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4巻
4-3
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2 結界の中で
女の迫力に押されて、白虎は一度大きく後ろに下がると距離を取る。
フレアは呆然と女の顔を見つめている。
そして、その目からはボロボロと涙が零れた。
「嘘……ほむらなの?」
彼女の額には、フレアと同じ鬼の角が生えている。
それは紛れもなく、かつて鬼神と呼ばれていた土地神、ほむらの姿だった。
ほむらは優しくフレアの頬に触れる。
そして、静かに涙を流した。
「ああ、フレア。またこうしてあんたの頬に触れることが出来る日が来るなんてね。私も信じられないよ」
「ほむら! ほむらぁああ!!」
泣きじゃくって、ほむらの体をしっかと両手で抱きしめるフレア。
ほむらは白虎を睨みながらも、その腕にフレアを抱く。
そして優しい目をして頭を撫でた。
「強くなったね、フレア。いつも傍で見ていたよ」
「うん……お母さん」
気丈なフレアが今は只の少女のように見えた。
そうか。ここは魂が形になって現れる世界だ。
オベルティアスの中に眠っていた神獣たちの魂が姿を現したように、フレアの中に宿るほむらもまた。
神獣たちがほむらの様子を窺いながら距離を取ったのを見て、シルフィは俺の傍にふわりと着地した。その目には涙が光っている。
「まさかこんなことが……」
「ああ、シルフィ」
母であるほむらの大事な村を守るために命を燃やして戦ったフレアと、そんな娘の命の灯を消さないために自らの魂を捧げたほむら。
二千年の時を経て、こんなところで巡り会うことになるとは、誰も思いもしなかっただろう。
たとえ血が繋がっていなくとも、二人は誰よりも強い絆で結ばれた母子だ。
俺はそれをよく知っている。
娘を守るように抱くほむらの額の角に、強い神通力が宿っていく。
フレアはそっとほむらの手を取ると、自分も同じように角に力を宿した。
「フレア! 再会を喜ぶのは後だ」
「うん、ほむら! 分かってる!!」
二人は声を揃えて叫ぶ。
「「はぁああああ!! 鬼神霊装ヒノカグツチ!!」」
ヤマトの古代の神を宿した美しい炎が渦を巻いて天を突くと、二人の手には今までよりも力に満ちた薙刀が握られていた。
ほむらはフレアの涙をそっと拭うと俺に言った。
「私も手を貸すよ、獅子王! あんたは二千年前の約束を守って、いつだってフレアの傍にいてくれた。この時代にやってきてからもね。獅子王ジーク、あんたには払い切れない借りがある!」
俺はその言葉に頷いた。
頼もしい仲間だ。
「歓迎するぜ、ほむら。なにせ、向こうに比べてこっちは頭数が足りないからな」
「ああ、そうみたいだね。それにどうやら一筋縄ではいかない相手のようだ」
俺が切り裂いたはずの青龍の下顎はもう再生している。
白虎も突然出現したほむらを警戒はしている様子だが、怯んだ気配はない。注意深くこちらを窺っている。
ほむらは頭上で軽やかに薙刀を振るって構えると、白虎と青龍に対峙する。
そして、空から観察している朱雀を見上げた。
「向こうはやる気のようだね。いいさ、来な! フレア、準備はいいかい?」
「ええ、ほむら! ほむらと一緒なら百人力よ」
フレアもほむらの真似をして、鮮やかに舞うように薙刀を構えた。
ほむらの出現がフレアにもさらなる力を与えているようだ。
その姿は可憐で、身に纏う炎は一層強く燃え盛り、美しい。
シルフィが俺に言う。
「私も二人と一緒に神獣たちを牽制するわ。貴方はその間に、エルフィウスたちを倒して!」
「ああ、分かった。無茶はするなよ、シルフィ」
「分かってる。ほむらじゃあるまいし、まともに神獣を相手にしても勝ち目はないもの。でも暫くの間、貴方から注意を逸らしてみせる。貴方も気を付けて、レオン!」
俺は頷くとオベルティアスに騎乗したエルフィウスと対峙し、ほむらから渡された炎の剣を構えた。
エルフィウスは、俺たち四人を静かに見つめている。
「どうやら一人増えたようだな。だが、無駄なことだ。言ったはずだぞ、もはやお前たちが生きてここから出ることはないとな」
俺とエルフィウスの間に凍り付くような緊張が走る。
エルフィウスと対峙している俺を目掛けて、青龍が再び咆哮を上げてやってくるのが見えた。
だが、その鼻先に、地上を蹴って宙に舞ったほむらが立ち塞がる。
同時に、先程の意趣返しとばかりに、白虎が地上からほむらを追い、牙を剥く。
「喰らいな、紅円舞斬!!」
ほむらの薙刀の先が鮮やかな円を描くと、青龍の巨大な前足を斬り落とし、返す刀で白虎の牙を斬り飛ばす。
「私だって! はぁああああ!!」
すかさずフレアが、怯んだ白虎の喉元を切り裂いた。
咆哮を上げながら、退く二体の神獣たち。
「やるもんだね、フレア」
「うん! ほむらといると凄く力が湧いてくるの!!」
そう言ってフレアは胸を張る。
シルフィは、そんな二人を狙い急降下してきた朱雀の目の前をかすめるように走り抜け、その注意を引き付けた。
「こっちよ!!」
その声にほむらとフレアは再び地上を蹴ると、朱雀の左右の翼を切り裂く。
「「はぁあああああ!!」」
朱雀は翼に傷を負い、怒りの声を上げながらも空高くへと舞い戻る。
華麗に地上に降り立つほむらと、シルフィの背中に乗ってふわりと着地したフレア。
息の合った三人だ。
「やるわね二人とも!」
「ええ、これならきっといけるわ! シルフィ!!」
喜ぶフレアとシルフィを、優しい目で見つめながらもほむらが言う。
「二人とも、安心するのはまだ早いよ。見てごらん」
ほむらの視線の先には、青龍と白虎が身構えている。
その体の傷は次第に回復し、ほむらに斬り飛ばされたはずの青龍の前足も新しく生え変わる。
天空で円を描くように飛行している朱雀の翼の傷も同様だ。
シルフィとフレアは唇を噛んだ。
「流石神獣と言うべきか。これじゃあ、きりがないね」
「ええ……でもやるしかないわ。そうでしょう、ほむら!」
「ああ、そういうことさ、フレア!」
フレアとシルフィは、ほむらの勇ましい声に勇気づけられたかのように頷く。
やはり術者を倒すしかなさそうだ。
この結界を作り出したのはオベルティアスだ。奴を倒せば結界が崩壊する可能性はある。
エルフィウスがオベルティアスに騎乗している以上、それは困難には違いないが、やってみる価値はあるだろう。
「行くぞ! エルフィウス」
俺はオベルティアスに騎乗しているエルフィウスに向かって、一気に距離を詰める。
オベルティアスの角が俺の頬をかすめ、雷化したエルフィウスの剣が肩口を浅く切り裂く。
同時に、俺の剣がオベルティアスの角を斬り落とし、エルフィウスの額に傷をつけた。
「ぐぅううう!!」
オベルティアスは、思わず後退する。
「おのれ!!」
自慢の角を斬り落とされ、怒りに燃えるオベルティアスを尻目に、俺は近くの茂みへと一気に走る。背後から奴の咆哮が響いた。
「どこへいく獅子王! 臆したか!! 我が主の前で、そのような場所に逃げ込んでも無意味だぞ!」
確かに、これほど闘気を高めたままこんな茂みに身を隠したところで、意味はない。
その気配で、どこにいるかなど手に取るように分かるからな。
茂みの中にいる俺の頭上に、オベルティアスが大きくジャンプし、エルフィウスが茂みに向かって剣を一閃させる。その瞬間、俺は茂みから飛び出すと、エルフィウスの攻撃をかわし、ほむらから貰った炎の剣を投げた。
「なに!?」
エルフィウスを乗せたオベルティアスは、音を立てて飛来する剣を体を逸らしてかわす。
意外な行動に虚を衝かれ体勢を崩したものの、武器を失った俺を見て、勝ち誇ったように笑う。
「自ら武器を手放すとは愚かなことを。主よ、獅子王に裁きを!!」
その瞬間、俺の左手の剣がオベルティアスの首を刎ねた。
「──!?」
あまりのことに声もなく、飛ばされた首がこちらを見ている。
俺の手には、先程一戦を交えた時にエルフィウスに弾き飛ばされ、地上に落下した剣が握られている。
茂みを出た時は背中に隠し持っていたため、奴らには見えなかったはずだ。
「悪いな、オベルティアス。俺は逃げたんじゃない、少しばかり探し物があっただけだ」
流石神獣と言うべきか。首を失ってもなお主を乗せたまま歩を進めると、少し離れた場所でこちらに振り返る。
これで術者は倒した。結界は消滅するはずだ。
だが──
「愚かな真似を。お前たちは、二度とここから出ることはないと先程言ったはずだぞ」
そう口にしたのは、地面に転がっているオベルティアスの首だ。
そして、それは次第に消え去っていくと、代わりに首のないオベルティアスに新しい首が生えてくる。
「なんだと? 馬鹿な……」
俺は思わず呻いた。
術者は確かにオベルティアスのはずだ。
だが、奴を倒しても結界が崩れるどころか、死ぬことすらないとは。
オベルティアスの額には、先程斬り落としたはずの角も再生している。
そして低い声で口を開いた。
「言ったはずだぞ。この結界の世界を作り出しているのは玄武の魂だとな。術者は既に我ではない、玄武だ。だが、玄武はこの世界そのもの。世界を破壊でもしない限り我らは死ぬことはない。ここで死ぬ定めのお前たちとは違ってな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ほむらは白虎と戦いながら、レオンたちの戦いを横目で見つめる。
「なんて奴だい。斬られた首が生えてくるなんてね」
そして、自分が戦っている白虎たちを見据えた。
「つまりこいつらもそうってことか……きりがないわけだ。だが、どうやら玄武って奴を倒せばいいらしいね」
ほむらは鋭い聴覚でレオンたちの会話を聞きながら薙刀を振るい、白虎の牙と青龍の顎を退けた。
「でも、ほむらどうやって? ここにはいないわ」
フレアは薙刀を構えながらほむらにそう問う。
彼女はほむらの手伝いをしながら、上空から何度も攻撃してくる朱雀を、シルフィと繰り返し迎撃している。
「玄武って奴が術者で、この世界そのものでもあるみたいだね。この世界を破壊でもしない限り、こいつらは何度でも復活するらしい」
「そんな……」
フレアが思わず息を呑んだ。
ほむらはそんな娘を見つめながら拳を握り締める。
(世界を破壊するか。そんなことが出来るぐらいなら最初からやっているさ、そうだろう? 獅子王。他に方法はないのかい? 術者さえ姿を現せば、この薙刀で倒してやるのに。私はもう二度とあんな思いはしたくないんだ。私の目の前でフレアが……)
二千年前、自分の前で命の灯を消しかけた娘の姿を思い出す。その記憶が、ほむらの炎をさらに強く燃え上がらせる。
それによって、再び襲い掛かってきた神獣たちの攻撃を退けたが、根本的な解決には程遠い。
フレアと共に朱雀を迎撃したシルフィは二人の傍で呟いた。
「世界を破壊する力……」
「何か心当たりがあるのかい? シルフィ」
ほむらの言葉に、シルフィは少し考え込むと首を横に振った。
「いいえ。何でもないわ」
そして、三人を取り囲んで様子を窺っている白虎と青龍、朱雀を眺める。
「まるで、じわじわとこちらを消耗させているかのようね。このまま戦い続ければ、いずれ向こうは必ず勝つわ。無理をせず、何度も攻撃と再生を繰り返せばいいんだもの」
戦い続けて、相手が隙を見せた時に勝負を決する。
エルフィウスとの戦いで青龍が見せた動きや、フレアを襲った白虎を見ていればそれが分かる。
結界の中に封じ込めた相手を倒す、完璧な布陣だ。
(これから先、みんなに疲労が溜まれば、一番弱い者を守ろうとして全員が危険になりかねない。そして、それはきっと……)
シルフィはこちらを窺っている神獣たちを睨みながら、フレアに言った。
「フレア、いざという時は私には構わないでレオンやほむらと戦いなさい。私を守ろうなんて思わないで。それは貴方の死に繋がりかねないわ」
ほむらが現れる直前、白虎の牙に噛み砕かれそうになったフレアの姿を思い出して、シルフィは低い声でそう伝える。
それを聞いてフレアは首を横に振る。
「嫌よ絶対! みんなで一緒に帰るの!! そうでしょう? シルフィ」
「聞き分けのないことを言わないで。私は貴方に死んで欲しくないの!」
シルフィは強い口調でそう言ったが、フレアは再び激しく首を横に振る。
「私だって……シルフィはいつだって私と一緒にいてくれた。ほむらが死んでしまって寂しい時も、狼の姿になって、私を抱くようにして眠ってくれた。レオンが仕事でいない時だっていつも!」
フレアはシルフィを見つめる。
「シルフィは私のお姉ちゃんだから。絶対に殺させたりなんかしない! 一緒に帰るの、絶対に!!」
「フレア……」
シルフィはフレアの顔を見つめ返す。
そして思った。
(フレア、貴方はやっぱりどこか『あの子』に似ている。あの子も言い出したら聞かない子だったから)
シルフィは遠い目で昔のことを思い出していた。
そんな中、再び神獣たちがこちらに向かって襲い掛かってくるのが見える。
ほむらが二人に言った。
「二人とも、今は余計なことを考えるんじゃない。必ず戻れるって信じることだ。白虎と青龍は任せておきな! フレア、シルフィ、朱雀を頼むよ」
「ええ、ほむら!」
「分かったわ!」
レオンがエルフィウスたちと激しい戦闘を繰り広げているのが見える。
四英雄の一人、雷神と呼ばれる男に対抗出来るのはレオンだけだ。
(そうよ、レオンならきっとなんとかしてくれる。何か方法が見つかるまで、他の神獣たちの注意をこちらに引きつけなきゃ)
シルフィは改めてそう決意を固めると、フレアを背に乗せて宙に舞い上がる。まるで風のように。
眼下では、ほむらが円を描くように鮮やかに刃を振るい、白虎と青龍の攻撃を迎撃している。
紅蓮の炎が渦を巻き、シルフィたちをさらに上空へと運んだ。
シルフィの背中にまたがったフレアが懐かしそうに言う。
「こうしてると、一緒にヤマトの山を駆け回ったのを思い出すわね、シルフィ」
「ふふ、そうね」
ほむらが死んでしまった後、元気がないフレアを慰めるために、彼女を背に乗せて山を駆け巡ったことをシルフィは思い出す。
母を思い出して涙するフレアと一緒に、身を寄せながら眠ったことも。
そして、上空からこちらに降下してくる朱雀を睨んだ。
「来るわよ、フレア!」
「ええ、シルフィ!!」
朱雀が咆哮を上げて二人目掛けてやってくる。
その鋭いくちばしが薙刀を構えるフレアを捉えかけたその瞬間、フレアはシルフィの背を蹴ってその攻撃をかわすと、鮮やかに刃を振るう。
「はぁああああ! 喰らいなさい紅円舞斬!!」
ほむら直伝の技が、朱雀の左右の翼に傷を刻み込む。
朱雀はその場で再び咆哮を放ちながら、暴れるように大きく翼を羽ばたかせた。
その風圧が僅かにフレアの体勢を崩した。
空中で反転してフレアを迎えに行く途中だったシルフィの目が、大きく見開かれる。
(何あれは!? 今までの攻撃とは違う!!)
シルフィの目には、喉元に凄まじいほどの力を凝縮している朱雀の姿が見えた。
そして巨鳥の目は、体勢を崩しているフレアを射抜いている。
まるで、隙を見せた獲物を仕留めるかのように。
「フレア! 駄目ぇえええええ!!!」
シルフィは自分が出せる最大の力を込めると、風に乗ってフレアに体当たりし、突き飛ばす。
その衝撃でフレアは、ほむらがいる方へと飛ばされていった。
「シルフィ!!?」
再び自分を背に乗せるはずだったシルフィの思わぬ行動に呆然とするフレアだったが、その目には優しく笑うシルフィの顔が見える。
「フレア、貴方と一緒にいられて楽しかったわ」
その瞬間──
朱雀の喉に凝縮されていた力が解放され、灼熱のブレスが先程までフレアがいた場所を焼き尽くす。
フレアは叫んだ。
「嫌ぁあああああ!! シルフィ!!!」
朱雀のブレスでシルフィの体が炎に包まれていく。
そのまま地上へ落下していくシルフィは、こちらに向かって叫ぶフレアの顔を見つめていた。
(生きて、フレア。私はもう妹を失いたくないから……)
そして、同様に自分を見上げて叫ぶレオンとほむらを見る。
(レオン、ほむら、フレアを頼んだわよ)
炎に包まれて落下していくシルフィの意識はそこで途切れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私はシルフィ。
二千年前、私はある国の王女だった。精霊たちが暮らす、ルティウクという名の小さな国の王女。
そして、私には妹がいた。
彼女はエルルという名前で、私たちは幼い頃からいつも二人一緒だった。
「ねえ、エルル。私はいつかお城を出て世界中を旅するの! 風のように自由に!!」
それが私の口癖だった。
私がまだ十歳、エルルが九歳のあの日も、私はそう言って妹の前で胸を張った。
「だったら私も行く! お姉ちゃんと私はいつも一緒だもん」
エルルは期待に目を輝かせて私を見つめた。
「お城の外にはいっぱい楽しいことがあるのかな? お姉ちゃん」
「ええ、きっとそうよ! エルル」
私はそう答えると、白い狼の姿になった。
普段は人間と変わらない姿で、そして狼に変身することも出来る。それが二千年前の私だ。
私だけじゃない。私たちの一族は、成長すると狼の姿に変身することが出来る力を持っている。
この国の精霊たちはみんなそうだ。
でも私のように十歳で狼の姿になれるのは珍しい。
私はちょっと自慢げにエルルに言った。
「でも、エルルにはちょっと早いわ。だって、まだ狼の姿になれないでしょう?」
私がからかうと、エルルは大きく頬を膨らませる。
「出来るもん、私だって!」
そう言って顔を真っ赤にして、変化しようとするエルル。
でもやっぱりまだ難しいみたいで、白い大きな耳と尻尾だけが生えてきた。
女の迫力に押されて、白虎は一度大きく後ろに下がると距離を取る。
フレアは呆然と女の顔を見つめている。
そして、その目からはボロボロと涙が零れた。
「嘘……ほむらなの?」
彼女の額には、フレアと同じ鬼の角が生えている。
それは紛れもなく、かつて鬼神と呼ばれていた土地神、ほむらの姿だった。
ほむらは優しくフレアの頬に触れる。
そして、静かに涙を流した。
「ああ、フレア。またこうしてあんたの頬に触れることが出来る日が来るなんてね。私も信じられないよ」
「ほむら! ほむらぁああ!!」
泣きじゃくって、ほむらの体をしっかと両手で抱きしめるフレア。
ほむらは白虎を睨みながらも、その腕にフレアを抱く。
そして優しい目をして頭を撫でた。
「強くなったね、フレア。いつも傍で見ていたよ」
「うん……お母さん」
気丈なフレアが今は只の少女のように見えた。
そうか。ここは魂が形になって現れる世界だ。
オベルティアスの中に眠っていた神獣たちの魂が姿を現したように、フレアの中に宿るほむらもまた。
神獣たちがほむらの様子を窺いながら距離を取ったのを見て、シルフィは俺の傍にふわりと着地した。その目には涙が光っている。
「まさかこんなことが……」
「ああ、シルフィ」
母であるほむらの大事な村を守るために命を燃やして戦ったフレアと、そんな娘の命の灯を消さないために自らの魂を捧げたほむら。
二千年の時を経て、こんなところで巡り会うことになるとは、誰も思いもしなかっただろう。
たとえ血が繋がっていなくとも、二人は誰よりも強い絆で結ばれた母子だ。
俺はそれをよく知っている。
娘を守るように抱くほむらの額の角に、強い神通力が宿っていく。
フレアはそっとほむらの手を取ると、自分も同じように角に力を宿した。
「フレア! 再会を喜ぶのは後だ」
「うん、ほむら! 分かってる!!」
二人は声を揃えて叫ぶ。
「「はぁああああ!! 鬼神霊装ヒノカグツチ!!」」
ヤマトの古代の神を宿した美しい炎が渦を巻いて天を突くと、二人の手には今までよりも力に満ちた薙刀が握られていた。
ほむらはフレアの涙をそっと拭うと俺に言った。
「私も手を貸すよ、獅子王! あんたは二千年前の約束を守って、いつだってフレアの傍にいてくれた。この時代にやってきてからもね。獅子王ジーク、あんたには払い切れない借りがある!」
俺はその言葉に頷いた。
頼もしい仲間だ。
「歓迎するぜ、ほむら。なにせ、向こうに比べてこっちは頭数が足りないからな」
「ああ、そうみたいだね。それにどうやら一筋縄ではいかない相手のようだ」
俺が切り裂いたはずの青龍の下顎はもう再生している。
白虎も突然出現したほむらを警戒はしている様子だが、怯んだ気配はない。注意深くこちらを窺っている。
ほむらは頭上で軽やかに薙刀を振るって構えると、白虎と青龍に対峙する。
そして、空から観察している朱雀を見上げた。
「向こうはやる気のようだね。いいさ、来な! フレア、準備はいいかい?」
「ええ、ほむら! ほむらと一緒なら百人力よ」
フレアもほむらの真似をして、鮮やかに舞うように薙刀を構えた。
ほむらの出現がフレアにもさらなる力を与えているようだ。
その姿は可憐で、身に纏う炎は一層強く燃え盛り、美しい。
シルフィが俺に言う。
「私も二人と一緒に神獣たちを牽制するわ。貴方はその間に、エルフィウスたちを倒して!」
「ああ、分かった。無茶はするなよ、シルフィ」
「分かってる。ほむらじゃあるまいし、まともに神獣を相手にしても勝ち目はないもの。でも暫くの間、貴方から注意を逸らしてみせる。貴方も気を付けて、レオン!」
俺は頷くとオベルティアスに騎乗したエルフィウスと対峙し、ほむらから渡された炎の剣を構えた。
エルフィウスは、俺たち四人を静かに見つめている。
「どうやら一人増えたようだな。だが、無駄なことだ。言ったはずだぞ、もはやお前たちが生きてここから出ることはないとな」
俺とエルフィウスの間に凍り付くような緊張が走る。
エルフィウスと対峙している俺を目掛けて、青龍が再び咆哮を上げてやってくるのが見えた。
だが、その鼻先に、地上を蹴って宙に舞ったほむらが立ち塞がる。
同時に、先程の意趣返しとばかりに、白虎が地上からほむらを追い、牙を剥く。
「喰らいな、紅円舞斬!!」
ほむらの薙刀の先が鮮やかな円を描くと、青龍の巨大な前足を斬り落とし、返す刀で白虎の牙を斬り飛ばす。
「私だって! はぁああああ!!」
すかさずフレアが、怯んだ白虎の喉元を切り裂いた。
咆哮を上げながら、退く二体の神獣たち。
「やるもんだね、フレア」
「うん! ほむらといると凄く力が湧いてくるの!!」
そう言ってフレアは胸を張る。
シルフィは、そんな二人を狙い急降下してきた朱雀の目の前をかすめるように走り抜け、その注意を引き付けた。
「こっちよ!!」
その声にほむらとフレアは再び地上を蹴ると、朱雀の左右の翼を切り裂く。
「「はぁあああああ!!」」
朱雀は翼に傷を負い、怒りの声を上げながらも空高くへと舞い戻る。
華麗に地上に降り立つほむらと、シルフィの背中に乗ってふわりと着地したフレア。
息の合った三人だ。
「やるわね二人とも!」
「ええ、これならきっといけるわ! シルフィ!!」
喜ぶフレアとシルフィを、優しい目で見つめながらもほむらが言う。
「二人とも、安心するのはまだ早いよ。見てごらん」
ほむらの視線の先には、青龍と白虎が身構えている。
その体の傷は次第に回復し、ほむらに斬り飛ばされたはずの青龍の前足も新しく生え変わる。
天空で円を描くように飛行している朱雀の翼の傷も同様だ。
シルフィとフレアは唇を噛んだ。
「流石神獣と言うべきか。これじゃあ、きりがないね」
「ええ……でもやるしかないわ。そうでしょう、ほむら!」
「ああ、そういうことさ、フレア!」
フレアとシルフィは、ほむらの勇ましい声に勇気づけられたかのように頷く。
やはり術者を倒すしかなさそうだ。
この結界を作り出したのはオベルティアスだ。奴を倒せば結界が崩壊する可能性はある。
エルフィウスがオベルティアスに騎乗している以上、それは困難には違いないが、やってみる価値はあるだろう。
「行くぞ! エルフィウス」
俺はオベルティアスに騎乗しているエルフィウスに向かって、一気に距離を詰める。
オベルティアスの角が俺の頬をかすめ、雷化したエルフィウスの剣が肩口を浅く切り裂く。
同時に、俺の剣がオベルティアスの角を斬り落とし、エルフィウスの額に傷をつけた。
「ぐぅううう!!」
オベルティアスは、思わず後退する。
「おのれ!!」
自慢の角を斬り落とされ、怒りに燃えるオベルティアスを尻目に、俺は近くの茂みへと一気に走る。背後から奴の咆哮が響いた。
「どこへいく獅子王! 臆したか!! 我が主の前で、そのような場所に逃げ込んでも無意味だぞ!」
確かに、これほど闘気を高めたままこんな茂みに身を隠したところで、意味はない。
その気配で、どこにいるかなど手に取るように分かるからな。
茂みの中にいる俺の頭上に、オベルティアスが大きくジャンプし、エルフィウスが茂みに向かって剣を一閃させる。その瞬間、俺は茂みから飛び出すと、エルフィウスの攻撃をかわし、ほむらから貰った炎の剣を投げた。
「なに!?」
エルフィウスを乗せたオベルティアスは、音を立てて飛来する剣を体を逸らしてかわす。
意外な行動に虚を衝かれ体勢を崩したものの、武器を失った俺を見て、勝ち誇ったように笑う。
「自ら武器を手放すとは愚かなことを。主よ、獅子王に裁きを!!」
その瞬間、俺の左手の剣がオベルティアスの首を刎ねた。
「──!?」
あまりのことに声もなく、飛ばされた首がこちらを見ている。
俺の手には、先程一戦を交えた時にエルフィウスに弾き飛ばされ、地上に落下した剣が握られている。
茂みを出た時は背中に隠し持っていたため、奴らには見えなかったはずだ。
「悪いな、オベルティアス。俺は逃げたんじゃない、少しばかり探し物があっただけだ」
流石神獣と言うべきか。首を失ってもなお主を乗せたまま歩を進めると、少し離れた場所でこちらに振り返る。
これで術者は倒した。結界は消滅するはずだ。
だが──
「愚かな真似を。お前たちは、二度とここから出ることはないと先程言ったはずだぞ」
そう口にしたのは、地面に転がっているオベルティアスの首だ。
そして、それは次第に消え去っていくと、代わりに首のないオベルティアスに新しい首が生えてくる。
「なんだと? 馬鹿な……」
俺は思わず呻いた。
術者は確かにオベルティアスのはずだ。
だが、奴を倒しても結界が崩れるどころか、死ぬことすらないとは。
オベルティアスの額には、先程斬り落としたはずの角も再生している。
そして低い声で口を開いた。
「言ったはずだぞ。この結界の世界を作り出しているのは玄武の魂だとな。術者は既に我ではない、玄武だ。だが、玄武はこの世界そのもの。世界を破壊でもしない限り我らは死ぬことはない。ここで死ぬ定めのお前たちとは違ってな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ほむらは白虎と戦いながら、レオンたちの戦いを横目で見つめる。
「なんて奴だい。斬られた首が生えてくるなんてね」
そして、自分が戦っている白虎たちを見据えた。
「つまりこいつらもそうってことか……きりがないわけだ。だが、どうやら玄武って奴を倒せばいいらしいね」
ほむらは鋭い聴覚でレオンたちの会話を聞きながら薙刀を振るい、白虎の牙と青龍の顎を退けた。
「でも、ほむらどうやって? ここにはいないわ」
フレアは薙刀を構えながらほむらにそう問う。
彼女はほむらの手伝いをしながら、上空から何度も攻撃してくる朱雀を、シルフィと繰り返し迎撃している。
「玄武って奴が術者で、この世界そのものでもあるみたいだね。この世界を破壊でもしない限り、こいつらは何度でも復活するらしい」
「そんな……」
フレアが思わず息を呑んだ。
ほむらはそんな娘を見つめながら拳を握り締める。
(世界を破壊するか。そんなことが出来るぐらいなら最初からやっているさ、そうだろう? 獅子王。他に方法はないのかい? 術者さえ姿を現せば、この薙刀で倒してやるのに。私はもう二度とあんな思いはしたくないんだ。私の目の前でフレアが……)
二千年前、自分の前で命の灯を消しかけた娘の姿を思い出す。その記憶が、ほむらの炎をさらに強く燃え上がらせる。
それによって、再び襲い掛かってきた神獣たちの攻撃を退けたが、根本的な解決には程遠い。
フレアと共に朱雀を迎撃したシルフィは二人の傍で呟いた。
「世界を破壊する力……」
「何か心当たりがあるのかい? シルフィ」
ほむらの言葉に、シルフィは少し考え込むと首を横に振った。
「いいえ。何でもないわ」
そして、三人を取り囲んで様子を窺っている白虎と青龍、朱雀を眺める。
「まるで、じわじわとこちらを消耗させているかのようね。このまま戦い続ければ、いずれ向こうは必ず勝つわ。無理をせず、何度も攻撃と再生を繰り返せばいいんだもの」
戦い続けて、相手が隙を見せた時に勝負を決する。
エルフィウスとの戦いで青龍が見せた動きや、フレアを襲った白虎を見ていればそれが分かる。
結界の中に封じ込めた相手を倒す、完璧な布陣だ。
(これから先、みんなに疲労が溜まれば、一番弱い者を守ろうとして全員が危険になりかねない。そして、それはきっと……)
シルフィはこちらを窺っている神獣たちを睨みながら、フレアに言った。
「フレア、いざという時は私には構わないでレオンやほむらと戦いなさい。私を守ろうなんて思わないで。それは貴方の死に繋がりかねないわ」
ほむらが現れる直前、白虎の牙に噛み砕かれそうになったフレアの姿を思い出して、シルフィは低い声でそう伝える。
それを聞いてフレアは首を横に振る。
「嫌よ絶対! みんなで一緒に帰るの!! そうでしょう? シルフィ」
「聞き分けのないことを言わないで。私は貴方に死んで欲しくないの!」
シルフィは強い口調でそう言ったが、フレアは再び激しく首を横に振る。
「私だって……シルフィはいつだって私と一緒にいてくれた。ほむらが死んでしまって寂しい時も、狼の姿になって、私を抱くようにして眠ってくれた。レオンが仕事でいない時だっていつも!」
フレアはシルフィを見つめる。
「シルフィは私のお姉ちゃんだから。絶対に殺させたりなんかしない! 一緒に帰るの、絶対に!!」
「フレア……」
シルフィはフレアの顔を見つめ返す。
そして思った。
(フレア、貴方はやっぱりどこか『あの子』に似ている。あの子も言い出したら聞かない子だったから)
シルフィは遠い目で昔のことを思い出していた。
そんな中、再び神獣たちがこちらに向かって襲い掛かってくるのが見える。
ほむらが二人に言った。
「二人とも、今は余計なことを考えるんじゃない。必ず戻れるって信じることだ。白虎と青龍は任せておきな! フレア、シルフィ、朱雀を頼むよ」
「ええ、ほむら!」
「分かったわ!」
レオンがエルフィウスたちと激しい戦闘を繰り広げているのが見える。
四英雄の一人、雷神と呼ばれる男に対抗出来るのはレオンだけだ。
(そうよ、レオンならきっとなんとかしてくれる。何か方法が見つかるまで、他の神獣たちの注意をこちらに引きつけなきゃ)
シルフィは改めてそう決意を固めると、フレアを背に乗せて宙に舞い上がる。まるで風のように。
眼下では、ほむらが円を描くように鮮やかに刃を振るい、白虎と青龍の攻撃を迎撃している。
紅蓮の炎が渦を巻き、シルフィたちをさらに上空へと運んだ。
シルフィの背中にまたがったフレアが懐かしそうに言う。
「こうしてると、一緒にヤマトの山を駆け回ったのを思い出すわね、シルフィ」
「ふふ、そうね」
ほむらが死んでしまった後、元気がないフレアを慰めるために、彼女を背に乗せて山を駆け巡ったことをシルフィは思い出す。
母を思い出して涙するフレアと一緒に、身を寄せながら眠ったことも。
そして、上空からこちらに降下してくる朱雀を睨んだ。
「来るわよ、フレア!」
「ええ、シルフィ!!」
朱雀が咆哮を上げて二人目掛けてやってくる。
その鋭いくちばしが薙刀を構えるフレアを捉えかけたその瞬間、フレアはシルフィの背を蹴ってその攻撃をかわすと、鮮やかに刃を振るう。
「はぁああああ! 喰らいなさい紅円舞斬!!」
ほむら直伝の技が、朱雀の左右の翼に傷を刻み込む。
朱雀はその場で再び咆哮を放ちながら、暴れるように大きく翼を羽ばたかせた。
その風圧が僅かにフレアの体勢を崩した。
空中で反転してフレアを迎えに行く途中だったシルフィの目が、大きく見開かれる。
(何あれは!? 今までの攻撃とは違う!!)
シルフィの目には、喉元に凄まじいほどの力を凝縮している朱雀の姿が見えた。
そして巨鳥の目は、体勢を崩しているフレアを射抜いている。
まるで、隙を見せた獲物を仕留めるかのように。
「フレア! 駄目ぇえええええ!!!」
シルフィは自分が出せる最大の力を込めると、風に乗ってフレアに体当たりし、突き飛ばす。
その衝撃でフレアは、ほむらがいる方へと飛ばされていった。
「シルフィ!!?」
再び自分を背に乗せるはずだったシルフィの思わぬ行動に呆然とするフレアだったが、その目には優しく笑うシルフィの顔が見える。
「フレア、貴方と一緒にいられて楽しかったわ」
その瞬間──
朱雀の喉に凝縮されていた力が解放され、灼熱のブレスが先程までフレアがいた場所を焼き尽くす。
フレアは叫んだ。
「嫌ぁあああああ!! シルフィ!!!」
朱雀のブレスでシルフィの体が炎に包まれていく。
そのまま地上へ落下していくシルフィは、こちらに向かって叫ぶフレアの顔を見つめていた。
(生きて、フレア。私はもう妹を失いたくないから……)
そして、同様に自分を見上げて叫ぶレオンとほむらを見る。
(レオン、ほむら、フレアを頼んだわよ)
炎に包まれて落下していくシルフィの意識はそこで途切れた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私はシルフィ。
二千年前、私はある国の王女だった。精霊たちが暮らす、ルティウクという名の小さな国の王女。
そして、私には妹がいた。
彼女はエルルという名前で、私たちは幼い頃からいつも二人一緒だった。
「ねえ、エルル。私はいつかお城を出て世界中を旅するの! 風のように自由に!!」
それが私の口癖だった。
私がまだ十歳、エルルが九歳のあの日も、私はそう言って妹の前で胸を張った。
「だったら私も行く! お姉ちゃんと私はいつも一緒だもん」
エルルは期待に目を輝かせて私を見つめた。
「お城の外にはいっぱい楽しいことがあるのかな? お姉ちゃん」
「ええ、きっとそうよ! エルル」
私はそう答えると、白い狼の姿になった。
普段は人間と変わらない姿で、そして狼に変身することも出来る。それが二千年前の私だ。
私だけじゃない。私たちの一族は、成長すると狼の姿に変身することが出来る力を持っている。
この国の精霊たちはみんなそうだ。
でも私のように十歳で狼の姿になれるのは珍しい。
私はちょっと自慢げにエルルに言った。
「でも、エルルにはちょっと早いわ。だって、まだ狼の姿になれないでしょう?」
私がからかうと、エルルは大きく頬を膨らませる。
「出来るもん、私だって!」
そう言って顔を真っ赤にして、変化しようとするエルル。
でもやっぱりまだ難しいみたいで、白い大きな耳と尻尾だけが生えてきた。
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