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幸士郎と伊織

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 幸士郎は桜姫を連れ、ある山の中腹にいた。呼び出した相手との待ち合わせ場所なのだ。

 足元の桜姫がある方向を振り向いた。幸士郎もそれに習う。そこには長身の男が立っていた。天賀家の人形使い高梨伊織だ。伊織は幸士郎を見つけると、親しげな笑みを浮かべて言った。

「君が桐生幸士郎くんだね?大きくなったねぇ。俺が君を見た時、まだ赤ん坊だったよ」
「はい。ごあいさつは初めましてが的確かと」

 伊織はクスクス笑って言った。

「幸士郎くんはお父さんと同じで真面目だね?」
「はい。父はいつも伊織さんの人形使いの能力を褒めていました。いつも俺に貴方の操っている人形の動画を見せて、手本にするようにと言っていました」
「それは光栄だね」
「伊織さん。どうして天賀家を捨てたんですか?」
「・・・。直球だね?大人には色々あるんだよ?」

 伊織が家を飛び出したのは十五歳の時だ。大人という年齢でもないだろう。だが幸士郎はその事について深く追求せず言葉を続けた。

「伊織さんは桜姫と心を通わせていた。それなのに、桜姫と生きる事を拒否して逃げた」

 始終張りついていた伊織の笑顔がゆがんだ。幸士郎はチラリと桜姫を見た。桜姫は昔の契約者をジッと見上げていた。

 桜姫と椿姫はその当時、人形師一心の最高傑作といわれていた。そのため桐生家は椿姫を。天賀家は桜姫を持っていた。

 天賀家の次期当主、天賀勝司が桜姫と契約しようとした。だが桜姫は勝司を主人には選ばなかった。次に桜姫と契約しようとしたのが当時十五歳の伊織だった。伊織は桜姫と契約する事を拒み、天賀家から姿を消した。

 幸士郎は桜姫からその時の事をぼんやり感じ取った。桜姫は伊織を主人と認め、心を開いたのだ。だが伊織は桜姫に心を閉ざしてしまった。

 紆余曲折あり、桜姫は桐生家にやって来た。幸士郎が十三歳になり、桜姫と契約し、椿姫は加奈子と契約する事となった。

 伊織は幸士郎に恨めしげな視線を投げ、次に桜姫に優しげな表情を向けてから言った。

「いいじゃないか。桜姫は幸士郎くんと契約できて幸せそうだ。だけど時々いじわるをされるんだってね?だめだよ、女性には優しくしなければ」

 幸士郎はカァッと顔が赤くなり、桜姫をにらんだ。桜姫はあさっての方を向いている。伊織は人形の心を深く読む事ができるのだ。おそらく結と同じくらい。

 幸士郎はハッとして意識を正した。のん気に会話をしている場合ではない。当初の目的を実行しなければ。幸士郎は伊織をキッとにらんで言った。

「単刀直入にいいます。天賀家は結から手をひいてください」
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