔵に向かって大声で叫んだ。

「鬼い!」

 中から、ハツの怒りの一声が響いた。
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