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十
散髪
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出立二日前の朝、ノブが鉄之助に声を掛けた。
「出立の前に、髪、綺麗に結い直しましょうか」
月代はとっくに無かった。この頃では総髪を簡単に結うだけか、邪魔にならない位置で、ひとつにまとめただけにしていた。
「あのお……」
おずおずとお願いする。
「土方先生のように、短く切ってくださいませんか」
ノブが目を丸くした。
「あら、散切りになさるの? なら府中の散髪屋へ」
「いえ、ノブさまに切って頂きたいのです」
鉄之助の申し出に、ノブがちょっと考える仕草をした。頬に当てていた手をポンと打つ。
「いいわ。縁側に出ましょ!」
そのまま茶の間に戻り、はさみと剃刀に湯桶を用意して戻って来た。
「変になったらごめんなさいね」
フフフ――と、楽しそうに笑った。
「そこに座って」
言われたまま、縁の外に足を投げ出して座った。
パチン――ノブが握りばさみで結い紐を切った。はらりと黒髪がほどけて落ちた。
少し伸びすぎた髪を櫛で丁寧に少しずつ梳いていく。
「切りますよ」
「はい」
そして美しい黒髪を肩よりも上で、バッサリと切った。
「このくらいだったかしらねえ」
写真の歳三を思い出しているのだろう。耳の横から少しずつ毛束をとって、シャリシャリと剃刀で削いだ。
夏の足音が聞こえそうな春の終わりの強い日差しは、北向きの縁側ですら、暑いほどに明るかった。
シャリシャリシャリ――シャキシャキ――剃刀とハサミの音が交互に聞こえる。時折、毛束を梳く優しい手の感触。
縁側に、気持ちのいい時間が流れた。
「はい、できた。こちらを向いて」
鉄之助がノブの正面に座り直した。
ノブが目を細めた。
「いい男だよ」
そう言って、歳三の写真のように、鉄之助の髪を後ろ向きに撫でつけた。
今の今まで気付かなかったけれど、奥二重なノブの目は、副長の目とそっくりであった。
「今まで、本当にありがとうございました」
礼を言う鉄之助の声は、涙声だ。
「まだ一日早いよ。それは明日の夜に言ってちょうだい」
出立の当日、ノブは見送りをしない。やはり用心のため、鉄之助はこっそりと裏の門から出て行くことになっていた。
だから別れは、明日の夜。
「ああ、毛が飛び散ってしまったね。どれ、ハツにでも掃除をさせましょう」
ノブは無造作に散髪に使ったはさみや剃刀を湯桶に放り込むと、式台を渡って土間の方に抜けて行った。
ハツが玄関を回って、縁側の方から現れた。
「鉄之助さま……、その髪……」
「変かなあ」
言葉を失ったハツに、鉄之助は不安になった。
「ううん。すごく良く似合うよ」
似合うと言う割には、元気がない。
――やっぱり、武士はちゃんと髷を結った方が良かったんやろか。
短くなった毛先を弄りながら、ハツが掃除する様子を眺めた。
ハツは散った髪を、黙って手帚で掃いていた。
「鉄之助さま、もう、……か」
俯いたハツの方から、か細い声が聞こえた。
「聞こえなかった。ごめん、もう一度」
「もう行っちゃうのか!? あたしに黙って 行っちゃうの!!」
振り向き、鉄之助の耳元で叫んだ。
思わぬ攻撃に耳を塞いだ格好のまま、尻もちをついてしまった。
「バカでかい声出すなよ! 耳が潰れるやないか!」
すかさずハツの鼻っ面を指で弾こうとした。が、手を伸ばした所で止めた。ハツの目からは、涙がぽろぽろと溢れていた。
「ごめん、言いそびれていたんだ」
ハツをぎゅっと抱きしめた。
ハツがそれを押し返し、鉄之助の顔を涙目で睨みつけた。
「いつ、いつ出るんだべ?」
しゃくり上げながら尋ねる。
「明後日の早朝……夜明け前に、薬売りの作次郎さんが迎えに来るんだ。俺は裏門から出る。上佐藤家の向こうを抜けて、街道に出るんや。そこで作次郎さんと落ち合って、甲州道を抜けて、それから中山道へ入って、薬を売りながら、半月かけて大垣までけぇるんだ」
こぼれ落ちるハツの涙を人差し指の腹で何度も何度も拭いながら、優しい声で説明をする。
「俺は作次郎さんの用心棒なんだ。刀を差して堂々と帰るんや」
そこまで言うと、口を閉ざした。
「鉄之助さま?」
つ――と、視線を落とした。
「俺も君の親父さんとおんなじや。俺は死んだことになっていたんや」
「鉄之助さまが?」
ハツが鉄之助の顔を見上げた。
「うん。俺は箱館で病死したって、故郷にはそう伝わってるそうや。せやから何も怖いもんは無い」
そう――今更、道中の官軍や賊を怖れてはいなかった。何しろ、あの戦を生き抜いてきたのだから。
――むしろ怖いのは、この後の人生。
「俺は不安やったんや。故郷に帰っても歓迎などされねえかも知れん。きっと父上は貧乏なまんまやろ。なのに俺ときたら、食い扶持を稼ぐ道も見えていねえ。今度こそ、ほんまにたった独りになるんやないかって、不安やった」
泣くばかりで手の止まってしまったハツから、手帚を奪う。
美しく磨かれた板間に散った己の髪。美しい黒髪は、ここでの生活が幸せだったことを物語っていた。
「ハツは、強いだろう。俺は弱虫なんだよ。ハツに出立の不安を悟られたくなかったんや」
箒で集めた髪は、断ち切りたかった不安の象徴だ。
「うう、うう、あ、あたしなんて強くないよぉぉ」
「いや、ハツはきっと自分の脚で歩いて行ける。だから、だから、自分から別れの日など、告げたくなかったんや」
「意味がわからん!どうして、どして、それが黙って出て行く理由になるの!」
ハツの目は怒っていた。真っ赤な顔をして怒っていた。
「はは、あの時とおんなじだ」
鉄之助の目にも、涙が滲んだ。
「あの時は、泣いて『出て行くな』って、怒ってたなぁ。俺だってよ、ほんまは、ハツと別れたくないんや。出て行くって言ったはなから、別れたくないって、きっと考えちまう。だから、言えんかった」
ハツが唇を動かそうとしたが、言葉にならなかった。出てくるのは、嗚咽ばかりだ。
「けど、けど、いつまでもこのままやったら、前に進まれんやろ」
怒った顔のハツの肩を掴む。
「俺達はよ、新しい時代を創るんだぜ」
最後は副長が鉄之助の口を借りて話しているようだった。
「うう、うん、うん、」
「生きてりゃ、いつかはきっと会えるさ」
「うん、うん」
ハツは座って、鉄之助の髪を拾った。綺麗に集めた中から、ひと房を握りしめた。
「出立の前に、髪、綺麗に結い直しましょうか」
月代はとっくに無かった。この頃では総髪を簡単に結うだけか、邪魔にならない位置で、ひとつにまとめただけにしていた。
「あのお……」
おずおずとお願いする。
「土方先生のように、短く切ってくださいませんか」
ノブが目を丸くした。
「あら、散切りになさるの? なら府中の散髪屋へ」
「いえ、ノブさまに切って頂きたいのです」
鉄之助の申し出に、ノブがちょっと考える仕草をした。頬に当てていた手をポンと打つ。
「いいわ。縁側に出ましょ!」
そのまま茶の間に戻り、はさみと剃刀に湯桶を用意して戻って来た。
「変になったらごめんなさいね」
フフフ――と、楽しそうに笑った。
「そこに座って」
言われたまま、縁の外に足を投げ出して座った。
パチン――ノブが握りばさみで結い紐を切った。はらりと黒髪がほどけて落ちた。
少し伸びすぎた髪を櫛で丁寧に少しずつ梳いていく。
「切りますよ」
「はい」
そして美しい黒髪を肩よりも上で、バッサリと切った。
「このくらいだったかしらねえ」
写真の歳三を思い出しているのだろう。耳の横から少しずつ毛束をとって、シャリシャリと剃刀で削いだ。
夏の足音が聞こえそうな春の終わりの強い日差しは、北向きの縁側ですら、暑いほどに明るかった。
シャリシャリシャリ――シャキシャキ――剃刀とハサミの音が交互に聞こえる。時折、毛束を梳く優しい手の感触。
縁側に、気持ちのいい時間が流れた。
「はい、できた。こちらを向いて」
鉄之助がノブの正面に座り直した。
ノブが目を細めた。
「いい男だよ」
そう言って、歳三の写真のように、鉄之助の髪を後ろ向きに撫でつけた。
今の今まで気付かなかったけれど、奥二重なノブの目は、副長の目とそっくりであった。
「今まで、本当にありがとうございました」
礼を言う鉄之助の声は、涙声だ。
「まだ一日早いよ。それは明日の夜に言ってちょうだい」
出立の当日、ノブは見送りをしない。やはり用心のため、鉄之助はこっそりと裏の門から出て行くことになっていた。
だから別れは、明日の夜。
「ああ、毛が飛び散ってしまったね。どれ、ハツにでも掃除をさせましょう」
ノブは無造作に散髪に使ったはさみや剃刀を湯桶に放り込むと、式台を渡って土間の方に抜けて行った。
ハツが玄関を回って、縁側の方から現れた。
「鉄之助さま……、その髪……」
「変かなあ」
言葉を失ったハツに、鉄之助は不安になった。
「ううん。すごく良く似合うよ」
似合うと言う割には、元気がない。
――やっぱり、武士はちゃんと髷を結った方が良かったんやろか。
短くなった毛先を弄りながら、ハツが掃除する様子を眺めた。
ハツは散った髪を、黙って手帚で掃いていた。
「鉄之助さま、もう、……か」
俯いたハツの方から、か細い声が聞こえた。
「聞こえなかった。ごめん、もう一度」
「もう行っちゃうのか!? あたしに黙って 行っちゃうの!!」
振り向き、鉄之助の耳元で叫んだ。
思わぬ攻撃に耳を塞いだ格好のまま、尻もちをついてしまった。
「バカでかい声出すなよ! 耳が潰れるやないか!」
すかさずハツの鼻っ面を指で弾こうとした。が、手を伸ばした所で止めた。ハツの目からは、涙がぽろぽろと溢れていた。
「ごめん、言いそびれていたんだ」
ハツをぎゅっと抱きしめた。
ハツがそれを押し返し、鉄之助の顔を涙目で睨みつけた。
「いつ、いつ出るんだべ?」
しゃくり上げながら尋ねる。
「明後日の早朝……夜明け前に、薬売りの作次郎さんが迎えに来るんだ。俺は裏門から出る。上佐藤家の向こうを抜けて、街道に出るんや。そこで作次郎さんと落ち合って、甲州道を抜けて、それから中山道へ入って、薬を売りながら、半月かけて大垣までけぇるんだ」
こぼれ落ちるハツの涙を人差し指の腹で何度も何度も拭いながら、優しい声で説明をする。
「俺は作次郎さんの用心棒なんだ。刀を差して堂々と帰るんや」
そこまで言うと、口を閉ざした。
「鉄之助さま?」
つ――と、視線を落とした。
「俺も君の親父さんとおんなじや。俺は死んだことになっていたんや」
「鉄之助さまが?」
ハツが鉄之助の顔を見上げた。
「うん。俺は箱館で病死したって、故郷にはそう伝わってるそうや。せやから何も怖いもんは無い」
そう――今更、道中の官軍や賊を怖れてはいなかった。何しろ、あの戦を生き抜いてきたのだから。
――むしろ怖いのは、この後の人生。
「俺は不安やったんや。故郷に帰っても歓迎などされねえかも知れん。きっと父上は貧乏なまんまやろ。なのに俺ときたら、食い扶持を稼ぐ道も見えていねえ。今度こそ、ほんまにたった独りになるんやないかって、不安やった」
泣くばかりで手の止まってしまったハツから、手帚を奪う。
美しく磨かれた板間に散った己の髪。美しい黒髪は、ここでの生活が幸せだったことを物語っていた。
「ハツは、強いだろう。俺は弱虫なんだよ。ハツに出立の不安を悟られたくなかったんや」
箒で集めた髪は、断ち切りたかった不安の象徴だ。
「うう、うう、あ、あたしなんて強くないよぉぉ」
「いや、ハツはきっと自分の脚で歩いて行ける。だから、だから、自分から別れの日など、告げたくなかったんや」
「意味がわからん!どうして、どして、それが黙って出て行く理由になるの!」
ハツの目は怒っていた。真っ赤な顔をして怒っていた。
「はは、あの時とおんなじだ」
鉄之助の目にも、涙が滲んだ。
「あの時は、泣いて『出て行くな』って、怒ってたなぁ。俺だってよ、ほんまは、ハツと別れたくないんや。出て行くって言ったはなから、別れたくないって、きっと考えちまう。だから、言えんかった」
ハツが唇を動かそうとしたが、言葉にならなかった。出てくるのは、嗚咽ばかりだ。
「けど、けど、いつまでもこのままやったら、前に進まれんやろ」
怒った顔のハツの肩を掴む。
「俺達はよ、新しい時代を創るんだぜ」
最後は副長が鉄之助の口を借りて話しているようだった。
「うう、うん、うん、」
「生きてりゃ、いつかはきっと会えるさ」
「うん、うん」
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