さえずり宗次郎 〜吉宗の隠密殺生人〜

森野あとり

文字の大きさ
5 / 46
第一話 吉宗の隠密

津田越前守助広

しおりを挟む
 半平太の部屋に戻るなり、宗次郎は奥側の一番広い座敷にこもって鳥刺し棒をこしらえ始めた。

 さりさりと小刀で竹竿の先を平らに削る。少し削っては重さを確かめ、再び削っては均衡がとれているか竿先を振る。この微妙な調整が、道具を自分の手足として扱うためには必要不可欠であった。
 適当な竿でも宗次郎の腕ならば刺せぬことはない。それでも宗次郎が竿にこだわるには理由があった。

 じっくりとこしらえながら、この先のことを考えていた。
 竿を削ってしばらくした頃、襖が開いた。いつまで経っても出てこない宗次郎に痺れを切らしたのであろう。

「おい、今日は鳥を追わねえのか」

 竿を削っていることに気が付いた半平太が問うた。

「おい、竿ならまだあるだろう」
「これでなきゃ駄目なんですよ」

 いつもの竿よりも短いが、代わりにとり餅が塗られるはずの先端は薄く鋭く削られていた。

「俺が郷里くにで習ったのはこれでしてね」

 そう言うと、削った先端を半平太の目の先に突きつける。

「それで雀を刺すのか」

 一歩下がった半平太が問い返した。

「だから『鳥刺し』と言うのですよ」

 ごくりと半平太が唾を飲んだ。

「ならば、雀は殺すのか」
「まさか! この先で羽の付け根を狙って突くんです。殺しやしません」
「……いったい、親父さんから何の話があったってんだ」

 剣呑な面の半平太を見上げる。

「半平太さん、旅支度をしてください。少し遠出します。明朝出立しましょう。得物(武器)はこの鳥刺し棒です。これで仕留められるようになれば一人前ですから」

 にこりと微笑んで見せた。


 ◇

 杢右衛門から受け取ったのは、御紋入りの餌差札だけではなかった。


 旅支度をしながら、刀掛けに目をやる。目線の先には未だ刀袋に入れたままの長脇差。

 ――津田越前守助広つだえちぜんのかみすけひろ一尺八寸。

 大業物と言われる名刀である。
 一見、地味な拵えは、実用しやすいよう、わざと質素に徹したのではないかと思えるほどだった。さやは無地で艶のない石目塗り、柄の糸巻きもくすんだ黒。どこにも装飾らしい装飾もなく、なんなら兄のお下がりである無銘の脇差の方が意匠は凝っている。
 地味な意匠は嫌ではない。むしろ好みだ。糸巻の握り具合に加え、重さも良かった。
 それなのに鯉口を切った途端、宗次郎の胃の腑の石ころがさらに増えた。

(こんなけ地味にするんやったら、この御紋は勘弁してくれ……)

 鈍い鉄色の縁金ふちがねに見えたのは、丸に三つ葉葵。

 これを見た時、如何にも「すぐでも身に着けよ。わしは良い働きをして見せよう」とせがんでいそうな実直さを見せつつ、実は徳川幕府の密偵であった――というような、裏切りにも似た落胆を覚えた。
 おまけに助広の波紋は濤乱とうらんである。大波のごとく派手に揺れる煌めきに、「早く血を吸わせてくれ」と、催促されているようで、気持ちが萎えてしまった。
 
 平坦に言うならば、この刀は嫌いである。すぐに鞘に収め、刀袋に仕舞って、さっさと刀掛けに鎮座させた。

「これで何を斬らせるつもりや」

 つい、声に出してしまった答えのわかり切っている愚問。
 御目見おめみえでもない餌差役人が、この様な御紋を身に着ける意味はただ一つ。

 幼少の頃から相賀おうがの父の手で鍛錬されてきた。
 修験道しゅげんどうの厳しい修行に加え、鉄砲を含む、あらゆる武術を仕込まれた。宮井の養子となった後には、鷹師ではなく鳥刺しとしての技を教え込まれた。江戸に来てからは、いざという時に国元がばれないよう江戸前の言葉を覚え、江戸の地を知るために市内だけでなく江戸郊外も歩き回った……。
 どれもこれも、「いずれは殿様の御役に立つ」という目的のためである。そのために自分は生かされてきたとすら思っている。

 下賜かしされた脇差を眺めながら、宗次郎はつい、和歌山での暮らしを思い出していた。
 相賀の父の元で修行をしていた幼い頃……その技が人を殺めるための技術だとは知らず、ただ上達が楽しくて修業を重ねていた時の思い出。
 養父による鍛錬は剣術や柔術といった単純な武芸稽古ではなかった。山を駆け抜け、木々を渡り、川を泳ぐ。時には山の奥に入り、鳥や獣を鉄砲で撃つこともあった。
 技の上達も嬉しかったが、一つ技を会得すると褒めてくれる、普段は厳しい父のほころぶ顔が一番嬉しかった。
 いつからだろう、人をあやめる覚悟を背負わされたのは。
 全て、人殺しをする技だとわかってから、己の技に磨きがかかった。
 瞬殺――それがせめてもの情けだと思い至ったからだ。
 そしてそれが、「いずれ」訪れる戦いにおいて、己が生き残るためにも最良の術だということも……

 しかし、その「いずれ」は、いっそ来んといてほしかった――それが本音だ。
 そう……誰にも言えぬ本心。
 それを腹の奥に押し込むように、深く息を吸い、いらぬ雑念を追い出すように、大きく息を吐き出す。

(けど、此度はええよな。半平太さんを連れて派手な人斬りなんぞ出来やん)
 と、自分に言い訳をした挙句、助広は刀袋に入れたまま置いておく。

 そして腰には普段使いしている無銘の大小を差した。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

『五感の調べ〜女按摩師異聞帖〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸。盲目の女按摩師・市には、音、匂い、感触、全てが真実を語りかける。 失われた視覚と引き換えに得た、驚異の五感。 その力が、江戸の闇に起きた難事件の扉をこじ開ける。 裏社会に潜む謎の敵、視覚を欺く巧妙な罠。 市は「聴く」「嗅ぐ」「触れる」独自の捜査で、事件の核心に迫る。 癒やしの薬膳、そして人情の機微も鮮やかに、『この五感が、江戸を変える』 ――新感覚時代ミステリー開幕!

【完結】『紅蓮の算盤〜天明飢饉、米問屋女房の戦い〜』

月影 朔
歴史・時代
江戸、天明三年。未曽有の大飢饉が、大坂を地獄に変えた――。 飢え死にする民を嘲笑うかのように、権力と結託した悪徳商人は、米を買い占め私腹を肥やす。 大坂の米問屋「稲穂屋」の女房、お凛は、天才的な算術の才と、決して諦めない胆力を持つ女だった。 愛する夫と店を守るため、算盤を武器に立ち向かうが、悪徳商人の罠と権力の横暴により、稲穂屋は全てを失う。米蔵は空、夫は獄へ、裏切りにも遭い、お凛は絶望の淵へ。 だが、彼女は、立ち上がる! 人々の絆と夫からの希望を胸に、お凛は紅蓮の炎を宿した算盤を手に、たった一人で巨大な悪へ挑むことを決意する。 奪われた命綱を、踏みにじられた正義を、算盤で奪い返せ! これは、絶望から奇跡を起こした、一人の女房の壮絶な歴史活劇!知略と勇気で巨悪を討つ、圧巻の大逆転ドラマ!  ――今、紅蓮の算盤が、不正を断罪する鉄槌となる!

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』

月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕! 自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。 料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。 正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道! 行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。 料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで―― お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!? 読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう! 香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない! 旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること? 二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。 笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕! さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

処理中です...