若い魔術師と英雄の街

Poyzow_eltonica

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第四十五話 何への思い

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 エイドロン樹海島。この島はルグトリノ王国の領地の最北端に位置しているにもかかわらず、北上してくる暖流と上空に発見された西風によって年中暖かい。更にこの島は空気中の魔力濃度が異様に高くそれも気温上昇及び保持の一助になっている。
 ここはルグトリノの領地として登録されているが、事実、モンスターが占拠し跋扈ばっこしている。しかし王国はそれを良しとし、入り口となる海岸に船着場と小屋を数軒建てるだけしてそのほか一切の開拓をしなかった。その理由はまさに英雄にある。
 空気中の魔力が濃いと言うことは、その分モンスターも発生し易くなっている。そして極端に動物性モンスターが少なく、それ以外なら無尽蔵に湧いてくる。英雄にとってこの上無い修練場と言えた。基本レベル帯が30~60辺りと高く、上級者のみが立ち入る事を許されている。推奨は一等英雄を最低三人含んだパーティ。二等上位英雄のみでも六人は必要とされる魔境。もし一人で挑むなら、それこそ勇者並みの実力がなければならない。
「いいねぇ…俺。技がキレてる…」
 しかしこの日、エイドロン樹海島に単独で降り立った者がいた。
「アンタもそう思うだろ?」
 その背後に、伏した深緑のドラゴン一体。体中には砕けた薄い鱗、折れた牙と上顎、流れ出る血が風になり消えて行くという事は、とうに魂が天へと昇った事を表す。
「どう言う訳か知らんが、もう一体が居るらしいじゃん。でもそっちじゃ弱いし、居場所も分からん。だからお前をった。そんだけだよ、理由なんて」
 男が目的を達成し船着場に戻ろうと歩き出した時、そのドラゴンの遺骸までも風に溶け消えた。
「これで証明出来るはずだ。俺が真の勇者だ」

 姉妹を連れてマニラウの街を歩いて回った。平原に建てられた基本平坦な街だから疲れにくいし、一通り揃った物も売っている。椅子テーブル、本棚、料理器具、備え付け家具の取り替え屋もある。今回よく立ち寄ったのは服屋とおもちゃ屋だ。
 今二人が着ていたり所有している服はフォルガドルに売っていた物で、正直凝った逸品や素材の良い物は少なく、あったとしても値が高い。しかしこうやって生産地に赴けば関税も掛からず安く済むし、よりバリエーションに富んだ服を見繕えると言うものだ。
「じゃーん!どぉ!?」
 ジャッとカーテンを開け放ち、フュミリが試着した服を披露した。店員におすすめされた物と彼女が好きな物を合わせたコーデ。色の薄めのピンクのトップスは腹出し仕様、一応インナーも着込んでいるがこれもへそを隠さない。代わりにと言って良いものか、首元には厚く縫われたウールでピンクのチョーカー、スカートにも薄いピンク色でボア生地の暖かそうな物を着て、さらに腰に厚生地の水色のシャツを巻いている。靴はついさっき新調した白のレースアップサンダルを履き、サンダルだからと靴下はポイっと脱ぎ捨てた。
「可愛いな、よく似合ってる。…にしてもピンク好きだな」
 ヘソ出しについて言及するのは直前まで悩んだがやめた。好きなのを着るのは良い事だが、こっちは腹が冷えて体調崩さないか心配になる。そんな俺の心持ちも気にせず、フュミリはえへへと笑う。他人ひとの考えなんて読める訳ないよなと割り切って、俺は彼女に手招きした。「なになに~?」と寄ってきた彼女に、俺は後ろ手に隠していた帽子をそっとかぶせた。
「うん、これも良いな。普段から被ると良い」
 それは水玉模様のリボンが巻いてあるベージュのつば広帽子、太い糸で麦わら帽子みたく織っている。これを用意したのは、かねてより気になっていた彼女達の大きな獣耳を隠す為だ。フュミリは全体的に柔らかくて緩い服を好むし、これから成長するのだから幾らかゆとりのある帽子を選んである。
「おお!これも良いねぇ~!」
 更衣室の鏡に向き直って自分の姿を見ると、フュミリはキャッキャと喜んだ。俺の斜め後ろで順番待ちしているジュミリも手を叩いて楽しそうだ。
「可愛いですね~とも。あの子達、御兄妹なのですか?」
 服屋の店員『ララ』は赤黒い仮面に向かって微笑ましく言った。因みに、この際しょうがないので彼女達が獣人である事は伝えてある。
「やはりそう見えるか?全くの他人なんだがな」
 ターラは常に地味にくぐもった声で答えた。店員と二人で、少しだけあの三人から離れた場所で。
「そうなんですか!?あんなに仲良いのに!…じゃあ、小さい頃からずっと一緒だったとかですか?」
 店員は大きな衝撃を頑張って抑えながらまた訊いた。ターラは姉妹と戯れる少年に目を向けながら答える。
「…そうだな、そんなとこだ」
 ターラは思った。「彼女はきっとこの先にも知るまい、彼らが出会って一月も経っていない事を。更に姉妹の方は以前までまともに動ける体では無かった事を知る事は無いだろう」と。着飾り戯れる子供達に向けて笑んだ横顔を見ながら。
 しかしターラには未だに不可解な事があり、どうしても彼の気の据わりが悪かった。それは紫紺とも呼べる程黒く濃く固まった彼女達の心が、春風の如く融解したあの牢獄の中の事。それそのものが信じられない事象だったが、それともう一つ。あの時、あの牢内には、人から洩れ出る魔力以外の一切の魔力が感じられなかった。空間にある筈の魔力が消え去っていたのだ。
「ねぇ三人とも、お兄さんにこれ着せてみたいんだけど~」
「えぇ!面白そう!」
「やっちゃえ~」
「えっ…ちょ、ちょっとぉ!?」
 目を伏せターラは考え続けた。あれは一体なんだったのかと。ヒカルに獣が憑いている事は百も承知であるし、その力が爪として発現する光魔法と、強力な雷魔法だと言う事は知っている。あの部屋で使った魔法はそれらでは無かった事も肌で感じていた。ならば何か、見当もつかないと。
「おお!じゃあこれも加えましょ!」
「んふふ…いいぞぉ~」
 しかし、ターラは見つけた。思い巡らし辿る記憶の中の一欠片。武器を取り上げられ、挙句自由に動けぬ様手脚を御された地下の牢で、ようやく終わると息を吐いた時の事だった。剣の撃ち合う音と肉を裂く音に混じり、二言の言葉が聞こえて来た。「そこへ直れ」「動くな」と。その直後に聞こえたあったかも分からぬ囁き、それこそが求めていた答えへの道導。
「…神っ!」
 ターラは静かな胸騒ぎを覚えて伏せた目線を上げた。が、今まで目の前にいた三人が居ない。代わりに隣にいた筈のララが三人の立っていた所に居て、フィッティングルームの青いカーテンが閉じられしかも頻繁に揺れている。
「…なあ…あそこに三人入ってるのか?」
 仮面の下の眉が八の字になりかけていたターラは、揺れるカーテンに一つ指先を向けてララに質問した。「はいそうですよ~」と彼女がすぐに答えるが、ターラはただ訳も分からず日和っていた。様々考えていた故に周囲の知覚をしていなかったのだ。
「そろそろ着替え終わったかな?」
 ララがそう言いながら穏やかに細めた目でカーテンを凝視していると、ふと大小あった揺れが止まり、直後にジャッとカーテンが開け放たれた。
「ンっ!…」
「あらぁ~!」
 それを見た時、ターラは絶句しララはこの上なく輝かしい黄色い声をあげた。
「ほーら出てきて!」
「ふっふっふ…かあいいね~」
 意気揚々と躍り出てきた姉妹の後ろに、普段とは正反対の雰囲気と衣装で着飾られたヒカルが居た。今まで青のジャケット、白いシャツ、水色のジーンズと黒の革靴。そんな見た目に反し不明な素材の衣装で身を包み、ここ数ヶ月間同じ姿しか見ていない。しかし今は水玉のワンピース、ベージュの羽織物を身につけ、紫の花の髪飾りに、後頭部で一つに束ねた髪。白の長い靴下と同色のムートンブーツを履き、数センチのヒールのせいで少し背が伸びている。ターラは満悦そうな姉妹と眉を顰めたヒカルのテンションの差で、今どんな状況かを粗方察した。
「んっふっふ~…やっぱり顔が幼いっていうか、可愛いからね~、似合うなぁ~」
 姉妹だけでなく店員も乗り気だった。いや、店員が言い出しっぺだった。ターラは「抵抗しなかったのか?」と俺に聞いた。抵抗したかったが、回復したばかりの彼女達と鍛え続けている俺の力の差は大きく、細心の注意を払わねば簡単に気づつけてしまうだろう。そう言ったニュアンスを含めて俺は、「できねんだよ…」と言い返した。
「…災難だったな…」
 結局は彼女達が試着した服をそれぞれ2コーデ分、合わせて二十一着の服と四足の靴を買った。俺の分は買わなかった。あそこまでアグレッシブな店員も珍しい、五軒目にして初めて疲労を感じ始めた。
「次はどこに?」
 ターラは列の最後尾から、小さな鉄箱を持ち歩く俺に訊いてきた。
「あいつらもう少し服が欲しいって言ってるけど、気分変えておもちゃ屋か屋台にでも行こうかと」
 それを聞いて彼は少しだけ顔が空の方に向いた。
「…なぁ、それ重くないのか?」
 彼が続け様に俺の持つ鉄箱を指差してまた訊いてきた。「重いさ」と俺が答えるが、手のひらに収まる大きさで且つ今は小指以外の指先で摘み持っていたから、その説得力が無かったろう。
「持てないだろうね、英雄じゃなきゃ」
 この言葉でターラは理由を察し「ああ…」とだけ声を発すると、また別の事を訊いてくる。
「こんな物作れたのだな。ルィックの地下通路を参考にしたな?」
 ターラは俺の指先にぶら下がる鉄箱を見ながら、何度か見た箱の構造も思い出しながら語っていた。
 この鉄箱の上半分が十字に開き、60センチ四方に開く様になっている。その時は金属片となる分割された上部は薄い皮膜の様な物で繋がれていて離れることは無い。しかし重要なのはその中。内部は見た目通りの狭い空間だが、俺が以前使える様になった魔法で空間を拡張させている。たった十数立方センチメートルの空間が、一部屋二部屋分の空間になっているのだ。しかし中身の重さは蓄積されるし、今の段階でも手のひらサイズで40キログラムを超えている。とても一般人が摘んで持つ様に出来ていない。
「そうだよ。いい技術は盗まないとね」
 いつかは発生する重さも無くせないかと考えているが、今はこれで及第点だ。銀一色というこんな見た目だから店前に置いてけぼりにしても誰も盗もうとしないし、もし手に取ろうとしても最悪爪が剥がれる痛手を負って諦めるだけだ。
「そういえば、言いたいことが」
 俺は前を歩く姉妹を見守りながら、ターラに新たな話題を振る。
「なんだ?」
 彼は俺の指先から、俺の後頭部へと目線を移して応じた。そして俺は一言、意識をこの列から遥か後方に向けて静かに言った。

 ターラも俺の意識の在処に勘づき、首も動かさぬまま後ろへと目を向けた。
「ああ、居るぞ。さっきからな」
 それは一定の距離を置いて俺たちを追ってくる足音だった。ただの通行人にしては速度が遅く、一般人にしては静かすぎる。しかしどんなに静かでも、そこに混じる防具の金属音は隠しきれず耳に違和感として届いた。
「狙い分かる?」
 俺はターラに問いかける。彼には、あの追跡者が俺たちを追っているのか否か、狙っているなら誰に矛先が向いているのかから。
「そう警戒する必要はなさそうだぞ。狙いは二人じゃない」
 俺はその口から流れる様に出てきた言葉に少し安堵したが、それはそれで追跡者が何者なのか分からなくなった。ルィックの奴らじゃない、王国騎士もフォルガドルに居るし尾行する理由もない。最後に他の英雄が考えられるが、思い当たる節も無い。
「じゃあ誰が狙いだ?」
 俺はターラに答えを仰いだ。少しの思索じゃ記憶を掘り起こせないし、俺が知る相手でも無いかもしれない。故に大人しく彼の返答を待つことにした。
「私らしい」
 はどうやらターラへと傾いたらしい。誰かも分からぬ者から向けられる負の感情に、ターラは何を思っているのだろう。仮面の下にある彼の表情を窺い知る事は出来ず、目元を覗くだけ無駄だった。ただターラ・ブルーニーは歩調を緩めず、前だけを見据え、声色もそのままに俺に言った。
「私は後ろの奴と相対するとしよう。お前は二人とこのまま楽しむが良い、元々私抜きでも大丈夫だろう?」
 俺の肩にポンと手を乗せ、それ以上は何も言わないまま道を外れて行った。この事に、俺の前を歩く姉妹は気付く事はとうに無かった。
「あっ!ここ見てみたい!ヒカルー!早くー!」
 おおよそターラが目視できなくなった時、フュミリが一角のカフェを指差して振り返り、俺にそう提案してきて、ジュミリも俺に期待の目を向けて微笑んでいた。俺は一度立ち止まる時、そっと意識を後方に向けた。ターラを付けていた気配は消え、彼の言葉が真実だったと再認識した。
「いや、別の所にしよう。前から連れて行きたかった場所がある」
 俺がそう言うと二人はキョトンとして目が丸くなったが、結局俺一押しと言う事もあり喜んで付いてきた。あの追手のせいで胸騒ぎがする。もう少し遊ばせてやりたかったが、予定を早める事にした。

 気配を感じてより街の外へ向かい続けた。顔も分からぬその人物は、私の後を付かず離れず必ず一定の距離を保ち追って来ている。私に向かい伸びる霧は敵対を示す赤色。しかし奇妙なのは、その霧の他にもいくつか霧が見える事。足元から腰あたりまでを覆う赤い霧の中に、翠と寒空色の霧が混じる。
 これは二つで一つの心情を示す。それは『自尊』。揺るぎない自己への信頼がこの霧を起こさせる。そしてこの霧をここまで届くほど濃く纏える人物は、私の知り得る内ではあの男しか居ないと確信している。
「んぬ!?貴方は!」
「門を開けてくれ。森へ行く。済まないが、後ろの彼が通るまで開けていてくれ」
 北の門は案外暇なものだ、門の内側の担当となれば尚の事。勇選会の為に強くなろうとする者など、英雄達の出入りはかつての二割程度。門番は本当に暇な仕事だろうが、もし門が内側から開くのならば、それは今の様な異常事態だけだろう。
「了解したしました!門を開けろ!」
 その門番は私を一目見た時から明らかに汗をよく垂らす様になった。深緑色である畏敬の霧を纏いつつ、その男の指示で門は開いた。未だに人力でゆっくりと、歯車の軋む重厚な音を轟かせ、巻き上がった土煙の向こうに森が望む。
「ご苦労。言ったとおりにな」
 門番は私の指示通り、私が門から50メートル歩いた所でそれを閉じた。私の後ろを歩くあの男は50メートル以内に居るようだ。それほど離れていながら、彼から無作為に湧き出る自尊の霧は私に届いている。奴はよっぽど強くなり、私を見返したい等と考えているらしい。
 門からエータルの森へは700メートルほどしか無い。このラインが、森のモンスターに襲われず、街が森を英雄興行にも使える絶妙な距離だった。森からモンスターが出てくる事を考慮し防壁で囲いはしたが、現在までそんな事件は一度も無い。ここ十数年で判明したが、これは『エイドロン樹海島』の土地神とも呼べる存在が関係していた様だった。
「やっぱり君だったか。でもしようって事か?」
 到着した場所は変哲の無い森の入り口、モンスターは少なく弱い。ただし普段英雄が使う道などではなく、十分に人が使う位置から外れた場所だ。少し開けた場所はあるが、樹々が茂っている事に変わりはない。そこへ律儀に付いてきて、手で茂みを払い退けて現れた男は、金色の鎧を着込み、剣の翼と呼ばれる髪飾りを付けた剣士。彼が以前まで『問題児』と揶揄されていた頃とは打って変わり、目線は相手を捉えて離さず隙が無く、驕り高ぶる事が無くなっていた。
「そうかもな…そうとも言える。しかし俺があんたを選んだのは、俺と同じ能力特化だからだ」
 彼はそう言いながら腰に下げた剣を抜き、構え、名乗りを上げた。そして同時に、自らの目的を告げた。
「『一等星』ミル・アーサー。お前を下し、勇者の座を頂こう」
 とても奇妙だった。ここまで来てより攻撃性が増すのかと思いきや、剣をいつになく緩く持つ彼から滲み出る霧は、異常なまでに透明だった。
「そうか。もしお前が勝ったら、国王にお願いしてみるか?」
 最も、その願いが今から覆るとは思えない。あの人の事だ、考えがあってこそのあのメンバーなのだ。もし奴が私に勝るとしても、その理由を見極め、彼にそれが足りぬ事を示さなければ、引いてはくれないだろう。
「困ったなぁ…」
 私は仮面の裏でため息を吐いた。

 朝ごはんを食べてから6時間は経っていたか、当然腹が減っていた様で、ジュミリとフュミリはお出しされたハンバーグ定食を彼女達にしては早いペースで食べ進めていた。
「喉詰まらせるなよー」
「んー!」
 俺の言葉に反応したのはフュミリ。口にまだ前に頬張ったのが入っているし、ハンバーグが刺さったままのフォークを掲げてそれを振った。「危ない」と注意をすると、ピンと背を張って畏ってしまった。しかし直ぐにモゴモゴと食事を再開した。ジュミリはそれを横目にも変わらず黙々と食べ続けた。
「仲良いね…」
 俺は少し離れた席で、『リタ』と相席し話し合っていた。
「そうかな、いつもこんな感じで忙しないよ」
 元々俺がマニラウに来たのは、ジュミリフュミリ姉妹を預かって欲しいとお願いするため。これから俺達勇者はより忙しくなるし、もしもの事があれば彼女達は騎士団の元に帰る事になる。それでも構わないと思うが、彼女達にこれ以上の悲しみがあってはならない。可能性を限り無く潰す為に、確実な方法と相手を選んだだけだ。
「ほんとに驚いたよ、ヒカル君がちっちゃい子連れてくるんだもん…。それに二人とも獣人だし」
 俺の頭の中で預かり先の候補に、リタが真っ先に思い浮かんだ。ヴィザーオッサン宅、つまり自分と同じ居候場所や、ラグルの家も候補として上がったが、結論同じ女性の方が気の置けない関係になれると踏んだのだ。更にもう一つ頼むべく、俺はまずこの『ピーリー焼肉店』を訪れた。
「一月前に王国騎士団と合同で大規模作戦を行ったんだ。その時に何十人もの奴隷候補者が捉えられていたから、それら全員を解放した。騎士団の動きや、作戦結果に関する事は極力口外禁止。だから、黙ってた事は謝るよ。…ごめん…」
 ピーリー焼肉店ここへは以前の宣告通り、週に一度は来ていた。しかしこの盟約があった為に、リタの話に付き合うか、彼女達の話題に触れない様に注意しながら、フォルガドルの状況や勇者の近況を話していた。だから、いきなり連れてこられて困惑するのは百も承知だった。
「ううん、謝らないで。そう言うのだって分かったから。お母さんも同じことしてたって…」
 しかし実際の対応はとても柔軟で、アルタ店長やラークさん、グレタさんも大きな動揺がなかった。特に店長は俺の説明を真剣に聞き、少し興奮気味だった二人を抑えてくれた。俺の要求はあっさり通り、今は小さなパーティを開いていた。
「ここで働かせるって、大丈夫なの…?」
 正直、店で経験を積ませる事は二の次の目標だった。ダメ元で頼んだ事が先に承諾されて、俺も少し驚いていた。しかも、姉妹は二人とも満更でもなさそうで、もう働くのが楽しみと言わんばかりの気合いのだった。
「大丈夫さ。物覚えは良いし、心配な体力は直ぐに元通りかそれ以上になる。ただなんであんなやる気なのか…」
「…嬢ちゃん達、頑張ったらいっぱいお肉食べさせてあげるよ」
「やったー!」
「んー!」
「…はぁ、アルタさん…」
 なるほど、と思うしかなかった。食欲で釣ったんだな。これにはリタも「あぁ~…」と苦い顔をしていた。アルタ店長は俺とリタに向かってぺろりと下を出し、親指を立ててウインクした。
「お茶目…」
 魔法でちょっとしたショーも行うここの店長は、懐深く遊び心のある大人らしい。最近俺にもそんな一面を見せる様になっていた。ただ、さっき見せた真剣な表情もまた本物。ちゃらけた一面はおおよそ客や子供に対して見せる物だろうな。
「つまり…心配は無いのかなぁ…」
「そうだね…」
 俺もリタも彼の手腕を知っている。手前勝手で疑るのも失礼だ、この話題は自然に流されていった。
「それで、リタはどう?悪い話じゃ無いと思うけど」
 しかしまだ最後の話し合いが残っている。リタに彼女達を任せたいと言う問いの答えがまだだった。これを聞いた時リタは、魂が抜けた様に動かなくなってしまった。それからある程度正気は戻ったが、いつも見せてくれる元気は鳴りを潜めてしまった。
「うん…そうだね…。あの家、私一人じゃ広すぎるから…」
 そう口にする彼女の表情はとても悲しそうで、目線は姉妹に向いていたが、もっと遠くの何かを見つめている様だった。
「決まり?…」
「うん…任せて」
「ありがとう。リタにしか頼めそうになくてさ。…お礼は、いつか、必ず…」
 俺はリタと二人席に座っていた。正面切って話すには良いと思ったからだ。でも実際はなんだかギクシャクして、あまり顔を見る事が出来ないでいた。最後だけは誠意を持って伝えたくて彼女をしっかりと見て言ったが。リタの表情はみるみるうちに曇り、ついには泣き出してしまいそうなくらい目元も鼻も赤くして、潤んだ瞳で詰め寄って来た。こちらへ身を乗り出し、すかさず俺の両手を強く握る。俺は彼女から有無を言わさぬ様な気迫を感じて、「どうしたの?」とも言い出せなかった。
「…いつに、…なるかな…」
 リタは言いながらも目線を落とし、俺の回答を待った。俺は何か、彼女の求める安らかな答えを導き出したかった。しかしこの口から出たのは、誰も喜ぶはずの無い言葉。
「多分…6ヶ月以上先…。『魔王を倒した後』だと思う」
 この言葉を聞いて、既に顔を伏せていた彼女の肩は更に重く沈んだ。手を握る力は強まる一方で、更に垂れ下がった白い前髪の隙間からはポツポツと雫がテーブルに落ちていくのが見えた。
 何秒かも分からない沈黙の時間。彼女の握る力は緩まず、いつしかふるふると震える様になっていた。

「……」
 俺は少しでも彼女の為をと思い語りかけた。後から聞こえた様な声は弱々しく、なんと言っているか分からなかった。
「ジラフから聞いたんだ。勇者には、毎度国王からの命令が出る。それで勇者の強化をするそうなんだ。俺たちも例外無く」
「……っぃ」
 姉妹を診ていた間のいつだったか、とかく忙しい時期にそう聞いた。歴代勇者全てが、パーティとして成熟した頃に国王から言い渡されるらしい。内容は決まっていない。その時勇者に必要な事をやらせるとジラフは考えていた。
「だから…。ん…っ!」
 俺が話し出すその瞬間、リタの強く握っていた両の手がフッと緩む。そして同時に彼女の纏う空気が急変した事に気がついた。いつの間にか身についたこの能力はターラと同じ物且つ劣化版故に、強い感情を前にした時にしか発動しない粗悪品だった。それでもこの目に映った彼女の激情に、俺はたちまち気圧されたのだった。
「分かってないっ!」
 リタは両手に拳を作りそれを強く握り締め、顔を伏せたまま声を荒げた。
「分かってないよ…っ!」
 二度続いたこの言葉。リタに似合わない悲痛の叫び。密かに流していた涙も繕いきれず、啜り泣く声がどんどんと大きくなって行く。小さくもお祝いムードだった店内が既に冷ややかで暗然としている事に、俺はやっと気が付いた。
 誰も些細な音さえ出さない。誰も余計な事を言わない。ただ俺とリタの事を気に掛けながら見守っているだけだった。アルタ店長も、ラークさんも、グレタさんも、直前まで食事を楽しんでいたはずの姉妹まで。
「…もう二度と…気…?」
 リタがまだ涙を流し鼻を啜りながらも、赤らむ顔を上げてそう訊いてきた。
「え?…」
 そう声を出す事しか出来なかった。俺は何も知らなかったんだ。特に、なんでこの世に俺たちしか勇者が居ないのかを。
「魔王を倒しに行ったら誰も帰って来ないじゃないッ!!」
 それは誰もが密かに知っていた事。タブーとして皆が知る常識を、俺がただ一人知らなかったのだ。
 俺はその時初めて不可解さに気がついた。二十年しか空いていないのに先代勇者が居ない理由を。
「なるほど……。。」
 俺は自分にも聞こえないくらい小さく呟き、そして同時に推測がついてしまった。リタに対する違和感の正体に。
 始めに、英雄その職業に対する気構え。英雄を嫌っているわけでは無いと言いながら、話の節々で危険性について説いていた。特に、キレイな仕事では無いと口を酸っぱくして。
 次に、俺に対して、正確には俺の無事に対して思い詰めている事。怪我をすれば執拗に大丈夫?と訊いて来ていたし、俺と音信不通になったディザントの1ヶ月間で心を病んでしまったと聞いた。友人だからと言って、まるで自分の命かの様に。
 そして今日はっきりした、他者の死に対する恐怖。身近な人を失う恐怖。これが彼女の心に影を落とす原因だろう。そう考えれば今までの執着に説明が付くし、会話の流れや結論が早いのは、そうした悪事に対する思索が巡り頭の回転が早まっている為だろうか。
 最後の説は良いとして、彼女が俺の死に対して恐怖している事は確実だ。だからと言って、今更引き下がる訳にはいかないし、仲間と袂を分つつもりも無い。それに、あの強かな国王が俺をわざわざ勇者に選んだ理由が必ずある。それは十中八九、俺が生まれついてより持つこの魔法が関わっているはずだ。その魔法の成長だけは、ただ鍛えるだけでは強まらない。鍛える為には相応のやり方が必要で、それは世界を見て回らなければ成し得ない物だった。
「それでも…」
 リタは不均一な呼吸を繰り返しながら俺を見つめていた。俺が沈黙から覚め言葉を発した時も、涙を堪えて聞き入った。
「俺が欠けちゃダメだ。いや、誰が欠けてもいけない」
 リタはまた顔を伏せ、続く言葉に耳を傾ける。
「魔王を倒す為の強さを手に入れる事に妥協は出来ない。それはみんな同じだし、俺の場合はもっと大変になるだろう。だって、あの中じゃ一番レベルの数値低いしさ」
 俺がそう言葉を連ねる間に、リタの啜り泣く微かな声は聞こえなくなっていた。
「それでも、約束出来る。絶対帰って来るって」
 その言葉を聞くと、彼女はもう一度俺の手を握り顔を上げてみせた。今度は俺の両手を柔く包み、目尻も頬も鼻先も赤かったが、表情はもう和らいでいた。
「絶対…だよ…」
 リタは笑顔を上手く作れないままそう言った。
「うん。絶対」
 俺も彼女を見つめ返し、精一杯に微笑みかけた。澱んでいた店内も、少しづつ活気を取り戻しつつあった。

 森の中、何本もの木々が押し倒され完成した空き地の中で、煌めく騎士は自身の剣を眺めていた。
「成程、パワーは俺より幾らか上だ」
 ぎらつく刀身の向こうに、伏した敗者を見据えて。
「しかし、戦場は速度で勝る方が勝つ」
 その口から出る言葉は、かつての傲慢さも含んでいた。
(凄まじいな…ミル・アーサー…この半年足らずでなんて成長を…)
 伏したる仮面の剣士は思った。
(隙が無くなっている…欠点も無い…しかも能力は殆ど私と同じ…。多重の斬撃による数の暴力)
 そしてこれは、この御仁にとっての最重要事項の未達成も意味していた。
(本当に、こいつが勇者に…?)
 自身の目に見えている不明な欠陥。御仁にとってそれを言い当てるには余りにも力不足で、余りにも情報が少な過ぎた。
(こいつの本気が分からない…引き出せなかった…)
 輝ける騎士は剣を眺める事を止め、それを敗者の首元に降ろす。
「これで良いでしょう?口約束でも、立派な契約…ッ!」
 その時騎士は気配を察し、すんでのところでそれを躱した。殆ど脊髄反射で身を引いたと同時に大地を割る轟音が鳴り響き、ハッとしてそれまで自身のいた場所に目を向ければ、斜めに撃ち込まれたらしい巨大な手型が完成していた。
(なんだ!?)
 騎士は思うが、直後に声が聞こえて来た。未だ倒れていない木の上から、何処かで聞いた事のある様な声が。
「いたいた。探したよターラ」
 その男は、いや少年は、何食わぬ顔で敗者に向かって話し掛けていた。
「もう本題は解決した。一番望ましい形になったけど、俺は俺でやってみたいことが出来たよ…」
 他人事など預かり知らぬ騎士にとって、その子供の乱入は好ましくなく、加えて己の身に起きた怪事件を思い起こさせどうしようもなく腹が立った。
「邪魔だ小僧!一騎打ちの最中だろうが!」
 騎士はブンと剣で空を一薙、そして再び戦闘態勢となった。しかしその直後より、騎士の顔から血の気が引いて行った。
の帰りが遅いので、様子を見に来たんです。…話は今聞きました。もし可能ならば、選手交代といきましょう。丁重にお断りしますので」
 それは対峙するだけで身の毛のよだつ、の圧力だった。
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三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。 異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。 「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。 だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。 牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。 やがて彼は知らされる。 その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。 金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、 戦闘より掃除が多い異世界ライフ。 ──これは、汚れと戦いながら世界を救う、 笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。

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部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

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とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。 だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。 その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。 だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…? 才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。

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