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八
寒稽古
しおりを挟む明けて正月。
昨年同様に、歳三の写真が仏壇に立てられた。
この写真の姿を何度心に描いたかわからない。鉄之助はこの写真がここにあると思うだけで、歳三が常に見守ってくれているような錯覚に陥るのだ。
――益々もって、精進致します。
鉄之助は手を合わせ、心に誓った。
何に精進するのか。それは彼の心の奥に秘められていた。
ハツが言った何気ない台詞「自分の生き方を見つけた?」――しかし鉄之助は、確かに見つけていた。
眼を開けると、そこに歳三が笑っていた。
これで見納めかも知れないな――そんな気がした。
「鉄」
背中から彦右衛門が呼んだ。
「昼前には、源之助と挨拶回りに出掛ける。今から寒稽古をするべ。すぐに用意して道場に来い」
「はい!」
雪のちらつく、凍える朝だった。それでも稽古の誘いは嬉しかった。
――いつの間に積もったのだろう。
庭一面が、真っ白だった。
真っ白な世界に清い空気を感じ、肺いっぱいに、その冷たい空気を吸い込んだ。
一礼して道場に入る。
年末に磨いた床は、氷のような痛さを足の裏に伝える。吐く息が白い。
間もなく、彦右衛門と源之助が現れた。三人揃って並び、正面に礼をする。
「天然理心流の木刀稽古をした事はあるか?」
胴紐を締めながら、彦右衛門が鉄之助に問うた。
「いえ。隊ではあの木刀は使いませんでしたから」
「そうか。なら、俺が直々に教えてやる」
彦右衛門から、極太の木刀を手渡された。
普通の木刀の三倍はあろうかと思える重さである。京の屯所では、時折、近藤局長や沖田組長、井上組長らがこの木刀を振っていた。
彦右衛門が道場の中央に立った。
「俺の真似をしろ」
やや左の肩を引いた、独特の構えをする。
「これが、平晴眼の構えだ」
――大きい!
夏に剣を交えた時も、構えの大きさに圧倒された。
道場の板は氷のように冷たいはずなのに、立ち昇る気を感じるほどに、体が熱くなった。
同じように真似をして構える。普通の木刀でなら、何度も教わった構えだ。
彦右衛門が源之助の方を見た。
「源之助!」
「はっ」
源之助が鉄之助の隣で構えた。
「これが〈左足剣〉別名〈早足剣〉だ」
彦右衛門が源之助の前で構え直し、気合の声と共に歩み足で近付くと、その頭上に剣を振り下ろした。
カーーン!――源之助が受けた。
木刀のぶつかる高い音が、合図だった。
カンカンカンカン、カンカンカンカン――切り返しが続く。
カンカンカンカン、カンカンカンカン――
この木刀を使っての、この速さ。新選組でもこの道場でも、幾度か目にしてきた稽古だが、彦右衛門が放つ目の前の剣の勢いに、息を呑んだ。
「鉄、おめえの番だ」
促され、源之助と交代し、見様見真似で木刀を振り下ろした。
道場の端まで彦右衛門を追うように、切り返しながら足を進める。その後は、追われる番だ。後足で彦右衛門の木刀を受けながら後退するのだ。
「おお、筋がいいな。さすがは歳三の下で働いていただけはある」
――そんなことはない。ついて行くのがやっとだ。
京では戦が始まるまで前線には出ていない。剣も習ったが、蝦夷地ではもっぱら銃だった。
彦右衛門の剣は、まるで大木でも受けているのかと感じるほどの、重い剣だ。
その重い剣を相手に、切り返し稽古を何度も繰り返した。
凍てつく寒さだというのに、鉄之助の全身には汗が流れ、肩からは湯気が立った。
立礼の後、彦右衛門に嘆願した。
「わたくしに、正式に剣を教えてください!」
「その言葉を期待していたぜ」
彦右衛門が笑った。
「刀を差すことができなくなってもよお、剣術は、日本男児の生き方そのものだ。気魂、気迫、気合、覇気……気は、剣術で高められる。切磋琢磨、努力、明鏡止水、不動心、克己忍耐、そして誠……剣の道に学ぶことは数知れんだろ。だからよ、たとえ銃の時代になったとしても、剣術はやめるな」
「はいっ!」
鉄之助は嬉しくて仕方がなかった。
なぜなら彦右衛門の言葉は、欲しかった答えの一つだったからだ。
昨日、源之助も言っていた。
「日本男児の学ぶべきものは、剣術の中にある」――と。
――俺は、剣を捨てない!
明治四年正月。
鉄之助の心に、確固たる道が開けた。
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