転移した世界で最強目指す!

RozaLe

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第四十四話 おでかけ

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 俺はその事実を、ルィック掃討戦の翌日にスピットから伝えられた。正直、特に驚く事では無かった。以前ケシュタルから聞いたところによると、彼の水晶を学ぶ者は多いと言う。それはここ十数年の話しらしかったが、紡いで来たのは紛れもなくクラムバス家だと言っていた。があってこその今だとも。
 そして千年もの間受け継がれていた光の技術に、ヴィザーオッサンの家にあった属性と魔法についての基礎的な教本の内容。光属性と対になる魔法の存在を仄めかした文章が揃い、更に魔王と王家の昔話が組み合わされば、その可能性は十分導き出す事が出来る。だから俺は顔色を変えないまま「そうだったのか」だけで済んでいたし、スピットはそんな俺を見て少し笑っていた。
「おはようございます…」
 弱々しい声を目一杯張り上げて、『フュミリ』が寝覚め一番に元気良く言った。
「おはよう。『ジュミリ』はまだ起きてないぞ」
「いいの…お姉ちゃんの寝顔見たいから…」
 ケシュタルが提示した一ヶ月と言う期限まであと三週間。ようやくジュミリの体から目立つ傷痕が無くなって来た。
 あの帰り道、様々な事を姉妹の妹から聞いた。姉のジュミリと、妹のフュミリ、それが名前。姓は覚えていない。ルィックに拐われたのはなんと七年前。その当時ルィックは大規模なテロを起こし、ハイミュリアの中では小規模な村(人口数十万人)を壊滅させた。金品、村から産出される希少資源、若く売れそうな同族を手当たり次第に掻っ攫い、その中に二人は居た。
 当時五歳と三歳の彼女達はそれから五年間、『モノノコス平原』と『ポポホトロ』と言う街の中間あたりに作られた中規模経由拠点に置かれていた。場所は言われても全く分からないが、とにかくそこで、奴隷として売り出す為にと躾けを受けていたそうだ。だが、ジュミリの奮闘でフュミリはそれを受けぬまま過ごした。また彼女の心が強かったために反抗し、問題を起こし、結果組織共用のサンドバックにされた。
 取り分け酷いと思ったのは、徹底して彼女が子を残せない様に破壊していた事。膣は焼かれ、子宮は潰され、卵巣は釘と言うには太過ぎるもので貫かれ喪失していた。その釘の貫通痕は当然尻尾の付け根の両サイドにあって、初対面の時から痛々しい様が見て取れた。しかし今はそのどれもが無傷、正常に戻っている。脳以外の臓器も同様。残っているのはより小さく目立ちにくい傷痕だけだ。
「……っん…」
 しばらくすると、あと十数分で朝食が届くと言う時間にジュミリが目を覚ました。この時間を彼女の体内時計はもう覚えた様で、たった一週間程なのに習慣化してしまったらしい。
「…おあよう…ヒカル…」
 彼女は極力体を動かさない様に腕を上げ、まだ上がりきらない瞼を擦った。そしてそのまま欠伸と伸びをして俺に訊いた。
「確か、終わるの今日中だったっけ?…」
 寝ぼけてふわふわした調子の言葉に、俺は「そうだ」と答えた。そもそも俺が彼女達の部屋に来ているのは、彼女の治療をする為である。ぶっ通しで治し続ける事は俺の魔力の都合上出来ないが、早朝、昼、夕方、夜の四回に分割して治療の時間を設けていた。そして立った完治の目処は、今日の午前中と伝えてあったのだ。
「もうそろそろ朝食が届く。朝の分はここまでにするよ」
「あーい」
 俺はジュミリのとろけた様な笑顔を見て、彼女の体の傷から指先を離した。ベッドから出る時、側で自分を見守っていた妹に「おあよ」と言いながら額どうしを擦り合わせ妹に抱き付き、また妹と共に立ち上がった。その動作は酷くゆっくりで、真っ白なネグリジェから出ている手足は細い。それは筋肉が最低限しか備わっていない事を示す。
「行くよ、お姉ちゃん…」
 ジュミリは妹の肩を借りてベッドから離れた。弱い足腰はぐらぐらと安定せず、カタツムリより少しだけ早い程度の歩調で食卓に向かって歩いた。フュミリもジュミリまでとはいかずとも衰弱しているし、俺が肩を貸した方が両者への負担も少ない。しかし俺はそうしない。フュミリがこうしたいと言い出したから俺は邪魔立てしたくないし、も丁度だから好きにさせている。
 彼女達の行くベッドからテーブルまでの道のりも半分になった頃、俺はベッドの側から立ち上がり、部屋の入り口の
 ドアに向かった。俺はその前に立ちノブを握り回した。また俺がそれを遂行中、ドアの向こうからノック音が始まり、ドアを押し開けたのは二回目が鳴って直ぐだった。
「はい」
 たった数センチだけ隙間が出来る程度に開け、俺は応答した。それに重なる様にして「うわっ!」と言う声が聞こえ、二歩か三歩後ろに下がった音がした。それを聞いた俺はドアを全開にし、銀のトレンチに俺達の朝食を乗せた宿のウェイターを見据えた。彼は胸を押さえてドキドキする心臓を抑えていた。
「んもー!脅かさないで下さいよー!…遂に同時に開けてきましたか…」
 彼は毎日俺達三人分及び三食分の食事を運んで来てくれている。昼のみ姉妹二人分の食事だけなのだが、時間に狂いなく届けてくれる。この世界にも時計は存在するが、厳密に数字で管理する俺の居た世界とは異なり、私生活の上では食事や起床、就寝以外はほぼ使わない。砂時計ではない円形の時計なのに、似た情報量しか得られないのだ。
「彼女の体内時計がほんと怖いくらい正確で…こんなピッタリだとは思いませんでしたよ」
 ただ、数字を当てていないだけで多くの仕事場で時計は用いられているし、特に騎士団やそのお墨付きの職人達は時間厳守の姿勢を貫く。彼もその一人なのだ。
「そう…次はやめてくれよ?心臓に悪いから。…で、彼女達、体調は?」
 胸元の金に輝くネームプレートに『ウィミン』と名の彫られたウェイターは、開け放たれたドアの向こうへ目を向けた。もう少しでテーブルに辿り着きそうな所を確認して、俺はトレンチごと朝食を受け取りながら質問に答えた。
「まだ健康とは言えませんが、安定してますし、確実にいい方に向かってます」
 監禁されていた間、彼女達には食料は殆ど与えられず、得た食料もジュミリは妹へ殆どを分けていた。だからフュミリの方がまだ健康で、姉は死の寸前まで衰弱していた。いや、もし人間だったら既に死んでいるレベルだった。生き残っているのは妹への愛と、獣人の生命力と、無意識に使っていた再生の魔法が理由だろう。
「了解。んー、まだ特別メニューじゃなきゃダメっぽいかな…」
「フュミリなら、少量で消化が早い物であれば、他の人達と同じ物で大丈夫だと思いますよ。ジュミリはもう少しかかりそうですが」
 承知したと言って浅くお辞儀をすると、ウィミンは厨房へ戻って行った。彼の後ろ姿が行くその通路には人が多く、彼は人と人の隙間を縫って歩いて行った。今廊下にいる殆どの人間はルィックに囚われていた者達で、英雄の為に作った施設は、今や仮住居の役を果たしていた。騎士団の予定では、百何十の英雄を作戦に動員するつもりだったから、寝床の不足を心配する必要は無く、食料も底を突く心配も無い。しかもほぼ全員の身元の確認を終えた今、少なからず普通の生活に戻れた人がいるらしいと聞いた。
「よし、食べようか」
 俺はウィミンの後ろ姿を見届けた後、ようやく席に座れた姉妹にそう言って、まだ温かい朝食をテーブルに運んだ。俺の分はトースト。五枚切りの食パンに、まだ世間的には珍しいジャムを塗って食べている。フュミリには粥やよく蒸したシチューなど、消化が早かったり糖分を多く含む食材を使った料理を食べさせている。ジュミリは一番の重体だから、重湯から始まり、十倍がゆを経由して、今日から妹と同じ粥になった。ほぼ乳幼児と同じ食生活になっているが、消化器官がことごとく弱化している今、無理に食べさせて悪化させる事は絶対しない。宿の調理師全員が真摯になって俺の指示を受け取り、二人の回復の為に動いてくれている。
「あたしもそれ食べたいなぁ…」
 フュミリは羨ましそうに俺の食べる所を見て呟いた。元より小さな声の更に呟く声は囁きに近く、静かな三人の食卓だから辛うじて耳が拾ってくれた。
「まだダメだ。消化に悪い」
 彼女にパンを食べさせても良いと思うタイミングは、身長に対し体重が追いついて来たと思った時。具体的には、二人とも最低あと2キロか3キロ位は体重を取り戻した時だ。幸い獣人は素の身体能力も、その成長速度、回復速度共に人間より早い。早ければフュミリは二週間以内、ジュミリも一ヶ月強で標準の最低ラインまで戻ると思う。事実、二人とも出会った時より肋骨は浮き出ていないし、痩けた頬もだいぶ膨らんでいる。
「そっか…何なら食べれる?」
 ほかほかの粥をもう半分食べたフュミリは、スプーンを根菜類のみじん切りのひたしに移して顔を向けて来た。
「また俺の故郷の料理になるけど、うどんって奴が良いな。これも消化に良い料理で、肉や野菜と合わせるのも簡単だ。ただ一から作るとなると意外と面倒なんだよなぁ。ジュミリも同じの食べられる様になってからの方が良いかな」
 俺から言っておいてお預けをくらったフュミリから、ジトっと不服の意を孕む視線がジリジリと向けられた。俺はごめんと思いながら、代わりに色々な物を紹介した。どれも体が弱っている時に食べられる料理や食材、その中には極東発祥の料理も入っている。今食べている粥や真っ先に取り上げたうどんもその内だし、花守の人も来るだろうからとフォルガドルの宿に騎士団は食材を揃えさせていた。如狼はお陰で慣れない味を殆ど食べずに済んでいるし、俺達にとっても喜ばしい事だ。
「お米かぁ…楽しみ~…」
 丸い瞳を輝かせてフュミリは言う。獣人の国の食文化は殆ど知らないが、とにかく差異を気にする事なく順応してくれたのは良かった。きらきら目を輝かせる妹の隣では、ジュミリがスプーンを咥えてもごもご口を動かしていた。今日の粥には人参、玉ねぎ、鶏のひき肉が入っている。昨日まで少々味気ない物しか食べさせて貰えなかった分、今日はいろんな味がして嬉しそうだった。
 そう言えばの話だが、獣人には通常の動物みたく食べられない食材が無いかの心配は要らない。特に人間に近しい姿である彼女たち含めた種族は、アレルギーがある事すら珍しいと言う。つまり食べられない物は無い。稀に獣に近い姿の獣人に受け付けない食材が出る事はあるが、それもごく少ない人数だそうだ。
「ごちそうさま」
 二人は俺が教えた感謝の言葉を忘れず言った。俺もその一言を呟き、テーブルから離れてドアベルのある方へ行く。ベルのその隣には丸いスイッチの様な突起があり、これを押すとウィミンがトレンチを回収しに来てくれる。
「二人とも、いつも通りに」
 スイッチを押して、それが繋がった細い管に魔力が走るのを感じると、俺は席をゆっくり立ち上がりつつある姉妹にそう言った。何か特別な意味などなく、直球に言ってしまえば「歯磨きとトイレを済ませておけ」と言う意味だ。初日にこれを日課にする様言って、既に定着している。わざわざ言葉を濁すのは、少女に対してその言葉ははしたないと思うからだ。
 ウィミンが扉をノックし、俺は扉を開けトレンチを返す。まっさらになった食器を見て、彼はいつも笑顔を見せてくれる。そして彼が去った時、大抵二人の日課が終わる。洗面台や風呂は当然別室だが、部屋はこのリビングダイニング兼寝室との二つだけ。二人が隣部屋から出て来たら、次は俺の番だ。
 しかし部屋自体は広いとは言え、毎日見ても飽きる絵画や装飾にはもう関心もへったくれもない。俺は彼女達の健康状態を常に気にかけているから、彼女達はいつも二人でじゃれてるから退屈せずに居られるが、そろそろ外に触れさす準備をした方が良さそうか。
「よし、始めるぞ」
「あいよー」
 朝食から二時間弱。俺のモーニングルーティンが終わり、少しだけジュミリの為にリハビリを行い、三人で遊んだり会話をした後、昼の治療を始めた。
 まずは彼女をベッドに寝かせ服を捲って貰い、肋骨と腰骨がはっきり浮く腹が見える様にする。残っている傷は細かいのが十数箇所だが、腹と背に有るだけで、服を着ていれば隠せるだろう。しかしその中には幾つか深い傷痕があり、それらが神経を敏感にしている。「少し動くだけで痛みが走る」だったり、「冷えると通常より臓器機能が大きく低下する」だったりと、二日三日前までは油断出来ない状況が続いていた。今残っているのは比較的軽症の物ばかりだからその心配は無いが、彼女が気になると言うから全て治す事に決めていた。
「じゃあ次、背中見せて」
「クフフ…あーい」
「…そんなにくすぐったい?」
「うん…フヘっ」
 出会った時には、彼女がこんな変な笑い方をする子だとは思わなかった。自分を治した時には微塵も感じなかったが、治す傷が一定の大きさ、深さになるとくすぐったく感じる様で、治療中ずっとこうして笑っている。普通にくすぐるのと同じ感じで、自分にやると効かず他者にやると効くとか、そう言う事だろうか?ともかく、ジュミリは体をひねりうつ伏せの状態になった。
 俺はジュミリの傷を癒しながら、今後について考えた。
 俺が付き添ってあげられるのはあと三週間も無いくらい。それまでに彼女達が自立出来るようにするのは天地がひっくり返ろうが無理だ。どこかに預けなければいけないと思うが、それが出来るくらい信頼出来る場所は…無いわけじゃないが明らかに負担になってしまう。でもやっぱり俺の知っている範囲ではそこ以外考えられない。ダメ元でも掛け合ってみた方が良いと、治療終了間際に心に決めた。
「これで最後だ」
 肩甲骨の下にあった傷がじわじわと縮小し消滅する。ほっと一息吐きつつ俺は背を伸ばし、綺麗になった少女の背を見下ろした。およそ十日前とは見違える、それそのものに凹凸が無い真っ白な肌だ。あとは良く食べて、筋肉と脂肪が付けば完璧だ。
 ジュミリはパサッと服を弾いて服を元に戻し、ころんころんと転がってベッドの縁まで移動すると、妹の手を借りて鏡の置いてある風呂場に直行した。服を上手く弾いた所以外は相変わらず動作が遅いが、今朝食卓に向かった時より気合いが入っている。
 一分ほど掛けて鏡の前まで行き、開けた扉を締めもせず、バッと服を脱ぎ捨ててくるりくるりと体をひねり、生まれ変わった様な自分の姿をじっくりと見回した。表情明るく、頬紅く、フュミリまでも飛び跳ねて喜んだ。
 ジュミリの体を治す事になって、いち早く治療したのは左目だった。一度破裂した物を、形だけ繕っただけの歪んだ瞳。半日以上気を失って遂に目覚めた時に飛び込んできた立体の世界、その喜び様は今とも然程変わらなかったと思う。
「ェっへへ…」
 ジュミリはこの上無く幸せそうな顔をした。盛り上がった頬に蕩けた目尻が溶け込み、肉食獣人特有の発達した犬歯もはっきりと見せてくれた。まだ完全に自力で立つ事は出来ないが、今は震えながらも自分の足で立ち上がり、大きく尻尾を揺らしながら全力で嬉しさ表していた。
「おっッ」
 彼女はバランスを崩すまで思うままに舞い踊り、すぐに背中を支えてくれた妹へは体をくるっと翻し覆い被さる様に抱き付いた。フュミリは姉の着ていた服を腕に掛けたまま、擦り寄る額を受け止めた。
 これで俺のわがままが作った役回りはひと段落を迎えた。このまま順調に回復していけば、この非日常ともおさらばだ。しかし、いつまでもこの宿に世話になるわけにもいかないし、騎士の下で保護され続けるわけにもいかない。彼女達があらゆる面で自立するまでは、どこかの町で、誰かの養子にさせて貰うのが一番手っ取り早い。
 そう思うのだが、万一最低な人間性の持ち主の下へ送り出しては和らげたトラウマを呼び起こす事になるし、警戒心に欠ける者の下では再度誘拐されてしまう可能性がある。それらを念頭に置いた上で俺がしこたま考えた末に出て来た答えは、俺の友達に引き取ってくれまいかと願い出る事だった。

 思い立ったが吉日と言う通り、自分一人だけでも午後に出向こうと思ったのに、そうもいかなかったのが二週間前。実際そうされたわけじゃ無いが、ある人物からマニラウに連れて行ってくれと泣き付かれた。それを受けて俺は少し予定を変え、彼と予定が合うこの日まで持ち越しになった。
「二人とも、可愛くなったじゃん」
「えへへ~、そお?」
 ジュミリはすっかり自力で歩ける様になり、新しく買った洋服を踊るみたいに俺に披露する。どうやら彼女はスカートやワンピース、ブラウス等は好まず、小さな星の刺繍のあるジャケットにダボダボになる程丈長のパンツ、そこに糸を編んで作られたベルトと緩いチョーカーを身に付けている。
「お姉ちゃんのは『かっこいい』、でしょ?」
 それに対し姉の陰からひょこっと現れたフュミリは、胸と袖にひだ飾りのある紺と白のワンピースを着ていた。また小さな流れ星を模し抽象化した髪留めで、ふわふわの前髪を束ねている。二人して靴は薄ピンク色の物を履き、御満悦な様子で揺れていた。
「そうかもな」
 俺は意気揚々と目の前に並ぶ幼い頭を少し荒っぽく撫でた。二人とも弱く優しく愛でられるより、毛並みが崩れるくらい強く撫でた方が反応が良い。しかし今から外出するので、髪が崩れてちゃ見栄えしない。だからさっと短い時間で撫でるのを止め、物足りなさそうに見上げてくるのも仕方なく捨て置き手を引いた。集合、出発の目安である鐘の音の響く時間にはまだかなり間があるが、彼の事だし、絶対遅れない様に幾分か早く集合場所に着いて待っているだろう。俺の予想が合ってたら、今からそこへ行くと丁度彼が来た頃に到着する。
「早く行こうぜ、楽しみだったんだろ?」
「「うん!」」
 曇りかけた表情も俺の言葉で晴れ、先陣切って歩く俺が彼女たちの手を離しても、今度は姉妹で手を繋いでピッタリと後ろを付いてくる。事前にフォルガドルの街を俺同伴で歩かせていて、この周辺なら迷いなく歩き回れる。街中にも騎士たちが警備、巡回してるし、そもそも今のフォルガドルには今回の件の関係者が八割以上を占める。何か事件やいざこざが起こることも無いだろう。
「…やっぱもう居るな」
 集合場所として設定したのはフォルガドルの貿易場。マニラウの様な城壁に似る囲いが無いフォルガドルだから、目立つ様な門は無い。中央通りの最北端にある大きな広場と、この街一番の噴水が目印で、商隊の居ない普段はフォルガドルの住民達の憩いの場らしい。現に今も人が多く見られるし、中には見覚えのある人も。そしてその中でも異彩を放つのが、俺たちを待っている同行者だ。
「来たか、集合より大分早いじゃないか」
 この広場に似つかわしくない重装備。分厚い鎧に、この世界での般若の面を被る者。もう見慣れた赤黒い風貌だが、一つ武器が足りていない。彼は僕らを見るなり立ち上がり、コツコツと歩いて近寄った。姉妹はその姿に慄きもせず、むしろ姿を見た瞬間に表情がパッと明るくなった。
「嬢ちゃん達、元気になったか?」
 彼はそう言いながら俺たちの前で立ち止まり、片膝を着いて更に背を曲げ、その両手を広げた。姉妹は俺の後ろからビュンと飛び出し、彼女達の全速力で彼に抱き付いた。
「おーおー人気だな、ターラ」
 面の眼孔の暗がりには、戦闘の時には見せない柔らかな眼差しが見える。恐らく口元も緩んでいるだろう。同じ様な表情を一度見た事があるが、共にいた約五ヶ月の中でそれだけ、とてつもなく珍しい事に変わりは無い。
「すっかり懐かれてしまったな。それで、もう行くのか?」
 彼も彼女達の喜ぶ撫で方は知っている。しかしせっかく整えた綺麗な髪を乱すまいと頬をさする程度で済まし、また立ち上がって俺にそう問い掛けた。
「そうだな、出発を早めよう。代わりに、マニラウの店で何か買うか?色々経験させときたいし」
 俺のその言葉に姉妹は輝かしい目線をこちらに向けてきた。直後、俺の下に舞い戻り、「どんな所に行くの!?」「可愛い服買える!?」などと口々に問い詰めて来た。俺は「それを言ったら面白くないだろ」と言い、二人の肩に手を置いて宥めた。新しい事に触れられると確定し、わーい!と喜ぶ二人。ぴょんぴょん跳ね回るのを眺めながら、俺とターラは話した。
「お前も随分好かれてるな。それに…お前面倒見良すぎないか?」
「まぁ、昔から似た様な事はやって来てるしな」
「……」
 二人はすぐに帰って来た。しかし街一番と言えど、あまり大きくない噴水の周りを一周した。気力は溢れんばかりだが、相応の体力は無いらしく、二人してもう息切れを起こしていた。
「二人とも、これから歩くってのに、そんな走って保つのか?」
「はぁ…へへっ、平気…だよ?…はぁ…」
 答えたのはフュミリだけだった。より体力の無いジュミリは、妹の腰にしがみ付き、顔色も青く、足に力が入り切っていないみたいだった。「このっ…」っと心中呆れたが、幼少より甘える事を禁じられた彼女達には、これで丁度良いと思った。
「まぁいいや。ジュミリはおぶってくぞ」
 俺はフュミリからジュミリを剥がし、その火照った小さな体をこの背に移した。互いの体にぴったりと張り付く服から、汗と熱が伝わって来る。ぐったりとエネルギーの切れた彼女だったが、俺の耳元で「ふふっ」と満足そうな声が聞こえた気がした。
「今度こそ出発だな。と言うか、飛ぶ感じか?」
「そう。じゃあターラとフュミリ、俺に掴まって」
 俺の指示で二人は俺の肩と二の腕を掴んだ。しっかり『転身』に巻き込む条件をクリアしている事を確認し、俺はその魔法を使った。広場にあった四人の姿は一瞬にして消え去り、その場には弱い旋風が残るばかり。そして当人である俺たちは、薄暗い路地に跳んでいた。瞬きをする間に変わった景色に、姉妹は目を泳がせて驚いた。一応転身自体は前にも見せているのだがな。しかし、彼女らの隣でターラもなんだか頭を抱えている。
「どうしたんだ?」
 俺は仮面の奥を覗き込んでそう聞いた。
「ああ…初めて見えたな…。そういう仕組みだったのか…」
 彼は自身のは触れない為仮面の鼻筋を摘み、うつむいて首を小さく振る。この一瞬で乗り物酔いっぽくなっているのは、俺の魔法である転身のせい。
 場所と場所の座標を繋ぎ、何も邪魔されずに移動出来る上空を経由して二点間を行き来する。それが転身の仕組みだ。しかも瞬間移動の様に感じるだけで、実際は自分でもマッハ何十か、何百かも知らないが、認識出来ない速度で移動しているだけ。以前スピットも同じく酔ったみたいになっていたが、そのマッハ速度で動く景色を見る事ができる彼らはこの様に気分を悪くする事がある。と言う事は、今のターラはその時のスピットの実力に追い付いていると言う事だろうか。少なくともステータスで言う『速度』の値はそうであろう。
「大丈夫?」
 グロッキーなターラにフュミリは寄り添った。彼女は丸まった背に手を伸ばし、鎧越しにさする。彼の鎧は胸とその背面こそ硬い金属で出来ているが、それより下のくびれた腹回りは何かしらのモンスターの甲殻、鱗を散りばめた鎖帷子。その触り心地は意外と滑らかで、彼に感触も伝わりやすい場所だ。
「ああ、ありがとう。大丈夫だ」
 ターラはそっと自分を労る手を取り礼を言う。そして一度胸を張って深呼吸をすると、彼はいつもの調子に戻った。フュミリは良かったと言う様ににんまりと笑い、背負われている姉の下へ帰って来た。
 商業都市マニラウ。最も盛んなのは重工業で、主に英雄の使う防具と武器を生産し、名のある英雄は特注品を頼む事も多い。俺の世界の重工業と言えば、車や飛行機など乗り物が真っ先に思い浮かぶが、この世界ではそんな物を作るよりもモンスターに対抗する手段を得た方が良いと考えられている。だから「重」と名がつくのにそれほど大層に感じられない。しかし規模で言えばそんな事も言っていられないのが現実だ。
「ほら、見えるだろ。あれが街の中心、大工房だ」
 路地から出た瞬間に目に付く巨大建造物。周りの建物が軒並み二、三階建てなのに対し、それだけは縦も幅も共に100メートルを優に越す。雑に切り張りされた様に見える巨大な鉄板の塊には分厚いガラス窓があり、中心ほどグンと伸びた黒い煙突からは蒸気が絶え間無く吹き出続ける。ふもとはここからは見えないが、そこにはフォルガドルと比較にならない程人で溢れかえる広場がある。
「……はぁー…」
「………」
 ここへ初めて来た姉妹は二人とも言葉も出せずに街を見ていた。フュミリはトテトテと跳ね回り、近くの店の看板を見たり、ショーウィンドウを眺めてはすぐに目を逸らす。最終的に大工房の大きさに再び驚いていた。ジュミリは俺の背中の上から街を一望し、その広大さが少し怖くなったらしく、俺の首元に巻き付く腕がキュッと少しだけ締まった。
「私はあの大工房に武器を預けている。ジュミリ、フュミリ。あそこに行きたくはないかい?」
 広い世界に惚ける姉妹にターラはそう呼びかけた。本当は本題を済ませた後、各々別行動になった時にと決めていた事だが、俺のさっきの言葉を受けてかその予定を前倒しし、彼女達に見せてやろうと言う魂胆だろう。打ち合わせ通りでは無い。しかし、それを拒否する道理は無いどころか感謝したい所だった。だから俺はゴーサインを直ぐに出した。
「おお、良いじゃん。俺たち英雄、勇者にとってなくてはならない場所だし、あれなら見応えもあるだろうしな」
 俺とターラの話を間近で聞いていた姉妹は、「おおー!」と目を輝かせて食いついた。行こう行こうと急かすフュミリだが、その前にターラが俺に近づいて聞いて来た。
「お前は行った事あったか?」
「ああ、この前リタと散歩した時に一度だけね。俺は武器なんてこのナイフ以外持ってないし、普段行く意味無いよな」
「そうだったのか。まあいい。それじゃあ、出発進行だ」
 ターラは俺から訳を聞くと、すぐに先陣切って歩き出した。路地を出た場所はメインストリートから少し外れた細い道で、太陽が昇り切っていないこの時間は人通りも多くない。ただ少し脇に目をやれば、友達と遊ぶ子供達、魔法を習う子供達、恐らく買い物に行こうとしている人々も散見される。メインストリートに出られる脇道を通るまでに十数人とすれ違い、誰もが赤い仮面を二度見した。
「みんな獣人よりターラ・ブルーニーに目が行く様だな」
「…騒がれないだけ良いだろう」
 ルィック関係以外では、ルグトリノ王国で獣人を見かけた事は殆ど無い。だから彼女達がどう見られるのか心配だった。が、それ以前にビッグネームが闊歩する光景に目を取られて彼ら一般市民は気にしていない。だが俺としてはどうにかして姉妹の大きな獣耳を隠せないかとずっと考えていた。
「こっから大通りだが…帽子でも被せてやればそんなに目立たなかったかな」
 俺が今更気に病んで物を言うと、それにターラが応えた。
「なら、偽物に見える様にするのはどうだ?」
 彼はそう言いながらどこからともなく二つカチューシャを取り出した。
「おい待てどこから出したそれ」
 おおよそ腹回りをまさぐっていた感じがしたが、一瞬過ぎて出所が全くの不明だった。それにしても青とピンクの二色か、今の二人の服には合わなそうだが、青はジュミリが、ピンクはフュミリが好んで着る色だ。どこから情報を得たのか気になるが、彼の眼の事を考えれば不思議な事じゃ無いか。
「わー!あたしこれー!」
「…じゃあ、わたしこれ」
 フュミリが真っ先にピンクのカチューシャをターラの手から掻っさらった。そして残された青のカチューシャをジュミリは受け取った。二人はカチューシャを装着して、「どうかな?」と聞いて来た。存外似合っていたし、見た目のフィット感から耳を動かさなければ偽物に見える。とは言えまじまじと観察すれば見破られるかもしれないが。
「やはり似合う、可愛いな…。で、後は尻尾だ。腰に巻き付けておけば装飾品に見えなくもないだろう」
 そう言われてフュミリはスルスルと尻尾を操り、細い腰を丁度一周して尾の付け根にくっついた。尻尾の模様が規則的なお陰で模造毛皮フェイクファーベルトに見える。「おおー…」と妹が地味に感心している中、姉は人の背中から降りてマシになった足で立ち、まだ少しふらついていたが問題無く耳と尻尾の偽装を終えた。
「お姉ちゃんかっこいい!」
「…そお…かな?」
 妹はもじもじと照れる姉の周りをとことこ歩き回り、あれが綺麗ここが素敵だと褒めちぎる。ジュミリは「やめてよ~…」と言っていたが、別に満更でも無さそうで、俺達は彼女達の気が済むまで待つ事にした。
 しばらくして、フュミリが姉に対して今朝言いそびれた褒め言葉の殆どを言い尽くした。その間、俺の隣でターラが時々「うんうん」と頷いていたのが、親が我が子を見守っている様に見えた。今までの会話からしても、彼も子供に対して甘いと言うか、扱いを知っている様に見える。他人ひとのこと言えないじゃないかと、心の中で俺はターラに言った。
「改めて行こうか。大工房へ、だな」
 突貫の偽装工作を終え、俺たちはようやっとメインストリートに出た。行く人も来る人もさっきの脇道とは比較にならない人数。手を繋いでいなければならない程でもないが、目を離せば直ぐにでも逸れてしまいそうだ。俺たちはそうならない為、俺とターラが二人の前後に立ち、姉妹は俺の後を追う形で歩いた。ターラが同行している名目はあくまでも護衛となっている。だから列を見守る最後方に着いている。
 道中で一番多かったのは日用品店だった。食器、小型の収納家具、また椅子やテーブルなど大型の物も。文房具屋、おもちゃ屋、本屋なども、あらゆるメーカー、出版社が立ち並んでいた。姉妹はそれらが作った客を惹きつける立て看板を見て目を輝かせていた。特におもちゃ屋は声を出して興奮気味だった。
 そして大工房に近づくと人通りが減り、店はレストランなど飲食店が多くなった。あらゆる所から空腹感を湧き上がらせる芳ばしい香りが漂って来る。そう人間である俺が感じるんだから、獣人の彼女達にとってこれ以上お腹の空いて行く場所は無いと言える。朝食だって多く食べられる様になった彼女達が、現に匂いに釣られてフラフラとその方へズレて行ってしまっているし、何度かお腹の鳴る音も聞こえて来た。申し訳ないが、今興味を持っただろう店には行かない。俺が勝手に昼食をとる場所は決めているから。
「よし、着いたぞ。二人とも大丈夫?」
「うん!」
「あい!」
 度々列から外れそうになりながらも、姉妹は大工房まで歩き切った。少し足が痛いのか揉んでいるが、帰って来た返事は快活だった。
「なら良かった。早速入るぞ、私の武器を受け取りに」
 大工房にいる間はターラが皆を率いて行く。ここに来るまでにこの役を彼に任せておいたんだ。ここへは彼の方が来訪した回数は多いし、何より詳しい。ついでに俺も勉強させてもらう事にしたのだ。
「行こう行こう!」
「フュミリ、静かに」
「ムッ…」
 るんるんとステップを踏み始めた妹を、姉が口を押さえて制した。「中に入ったらその方が良いな」とターラからも言われ、フュミリはしゅんとして静かになった。小さく「はい…」と返事も添えて。
 それを横目にターラは後ろの三人を引き連れ大工房へ。入り口は逆卵形、蹄鉄みたいな形と言えば良いのだろうか。ある種の門と言えるそこに扉は無いが、外からも内からも、ほぼ常に他の英雄など人の目がある。だから何か厄介事を起こそうとする者は居ない。
 大工房の中も外見と同じ、全体的に金属で造られていて支柱も長く延ばした鉄塊だ。ロビーホールの大空洞にそれが四本あり、丁度邪魔の無くひらけた正面に受付窓口。建物の殆どが金属だが、床板やあの窓口、掲示板など木製の物もある。
 受付窓口までの十数メートルを歩く間に周囲を見渡せば、サイドに上階へ続く壁に沿って設けられた階段があり、その下には鉄の支柱を通した木製の本棚がある。そこから本を手に取り、待合用なのか結構置かれているテーブルでそれを読む英雄も何人か居る。彼らは本を読むばかりで、あまりこちらへ目を向けない。一人俺と目が合った人が居たが、おおっ、と言う口をしただけでまた本の世界に入っていった。
「ようこそおいで下さいました、ブルーニー様。剣のお受け取りですか?」
 結局俺が想像していた不味い事態、獣人が居るだとか、有名人が居るだとかで騒がれる事は無かった。皆同じく、多少珍しい物を見る位にしか捉えていない様だった。受付役員の青年も一瞬だけ驚いた風に仰け反ったが、接客には全く支障が無かった。
「そうだ。あと、後ろの三人も一緒に良いか?」
 ターラは普段あまり喋らないとは言え、コミュニケーションが苦手と言う訳ではない。必要以上に喋らない様にしているだけらしい。こうした私事や、さっきまでの様な保護者が必要な場面では率先して物を言う。俺から見れば結構珍しいと言うか、意外と思っている事だが、大工房ここの役員からすれば別に当たり前の事の様に見えてるだろう。
「はい、宜しいですよ。しかし保管庫ではあまり歩き回らない様にと、二人に良く言っておいてくださいね」
 ターラの申し出を青年は容易く了承した。俺は青年の目線を受けて、早速二人に「俺の後ろから遠くへ行かない様に」と言い聞かせた。「はーい」と返事をした姉妹は、それ以降二人手を繋いで俺の後を静かに着いて来る様になった。
 大工房の保管庫へは、受付の青年が案内を担当してくれた。青年の名は『ブラム』。彼は他の者に役を引き継がせ、俺たちの案内役を引き受けた。役割りの交代をシームレスに行うのを初めて見た時は「良いのか?」と思ったが、ここでは何も珍しい事じゃ無い。少なくとも大工房はこのやり方で上手く回っている様だ。
 武器や防具は長く使う物、だから工房に来る客というのは案外少ない。しかし勇者選抜会合直前や、大きな討伐部隊が任務を終えた後などには、必然的に客足は多くなる。それこそ役員全員で回しても足りない程。故に事前に手紙や言伝で予約し、予約番号を木札か最悪口頭で渡される。本来は武具の完成後当人だけで番号に相当する保管庫へ行き、自分で自分の武具を取り出し、役員の確認を得てそれで去る流れだ。しかしそれでは幾らか問題があったそうで、今の様に臨時的に担当者を連れて行くと決められた。
 客足の多い時には団体毎に担当者をあらかじめ定め、その人物、集団の対応を担った者が出る様にしている。ただ今みたいな平常時はそんな必要無く、こうして役割を順次交代しながら上手く取り計らっている。
「勇者様は確か、フォルガドルにて王国騎士と共同任務をなさったとか。それにしては来られるのがお早いですね、結構距離ありますでしょう?」
 ブラムの後に続き、すっかり外の光がなくなった廊下で彼はそう言って来た。
「そうかもな、剣に素材一つだから運送も速かっただろうな。それに、ここへ来るのはもっと早く済んだ」
 ターラも口を開き回答し、終いの文言を放つと同時に俺に目線を向けた。
「ヒカル様の魔法ですか?」
 ブラムはすかさず言葉を放った。しかもターラを見ず、正面へ目を向けたまま。
「最近、元ウノン・カピトのメンバーだった者の話題より、勇者ヒカルの話題をよく聞きます。一帯を焼き払う炎、天を覆う水、柔らかくも鋭い風。空間支配、虚構の理解、果てには光と雷の混交。これら全てが真実なら、扱える魔法の属性は七つ。その中には確かに空魔法があり、それを使えばいつでも好きな時に好きな場所へ移動出来る。そうでしょう?」
 彼はピタリと『転身』の性質を言い当てた、世に出ている噂と直前のターラの言葉を照らし合わせて。
「うん、間違いないが…どこからそんな情報が?」
 確かに勇者になる前はマニラウが拠点だったし、色々魔法を使ったディザントはマニラウから直通の交易通路があり人の行き来が多い。勇選会では大人数の前で火水風に『獣稟』も使ったが。…いや、結構あったな。考え出せば身に覚えしかない。
「さあ、私にも誰が広めたのかは分かりかねますが、大方は勇選会、マニラウ、ディザントでの目撃や噂でしょう。不思議なのは、それ以降の事はあまり話題に上がらない事ですかね」
 今更自分の持つ力を隠そうという気は起きないが、やはり己の預かり知らぬ所であれこれ話題に挙げられるのは良い気がしない。ともかく分かったのは、支配種との激闘からシアでの厄介事は彼らの耳に届いていないらしい事だ。しかも雷を披露したのはアゴーボラと戦った時が初めてだったのに噂になっている事から、おそらく何を成したかだけが伏せられ、個人の活躍は許される範囲で広められている。
「へぇ、やっぱりすごい人なんだ~」
 その時、フュミリが妙に明るい声色で言った。ジュミリも横に同じく首を縦に振る。
「スゴイなんてものじゃないですよ御二方。全ての英雄の頂点ですから」
 最後尾の彼女達は「おお!」と輝かしくも、少しわざとらしい反応をした。知っても何も変わらないだろうに。
「あまり盛り上げないでくれよ?そこら中走り回り始めるから」
 フォルガドルでの散歩の時から、さっきの噴水の時も、彼女らはテンションが高まると走り回ってしまう。猫系獣人の筈なのに犬っぽいのは何故なのか知らないが、そんな嫌いがある。今この場ではやめて欲しいものだ。だがこの後の事を考えると、俺達の身分を知ってくれたのは好都合と言える。
「可愛らしいじゃないですか。あ、ここですね、該当保管庫は」
 柔らかな笑みに連れられやって来たのは、第五保管庫と吊り看板の下げられた比較的小さな保管庫だった。しかしブラム曰く、ここは重要度が高い且つ収納にある程度の大きさが必要な武具の保管場所だそうで、大きくなさそうに見えるのはセキュリティがそれだけ詰め込まれているかららしい。
 部屋にはハニカム構造に分厚い木箱が敷き詰められていた。一つ一つが空魔法によってその場に固定され、全てに風と土魔法由来の防御魔法が仕込まれている。例え地震が起きようと、このブロックと呼ばれる木箱だけは無事な様にと。
「『1030521』…指定するのに、私はこんなに番号が必要だとは思わないのですが、これは創設当初に作られた機構で、今まで不具合が起きた事も無いので再設定する必要が無く、ずっと改善されないんですよね」
 彼は操演台と呼ばれる台の上で、まるで指揮者の様に、しかしそれより単調な手先の動作で保管ユニットを動かした。指先をまっすぐ手前に引き、今度は下へ落とし、横へずらして、また下げる。洗練化された為単調になった解錠とユニット移動の魔法は、見た目に反して難易度が高いそうだ。しかし大工房の武器防具分野の職員は基本全員扱える様に訓練されていると言う。「役職交代制だから当たり前ですよね」と、彼は操演を続けながらも口数を減らさなかった。
 そして、一つの木箱が所定の位置に降下し、ブラムは操演台を降りて箱に手をかざす。カチッと木箱に似合わない音を発したと思えば、彼は「ブロック解錠が完了しました」と言って一歩身を引いた。
「音、なんとかならないのか?目と耳の情報が合致しなくて混乱する」
 ターラが木箱の蓋に手を置きながらブラムに言った。ターラが木箱を開け剣を手に取り掲げるまでに、昔は金属製のブロックだったそうですが、防御魔法の発達で木箱でも問題無くなったらしいのです。と、ブラムは説明した。恐らく元から物理的なロックの仕掛けなど無く、魔法で全て解決させていたんだろう。
「そうか…綺麗になったな」
 音に関しては首をそれ以上突っ込む事はせず、ターラは返ってきた自身の相棒の感想を述べた。はたから見ても、細かい傷による光の乱反射が見受けられずとても光沢が美しく映えている。しかし、俺の目にはどこがどう変わったのか分からなかった。
「本当だぁ…きれい…」
「そう言えばなんでこんな…枝分かれ?してるの?」
 フュミリは輝かしい刀身に見惚れ、開いた口が塞がらなかった。ジュミリは妹と違い、剣にしてはあまりに不思議な形をしている理由を知りたがった。ターラは掲げた剣を手元まで下げてそれに答えた。
「私のしたい戦い方を実現させる為かな。色々と限界があるんだよ、普通の剣ではな。その人だけの武器、その人だけの戦法、二つを極めて初めて一人前と言える。私は一人前になる為に、剣をこの形にしたんだよ」
 彼は出来る限りの優しい声で語り、ジュミリはほへえっとした顔でそれを聞いていた。ターラは剣を鎧の背中の引っ掛けに固定し、それでやっと俺が見慣れた様相に戻った。
「さて、これで私の用事は終わった。外に戻ろうか、お楽しみが待ってるぞ」
 ターラはそう言いながら姉妹の肩に手を置き、来た道を戻る様にと軽く押して促した。ブラムは「ご利用ありがとうございました~」と笑顔で見送ってくれた。俺も先に行ってしまった三人を追って保管庫を後にした。因みに代金は先に支払い済みらしい。しかも銀貨数枚で良かったそうな、日本円に言い換えれば数十万円。しかしあれだけの施工で数十万。何を施したのか、何を鍛えたのか、後でしっかり聞いてみよう。
 その後、俺たちが知る由も無い数時間後の大工房に、ある男が来店した。その男は勇選会後のほとぼりが静まって来た頃から頭角を表し、つい先月に一等英雄に昇格した。周囲からは驚きと称賛の声が上がり、彼の姿は誰かの憧れになろうとしていた。
「ようこそおいで下さいました。よく毎日と飽きませんね」
 その時対応していたのはブラムだった。勇者に対してもそうだった様に、新たな一等英雄に対しても特別な対応はしなかった。しかし、ブラムはその男に、以前から受けていた頼まれ事の応えを伝えたのだった。
「それは良いとして、前々から貴方に仰せ付けられておりました事を。『仮面の君』がここへ顔を覗かれました、体感ですが二、三時間前に」
 表情にこそ出さなかったが、男は「その言葉を待っていた」と心中で一言、声色は低くも嬉々として。一等へのし上がった頃から各地に顔を利かせ、しかしまさかそれが地元に居る時だとは思いもしなかったが、見かけたら教えてくれと頼んで回った甲斐があった。今日という日は、彼にとって暁光以外の何物でもなかった。
「長らくお会いしたいと申されていましたでしょう?探せば直ぐに追いつくでしょう、恐らく今日中はこの街を出る事は無いはずですし」
 ブラムはただの善意でそれを語った。目の前の男の目的など知る義理はないのだ、無駄に詮索する事は遂に無かった。
「いつもの、買い足しておきますか?」
 ブラムは数時間前と同じ役替わりのルーティーンを行い、保管庫でなく、共用倉庫の鍵を持って男に尋ねた。一等になる為たった一人で挑んだ死戦、それを超えた彼の眼は据わり、心は自信で満ちている。『問題児』と揶揄されていた四ヶ月前とは別人だった。そんな彼は、密かに浮ついた声で言う。
「ああ、そうするよ」
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