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序 1000年前の帝国にて
しおりを挟む誰かの靴音が鳴り響く。もうろうとした意識の中、自分がどうなっているのかも分からない。靴音が止んだ瞬間に入れられた牢屋の鍵が開けられ誰かが入ってきた。そうしてかけられた声に意識を何とかしっかり保とうと努める。
「アイラ殿下、どうか正直にお話ください」
濁った視界の向こうで、言葉こそへりくだった口調で恰幅のいい男が告げる。舌なめずりしたそうな顔で自分を見下ろす男の視線でやっと自分は地面に倒れ込んでいると知った。
「アイラ殿下。第一王女殿下、ラーナ殿下の暗殺を認めますね?」
「み、とめない。なぜ、姉上を、この、てにかけねば、ならない」
思ったよりもしっかりと出た声に驚く。自分は売国奴どもに女王継承者であった姉殺しの汚名を着せられこんなところにいる。そんな奴らに嘘の供述をしてたまるかと気持を強くもつ。
「わたしは、姉上を、ころしてなど、いない」
再度告げた言葉に男はあからさまに落胆したようだった。
「ああ、なんという、なんと愚かな。なんと恐ろしい……殿下。そこまでご自身の罪を、お認めにならぬと」
「認めるも、なにも……わたしは、なにも、していないし、しらない」
口の中の苦い味に嫌気が差して、唾を出した。それでも不快感は減らない。
「……ここでお認めになられたほうがよろしい。今でしたら私のほうで、せめて極刑はまぬがれるようにいたしましょう」
猫なで声の男のいやらしい視線に笑う。視界など歪んでまともに見えていないが、それだけは分かる。この男はこれまでの尋問もそう言って何度となく言ってきたのだ。自分の奴隷になるなら命だけは助けると。冗談ではない。
「ふざけるな……たとえ姉上殺しの汚名を着せられたとしても、お前に媚びへつらい生きながらえるよりは、この牢の中で殴り殺されたほうがマシだ。殺せ! お前の望みは我が屈服か死だというならこの命、くれてやる!」
「……なんと強情な」
呆れたような声にせせら笑う。誇り高き花の民の最後の一人として決して屈してなるものか。
「それだけが取り柄でな……それで、どうする?」
男は息を深く、深く吐いて指を鳴らした。
「精霊つきの殿下を殺すのにはかなり手間がいるのですよ。そう――呪詛を使わねばならぬほど」
ガチャンと音がして複数人の足音と共に影が取り囲んでくる。
「……わたし一人に、これだけの人数を用意したのか」
「殿下についている精霊は、一応は上位精霊ですので。慈悲ですよ? 精霊の加護によって苦しみが増すのは、おいやでしょう?」
周りから聞こえてくる、不気味な文言。耳に届くのは己の死を願う、無慈悲な祈り。神に等しいとされる上位精霊の加護すら打ち破るために用意された死の歌。
「死の呪い――古来より伝えられる王族の処刑に用いられた呪術。あなたへの手向けの歌としましょう」
「ぬかせ……わたしが死した後に、この国をどうするつもりかは知らぬがお前を初めとした裏切り者達は決して光の国になど招かれぬ。地獄で先に待っててやるよ」
「最後まであなたは」
死の呪いがじわりじわりと、意識と体の奥に眠る命に触れてくる。握りつぶされると感じた、瞬間、男は嘆息した。
「我が手には落ちぬのですね。真に、残念。あの半端な龍人への操のつもりか」
その言葉に笑う。
「知っていてこの体に触れたがったか、馬鹿馬鹿しい。他の男の手垢のついた体などつまらないだろうに……お前こそ愚かな男だ。だが命はくれてやるんだ、それで良しとしろ。喜べよ」
そこまで一息に言い切って体が倒れる。意識が飲まれて、闇が迫ってくる。ああ、これで終る。
(シエルード……シエル……すまない。お前は長生きしてくれ)
死の呪いによって魂が黄泉路へ招かれる。その暗闇の穴に飲まれる直前、美しい光がその闇を祓う。
(アイラ、アイラ……ああ、可哀想な子。裏切られ、愛するものとも離され、あなたは……)
美しい声は、嘆く。そして柔らかく温かな光でアイラの魂を包んだまま、その声は虚空へ飛ぶ。
(私の愛しい子。その魂に刻まれた傷を、癒やしましょう。そしていつか――)
いつか?
その先をアイラは知らないし、知る由もない。
*********
轟々と燃えさかる炎の中、男は立っていた。右手には剣を、左手には長い魔術師が扱うロッドを。その目は血走り、まるで悪鬼のようだったという。
「……たった一人で国を滅ぼしたか」
男の背後から声をかけたのは黒い甲冑を身につけた男だった。その相貌は甲冑に覆われて分からないが、身につけている鎧の材質と腰に帯びた大剣の意匠を見る限りそれなりの身分の者なのであろう。
「……宝物庫さえ無事なら後はどうしてもいいと言ったのは貴方では?」
「ああ。確かに言った。だが本当にそうするとは思わなかった、それだけだ。別に苦言を述べたわけではないよ」
甲冑の男は、悪鬼のような男の足下に転がっている黒焦げの物体を見付けて問うた。
「それは? 随分念入りに殺したようだが」
「ああ……ただの毒虫です」
言うなり足先で蹴り上げたために物体は、ぼろぼろと形を崩した。灰になる寸前まで焼いたらしい。
「……満足したか?」
「まさか」
男は笑う。冷めた瞳で。
「こんな腐った国を滅ぼしたところで、腐った国の住民を生け贄にしても彼は戻ってこない」
「それならば、何故ここまで?」
「許せなかった、それだけです」
男は笑う。笑って男は天を仰いだ。
「彼を殺した者達、その者達の戯れ言を受け入れて生きる国民も、全てが憎かった。彼がいないのに、彼の愛したものすら奪ったのに、何故のうのうと自堕落に存在する? そんなものは必要ない」
「……恐ろしい男だ」
「そうですか? 一人で成し遂げたと貴方は言ったけれど、私はせいぜい首謀者と憎らしい毒虫を殺した程度。あとは勝手に自滅しただけ」
そう言って笑う男の衣服にはおびただしい量の血がついていて、元の色が分からなくなっていた。
「それで、お前は何を望む」
「なにも」
男は言い切った。
「敢えて言うならば、私に関わらないで頂きたい。今後一切。私の欲しているものを貴方は決して持ち得ないのだから」
「……確かにな。死人を復活させる術など私は持ち得ない」
男は甲冑の男から背を向けた。
「であれば、用はない。お互いに」
「……そうだな。何処へなりとも行くがいい。シエルード。それを止めないことがそなたへの報酬とする」
「ええ、ご理解いただけて何よりです、陛下。あなたの国の発展をお祈り申し上げます」
立ち去る男の背を甲冑の男は見えなくなるまで見送った。
男は後に大魔術師として名を馳せる。ひたすらに魔術を極め、何かを求め続けていた。神にすら至ろうとした、その道の先に求めたのは何だったのか。男以外に知るよしはない。
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