最後の未来の手紙

盛平

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加奈子

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  スマートフォンのアラームが鳴り、一ノ瀬加奈子は目を覚ました。部屋のカーテンを開けると、外はいい天気だった。いつもの朝が始まる。

 加奈子がダイニングに行くと、テーブルには新聞を読んでいる父と、朝食の支度に忙しく働いている母がいた。加奈子は父と母に朝の挨拶をして自身の席に着く。父が上座の席で、その向かいの席が母。父の右横は加奈子の席だ。父の左横の席は空いている、座席には年季の入ったピンクの座布団が敷いてあった。

 加奈子は母が作ってくれた目玉焼きの黄身に箸をさす、加奈子の好きな半熟だ。加奈子は目玉焼きを食べた後、残った黄身をパンにつけて食べるのが好きだった。母は行儀が悪いと怒るが、加奈子はカジュアルなフレンチではいいんですぅ、と言って譲らない。すると母は口を尖らせて、ここは日本です、と言い返す。父は母と娘の不毛なやり取りを見て見ぬ振りをしていた。

   「んっ」

   母は食事中の加奈子に、ぶっきらぼうに一枚のハガキを差し出した。普段の母は行儀にうるさく、お父さん新聞読みながら食べないで。とか、加奈子携帯しまいなさい。とか口うるさいのに。

  「何これ?」
  「お姉ちゃんの。加奈、あんた受け取ってきてよ」

  加奈子は食パンをモグモグ咀嚼しながらハガキを見ると、宛名は一ノ瀬美奈子様。加奈子の姉宛だ。裏返すと、同窓会のお知らせだった。同窓会会場の場所、会費の値段、参加の有無の連絡先が書かれていた。下の方には主催者の直筆であろう書き込みがあった。

  『有志で高校の裏庭に埋めたタイムカプセルを掘り起こします。もしご都合がつけば参加されませんか?もし予定が合わなければ責任を持って美奈子さんの手紙をお送りさせていただきます』

  加奈子はふうっと小さくため息をついた。そういえば姉の美奈子が成人式の後に言っていたなと思い出した。成人式で集まった高校の同級生有志で、タイムカプセルを高校の裏庭の花壇に埋めたと言っていた。十年後の自分にあてた手紙を。

 加奈子の姉美奈子は交通事故で死んだ。五年前の事だ。今の加奈子と同じ歳、二十五歳の時だった。加害者は高齢なドライバーで、美奈子が青信号で横断歩道を渡っている事に気付き、急ブレーキをかけたつもりがアクセルを踏んでいて、そのまま美奈子をはねたのだ。加害者の罪を問う裁判中に加害者の老人は亡くなった。怒りの矛先が無くなり、加奈子たち家族の心は宙ぶらりんになった。

 心の安寧を求め、交通事故被害者遺族の会に家族で参加した事もあったが、家族を失ったのはあなた達だけでは無いという共有意識の押し付けに耐えられず、足が遠のいてしまった。

 美奈子がいなくなってから、加奈子は髪を伸ばし始めた、すっぴんに近かった顔にもメイクを施すようになった。姉のメイクの真似をして。加奈子は二十五歳で死んだ姉の美奈子の最期の姿に自身を近づけようとしてしていた。最初は無意識で、その後は意識的に。


 美奈子は家ではお姉ちゃん、と呼ばれていた。加奈子が髪を伸ばしだすと、父と母が加奈子の事を、お姉ちゃん。と呼び間違える事が度々あった。お姉ちゃん新聞取って、だとか。お姉ちゃんお皿出して、とか。そんな時の父と母の顔は、バツの悪そうな、何とも言えない顔をしていた。

  手前味噌になるのだろうが、姉の美奈子は、家族の中で太陽のような存在だった。無口で自分の意見も言わない父と、口うるさく神経質な母と、生意気で反抗心むき出しの妹がいる家族を、姉の美奈子はよくまとめていた。無口な父によく話しかけ、かなぎり声を上げる母をなだめ、噛み付いてくる妹をからかいながらさりげなくフォローをしてくれていた。

 そんな美奈子が家族の中から消えてしまっては、さぞかし家庭はあれ荒むと思われたが、実際そうはならなかった。加奈子たちはジッと息を殺して待っているのだ。姉の美奈子が何事もなかったように、ただいま。と、ひょっこり帰ってくるのではないかと。非現実な妄想だと加奈子たちが一番理解している、だがそう思っていなければ加奈子たち家族は崩壊してしまいそうだった。




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