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日記

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 メイドの名はモイラといった。デムーロ伯爵の妻が嫁いでくる時、共にやって来たメイドだという。モイラはイスに座らせると、少し落ち着いたのか、ポツポツと話し始めた。

「奥さまは美しかったですが、ワガママでごう慢で、使用人からはあまり好かれていませんでした。私は無口だから奥さまは私を嫁ぎ先に連れて行きました。奥さまは表面上は気丈に振る舞われていましたが、内心は不安だったと思います。許嫁だった方が亡くなられて、その弟君が夫になるのですから。ですが旦那さまはとてもお優しい方でした。奥さまは旦那さまの事が一目で好きになってしまわれたのです」

 こわばったモイラの顔に、少し笑顔が浮かんだ。きっと楽しかった思い出が頭に浮かんだのだろう。

「リベリオさまがお生まれになってからは、それはそれは仲の良い家族になられて、私ども使用人たちも喜んでおりました。奥さまはリベリオ坊ちゃんの世話をしたがりました。本来ならば乳母の仕事なのに。リベリオ坊ちゃんがあくびをした。リベリオ坊ちゃんがくしゃみをした、と。旦那さまにお知らせするのが常でした」

 デムーロ伯爵家族のほほえましい話しに、プリシラも自然と笑顔になった。だがモイラの顔がくもり、ため息をついた。

「ですが、奥さまは旦那さまがやさしいのをいい事に、旦那さまのお部屋を勝手に出入りするようになったのです。そして、ついにあれを見つけてしまわれた。旦那さまが、奥さまと結婚される前に愛してらした方の恋文を。奥さまは激怒されました。自分の目の前で手紙を燃やせと大声で叫ばれました。旦那さまは、奥さまに弁解されました。奥さまと結婚してからは二度と会ってはいない、これからも二度と会わない。だから手紙だけは燃やさないでくれと。奥さま許す事ができなかった。奥さまは変わってしまわれた。あれだけ可愛がっていたリベリオ坊ちゃんを遠ざけるようになり、旦那さまの事を無視するようになりました」

 モイラの目には涙が浮かんでいた。きっと思い出す事もつらいのだろう。モイラは意を決したように、プリシラを真剣な目で見つめてから言った。

「ですが、奥さまは旦那さまとリベリオ坊ちゃんの事が嫌いになられたのではありません。好きで好きで仕方ないから、遠ざけたのです。奥さまは重いご病気になられ、旦那さまに呪いの言葉を吐きながら亡くなられました」

 モイラは話し終わると、力が抜けたようにがっくりと肩を落としてシクシク泣き出した。プリシラはモイラの肩に優しく手を置いた。

「モイラさん。辛い思い出を話してくれてありがとうございます。奥さまは、心の本心を日記か何かに書き記してはいませんでしたか?」

 モイラは泣きはらした目でプリシラを見上げて言った。

「ええ、奥さまはデムーロ伯爵家に嫁いでから、日記を書いておいででした。自分が亡くなったら、必ず焼き捨てるようにときつくお命じになりました」
「!。奥さまの日記を燃やしたんですか?!」
「・・・。いいえ、私の一存で燃やすのは恐れ多くて。どうしてよいかわからず未だにそのままなんです」

 プリシラはモイラに向き直ると、モイラの両手を優しく握りしめて、真剣な目で言った。

「モイラさん、お願いです。どうかその日記をデムーロ伯爵さまとリベリオさまに読ませてください。伯爵さまとリベリオさまは、奥さまからうとまれていると、とても苦しんでいます。奥さまだとてきっと愛する伯爵さまとご子息が苦しむのを望んではいないと思います」

 モイラは決心の表情になり、スクッとイスから立ち上がると、大きな衣装ダンスの前に立った。衣装ダンスを開けると、中には豪華なドレスがたくさん入っていた。プリシラもこの衣装ダンスは何度も調べていた。

 モイラはおもむろに衣装ダンスの中に入った。衣装ダンスの天井部分に触れると、何やらガタガタさせている。すると天井の板がパカッと外れたのだ。

 この衣装ダンスは天井に隠しスペースがあったのだ。通りでプリシラが何度探しても見つからないわけだ。

 モイラは分厚い日記を三冊取り出し、不安そうな顔でプリシラに手渡した。プリシラはモイラの心配を感じ取って答えた。

「モイラさん、ありがとうございます。この日記は私が見つけました。モイラさんは何も心配しないでください」

 モイラはホッとした顔になり、深く頭を下げて部屋を出て行った。プリシラの手には、どっしりとした三冊の日記が残った。
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