15 / 61
三
薩摩っぽ
しおりを挟む全ての家人の朝餉が済むと、台所脇の井戸は、掃除や庭仕事に従事する奉公人たちで賑わう。
土蔵からハツの泣き声が聞こえると、誰かが言った。
「朝っぱらから、旦那様に叱られていたからねえ」
「あの子、がさつなのよ。どんな躾をされたんだか」
年配の女たちは、ハツの行儀の悪さや口の悪さを、冷ややかな眼で見ていた。
「にしても、いい歳して、土蔵が怖いもんかね?」
庭師の青年が嗤った。
「んだねえ。いつも威勢がいいのにさあ」
そして、嗤いながら、自分たちの仕事場に散って行った。
井戸の周りに誰もいなくなったのを確認し、鉄之助が土蔵に近付いた。
喚き疲れたのか、土蔵の中からは、時折ハツの鼻をすする音が聞こえるだけだった。
「ごめんよ。俺の所為だな」
分厚い扉。鉄之助の声が伝わったかどうかは怪しい。中からは、一切の反応が無かった。
扉にそっと、手を当てた。その時、背後に近づく人の気配に、鉄之助の体が固まった。
日が高くなると表門が開かれ、数人の客人が出入りしていた。そのうちの誰かが、こちらに近付いて来たのだと思われる。
全身を耳にして、その気配を窺う。
「……でごわすな」
何を話しているのか分からないが、その言葉尻の方言は、「薩摩野郎……」
鉄之助は血の気が引くと同時に、じわじわとした怒りを感じ、両手の拳を握りしめた。ぎりりと奥歯を噛みしめる。
薩摩は官軍である。幕府軍にとって、一番の敵だ。鉄之助にとっても、敵としての認識が先立つ。
彼らは玄関にも土間の大戸にも行かず、まっすぐ土蔵の方に歩いて来た。ここに、没収すべき新選組の遺品があることを疑い、時折改めに入っていることを、鉄之助は知らない。
怒りで腹の奥が沸々とたぎる。だが腰の刀はもう無いのだ。
「ちっ」
口惜しさに唇を噛み、じっと土蔵の扉を睨んでいた。
「おいこら、小僧! こげん所で何ばしちょる」
「使用人で ごじゃっとか?」
洋装軍服に二本差しの二人組だった。
頭の中では、飛びかかってその腰のモノを抜き、その刀で斬りかかろうとする己を描いていた。鉄之助が、扉に当てた手を下ろした時、たまたま通りがかり見つけたのか、清太が慌てて駆け寄って来た。
「お、お侍様! その者が何か?」
「いや、何。土蔵の中を見せてもらおうと立ち寄ったんじゃが、この小僧が前におったもんでな」
鉄之介は振り返り、まるで挑むかのような目つきで彼らを睨んだ。
「なんじゃ、小僧、文句あるのか」
ガッチリとした体躯の薩摩兵が、鉄之介の肩に手をかけようとした。清太が慌てて、話題を逸らせる。
「この土蔵にはもう、何もございませんよ。骨董品ばかりにございます。すでに先月、改めも終わって御座います。それに今朝は旦那様がお出かけですから、急な土蔵改めは、ご勘弁願えませんかねえ。御客人もすでに出入りしておりますし……」
「そげなこつ」
「それに今朝は、のう?」
さらに、鉄之介に同意を求める様な仕草を見せた。
「今朝はこやつの妹が悪さをしましてな。旦那様に叱られて、悪さをした妹が土蔵の中に閉じ込めらておりますのじゃ」
清太の大きな声は、土蔵の中のハツに届いたのだろう。
「清太さん! そこに居るの?」
土蔵の中から、ハツの叫ぶ声が聞こえてきた。
「ほらね」
「奉公人か」
「へえ。この戦で父親を亡くしとります。それを、ここの旦那様が引き取って来られたんですよ」
鉄之介が思わず清太の方を見た。
「ならば、賊軍の娘と息子でごわすな」
連れの兵士が、蔑む様な目をした。
「勝った新政府軍から見れば、そうでしょうな。じゃが、彼らはただの百姓。何のしがらみも有りませぬ。ただ、ご先祖様からの土地と、上様が与えてくだすった生活を守るため、西国の外様と戦っただけにございます。己の大義に従っただけにございますよ。決して賊ではありませぬ」
官軍をひとくくりに『外様』と言われたことに、ぴくりと反応したが、清太の口調は静かで、薩摩兵を責めるものでは無かった。無かっただけに彼らの心に響いたのか、それ以上、鉄之介にかまうことを止めた。
「まあ、折檻もほどほどにしちゃれ」
薩摩兵が、情けをかけるような事を言った時だ。
「なあ、清太さん、早く出してよ! 早くってば! あたし、絶っ対に旦那さんに文句言ってやるんだからあ!」
土蔵から、再びハツの声がした。
清太が薩摩兵に肩をすくめてみせた。
「ワハハハハ、こりゃ、もうちょい閉じ込めといた方が良いでごわすな」
薩摩兵が大声で笑いながら、長屋門を通って出て行った。立ち去る後ろ姿を見届けると、ホッとしたのか、清太が大きく息を吐いた。
「ふぃー。戦が北に移動した後も、この界隈には、しつこく薩摩っぽがうろつきやがる。市村様もお気を付けくだせえ」
鉄之介は小さく頭を下げた。
「……あの、さっきの話」
「あゝ、ハツの親父さんの話ですか」
「あれ、本当の話なのですよね」
鉄之介には、あの話がハッタリやその場しのぎの作り話ではなく、真の話だと感じていた。
「ええ、あのまんまでさあ。新選組がここに来た時、農兵を募ったでしょう。あいつの親父さんは、その時にゃあ参加しちゃおりませぬ。父ひとり子ひとりの家でしたから」
「なら、何故」
清太は腕を組み、空を仰ぎ見た。
「何故でしょうなあ……。新選組が甲州を去り、ここの旦那様も官軍に追われ、源之助君も囚われて、そのうち近藤先生が、斬首されちまって……悔しかったのでしょうな……あいつも」
思い出すのも辛いのか、言葉を詰まらせた。だが、清太は笑っていた。それがこの武州の男なのだろう。
からっと笑って話す清太を、鉄之介は眩しそうに見上げた。
「さてと、仕事が溜まってらあ」
「あの、おハツさんは?」
「放っておきましょう。ハツには反省の色が見えん!」
土蔵に向かって大声で叫んだ。
「鬼い!」
中から、ハツの怒りの一声が響いた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる