転移した世界で最強目指す!

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第三十四話 深淵

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 モートンはあの日以来とても上機嫌だと聞く。国王になれて、また妃も手に入れたのだから当たり前か。しかし諸々の手続きや式典の準備に時間が必要で、それには最低でも二週間は費やすようだ。ただ、今日であの日から六日経つ。シアの中心にある広間付近にはもう装飾品が用意されていて、後はモニュメントの完成を待つだけの状態だ。
 俺はその横を通り過ぎ、西の防衛線まで行くと、時間通りに集結して来る人々が見え始めた。各々が別々の方向から、何食わぬ顔で街の外へ出てきた所だった。
「なぁ、これやる必要あったのか?」
 声が届くくらいの距離になるとスピットがそう言った。
「確かになぁ…殆ど街に人がいなかったな」
 事前の打ち合わせで決まった事だが、全員がある程度ばらけた後ここに集まる事になっていた。勇者が団体で行動すると怪しまれるからと言って、細心の注意を払ったのだ。しかし、結果から言えば何だか無駄になった気がする。街に人が殆ど居なかったんだ。衛兵の一人や二人居ても良さそうだが、それどころか普通の住民すら見かけなかった。
「あー、多分だが、みんな仕事で忙しいんじゃないか?」
 二人の会話にバトラが加わった。スピットが、どうして?と尋ねると彼は簡単な説明をしてくれた。
「ほら、シアここって国と言ってもまだまだ小さいだろ?住人の殆どが無二の職人とかだから、今は誰もが出払ってるんだろうさ。まぁこれはプライトルで聞いただけの話だ、確証は無い」
 バトラがその後『五割兵士、四割技術職、一割が王家とかの裏方だっけ』とぶつぶつ呟いているのを耳にした。それはさておき、時間通りにここに五人集まった。後は時間通りに来れないかもと先に断っていたもう一人だけだ。
「んで、やっぱり遅れちまうんだなぁ…」
「仕方あるまいよ、表向きは息子の為に動く父なのだから」
 その人物こそスティンガー国王だった。今まで知らなかった彼の名は『ショゥル』だそう。真ん中の『ゥ』は英語で言うと『W』の読みで、あるか無いか曖昧な発音をする。その彼はを持ってここへ来る手筈なのだが、普段から暇のない人物なので、唯一空白のある今日も予定が押しているらしい。
「そいじゃ、暇つぶしに今回のクエストのおさらいをしよう」
 スピットが静かになりだした折に切り出した。ほんの少し睡魔が忍び寄っていた皆の瞼が開き、スピットの方へ目を向けたり耳を傾けたりした。
「今回はあの大穴に向かい、そこで待つ『アビスドラゴン』と対峙する。ブルードラゴンはアビスの直接の配下らしいし、もう話はついてるだろう、そこで俺らの実力を見せるんだ」
「それって、やっぱアビスと戦うの?」
 話の途中でバトラが質問した。誰も詳しい説明をされておらず地味に気になっていた事であった。
「そうだね、あのヒトが言うにはだけど。軽くで良いらしいんだ。組み手をしてどの程度なのか実力を測るんだと」
 そう言う感じかぁ、とバトラが行った時、街から男が飛び出て来た。単純な色調でも荘厳な衣装を身にまとい、その割にスーっと移動して来る。腕には何かしらの袋を抱え、結んである口からオレンジ色の光が漏れ出ている。
「来たぞ。スティンガー国王だ」
 ターラの発言にまだ何か喋ろうとしていたスピットの声が詰まる。彼が後ろを向いた時、スティンガー国王は泳ぎながらその袋を開けていた。そして中からオレンジ色に発光している何かを、おそらく全て取り出し五人の輪に到着。一個一個素早くも手渡しで寄越しながらこう言った。
「済まない、遅れてしまった。だが完成したぞ、海中戦闘補助覆鎧に暗視効果を乗せることに」
 それは、一応な、と言って俺にも渡された。これが海中戦闘補助覆鎧を作る物らしい。皆が持っているのは拳サイズでオレンジの核のある半透明の物体。対して俺のこれはとても小さいし薄っぺらい、みんなと同じ材質だが全く違う物だ。よく見たら同じ物が二枚重なっている。
 さぁ、とショゥルが声を掛けると、皆一斉に手に乗せた物体を簡易覆鎧に差し出し、取り込ませた。ぼけーっとそれを見ていると、ショゥルが俺に話しかけて来た。
「お前さんのは瞼に貼りなされ。以前は魔法か何かで大丈夫だったかもしれんが、今回はこいつにせえ。余計な力を使う事の無いようにな」
 少し間を置き、了解しました、と言った。その直後に彼は仕事に戻ると残して去っていった。その時返事を返す者は居なかったし、目を向ける者も居なかった。
 言われた通りに瞼に貼った。横長の楕円をした透明な湿布みたいで、裏表は無いようだし目を閉じて慎重に。するとだんだんと膨らみ剥がれていき、目の周りにだけ張り付いた少しくすぐったい感覚が残った。ゆっくりと目を開けてみると、暗かった水底が地平近くまではっきり見えるようになっていた。太陽の下にいるみたいに明るくは無いが、雲の薄い曇りの日程度には明るいと思った。
「へぇ、ヒカルのはそんな感じか。なんかまつ毛がとんがったみたいになってるな」
 え?っと声が出たが、そう言えばあまりデザインは良くなかった事を思い出した。鏡で見てみたいが、そんな物無いし魔法でも作れないから気にしない事にしよう。
「確かにな。まぁ見てくれよりクエストだ、続きなら進みながらでも良いだろう」
 そう言い先を行ったジラフの身に付ける簡易覆鎧が海中戦闘補助覆鎧に変わっていた。鎧の節々から透明な装甲が発生して、俺の見た事のある形になりつつある。頭に六本の棘付きのヘルメット、肩には後ろに伸びる四本の棘が左右それぞれに付き、肘と膝には魚のオジサンが持つ髭位の短い棘がある。その他には通常の鎧の様に胸や腹、手甲や脛などにプロテクターが付いていた。どこにも簡易覆鎧のクラゲっぽさは無い。
「おう、行こう行こう!」
 後ろから付いて行ったスピットもいつの間にか海中戦闘補助覆鎧になっている。周りを見れば全員既に変わっている。あの日はもっと時間が掛かっていたはずだけどな。
 向かう道中、見渡してもやっぱり魚やモンスターが居ない。初めて気付いたが、多少岩場に小さな甲殻類がいる程だった。今回はあくまでもクエストの形式を取っている。依頼はショゥル・スティンガー国王から、内容はアビスドラゴンの監視するモノの無力化。どうも討伐が困難な存在らしく、眠らせる事が重要だと言っていた。報酬金は一等英雄の受ける難易度『Pt.Ⅴ』のクエストの倍以上。みんなもう金は要らないと言ってたが形式上受け取ることになる。皆が最も望んでいるのは、クエストを満了した後、この海域に再び多様な生物が住み着く事だ。
 俺は皆が打ち合わせをしている間、気になっていた事を思い起こしていた。それはブルードラゴンの言い草だった。あの時彼は言った、『セティエンティアと貴方方あなたがたが呼んでいる存在は、嘗て拠り我々が監視して来た怪物』だと。それが少しおかしいと思った。前半はどうでもいい、ただお互いの呼び名が違うだけだから。しかし、彼らの監視を掻い潜り、外へ出て来ていたのは何者だろうか。俺はその姿を見ていないが、聞いている。
 ルール制定の時に全長数十メートルでヒレのみで泳ぐと聞いた。そして数日前にメルから詳しい外観を聞いた。どうにも蛇っぽい見た目で、大きな目と艶やかな体表、ブヨブヨとした白い肉体だと言う。しかも、ブルードラゴン相手に成す術なく殺されている。
 はたして、そんなに弱いモンスターを監視して意味があるのだろうか。なぜ連れ戻すではなく、殺すのか。全く合点がいかない。そして奇妙な情報。体を深々と抉られたってのに、セティエンティアからの流血は少なかったと。もしや、セティエンティアは何者かに操られた、ゾンビに近い物なのでは。それも俺がゾンビを知っているから来る妄想か。
「あ、おい。あれ」
 バトラがそれを見ると、真っ先に声を上げた。まだ少し遠いが、あの佇まいは海のドラゴンに間違い無い。立体的なとぐろと言える特徴的な形状に体を巻き、くだんの大穴の前に居た。俺は考え事を保留し、張り詰め始めた空気を肌で感じた。水中なのに。
 待ち受けていたのは、あの時に出会ったブルードラゴンと、その両隣に一回り小さいドラゴンが一体ずつ付き従っていた。
『お待ちして居りました。勇者の皆さん。予定通り、メル・クリオネアを除く五人での招集ですね』
 その中性的な声は辺りに響き、俺たちを迎えた。今まで触れていなかったが、メルはシアに残る事になっている。それは彼女が計画に加わり、何か企んでいる事を悟られない為と言うのが主な理由。モートンは準備の二週間、俺たちが何か出来るとは考えていないらしく、拘束も監視も全くして来ていない。この期間は完全に自由なのだ。だからメルが一種の囮となり、俺たちが全てを遂行する。そう言う計画となったのだ。
『我が族のおさは常に深部にて全てのドラゴンを統制、指揮に当たって居り、短時間とて場を任せず、離れる事は有りません。しかし、貴方方の力量を彼女御自おんみずからが見極めると申し出なさりました。私が呼べばここへ昇って来るのです』
 ブルードラゴンが一連の発言を終えた。すると、スピットが真剣な顔をして訊ねた。
「組手なら、俺たちが下へ行ってからでも出来るでしょ?なんでアビスがわざわざここに来る必要があるんだ?」
 スピットの問いにドラゴンはすぐに答えた。
『それは、『セピエト・グラーク』に一切の情報を渡さない為です』
 聞き慣れない名前は皆の注意を引いた。それが今回の目標の名前。俺たちがセティエンティアと呼んでいた存在の名前だ。
『奴にも勿論知性が有ります。大なり小なりモンスターが持ち合わせる知性。奴の其れは人間の持つ思考回路と遜色無いレベルの物。脱出の糸口になりそうな事象や会話、周囲の些細な変化を敏感に感じ取ります。当然長であるアビスが居なくなれば気付かれましょう。しかし、貴方方の実力を露呈させない事なら出来ます。それが理由です』
 言い終わると、ブルードラゴンが巻いた蟠を解きながら上昇し、素早く弧を描いて後ろの大穴へ入って行った。しかし数秒するとブルードラゴンは戻って来た。今まで佇んでいた場所を離れ二体のウォータードラゴンと一緒に引き下がった。
『皆さん、敬意を。我らの長であり、海の統治者である御方です』
 すると下がった三体のドラゴンは地上の蛇の様に体を巻くと、少し首を擡げて頭を明確に下げる所作を取った。それを見た俺たちは少し狼狽えたが、見真似て同じく頭を下げた。すると、だんだんと水中に振動の様な物が起こり始めた。水そのものが揺れ、視界もグラグラと揺れ動く。
 一段と大きな振動が起こった時、それは姿を現した。大穴から飛び出した一体の龍。ブルーやウォーターとは違い青色が薄く白っぽい、それに加えて何故か輝き際立って見える。ブルーは持っていた小さな手足が無くなり、代わりにヒレに見える四本の触手が生えている。よく見ると途中まで骨が入っていて、先端が突き出ている。そこだけ切り取って見れば水色のミノカサゴだ。
 その時突然ターラが動き出した。武器を構え一人前に出た。見えにくいが目線は上、焦らずしとやかな足取りで。そして、何故か虚空に向かって剣を振るう。直後ターラの足元の砂が舞い上がった。前も後ろも。同時に小さく聞こえた鈍い音が、地盤を砕いた音なのには直ぐに気がついた。
『魔力の流れが見えているのですね。人間には珍しい事です』
 今度響いたのは完全に女性の声だった。その声は上から少しずつ降りて来る。
『特異な邂逅でありますね。本来なら敵対する筈の者達が、共通の脅威の為に手を取り合う。お待ちして居りました、勇者様。わたくしが監視者『アビス』であります』
 地から出で、天から降り立った蒼白の龍。かつて見た海の王ととても似ていた。長さはブルーの倍以上、しかし太さは変わらない。飾りの無い頭の後ろから棘の入った触手かヒゲらしき物が伸び、目は優しくまつ毛が美しい。ブルーやウォーターにあった手足はやはり無いし、背びれすら消えている。しかし、存在感は比較にならない。
「見えないタイプの魔法を予告なく放つとは、小手調べになったのか?」
 ターラは何も臆せず、通常運転だ。
『貴方のお陰で』
 アビスはくるりと体を回し、頭の位置はそのままに尾から蟠を巻いて行った。
『分かりますよ、貴方達の強さは。これも大変珍しい。最も強い人物が最も若い男と言うのも』
 お見通しか、とターラが呟き剣を背中に納めた。同時にアビスの目が強く瞬く。アストラの使った物に似た白いレーザー。狙いは俺から見て少し左へ、目で追った矢先にキンッと何かがレーザーを断ち切った。眩い残像が消えた時に見えたのは、弓を片手に持ちほっと一息吐いていたバトラだった。
「辞めて下さいよ…予測の範疇だったから良いものを…レーザーだとは思わなかったけど…」
 バトラは後半になるにつれ独り言っぽく声が小さくなって行った。
『弓取りは水中にて等しく不利となりますが…成程、これならば問題は無いでしょう』
 彼女の小手調べは続いていた。会話の途中にいきなり始まる。
「その様子だと、実際に軽く戦うなんて考えて居なさそうですね」
 スピットが珍しく敬語を使って話した。
『ええ、始めはそうする予定でしたが、ついさっき変更しました。一人一人が正確に私以上の武力を保有し、チームとあらばその実力以上に…。但し、たった一人分からぬ者がいるのです。彼とだけは、手合わせ願いたい』
 アビスの視線が俺に向く。その時一瞬肌がピリついた気がした。
『他の者は少し下がって頂けますか?巻き込んでしまいます』
 そう言うと、アビスはみるみる内に短くなって行った。海底に巻かれた蟠が短くなっていた。そして今見えた、尾から地面に潜っている。そこから出来る事は多くないが、これでは微塵も先が読めない。
 俺たちは横並びになっていたが、今は俺が少し離れた場所に居る。いや、皆んなが離れて行ったのだ。彼女の言う通り、俺だけが即席の試験場に立たされている。見物客達は、一瞬をも見逃さない為にたった一人の立つ海底を睨んでいる。俺は軽くだが構えていて、空手の猫足立ちに近い構えをしていた。しかし下半身こそそっくりだが、上半身は若干猫背気味、腕を垂らしちょっとだけ肘を曲げたポーズをとっている。
 暫くすると、大地に爪先から踵までべったりと着けている軸足に、微弱だが確かな振動を感じた。アビスが大穴から飛び出した時と似た感覚。それは徐々に大きくはっきりとし始める。そして震源の方向は、左下だ。そう思った瞬間に、目の前には口をかっ開いたアビスが岩ごと飛び込んできた。
 俺はヒュンと飛び上がり、過ぎ去るアビスを見送った。彼女はまた地面の中へ潜り姿を眩ます。しかし振動は強いままで、直ちに次に攻撃が来るのが予想出来る。
 地を割り岩を飛散させる轟音は、今度は正面から発された。姿を見せた蒼白の龍の、二本の毒牙が差し迫る。俺はトンッと飛び上がり、天を指す鼻先を台にして跳び箱みたいにそれを超えた。体を翻して潜り行く後頭部を見据えていると、アビスの体が回転しているのが見えた。ほんの九十度だけ、青い蛇腹が見えていた。それで何が来るのか、すぐにピンと来た。それは針入りの触手、特別逆立って俺を突き刺そうと向かって来る。
(出るぞ…)
 パキンッと言う乾いた音が一瞬だけ聞こえ、轟音が続き、俺が見事な縦回転をしながら殆ど真上に吹き飛ばされたのも見たし、そのままゆらゆらと漂い始めるのも見た。その時観客らは騒然とした。人も龍も。だが勇者の面々は、端から俺がやられるなんて考えちゃいなかった。地響きが弱くなる頃、三頭のドラゴンが更に口が達者になった。
『やっぱり…あれって…』
『間違いねぇぜ、ありゃあよお』
『主様…』
 水中には、俺と共に浮かぶ物体があった。近くには赤い霧に見える血溜まりが浮かび、そこからはみ出た白い棘がよく目立つ。紛れも無く、それはアビスの触手に内蔵されている棘だった。
『ガジャァァァーー!!』
 瞬間、何も無い場所からピンク色の口腔とついさっき見た発達した毒牙が現れた。それらの縁にはぼやけた輪郭がある。魔法のみならず体表を、主に鱗を透明にする事も出来るらしい。不可視の一撃か。似た様な事なら俺にも出来る。
 大蛇の真空を伴った噛みつきは無を食した。海水は捉えたが、狙った物に噛み付けなかった。それどころか鎌鼬にやられた様に、いつの間にか透明な体から暗赤色の霧が噴出していた。たちまちアビスは透明化を解除し、大人しくなり、背後に立つ俺に向き直り言った。
『素晴らしい』
 ドラゴンに戦いを続ける気は無さそうだ。
『私とて、常識と言う物は存じているつもりです。魔術師の類は後衛を務める事が多く、あまり強固な防具を必要としません。しかし最低限急所を守る程度の物さえ貴方は身に付けていなかった。私が憂いていたのは防御面でしたが、『くう』であるなら何も心配はいらないですね』
 話している内にアビスの傷は癒え、外野にいたニコニコしたやつらが、行こう!と言ってきた。ここでふと思った。最初からそうだったが、やけに展開が早い。アビスは早々に戦力を見抜いて、気になる個人に対して軽く攻撃を吹っかけるだけ。実際面として戦ったのは俺だけだし、すぐに終わった。なんだか焦ってる様な気がするのは俺だけだろうか。
「なあヒカル!最後のあれって何の魔法だったんだ?」
 ちょっと考えふけって足が止まって居ると、スピットが肩を組んで来た。覆鎧があるせいで一瞬ひんやりしたし、このタイプの奴は顔が見えにくいから誰だか一瞬分からなかった。
「…ああ、あれ?いつも使ってる『転身』と『風刃』だよ。いつも言う様だけど、咄嗟に出るのはいつも『風』なんだ。目も回ってたしさ」
 これを聞いて、スピットは少し眉間に皺を寄せた。
「え、目ぇ回ってたの?攻撃誘ったんじゃ無くて?」
「そう見えたの?」
 流石に秒間三か四回も縦に回れば三半規管もイカれるだろうに。スピットにそこらの常識は通じないのか?俺は訝しんだ。同時に、スピットは心中で俺に囁いた。
(自分が…おかしい事言ってるって分かって無さそうだな)
 それを言葉にしなかった。言う必要も時間も無いから。その時アビスは大穴の上に来て欲しいとの指示を出していて、スピットだけ少し出遅れていた。
 大穴の上、アビスの側に全員整列した。行きましょう、とアビスが言うと、ゆっくりと体が穴の中へと引き摺り込まれて行った。アビスの操る水流が、透明なエレベーターを再現していたのだ。だが当のアビス自身は鼻先を下に向け泳いでいるから、これは俺たちだけに施した物だろう。
『さて、早速ですが、『セピエト・グラーク』について説明しましょう。今の速度で降下しても十数分かかりますし、貴方方は真実も正体も知らないと見ていますから』
 降下を始めてすぐに、前置きを交えてアビスが語り始めた。同時に、アビスの放った真実と正体という言葉に皆緊張した。

 約五百年前の事だった。浅瀬も深海も美しく栄えていた大昔。それは突然として現れた。黒く澱んだヘドロに似た液体を撒き散らしながら。遠海に現れ、大陸の東端から西にかけ徐々に徐々に蝕んで行った。それは艶やかな体表と巨大な目玉を持ち、しかし不気味にも手足やヒレを持っていなかった。勘づくであろうその正体は、俺たちがセティエンティアと呼んでいたモンスターだった。
 魔王が生きて居る限り、大地や大気は瘴気という物に侵され続ける。それは以前から知っている。だが水だけは例外で、永久に影響されず生き続けるらしい。しかし、その時セティエンティアの垂れ流したヘドロは瘴気と同じ性質を持つ物で、例え原因が死んでも消えない物質だった。それが海を片っ端から文字通り死海に変えた。たった一つ残された救いは、『セティエンティアの本体』を探し、力を使えなくすれば、そのヘドロは進行も後退もしなくなる事だった。
 その時から、アビスの口調が段々と強くなって行く気がした。聞く限り変化は無いが、重圧だけが大きくなっていく様だ。
『『セティエンティア』は、『セピエト・グラーク』の触腕部分に過ぎません。奴の体高は十三メートル、軟体動物に外観が似、しかし頭骨もあれば巨大な巻き角もある。我々はこの場所を『深淵』と名付けました。同じく、その監視者である私もその名を冠す。そして最奥に奴がいます。出入り口は一つ、直径三メートルの奴にとっては小さな穴です。骨の関係で外へ出る事など叶いません。しかしいつの間にか壁を掘り抜き、触腕のみで行動させ、私たちのあずかり知らぬ間に脱出の糸口を探していた模様です』
 それが彼らの動く理由だった。海を徐々に殺して行く物質を止めるため、その本体であるセピエト・グラークを彼らの魔法で拘束、無力化。ただしその魔法が効くのは最奥の中だけで、脱出を許せば再びヘドロは進む。
 アビスは、そろそろ到着です。と俺たちに告げ、誠心誠意に懇請した。
『いつかの時、エルフの王が言いましたね。私達の事を、海の意志と。それは大袈裟な話では無い。私達は元来、他のドラゴンと同じく、その領域を統べ治める存在。今の如き状況は極めて稀であります。私は、貴方方なら奴を討てると確信しています。どうか頼みます。私達では成す事の出来なかったわざを、海を、救って下さい』
 水流のエレベーターは気付かない間に止まっていた。どれ程深くまで潜ったのかまるで分からないが、ここが終着点らし事なら分かる。物々しく、塹壕めいた地形が数列、中心に空いた穴を取り囲む様に設置されている。それは数十メートル上にもあったと思う。その全ての裏にブルーかウォータードラゴンが隠れ、数体のブルーが旋回し穴から目を離さなかった。そこまで厳重に監視された深淵の中心で、その絶対的長であるアビスは、深々と俺たちに向かって頭を下げた。
「…よしじゃあ、行くか」
 周りに居たアビスの配下達も頭を下げていた。その期待と信頼を一身に受け、覚悟を胸にスピットが降下し始めた。それに続き、一人、また一人と降下し、全員が深淵の最奥へと消えて行った。
 最奥へ続く一本道は、それはそれは狭かった。確かに入り口はそれなりに大きかったが、進むにつれて狭まり、最終的に二人が横並びになるだけで詰まってしまいそうなほど細くなった。いくらか降下すると、一気に開けた空間に出た。海エルフと同様の暗視を以てしても、底が暗くなり見えなかった。恐らく、海エルフの視覚はここまで届く超微弱な光を捉えて深海でさえはっきりと見える様にする仕組み。だが真上しか光の届く穴が無い深淵では、それが作る寂しいスポットライトしか頼れる光源が無かった。
 降りて来てすぐ理解した、最奥は巨大な空洞であると。高さも幅もよく見えないから正確では無いが、とりあえず縦幅六十メートル以上、横幅四十メートル以上の、楕円体の形をした空間だろう。皆が一様に暗がりを見回して居ると、ターラが言った。
「今分かった事がある。アビスの封じ込めの魔法だが、魔法を抑える物以外に大地を支える魔法が組み込んである。どれだけ暴れても簡単には壊れない。それらしい物がこの大穴そのものにも組み込んであったが、ここには特にな」
「へぇ、じゃあ全力でやっても大丈夫な訳だ」
 スピットが振り向き、頬を緩ませながら言う。敵前に参ったからか、それ以上は何も発言せずに下を見た。その時彼は、一ヶ月前の砂漠での決戦と同じ顔つきをしていた。
 そう言えば当のセピエト・グラークはどこに居るのだろうか。最奥へ入った時から、更にゆっくりではあるが沈下し続けているのに、底は見えないし敵も姿を現さない。体高が十三メートルもあるのに影も形も見当たらず、とても静かで不気味だった。
「…っ!みんな!武器を!」 
 突然にスピットが叫んだ。その刹那に見えたのは、四体のセティエンティアが荒ぶり大口を開け、俺らを噛み砕かんとする姿だった。確かに何も無かった場所から、いきなり青白い巨体が飛び出した。それに反応出来たのは、叫んだスピットとターラだけだ。
 キンッと耳障りな音が鳴る。俺を含めた棒立ちの三人は、遅れて武器を取りながら状況を理解した。今、周りには輪切になったセティエンティアが血を吹き出しながら落ちて行っていた。幾つもの切れ込みが雑に刻まれ輪切になった物と、等間隔で綺麗に切られた物が混在していた。
「今回はさ、方が良さそうだ」
 スピットが小さく声を溢す。その意図は、いつもの散開戦術では無く、互いが互いの背を預けて戦う事を意味している。実際、小さな気配すら無かったこの最奥に、明らかな敵意が充満していた。そして徐々に、この空間の壁を高速で這い回る何かがいる事がはっきりと分かるようになり、同じくはっきりと、低い声が響き渡る。
『痛い…』
 重低音に近しいそれは水を強く振動させ、慣れない感触にピクッと体が反応した。方向は真下の暗闇、だが姿は無く依然として壁を這いずる何かに気が向いた。そして声は拙くも続けて喋りだし、壁からはどこかで見たレーザーを放って来た。
『切られる…とは…こんなだったか…』
 レーザーはアストラの扱った物より幾分か小さく、また断続的に発射されていたから、ジラフが受け止め反射させるだけで簡単に対応できた。レーザーの弾速はアストラと比較にならない位に遅い。だが同時に三方向から撃ってきた気がしたし、反射されたレーザーが内壁に当たる時、先端が複雑な槍の形状をした蠢く何かを照らし出した。
「やっぱ…全方位を警戒しねぇと、だな」
 五人は団結し背を合わせ、八方の暗闇を見つめる。リーダーであるスピットが声の方へ体を向け、その他は周りを注視しながら水底に気を払う。だが、その時途端に内壁を這う気配が止み、スピットの見つめる先からドスの効いた声が響いた。
『お主らは…が遣わしたのか?』
 声の主は軽々しくもアビスの事を蛇と言う。
「あ?へび?」
 スピットを始め、皆が片眉を上げた。そう言えば蛇っぽいモンスターも蛇毒もあるのに、動物では無くモンスター扱い故に、『蛇』など存在しない言葉だった。それでもスピットは気を緩めない。全員がそうだった。
『お主らも、われが命を摘もうと挑む者か?』
 言う必要無いだろ?とスピットが返す。攻撃しといて今更、とも小さく漏れる。すると、壁の気配が再び動き出し、今まで暗闇だった水底に巨大な影が浮かび上がった。
『ならば我が屠ってくれよう。我が唯一の願いの為に、お主らを海の藻屑へ変えてやろう』
 ぼんやりと微かな光が照り返し、やわくもゴツゴツした皮が現れ、頭の上の膨れた腹には、黒い棘が走るのが確認でき、両側頭部に立派な巻き角を持っている。ただ、頭の下から伸びる八本の脚と、羊の様な横長い瞳孔にどうにも見覚えがあった。
「タコ…」
 まさしく、それはタコだった。ちょっと刺々しくて、馬鹿でかいだけのタコ。奴の前側四本は既に両断済み、そこからグモグモと再生すると、セティエンティアの頭部が生えて来た。アビスの言う通り、セティエンティアはセピエトの前腕四本だった。
『なんと。我が原種を知っておるか。小僧の癖に珍しい』
 後ろ側の四本は全く見えない。奴の体全体がこの目に入っているのに、不自然にぽっかり空いている。だとすれば、今壁を這いずりレーザーを撃っていたのが奴の後腕四本だろう。切り離しても動き続けている、セティエンティアも同じ理屈で活動していたに違い無い。
「え?タコ?そんな名前の奴居たか?」
 その言葉と共に、スピットはセピエトから目線を外しそのまま俺へ向ける。
「あ!バカ!」
 気づけばバトラと同時に同じ言葉を叫んでいた。しかしハッと気がついた。スピットの表情は、全く緩んでいない。それどころか凄みを増し、過去一番に冷徹な目をしていた。それを見たのは一瞬だったが、何故か何秒もそうしていた様な気がする。良く見えたんだ。彼の後ろから飛び出す大顎も、手に握られた剣が瞬時に翻る瞬間も、ゆっくりと釣り上がる口元もだ。
 スピットは身体を捻って背後を薙いだ。ぐわんと重い衝撃音を轟かせ、撃ち放たれた真空波はセティエンティアを二つに裂きながら底へ沈む。容易く底に鎮座するセピエトに到達するも、表面を少し裂くのみ。その一瞬、猫よりも細い瞳孔と、横に長い四角の瞳孔とが、一直線に交わる。
『…なんてガキだっ!』
 本体からの出血は無し。しかし明らかに割れている。想定外のダメージだったか、不動だった本体が揺れ動く。それにより振り回された前腕達が一瞬荒れ狂い、しかし直ぐにこちらを見据える。大きな眼は何処を見ているか分からない。それぞれが常に斜め上外側を見つめているが、確と鼻先は標的の方へ。
 次の瞬間、ぐねんと一際大きく波立つと、三つ首が一斉に襲いかかって来た。その後ろでは裂かれた腕を復元し、不完全にも防御の為に触腕を盾に見立てて渦を巻いている。
「本番だぞ」
 スピットが皆に呼びかけた時には、既に皆が動いていた。
 三つ首はこちらの間合いに入る直前、一気に解かれ綺麗に三方向に分裂した。そこで気付いた。セティエンティアが本体から切り離されていると。それの泳ぐスピードはそれなりに目で追えるが、それは単体での話。三体もいれば撹乱には十分だった。
 ある時は周りを周り、近付いて来ると思えば急に引き返し、何度も何度も往復したり、トンボの様に自由に泳ぐ。話に聞いた数十メートルより幾分か短い、あれは身軽だからこそ出来る泳ぎ方だろう。そう解釈しよう。
「ふんっ!」
 ギャリッと金属の軋む音が隣から。真白い巨体と、大きく仰け反ったバトラが見える。セティエンティアの細かく鋭い歯に、自身の弓の刃の部分を食わせていた。ゆっくりと押し返しているが、奴の荒ぶる体が反抗を難しくしていた。
 俺は腕をそれに向かって突き出し魔法を撃つ。すると、喰らい付く顎の根元に穴が開き、首相当の部位が千切り状態になる。暴れていた体が一気に静かになり、ふわっと落ちていく。
 それを見たセピエトは低く唸り、暗闇に光が灯り始めた。考えずともレーザーであると気付いた。その方向は多数、とても八方、一六方で言い表せない。ただ、弾速が見た通りなら防ぐのに支障は無い。このレーザーはアストラよりも弱い事は分かっている。水魔法で衝撃を与えれば簡単に散る。
 バトラが残った頭部を捨てる頃、俺は周囲を一瞥し水魔法を撃ち放った。それは細く鋭い渦。何人なにびとであれ視認出来ず、速さ故に魔力を感知したとて体は動かせない速度。小さいが、弱いレーザー位なら弾き飛ばせる威力を持つ。
 渦が瞬く間に進んで行く。すると、少し遠方でバチン、と聞き慣れない音がした。それは剥き出しの電線から火花が散った様な、少なくとも水中ではあり得ない音だった。そして更に不思議な事が続く。俺が渦を放った先の光がなんだか増えている様な。いや、あれは分裂したのだ。眩さに目が慣れた時、俺たちを囲む光の正体が極限まで遅く飛んでいるレーザーであると知った。
「はぁ?どうなってんのアレ」
 スピットが異常事態に気が付き声を上げた。その時、真下のみに残る暗闇からセティエンティアが噛みつこうと頭を上げるも、全く視線を向けられもしないまま雑に輪切りにされた。もうその手は絶対に通用しないらしい。
「アストラやマザーシップとは違うな。魔法だがさっきの音のせいで確証が持てん」
 セティエンティアの最後の一頭が、奇怪な泳ぎで俺たちに迫った。翻り翻り、遂に剥いた牙はジラフに向けられていた。しかしジラフの可変の盾が、寸前で咬合を止めた。
「少なくともモンスターが使っているのは見たことが無いな」
 微塵も動じずジラフは淡々と話続け、その片手間にと言わんばかりに自身の盾を裏から叩く。その瞬間、鼓膜が破れそうな程大きな金属音が響く。それは前にも聞いた事があった。これは『響震』と呼ばれる金属魔法だ。セティエンティアは微動だにしなくなり、全身を引き攣らせたまま海底に落ちていった。
「どうするよ。囲まれちまった」
 バトラが周囲を見渡しながら言う。煌めくレーザーは恐らく触れる事が出来ず、下の唯一の穴からはセティエンティアが顔を覗かせている。セピエト・グラークは力で勝てぬと察知し、無知を利用した追い込み漁を始めた様だ。
「出入り口の制限と時間の制限か…一分以内に脱出せねば、周りのレーザーにやられるぞ」
 ターラの声色は普段と変わりなく至って冷静のまま。だが、しきりに見渡す様は忙しなく、突破の方法を模索している様に見えた。
「なぁヒカル、さっき魔法使ったろ?どうなった?」
 戦局が膠着して十数秒、セピエトの動きを監視しながらスピットが俺に尋ねた。
「よく見えなかったけど、多分分裂した。あのレーザーを正面から撃ち抜いたんだ、そしたら数本の細いレーザーになった」
 そのレーザーの位置は覚えている。分裂した際に少し軌道がずれて、一本分の小さな穴が開いていた。でも囲いの範囲収縮に伴って、穴は人が通れる位から腕が入るかどうか位にまで小さくなっている。
「中心を…穴は開いたのか?」
 そのスピットの問いで、何をしようとしているか分かる。
「…ああ、でも今は」
 だがスピットは止まらなかった。
「みんな、セピエト本体を頼む。俺は外全部を引き受ける」
 スピットは言い残すと、背中合わせになっていたジラフの背を転がり、あっという間に俺の場所に来た。俺を押し退け、一瞬でその穴を見つけると、一目散に飛び出した。また、去り際に俺へこう告げた。
「足場作ってくれ」
 俺は言葉が耳に届くと、右腕を横へ振り払い、レーザーの檻に沿う様に、周囲に幾つも足場を作る。その魔法はターラと共にドラゴンと戦った時に使った物。後にアラゴーナと名付けられた目玉だけのモンスターに、断空と呼ばれた物でもある。あの時はターラしか目視出来なかったが、水中では輪郭がぼやけて薄く光って見えている。これなら誰でも使用可能。スピットともなれば、配置を覚え、瞬く間に使いこなせるだろう。
 彼は唯一残ったレーザーの檻の隙間に剣を突き立て、一気に引き裂く要領で剣を薙いだ。レーザーは忽ちに電撃となり襲うが、もうスピットの姿は消えている。たった一人が次々と檻を裂いて周り、それでも電撃は追い付けずに衰弱して力を失っていく。
『ンン!?』
 スピットの檻の破壊は数瞬で半分に到達し、セピエトが遅れて唸った。予想外の動きに驚いたのだろう。ちっとも動揺を隠せていないし、焦りでセティエンティアを工夫も無しにけしかけて来た。数は二頭、体を激しくうねらせて、さっきの倍の速度で差し迫る。
 セティエンティアは僅かに残った理性で進行方向を曲げ、確実な一噛みを狙った。だがそれも無意味な奔走だった。いざと噛みに行った刹那、目の前には当然の様に武器を引っ提げた人間がいた。もう少しで噛める手前、剣を、もしくは槍を振り下ろす姿が目に映る。奴らの意識はそこで途絶え、綺麗に大きさの揃えられた肉片と、千切り取られた上顎の串刺しが完成した。
「流石」
 俺の言葉にジラフがフッと微笑みを見せた。それとほぼ同時に、彼の笑みが見えなくなる程覆鎧が強く照り返した。俺でも感じ取れる強い魔力。もうじき俺の背に届くだろう。ただし俺が何もしなかったらの話だ。一切も体を動かさず念じるだけ。ただ目から光を放ち、瞳孔が蛇らしく細くなるだけだ。
 撃ち放たれたレーザーはバチバチと轟き、さながら雷撃だった。しかし一際バチンと鳴った時には、雷は進行方向を捻じ曲げられ、軌道修正も効かぬまま闇に散った。
「そちらこそ」
 一連を見ていたジラフが俺に言う。残った光の檻も最後の一筋がたった今消え、静かになった一瞬に、よお、と陽気な声がこだまする。何食わぬ顔でスピットが戻って来たのだ。
「やっぱりそうだった。あれは雷撃、『雷魔法』だ」
 その時、皆の心に驚きの色が芽生えた。しかし、間も無く始まった地響きがそれを散らす。スピットはセピエト・グラークを真っ直ぐ見つめ、俺たちに指示を出す。
「近づけ、あいつの引き出しは残ってないと見た。雷撃は俺が止める。お前らは触腕を掻い潜って本体を叩け」
 時間と共に地響きは強くなり、目下で震えるタコから煮え立つ怒気か殺気も、濃くはっきりと感じ取れる。
「今度こそ。散れ」
『ヌゥアァ!』
 スピットの号令と時を同じくしてセピエトが吠えた。繰り出される乱雑で素早くなったセティエンティアの動きは、案外にも読みやすく、躱しやすかった。怒りに任せた攻撃は、例え同時に四体全てで襲い掛かって来てもどうと言う事は無い。互いに体をぶつけ合い、狙いも定まらないままに噛みついては当たる物も当たらない。
 それに加え海中戦闘補助覆鎧は、地底に居れば陸上と同等の運動を、漂っていれば通常の遊泳が出来る。そう言う魔法が仕込んであるのか、着用者の意思に直結して海の影響を受けるか受けぬかを選択出来る。つまり、今まで漂っていたのを切り替え、セピエトに向かって落ちる事ができる。
 中央に残った四人の集団は、俺がを始めると次々とそれに続いた。荒ぶる大蛇は当たりそうな物だけを討ち落とし、飛び交う雷撃は全てスピットが気を引いていた為に、俺たちにとってはただセピエトを照らすだけの物となっていた。
『コイツらッ!全員バケモンかァ!?』
 ぶった斬られてもセティエンティアは直ぐに再生した。噛み付きを当てられぬまま切られ続けても、一向に数が減らない。だが増えることも無い。直接腕を伸ばすか、切り離して操るか、それが奴の攻撃方法だった。ただ切り離すだけ。新たに五本目や六本目のセティエンティアは作れない。前腕と後腕四本ずつの、計八本の触腕しか攻撃手段が無いのだ。
 ジラフとターラが先行しセティエンティアの襲撃は悉くが無力化され、それが無くてもより速くなった落下で当たらなくなっている。ニアミスで空振った奴は放置、ターンして返って来るのに僅かでも時間を使わせた。あと少しでセピエトの狭い額に接地する。そんな折、地響きが瞬く間にけたたましくなり、セピエトのサイドに気配が増えた。
 気配は四つ。ガボんと泡が溢れた音が鳴った。暗闇に目をやると、槍の様に尖った、恐らく後腕であろう物の先端が四つに割れ、更にバチバチと雷撃を走らせこれ見よがしに輝かせ始めた。間近まで接近したこの時に、渾身の一撃を放とうと言う気らしい。
『去ね!!』
 肌に漏れ出た電撃が触れそうなくらい近かく、数秒の内に落下はトップスピードになっていて止められない。今更ブレーキを掛けたとて、方向転換は難しい。ジラフの使った反射は、盾より大きなレーザーを跳ね返す事が出来るか怪しいものだ。しかし俺たちは誰一人として恐怖を感じなかった。信頼しているから任せられた。
「『斬光ざんこう』」
 一瞬で肥大した雷撃が、これまた一瞬で消え失せた。暗視を以てしても暗いこの場所に、目が痛くなるレベルに強い光が瞬いた。そんな僅かな間で四本の後腕は全て刻まれ、膨れたエネルギーは減衰し海に散る。この御技の犯人は一足先にセピエトの眉間に立っており、振り下ろされた異形の剣は柔い皮を裂いていた。
『ングォッ!?』
 セピエトは反射的に体を動かし傷を浅くした。的を外れた剣が引き戻された時、本体を守る為にセティエンティアが牙を剥く。目玉をギョロつかせて噛み付くが、何度やっても同じ、スピットによって細切れにされた。今まで以上に粉砕され、辺りは見えにくくも血で霞む。そんな血煙漂う中に追加で四人降り立った。
「仕上げだ。不味いシーフードにでも変えてやれ」
 俺たちは冷酷なスピットの指令に従い、間近で聞かされたセピエトは全力で抵抗した。
 手始めに背後から追って来ていたセティエンティアが噛み付いて来た。最後方に居たバトラが弓に備えた刃で上下の顎の間を切り裂き無力化。次いで再生した後腕四本が再び発射体勢を取り輝き出す。ターラとスピットが即座に対応、槍の様な砲台部分を切り離して再び撃沈。
 この時からセピエト・グラークは俺達に絶対に敵わぬと知り、それを認めたく無い一心で唸り声を発し始めた。そして、再生した二体のセティエンティアと噛む力を失ったそれが巨躯を振り回す。投げやりな攻撃だったが、今度は何をされようと根本があるなら暴れ続けた。
 俺達は互いを守りながら、闘牛よりも荒れ狂うセティエンティアを切り捌いて隙を探していた。しかし時間が掛かるにつれ、辺りに漂う血は濃くなり続け視界がはっきりとしなくなり、時折後腕の槍が的確に誰かを狙って切先を突き立てて来る。全て切り伏せる事は出来ていたが、それで手一杯。セピエトのガードが緩くなっても、頑丈な頭骨と反射神経で致命傷を避けている。
「ジリ貧だ、このままではいずれ負ける」
 覆鎧の中に汗を見せながらジラフが言う。
「必殺技も使えんしそりゃそうだ」
 それにバトラが言葉を返した。彼の言う通り、今俺たちはセピエト・グラークの額を中心に戦っている。いつでも有効な攻撃を差し込める様に。逆を言えば、その小さな有効打を入れる為に範囲攻撃を犠牲にしている。いつも使う様な、またさっきスピットが放った様な攻撃は使えない。
「そうだな、ここまで生きる事にやけになるとは思わなかったよ」
 続けてスピットが喋り出す。
「拮抗してんな。だったら味付けしてやりゃ良い」
 言い終わると同時にスピットの前方にあったセティエンティアと槍が血煙と化し、半数の触腕が失せた事で短くもいとまができた。そして彼は俺に近付き耳元で囁く。
「ヒカル、奴をやれ。合図は次に全部触腕を無力化した時だ」
 分かったと返事をすると、スピットは頷き元の位置に戻り、大音声を上げる。
「全員!続けろ!もっと刻んでやれ!」
「っああ!」
 そこにあった一瞬の間、スピットの意図を解するには十分だ。
 脅威の再生により触腕は八本全て元通り、間髪入れずにその剛腕を振り回す。より激しく、より速く、壁面に激突させた反動さえ使って決死の猛攻を仕掛けて来た。
 しかし、今更そんな小細工も底力も通用しない。どれだけ軌道が複雑だろうが、最後に突っ込んで来る方向が分かればそれで良い。あまりの激しさに、最奥に渦潮の様な水流が発生し始めた。今までは気にする程度ではなかったが、この潮流は洒落にならない。
 あちこちから岩が割れ崩れる轟音が響いて来て、その直後にセティエンティアか槍が一直線に向かって来る。それはさっきまでの戦法より幾分か対応し易い。触腕を切り伏せ続け、同時に再生し続け、一進一退の攻防が続く。が、長く続く筈が無い。
 ただでさえ暴れ狂い、再生で更に消耗している。いくらモンスターであれ底はあるし、実際に能力の低下が顕著に出ている。そして今、同時に六本の触腕が潰れ、残る二本がそれぞれターラとスピットに特攻をかます。鈍化した攻撃など取るに足らず、間合いに入り次第に細切れとなる。そしてそれがの時だ。
「飛べぇ!」
 同時に全ての触腕が潰れた。声と共にスピットが跳び上がると、皆が続々とそれを追う。
『何処に行くかぁ!!』
 俺が最後に飛び上がると、セピエトが怒号を上げながら再生中の触腕を伸ばして来た。それに対し、俺はおもむろにセピエトに向かい伸ばした手を合わせ、唱えた。
「『虚火うつろひ』」
 たった一言を皮切りに俺の合わせた掌から、黒くも光り輝き、真白な輪郭を持つ炎が吹き出した。それは俺を覆い隠さんとする触腕共を津波の様に飲み込み、勢いそのままに本体さえも容易く覆い尽くした。
『アア゛ア゛!!なんだとォ!!炎か!?小僧!!貴様ァァ!!!』
 治りかけの触腕は徐々に短く更に細まり、ただ頭部を残すだけと成り果てる。
(何だと?今、『うつろい』と言ったか?)
 セピエトは唸り続け、無い物を振り回しながら叫び散らす。
『何と言う為体ていたらくだ!!高が冒険者共に!!何という!!』
 その叫びは、奴の発した中で最も大きな声だった。その時、丁度飛び上がった俺と行き違いに落ちて来たスピット達が、セピエトに言ってやった。
ちげぇぜタコ。俺達は勇者パーティだ」
『…勇者』
 燃える巨体の隙間から、奴が眼を見開くのが見えた。ようやく俺らの異常な強さの理由を知った事だろう。そしてスピットは思い出す。あの夜の事を。
(やっぱり使えたな、ヒカル。『虚の魔法』を)
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