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1 とある魔法学校にて
しおりを挟むマーロン魔法学校。由緒正しい魔法学校として存在しており、そして平民でも一定の基準と財力、または特別な才能があれば入学することができる先進的な学校である。入学可能な基準として読み書きができること、そして身元を証明するものが提出できること、につきる。身元を証明できるものの筆頭に教会や各都市で作成される出生証明書がある。田舎の教会や役場では役人が適当なため出生証明書の発行に時間がかかるのが難点であるが。とはいえ、他の格式を重んじる魔法学校に比べれば入学するための敷居はかなり低い。そのため、マーロン魔法学校は平民出身の割合が高い。貴族階級も下位下級のものばかりだ。それでも実力を備えた卒業生を幾人も輩出しているため、それなりに評価は高い。そして何より
「あの大魔術師シェルミール・ベルドハンドさまがいらっしゃるなんて、凄い話だよな!」
興奮気味に語るのは先日入学式を済ませて魔法学校に入学した生徒たちである。シェルミール・ベルドハンド――齢28の若さで賢者の称号を持っている大魔術師である。幾百もの魔獣、幻獣を従え多くの魔術書を書き上げ、古代の魔術書の解読もこなす若手では最も有名な魔術師である。賢者とは研究専門の魔術師の最高峰の称号である。そんな有名人が教師として在籍していることが、この魔法学校を一定の知名度に押し上げている。とはいえ、彼はやはり教師として在籍はしているが、ほぼ自分の研究室にこもり続けており特級クラスといわれる上位のクラスの更に一握りだけが在籍できるクラスの授業も滅多に行なわないとかで。行なったところでレベルが高すぎて彼の言っている意味が分からず敢えなく自分から下のクラスに戻して欲しいなどと言い出す生徒も多くいる。
「特級クラスって今はあるのか?」
「一応あるらしいけど。だけどやっぱりレベルが高すぎて先生の不興を買ってるらしい」
「ええ……それってどうなんだよ。まあ、一回でも授業を受けられるだけマシ、なんだろうか」
そんな会話をしている彼等の真上、それこそ噂の特級クラスでは。
「この間の試験の結果を返す」
珍しく教師らしく教壇に立っているシェルミールがいた。魔術師にしては筋肉のついた肉体に上級魔術師の証である黒のガウンを羽織った精悍な顔つきの黙っていれば女性にもてそうな顔をしている。身にまとうガウンの左胸には賢者の証である二叉の杖に知恵の女神の好物であるオリーブの葉が巻き付いている柄が金糸で刺繍されている。長い赤と橙混じりの髪を後ろで一つに結び刃のごとく研ぎ澄まされた緑の瞳は丸めがねでは隠れきれないほどの蔑んだ光を宿している。人間嫌いという噂を真実たらしめるほどの。
「……アンナ、マリアンネ、ビリーは100点満点中のたった15点。ザイールが21点、ハンナが32点。最高得点がピモットの35点」
冷たく返された答案に全員の顔が青ざめる。
「……私のクラスに持ち上がっておきながら上位クラスで分かっていて当然の内容を殆ど理解していないとは。何が優等生か。馬鹿らしい」
返す言葉もない。とはいえ、今回の試験は魔術に関する記述式である。求めている結果を得るために必要な術式の推測とその結果を得るための過程を答えるものばかりだ。全員教科書の内容を何度も反芻して臨んだが、最高が35点。
(む、難しすぎんだよ)
(沢山候補がありすぎてどれを書けばいいのか)
(ああああ、もう、やだあああ)
「二週間後に再試験を実施する。その再試験で合格点を取れなければ全員下位クラスへ。以上」
そう言って教壇から降りてシェルミールは去って行った。
「ひ、ひいいい! こ、答えは!? せめて答えを!」
「シェルミール先生が提示するわけないじゃないですか……それに今回の記述式、恐らくベストな回答はいくつかあります。先生の好む回答を答えられなければ意味が無いということ」
「好む回答ってなんだよ! 知らねえよ!」
阿鼻叫喚の教室に近づく足音があった。その足音を聞いた女子生徒が顔を輝かせた。
「はっ! この苛々してるけどしっかりした足どりはもしかして……アイン先生!」
がらりと横開きの扉が開かれた。現れたのは小柄だが中性的で整った顔立ちの青年。青い髪を無造作に流し、大きめの青い瞳を険しく歪ませている。身にまとっているガウンの色は正規の魔術師を示す紺色で、左胸には双頭の飛竜が二又の杖を抱えている紋章が刺繍されている。この紋章は先ほど立ち去ったシェルミールが本来持っている彼自身の紋章であり、紋章を身につけられるのは本人と本人に連なる人物――直系の弟子に限られる。
「アイン先生!」
「救世主来た!」
「た、助かった!」
口々に叫ぶ生徒たちにアインと呼ばれた青年は教壇に上がると開口一番一喝する。
「俺は教師じゃなくて助手だと言っているだろうが、馬鹿が! というか貴様ら全員赤点とはどういう了見だ! ふっざけんな!」
「わかんねーんだもん! なに、なんなの、あの問題!」
口々に叫ぶ生徒たちの前で分厚い教本をたたきつけて再度叫ぶ。
「一斉にしゃべるな! 第一問目から馬鹿みたいな回答しやがって。火の魔術の応用問題だろうが!」
言いながら解説を始めるアインの言葉を生徒たちは慌ててノートに書き付ける。
「氷の精霊イスの心臓を解かす術式を答えよ。まずお前達、イスの心臓のこと分かってるのか?」
「ええと、霊薬の材料になるんですよね。氷結の魔法の解除だったり氷の魔物よけに使われたり」
「その他は。たとえばイスの心臓の特質は?」
「え? と、特質?」
首を傾げる生徒の顔にアインは大げさにため息をつく。
「イスの心臓は100度の熱で崩壊する。細胞ごと水になる性質がある。そんなのは下位クラスでも説明があるはずだが?」
「そ、そうですっけ?」
「教本を読み直せ! お前達は大体が魔術とは術式を叩き込んでおけばいいと勘違いしているが、そうじゃない。先人達が作り上げた術式は現代に適応できていないものも多々ある。古代魔術研究という部門が、そういった過去のものを現代でも扱えるように解析し新たな術式として書き換えているにすぎない。あいつの専売特許だろうが」
『ああー……』
「ああー、じゃない! 仮にも魔術師を目指してるなら、こんな初歩的なこと覚えておけ! イスの心臓は沸騰した湯に弱く氷の精霊を生け捕りにして心臓を奪うことで手に入るものだ。呪術師か精霊狩りを生業にしている奴らじゃないと恐ろしくて自力入手は無理だ」
「なんで恐ろしいんですか? イスなんて下級精霊じゃないですか」
氷の精霊イスは寒い地方でよく見かける精霊で、それほど強い魔力を持っていない。それでも恐ろしがるアインに生徒たちは首を傾げる。
「……お前ら暢気すぎるだろ。イスの呪いって知らないのか」
「え? ちょっかいかけたら足を凍らせられちゃうあの?」
「一匹、二匹程度ならそんなに恐ろしがる必要はないさ。あいつらの恐ろしさは呪いの蓄積にある。弱いなりに仲間思いで執念深いのさ、あいつらは」
アインは意地悪く笑って生徒たちに語る。
「その様子じゃ一回か二回くらいちょっかいかけたことあるな、アンナ。その時、何処を凍らされた?」
「あ、あたしは足だけど。でもすぐお湯かけたら溶けたし」
「そりゃそうさ。言っただろ、一回や二回程度じゃどうということはないと。問題は三回目以降――同じ箇所に呪いを三度受けたら、そこは壊死する。治療する暇もなくな」
『は!?』
「しかもあいつら、前の仲間がどこに呪いをかけたかすぐ分かるんだ。だから……何の対策もしてない馬鹿な魔術師の多くが手やら足やらを無くしてるってのは有名な話だぞ?」
『え、えええー!?』
アインの解説に一同は絶句する。
「そんななのに一回生け捕りにしてリスクを冒して手に入るのは心臓一個だぞ? 自分で取りにいくほうがばかばかしい。呪術師ならば呪い返し、精霊狩りの連中は身を隠しながら確実に生け捕り、魔獣や幻獣の毛皮で姿を隠したまま心臓を取るっていうのは簡単だが。一介の魔術師がそんな手間をしてまで取りにいくほうが面倒だ。雪山にしょっちゅう潜るならともかくな」
「た、確かに。割にあわない」
「だからいくらふっかけられても仕方なく皆、イスの心臓は市場で買うのさ。そういうことを知らないと馬鹿をみるぞ」
アインの言葉に全員が目を丸くする。
「そ、そんな話何処で聞くんですか」
「普段の日々の教員との雑談、図書室の旅行記や魔術書以外の書物に結構書いてあるものさ。それが本当のことなのか調べるだけでも知識は増える。魔術の勉強は術式や魔法書を読んでればいいって話じゃない。この分厚い教本だけが全てじゃない。お前達はこれから教本なんて絵空事の社会で生きていかなきゃならないんだ。引きこもって勉強ばっかりしてるとシェルミールみたいな世捨て人になるぞ」
「……引きこもってシェルミール先生みたいになれたら凄いと思いますけど?」
「逆に聞くが、あいつを憧れの魔術師といえるか? 俺は嫌だ。賢者の称号をやると言われてもこれっぽっちも欲しくない」
アインの言葉に一同は黙る。
「名声だけで食っていけるなんて空想の世界もいいとこさ。あいつがあれで成り立ってるのは、あいつが馬鹿みたいに魔法書の量産したり実績を嫌でもあげてるからであって、その分あの社会性のなさ……敵が多かろうよ。あいつの助手で弟子って扱いだが、俺だってできるだけ一緒にいたくねえ」
「ええ……」
「だけどアインせん……アインさんてシェルミール先生が唯一弟子にするって言った超優等生だって聞きましたけど」
「んなわけあるか。俺がことごとく噛みつきまくってたら、なんでか面白がって助手にしてやるって一方的に言ってきたんだよ。賢者さまの研究論文読みあさったらおさらばしてやろうと思ったのに……論文盗み見る暇も与えられないほど働かされるとか詐欺だ」
(だけど辞めてないんだよなあ……)
アイン・ミストーレ――この師匠であるはずのシェルミールに一切敬意など払わない彼こそが、人間嫌いで研究にしか興味をもたないはずのシェルミール自ら弟子にすると望んで側に置いている唯一の存在である。数年前まで彼もこの学園の生徒だったのだが、卒業後今日までシェルミールの助手兼弟子として日々忙しくしている。本人曰く薄給で。
「っと、無駄話はこれくらいにしないとな。お前らへの猶予は二週間しかないんだ。飛ばして解説していくぞ。俺は完璧な答えは言わないが解説はしてやる。二週間俺の解説と自前の知識でせめて赤点脱出しろ」
『よろしくおねがいしまーす』
彼が助手を務めるようになり度々閉鎖になっていた特級クラスは何だかんだと存続しているのである。この魔法学校の最大の功労者は彼であろう。
*********
「アインくん」
補講を終えたアインが廊下を歩いていると人の良さそうな丸顔の魔術師が声をかけてきた。彼こそがこの学校の学校長であるマーロンである。若い頃は有名な魔術師であったらしい彼は現在はこうして学校を作り後進の育成に励んでいる。そして見た目通り温厚で良識的な人物である。
「なんでしょう、学校長。またシェルミール様が何かしでかしましたか」
マーロンが声をかける度に師匠の不始末を謝る体勢をとるのもいかがなものなのか。マーロンは苦笑いしながら手を振った。
「大丈夫、今月は別に何もしてないよ。先月は我が校の支援をしてくださってる貴族様をかなり手ひどく追い払ってくれたけど、大丈夫」
「……大丈夫だったんですか、それ、本当に」
「ああ、大丈夫。彼に会えただけでラッキーって喜んでくれたから。っと、そういうのは置いておいて」
マーロンは封筒を差し出す。首を傾げるアインに封筒を握らせる。
「少ないが、先月の講義分だ。シェルミールにばれると本当に何しでかすか分からないから君に直接渡すね」
「え、あ、い、いいんですか?」
焦るアインにマーロンは頷く。
「いいの、いいの。君が彼の助手になって早二年。君のお陰で折角作った特級クラスが幾度となく途中閉鎖になってたのが二年連続で継続できてるんだ。君が優秀なのは知っていたけどね、教える才能もあったとはね。知っていたら私が先に声をかけたのに……」
「そ、そんな……勿体ないお言葉です」
照れくさそうに笑うアインにマーロンも微笑み返す。
「あの、ついでというか興味本位な質問なのでお答え頂けなくてもいいのですが」
「ん? なんだい?」
「マーロン様とシェルミール様はその、どういったご縁で?」
この温厚を絵に描いた男と人間嫌いを文字通りいっている男が仲が良いとはとても思えない。そしてそんな男が招かれたからという理由で一応教師として在籍している理由も不明だ。
「ああ。アカデミー(魔術師の研究機関)の先輩と後輩なんだよ。私が先輩でね。まあ、何かと一人になって黙々と研究研究たまに鍛錬って具合の彼に声をかけてたりしてね。いやあ、放って置いたら本当に食べずに机にかじりついて倒れるっていう馬鹿なことを何度も繰り返してたからね」
「……昔からなんですね、あれ」
「だけど君のお陰でね、最近緊急入院とかないから! ほんと、ありがとうね!」
「あ、いえ……無理やり口に食べ物と飲み物突っ込んだり、時には武力行使してるだけですが」
「武力行使」
「はい。主に死角からタックルかましてベッドに放り込むっていう」
アインの説明にマーロンは丸い目をしばたたかせる。
「え、彼、それ受けちゃうの?」
「え? は、はい」
「……君のことは、本当に信頼してるんだねえ。私も似たようなことアカデミー時代にやったら手ひどく返り討ちにあってね。二度とやらないって誓ったもんさ」
「はあ……」
マーロンの謎の笑みを受けつつアインは首を傾げている。そうして二人で話しているとアインの頭上に影が差した。
「ん?」
「……戻ってこないと思ったら、マーロン、君か。しかも」
ちらりとアインの手に握られている封筒を見て舌打ちをしてみせるのは、シェルミールである。
「彼への給与は私が払うと言っているだろう」
「これは学校からの臨時講師をしてくれた正当な報酬だよ。君がきちんとまじめにしてくれたら、私だってこんなことしなくてすむんだけどねー? ああ、取り上げたら駄目だよ! アインくんへの正当な報酬だからね!」
「そんな真似はしない。だが、私が教えたくなるような気骨のある生徒など二人しかいない」
「二人もいたのか!?」
つい反応してしまったアインである。マーロンは生暖かい目を向けている。
「え、誰だ!? 一人は分かる。ラナンキュラス=アネモーネ先輩」
「ああ、君の一つ上のねえ。確かに、彼女もとても優秀だったね。今では」
ラナンキュラス=アネモーネ。アインの一つ上で入学して偶然一緒のタイミングで図書室を利用したことをきっかけに親しくなった。彼女が卒業まで何かと一緒に過ごし、二人きりの時は彼女を「姉さん」と呼んで慕っていた。今でも時折手紙のやりとりをしている。
「もう一人が分からないな」
「え、それ、本気で言ってるの、アインくん」
「はい?」
首を傾げるアインにマーロンは困ったように笑い、シェルミールは押し黙っている。
「もう一人は、君だよね?」
「は?」
大分トゲの入った「は?」である。マーロンはシェルミールを見上げた。高身長のシェルミールは顔立ちは整っているが基本無表情なので感情の機微が分かりづらいが、マーロンには分かる。地味に傷ついていると。
「冗談も休み休み言ってくださいよ。こいつ……ごほん、失礼。シェルミール先生にまともに授業していただいた覚えなんてこれっぽっちもありません!」
睨みながら告げるアインにシェルミールは静かに口を開く。
「魔術の組み上げや応用についても講義しただろう。今でもしてやっているはずだが?」
「あ? あれを授業だって? ただの魔術理論の知識披露と討論会だったろうが! 魔術の組み上げとかは確かにおそ……いや、違う。教えてくれたのラナン姉さんだから! お前じゃねえ!」
「私も講義したが?」
「俺の知識のなさをあげつらって笑ってただけだろうが! あれは授業じゃない! いじめっていうんだ、馬鹿!」
マーロンは目眩を覚える。この男は、本当に色々酷い。
「ねえ、アインくん? 助手きつくない? なんなら本当に私、君のこと教師として雇うけど。それか、本当に勉強したいならアカデミーへの推薦書書くよ? それくらいするよ?」
「え!?」
突然のマーロンの申し出にアインは固まる。シェルミールは、かなり眉根を寄せている。
「君ならアカデミーも喜んで受け入れるだろうし、それこそ賢者でも導師(弟子を取り後進を育成しながら自らの魔術を極める者)も目指せると思うけど」
「……えっと」
アインが返答に困っているとシェルミールが割り込んだ。
「そんなもの腹の足しにもならないし、勝手に人の弟子を取るような真似をしないでもらおうか」
「だったらもうちょっと優しく指導してあげなさいよ。ほんと、聞いてるだけで涙出ちゃうよ、私」
マーロンがハンカチを取り出してわざとらしく目元を拭くような仕草をする。
「君が君なりにアインくんを可愛がってるのは長年の付き合いでわかるけどね? それ、分かるの付き合い長い私だからって話だし。アインくんは君より年下で経験も少ないのは当たり前でしょうが。おまけに君が彼が卒業後進路に迷ってる間に無理やり弟子にしてしまったんだから余計にね。ちゃんと面倒見るつもりがないなら本当に解放してあげなよ。君より序列が低くても真っ当な魔術師なんて沢山いるから、そっちに紹介回してもいいんだよ?」
「……それは困る」
「だったらちゃんと指導してあげなさい。本当に君は……アイン君がタフで良い子だから君の横暴さにも文句言うだけで済んでるっていい加減自覚しなさい。普通の子ならとっくに倒れてるよ」
「そんなのは弟子にしない」
「そういう問題じゃないでしょうが……本当にもう。あんまり目に余るようなら学校長権限使うから、そのつもりでね」
「は!? そんなのは聞いていない!」
「あのね、私に迷惑かけるならいくらでもかけていいけど、アイン君は未来ある若者なの。君の個人的な事情で引っかき回すのはいけないことだよ。仮にも君は最悪ランクだけど教師なんだから。若者に道を示さなきゃ」
マーロンのいつにない説教に、さすがに本気だと伝わったのかシェルミールの顔が引きつっている。
「いいね? アインくんを無理やり弟子にした責任はきちんと果たすんだよ?」
マーロンは釘を刺すとアインの肩を優しく叩いて立ち去った。それを見送っていたアインの腕をシェルミールが引っ張る。
「うわ!?」
「……さっさと戻るぞ。胸糞悪い」
「本当にお前は……って引っ張るなって! お前、無駄に力強いんだよ!」
シェルミールに腕を引かれるままアインは歩き出す。そんな二人を、遠目から何人かの生徒が見ている。
「あ、シェルミール先生だ。珍しい。研究室から滅多に出ないのに」
「アインさん引っ張ってるから、アインさん探しに来たんじゃない? アインさん、口悪いけどすごく面倒見いいから人気だもんね」
「実はできてるって噂あるよね。あの人間嫌いなシェルミール先生がアインさんだけは離したがらないから」
そう話している間に、少し落ち着いたのか歩く速度が遅くなる。アインが少し安堵したような顔をした。その時、シェルミールの左手がアインの腰を抱いて引き寄せた。
「っ!?」
息を呑む生徒達とは対照的に、アインは特に反応せず腰を抱かれたままシェルミールと奥へ消える。それを見送った一同は、突然のことにしばらく固まっていたのだった。
*********
シェルミールの研究室は、研究塔と呼ばれる生徒達が過ごす校舎から離れた位置に存在する。各部屋に固有の結界が設けられており、結界を解く呪文なり何らかの魔法を唱えなければ研究室には入れない。在籍している教師全員に研究室は与えられているが、研究室というよりは待機場所として使用していることが殆どだ。シェルミールくらいであろう。あちこちから取り寄せたり借り受けた資料や本で部屋を埋め尽くし書きかけの論文の山や解析依頼の文書を積み上げているのは。
「お前が戻らないから何も手に付かなかった。資料もどこにやったか分からない」
「……自分の怠慢を俺のせいにするな。はあ……何を書いてたんだ?」
「幻獣の調査書だ。半獣人族のイヌエからの」
「……フラウ」
アインは虚空に素早く精霊を呼ぶ印を描く。魔力のこめられた印は発光し可愛らしい空中を漂う風の精霊フラウを呼び出した。
「手伝ってくれ。左から二番目の棚の上から三段目。そう、そのファイルをくれ」
フラウは舞い上がってアインの告げた文書をまとめてあるファイルを引き出しアインに渡した。
「ありがとう、良い子だな」
アインはフラウの丸みのある頭を撫でた。一見すると大きな人型の人形のような姿だが知性が高く、術者の命令もよく聞く。使い魔として最適だが召還難易度はかなり高い。
「……流石愛し子だな」
愛し子――精霊に愛された子ども。精霊の力が古代よりも弱くなったと言われている現代では、お目にかかるのは滅多にないらしい。アインは愛し子と呼ばれる特殊な性質を持ち、その証である印を体に生まれながらに持っている。
「ほう、この資料がいらないって言うんだな?」
「必要だから頼んだんだ。何が気に入らない?」
「言い方。なんならお前の全部」
ぶっきらぼうに答えるアインにシェルミールは目を細める。ファイルを受取った手とは別の手でアインを引き寄せて乱暴に、口づけた。
「っ!」
「……これだけ可愛がってるのにか?」
低く甘い声で囁かれ、アインはうっかり顔を赤く染める。しかし
「ただセクハラしてるだけだろうが! 何が可愛がってるだ、馬鹿!」
渾身の力でシェルミールを振り払いアインは距離を取る。精霊フラウは、オロオロしている。
「アイン」
「なんだよ」
「……マーロンの話を受けるつもりなのか?」
「……何も考えてない」
真剣に問いかけてくるシェルミールに驚きながらも、アインは目を伏せて答えた。するとシェルミールの指がアインの顎を捉え、自分を真っ直ぐ見つめさせる。
「っ!」
「そんなことは許さん。アカデミーなど誰がやるか。行けば連中の望む成果を出せなければ、こき使われて終り。下手をすれば無能と罵られるだけの場所だ」
「お前だって行ってただろ? まあ、別に絶対行きたいわけじゃないが」
意外と権威主義なところがあるとも聞いている。勿論マーロンほどの人物の紹介なら無碍にはされないだろうが。紹介なしで飛び込みでアカデミーに加わると碌な事がないとは確かに前々から聞いていた。
「資料が潤沢にあって取り寄せも容易だった以外に良いところはない。研究がしたいなら私の側で充分だろう」
じっと緑の目がアインを捉えて離さない。アインは自分の顎をつかんでいる手を引き離して告げる。
「だから別に絶対行きたいわけじゃないって言ってるだろ? 何を焦っているか知らないが」
「なら行かないな?」
「……行かないよ」
アインの言葉にシェルミールはあからさまにほっとして、アインを引き寄せた。
「何処にもやらん。絶対に」
「……シェルミール、俺はお前の求めてる夢で見る恋人じゃないぞ」
そう言ってアインはシェルミールを引き離す。シェルミールが時折夢に見るというアインに似た美しい青年は、夢の中で彼の恋人だったらしい。その恋人に似ているという理由で何かとちょっかいをかけられ、最終的に今では無理やり弟子にされ側に置かれている。
「前世、だったか。お前は夢で見て、恋人を救えなかった未練を思いだして似てるっていう俺に固執してるだけだ。俺は」
「関係ない」
言い切ってシェルミールはアインを再度引き寄せる。
「お前の言うとおり、俺はお前にあの人の幻を見ているだけかもしれない。だが、だからどうした。俺はお前を離すつもりはない」
「……弟子として側にいるって前にも言っただろ? お前、何も教えてくれないし。お前の研究全部盗み取るまでは、ここにいる」
「教えてるだろう?」
「いらない知識だけな。なんでそれじゃ、駄目なんだ」
「お前こそ、何故拒む」
そっとシェルミールが腕に抱えたアインの頬を撫で、唇に触れる。
「言葉では俺を拒絶するくせに、お前の瞳と体は一度だって拒絶したことはない」
「っ!」
青ざめるアインに顔を寄せてシェルミールは唇を吸った。深く舌を絡め、何度も何度も、角度を変えて吸い付く。
「ん、ふ……ん、っむ」
拒もうと力を入れようとするアインの手を、握りしめて防ぐ。強く引き寄せ、何度も唇を吸って、吸って。
「し、つこい……」
「今も」
アインの額に唇を落としてシェルミールは囁いた。
「口では拒むが、完全に拒むことはない……素直になったらどうだ」
「……お前が馬鹿力なだけだ。もう、満足しただろ、離せ」
「してないが」
「ふざけんな! 俺だって馬鹿どもの採点作業が残ってんだよ、誰かさんのせいでな! いい加減離せ!」
アインが暴れてやっとシェルミールはアインを離す。アインはため息をついて自分の机に向かう。シェルミールの机とは背中合わせの窓から外が見える位置に置かれた、広めの机の上には大量の採点まちの試験用紙と自分の書きかけの論文がある。論文の題材は、古代帝国時代の精霊術に関する考察。
「……先にこっちか」
ため息をついてアインは試験用紙を見る。二年目の特級クラスの生徒の試験用紙を見て丁寧に読み込み、丁寧に赤を入れていく。
「……はあ」
「ふわわ?」
「ああ、すまん、フラウ。お前のことを放置して……だけど気持が沈んでるから側にいてくれないか?」
「ふわわ!」
アインの頼みに精霊フラウは喜んでアインの机の前方に座る。座っている姿が可愛らしい。時折フラウを眺めて癒やされながら燦々たる結果の試験用紙を片づけて行く。
「どいつも……こいつも……」
何とか一通り採点し終わった後、アインは机に突っ伏した。フラウが心配そうに頭を撫でてくれるが、それだけで癒やされる程度のダメージではなかった。
「ていうかシェルミールが、まともに授業しないからでは?」
「私のせいにするな。そもそも上位クラスでトップクラスの成績の者が特級クラスに上がるだろう? ならば私のせいではない。上位クラスの教え方が甘い」
「……大ベテランのビマルク先生にケチつけるか、こいつ」
「あいつの授業も大概適当だったと学生時代のお前も言っていたと記憶しているがな?」
シェルミールの指摘にアインは思い返す。
『いいですかー? どうせここで覚えたものは大体が役に立ちません! ええ、役に立ちませんとも! だってそもそも術式たくさん覚えたところで実戦や皆さんが活躍する場で使えなければ意味がないものですからね! 基礎さえ覚えておけばいいんです!!』
「……適当っていうか、おおざっぱ?」
碌な教員いないなと改めて思いつつアインは突っ伏していた机から体を起こす。時刻は既に夕刻を過ぎ、夜に入ろうとしている。
「シェルミール、帰る時間だぞ」
「今、いいところなんだ」
そう言って書き物に集中するシェルミールにアインはため息をつく。精霊フラウを手招きして左肩に載せる。
「ああそう。今帰らないなら夕食はフラウと食べるから」
「……は?」
シェルミールが手を止めてアインを見る。
「は、じゃねえよ。呼び出した精霊にお礼をするのは当然だろ。フラウは何がいい? お前達は結構なんでも食べられるんだよな」
「ふわわ!」
「少し寒いからシチューでも作るか。フラウが食べられるように野菜と木の実多めで作るからな」
「ふーわわあ!」
大喜びで飛び回るフラウにアインは優しく微笑む。シェルミールが机を片づけて立ち上がった。
「待て。帰る、帰るから」
「なんだよ。別に急がなくてもお前用に少しくらいは残してやるよ。ま、夜は一人でどうぞ?」
「帰るといっているだろ!」
勢いこんで言うシェルミールにアインは苦笑した。
「何をそんなに必死になってんだよ」
「お前こそ何をそんなに暢気に……精霊と食卓を共にするとか、お前は攫われたいのか!」
精霊は気に入った人間を簡単に自分達のテリトリーに攫う。アインは精霊の愛し子の特性もちのため、早々戻ってくるのは難しいだろう、と普通は思うものだが。
「……別に、帰るって言えば返してくれるぞ?」
「それが十年、二十年経ってるのがざらだろうが!」
怒るシェルミールにアインは目を丸くする。
「へ? そういうものなのか? せいぜい一日、二日程度だったぞ、今まで」
「……行ったことあるのか、精霊の膝元に」
「精霊界だろ? あるけど」
アインの回答にシェルミールは驚愕する。
「……そんな所に行って、生きて戻って来られるのか愛し子は」
「いや、あの、俺は自分以外の愛し子はどうなのか知らないけど……そんなに慌てることだったのか。ラナン姉さんにも前話たけど別に何も言わなかったし」
「は?」
「え?」
「なにも?」
「え、ああ、うん。姉さんも昔行ったことあるらしくて、綺麗だったって話で終ったような?」
「あいつも愛し子なのか!?」
「なんだよ、知らなかったのか」
アインはシェルミールの反応に驚きながらフラウを肩に乗るように言って研究室をシェルミールと出た。アインはシェルミールの弟子になって以来、シェルミールの屋敷に住み込みをしている。学生時代は学生寮にいたのだが卒業した折に出なくてはいけなくなったため一時的にという話だったが、気づけば今でも一緒に住んでいる。
(出て行こうとすると止めるんだよな、こいつ)
人間嫌いで、マーロンの誘いで仕方なく教師をしているだけの男。魔術師としては優秀だが、人としては最低。そんな彼がアインだけは離さないと言い張っている。
(……前世のことを夢に見たからってもう、終った話なのに)
アインは何ともいえない気持になりながらシェルミールの魔術で呼び出された飛竜に乗って屋敷に戻る。シェルミールの屋敷は研究塔から飛竜に乗って十分程度の場所にある。周りを森で囲まれシェルミールと彼が許可した人間以外は屋敷にたどり着けないよう、迷いの魔術が森全体に敷かれている。屋敷の上空に辿り着くと飛竜はゆっくりと中庭に着陸する。
「ホルプ、ありがとな」
「ギャオウ」
「なんだ、その名前は」
飛竜の背から下りたアインが、その鼻を撫でると飛竜は嬉しそうな声を上げる。飛竜に呼びかけた名前にシェルミールが反応する。
「お前がちゃんとした名前つけないから俺がつけた」
「……こいつはレッドドラゴンだぞ」
「レッドドラゴンは、ドラゴンの種類の一つだろ? こいつの名前じゃない」
そう言ってアインはドラゴンの鼻を再度撫でる。
「折角契約してくれたんだから名前くらいつけてやればいいのに。一時的な契約じゃなくて、ずっと一緒にいるんだろ、こいつ」
「……結果的にそうなっただけだ。ドラゴン種は、誇り高くあまり人の支配下に入ることを好まない。それなのに名前をつけるのは」
シェルミールが説明している間にドラゴンはアインに甘えるように鼻先を何度もこすりつける。アインも優しく撫で返し、彼がつけたという名前を呼ぶ。
「ホルプって名前、気に入ったって言ってくれたもんな」
「ギャオ」
「はは。お前のご主人様は名前のセンスがないらしいから、俺がつけた名前でしばらく我慢な。いつかつけてくれるさ」
「……」
アインの言葉にキラキラと目を輝かせるドラゴンにシェルミールは固まる。
「ちゃんと考えておけよ? さて、フラウもお腹すいただろ? 準備してやるからな」
「ふっわ!」
アインは精霊を連れて屋敷に入ってしまった。シェルミールは困惑しながらドラゴンを見る。ドラゴンは目を輝かせたままシェルミールを見ている。
「……欲しいのか、名前が」
「ギャオ」
「……考えておく。時間をくれ」
「ギャオウ!」
シェルミールの言葉にいい顔で返事をするドラゴンに、何ともいえない顔を返した。
*********
しばらくして――良い匂いがしてきた。食卓に並べられた皿には温かいシチューと、柔らかなパン、サラダが置かれている。シェルミールは黙ってシチューを口に入れる。
「……相変わらず、薄味だな」
「……悪かったな」
「まずくはない」
「ああ、そう」
向い合って食事をとる二人。アインの隣ではフラウが嬉しそうにシチューをほおばっている。
「精霊好みなのか、これは」
「……文句があるならたべなくて良い」
「文句ではない。感想だ」
「こいつ……」
わなわなと拳を震えさせるアインに対し、ゆっくりとシチューを食べ進めるシェルミールである。
「まあ、お前が作ったのでなければ食べないな」
「……ぶつくさ言うくらいなら家事手伝い専門の侍女でも雇えばいいじゃないか。金はあるんだろ?」
「文句ではないと言っているだろ? 大体家事手伝い専門の侍女なんて恐ろしいもの雇えるか。何を料理や飲み水に入れられるかたまったものではない」
「お前、元々お貴族さまだろうが。侍女くらいいただろ? それでどうしてそんな」
「確かに全員がそういった連中ではなかったが……若い奉公人だとかいう連中は大抵とんでもなかった。かといって若くなければいいというわけでもなかったがな。金品を漁るような連中もいた」
「お前の実家は、一体どういう家なんだよ……金持ちすぎてそうなのか、人を見る目がなさすぎるのか」
「両方だな」
「両方……」
シェルミールの返答にアインは複雑な顔をする。
「……そういうのもあったりするのか。その……お前があんまり他人と関わりたくないのは」
「……あまり良い思い出がないな」
「そう、なのか」
「別段困ったことはない。それに今はお前がいるしな」
「べ、別に嬉しくなんかないからな、そんなこと言われたからって」
「頬が赤いぞ」
シェルミールはアインの赤く染まった頬を手を伸ばして触れ、撫でる。アインは耳まで真っ赤になった。
「い、いきなり触るな!」
「あまりそう可愛い顔をするな。加減ができなくなる」
「加減って何だよ!?」
「言わせたいのか?」
楽しそうに、そして妖しげに笑うシェルミールにアインは、いたたまれなくなって目を背ける。丁度フラウも食べ終えたらしい。料理への感謝を示したのか可愛らしく一礼をして光と共に消えていった。それを目にしたアインは気を取り直す。
「食べたらシャワー浴びて寝るからな。明日も俺は補講があるし。誰かさんがしてくれるなら、いいんだが?」
「俺が補講なんてしてみろ。生徒の心をたたき折るぞ」
「わかってんなら加減しろ! ほんっとにお前って奴は」
呆れながらアインは食べ終えた食器を下げる。シェルミールの食器も下げようとして手を捕まれる。
「な、なんだよ」
「……俺が本当に生徒の相手をするなら、今夜は俺の相手をするか?」
「は、はあ!?」
シェルミールの顔を見ると、それはそれは楽しげに笑っている。
「……相手って」
「なんだ、今さら。何度もしてきただろう?」
美しい緑の瞳が細められる。眼鏡越しでもそれは、美しく、そして恐ろしい。
「……昨日もしただろ」
「昨日は昨日だ。大体、足りないと言っただろ?」
空いた手でアインの体をまさぐる。アインは思わず艶のある声を出してしまう。
「はあっ……ん、んん」
慌ててアインが自分の口を押さえるが、引き寄せられ膝の上に載せられてしまう。
「ん、ふ……」
シェルミールの手がアインの服の隙間に入り、肌を撫でる。そう思うと服の上から弱い部分に触れて強くつまんだり、弾いたりもしてアインは次に何をされるかと身構えつつも翻弄される。
「ひ、あ……んん」
体を弄られながら首を無理にシェルミールへ向かされ唇を奪われる。深く、浅く、再度深く――息が、できない。
「は、あっ」
「は……悪くないな、これは」
「お、まえが、たのしい、だけ、だろが! 俺は、たいへ」
「お前だって、キスをするのは嫌いじゃないだろ?」
耳元で囁かれ、こめかみにキスを落とされる。背中を電流のようなものが走り、体温が上がっていく。
「も、や、め」
「いやだ」
「い、いやって」
「足りない」
ぐっと顎を持ち上げられ、唇を開かされる。開かれた唇の舌先を吸われると頭の芯がしびれるような錯覚を覚える。
「ん、ああっ」
「甘いな、お前は……」
「は……馬鹿、いうな」
「本当だぞ?」
いつになく甘く柔らかい声でシェルミールは言って、アインの体を持ち上げて自分の方へ向かせ直す。
「お、おい」
「なんだ」
「なんだ、じゃない! こ、こんなところでするつもりじゃないだろうな?」
「駄目か?」
「駄目に決まってるだろ!」
アインが怒ると、少し考えるような顔をしてシェルミールはアインを抱えたまま立ち上がる。
「ちょ、おま」
「ベッドで丁寧にされたいってことか」
「そ、そんなこと言ってない! ていうか、シャワー浴びさせろ!」
「一緒に浴びるか?」
「なんでだよ! 絶対変なことするだろ」
「変なことってなんだ?」
アインを、いわゆるお姫様だっこしながらシェルミールはゆっくりと浴室へ向かう。
「変なことは変なことだ! ていうか、降ろせ!」
「シャワーを浴びたいと言っていたのはお前だろう」
「一人で浴びたいって言ったんだ、俺は!」
シェルミールに抱えられたままアインが暴れるが、典型的な魔術師体型――細身で筋肉が少なく力もそれほど強くないアインに対し魔術師にしては背も高くそれなりに鍛えられたシェルミールの体はアイン程度の力ではびくともしない。
「……魔術師のくせにでかいし、がっちりしすぎなんだよ!」
「体質と遺伝だ。俺の家系の祖先には龍族がいたらしい」
「……近代魔術の祖シエルード・ヴィエラだろ? 有名な話だ。お前の名前だってシエルード様から来てるんだろう?」
シェルミールの母方は代々魔術師の家系で遠い祖先に近代魔術の祖と言われている大魔術師シエルード・ヴィエラがいるという。とはいえシェルミールの母方の家系はそれほど裕福ではなくそれなりに長い歴史を有し祖先にシエルードの名が家系図にあるという点しか取り柄がない。その唯一の取り柄を求めたシェルミールの父は借金で苦しむ母親に縁談を申し込んだとか。
「……箔をつけたくて取り付けた縁談の後に愛人を多数囲むような男が、実の父親なのは腹立たしいものだ」
浴室に結局二人して入りバスタブに湯を貯める。身長が高いシェルミールが足を伸ばせるようバスタブは広く設計されている。ようやっと降ろされたアインは情け容赦なくシェルミールに衣服をはぎ取られて結局二人してバスタブに湯を貯める間、シャワーの湯を浴びる羽目になっている。
「あー……お前の父親って伯爵さまだったか?」
「今はな。だが、伯爵になれたのも母の実家にあった貴重な魔術書やらシエルードの書いたと思われる手記を勝手に献上して手に入れたものだ。元々はしがない男爵風情。商人あがりの男爵でも下のほうだった。あの男が熱心に口説くのを真に受けて結婚した挙げ句、だまされて家の家宝ともいえるそれらの品々を差し出した母は心を病み、俺を何とか産んだ後は一人で静かに死んだ。俺を育ててくれたのは、あの男が外聞を気にして雇った年老いた乳母だ。放置して死なせると面倒だと思ったんだろうな」
シェルミールは自嘲するように笑って、アインの髪を撫でる。
「湯が溜まったな。アイン、こい」
言ってシャワーを止めるとアインを引き寄せてバスタブに入る。シェルミールの伸ばした足の間にアインはすっぽりと収まる。後ろから抱きしめられるようにして二人、温かな湯で体を温める。
「お前、長男なんだろ? 魔術師になること止められたりしなかったのか? 家を継げとか言われなかったのか?」
「そこは元々期待してなかったようだな。別に何も言われなかったし、なんなら家を出ると言った時も引き留められなかった。あの男の家の戸籍から俺は自分の名を抜いてもらって母方の籍に入れた」
「……父親への嫌悪が酷すぎて人間嫌いになってないか、もしかして」
「別にあいつへの嫌悪だけじゃない。まあ、あいつのせいは大半だが」
アインを後ろから抱きしめたままシェルミールは笑う。
「乳母の手を離れた後はあいつの屋敷で育ったが、まあ……ろくでもない使用人しかいなくてな。俺がまともに話せると思っているのは執事のセバールだけだ」
「……怖いから詳細は聞かないでおく」
「怖くはないぞ。俺の育ったダルムークは基本男は十二で一人前扱いで養育者の許可さえあればその歳から結婚もできるんだが……奉公人で来ていた娘に媚薬をもられたり、小遣い稼ぎに来ていた小間使いの女に襲われた程度だが」
「充分恐ろしいんだが!?」
なんてことないように話しているがアインがそんな目にあったら正直女性不信になると胸の中で思う。
「……人間嫌いっていうか、もしかして女性が苦手なのか?」
「まあ、厳密に言えばそうだな。とはいえ別に男も好きなわけでは無い。お前以外」
「……すかさず入れてくるのな」
アインだけが本当に別格らしい。前世の恋人さまさまだろうか。
「だが、女が苦手という点もお前以外と付け加えるべきか?」
言いながらシェルミールの右手がアインの腹部を撫で、そのままゆっくりと下へ下りていく。アインが止める間もなくシェルミールの指先が小さな男性器の更に下――世間一般の男にはついていない女性器に触れる。
「や、やめっ」
アインがシェルミールの腕を掴んで辞めさせようとするが彼の指は無遠慮にアインの女性器の入り口を撫で、ゆっくりと中へ入って行く。
「あっ!」
背を逸らし感じ入る姿にシェルミールは興奮したように瞳孔を開き、己の唇を舐めた。
「やあっ! 中、いじっちゃ」
「まだ浅いところしか入れていないぞ? お前の一番感じるのはこの先、だろう」
言うなり更に奥へ指を入れて中をかきまぜる。左手はアインの胸の突起をこね回し、更にアインを追い込む。
「あ、だ、だめえ……いく、いっちゃうからあっ!」
「本当に感じやすいな。こちらとしては願ったりだが」
中で指を折り曲げ感じやすい箇所をこすってやる。それだけでアインの真っ白な肌は桃色に染まる。そして――甘い香りがシェルミールの鼻をくすぐる。
「まるで食べ頃の果実のような匂いだな、お前の匂いは」
「し、しらな」
「いつも教えてやっているだろう? お前の匂いは、甘いと」
歯を立て力を加えれば甘い果汁が飛び散るような、みずみずしい果物の匂い。普段からするわけではない。シェルミールが口づけたり、愛を囁いた時だけに香るのだ。口では全くシェルミールに気が無いようなことを言うくせに。
「アイン……それに俺は知ってるぞ?」
「は……な、にを」
首筋に唇を押し当てながらシェルミールは笑う。
「俺に触れられるのはいやではないだろう? 恥ずかしいだけで」
「っ! そ、そんなわけ」
見るからに頬を染め、目を潤ませるアインにシェルミールは更に己の熱を上げる。心拍数が上がる。
「説得力の無い可愛い顔をするな……駄目だ、もう我慢できん」
言うなりシェルミールはアインの体をいじめるのを辞め、バスタブから立ち上がり、アインを再度抱え上げる。脱衣所に出て適当にバスタオルを手に取りアインを包む。簡単に水気を拭き取ってそのまま寝室へ歩く。
「ちょ、おま、こら!」
「なんだ」
「なんだ、じゃない! 風邪ひくだろ、ちゃんと拭かないと」
「……ふっ」
「なんで笑うんだよ」
むっと何処か幼い顔でむくれるアインにシェルミールは笑って鼻先に口づけた。
「お前のそういうところが可愛らしいと思っただけだ。馬鹿にしたわけじゃない」
「なっ! か、かわいいって何処が」
「全部だが?」
話している間に寝室についてシェルミールはアインをベッドに押し倒す。マットレスが軋みつつもアインとシェルミールを受け止めた。
「シェルミール! 俺はいいって言ってないぞ!」
口では拒絶しながらもアインはシェルミールが口づけを求めると、反射的に口を開き応じる。深く絡め合った舌をすって、こすりあって、唾液を舐め合う。
「はっ」
「いやだといいながら、俺を拒絶しない時点で、いいということだろ?」
「ち、ちが」
シェルミールの言葉に反論しようとした言葉は途絶える。アインの肌を撫でるシェルミールの指先に意識が持って行かれて、まともに反論一つできないらしい。
「……強引すぎなんだよ。俺じゃなかったらとっくにお前、訴えられてるからな」
「ああ、お前でよかった」
「ば、馬鹿にしてるのか?」
「まさか。愛しいと思っている」
シェルミールの言葉に首まで真っ赤にさせるアインに、再度口づけて覆い被さる。
「竜の血を引いてる奴はみんな、こんななのか?」
「こんな、とは?」
アインの胸の中心に口づけ、指先で胸の突起を弄りながら問いかけるシェルミールにアインは漏れ出る甘い声を堪えながら答える。
「ん……強引って、はな、しだ、よ!」
「さてな。俺はかろうじて龍人族(龍族と人のハーフ)の血を引いているが、今では龍族自体物語の世界の住人だ。ドラゴン種とも違う、人語を解し人のように暮らす特異な種族。古代最大の帝国、サンライズ帝国が滅んだ後、帝国の中枢を担っていた彼等は歴史から存在を消している。考え方や性的嗜好を示す資料など残っていないからな」
「まじめな解説どうも……お前が強引なのと変なところで天然なのは、もうお前本来の性分ってことにしとく」
呆れ混じりにアインが言えば、シェルミールの指がアインの小さな男性器に触れた。
「あ」
アインが声を上げた時、その小さな男性器はシェルミールに吸い付かれ、貪られていた。
「ひあっ! や、そ、んな、強くすわ、ないでえっ!」
アインの叫びを無視して腰を両手で掴み逃げられないようにシェルミールが小さな、男性器というよりは大きめの肉芽のようなそれを舌先で、口の中で転がし弄ぶ。刺激に敏感になって跳ねる体を押さえ込んで貪っていると口の中で弄んでいたそれが震えだした。同時に付随している小さな玉袋が伸縮する。一度シェルミールが口を離せば、真っ赤になった肉棒がふるふると涙を先端から流していた。
「あ、はあ……んっ」
ゆらゆらと腰を揺らすアインの足を強引に開けば、女性器からはだらだらと蜜がしたたっていた。
「男の部分を弄られて、女の部分を濡らすとは。相変わらずいやらしく、いい体だ」
「……この体を、喜んで弄ってるお前なんて、変態としか呼べないぞ」
何とか快楽に流されまいと意識を保ちながらシェルミールを睨み上げるアインの瞳は潤み熱を宿していた。常ならば温度が低い体が燃えるように熱く、両胸についている突起は興奮している様を見せ付けるように大きく育ち、天を向いている。
「お前以外にこんな真似はしないからいいだろう? さて、俺もそろそろ限界なんだ、それだけ濡れてるなら、いいな」
興奮気味にシェルミールが己の肉棒をアインに見せ付ける。太く、シェルミールの腹に着きそうな程反り上がったそれに、アインは恥ずかしそうに目をそらす。しかし――彼も彼で興奮しているのか、あまり色味のないはずの唇が赤い。
「アイン、入れるぞ」
「いやだって、言ってもいれるくせに」
「本当に嫌がっていればしない。嫌がっている振りをしているに過ぎないなら、遠慮無く入れる」
ぐっと反り返った肉棒に手を添えて息も荒くシェルミールが濡れそぼつアインの女性器に押し当てる。それだけで喜ぶように穴が伸縮し更に蜜を流す。
「腰まで揺らして……本当に素直じゃないな」
「ち、ちが……た、ただの生理現象だ」
シェルミールの指摘通りアインの腰は誘うように揺れ、その度に放置された彼の小さな男性器が泣きながら共に揺れている。
「素直でないところも愛らしいが……いい加減、俺のものになると誓ってくれないか」
「な、なにを馬鹿なこと……俺は、物じゃないぞ」
「言い方が悪かったか」
ぐっとシェルミールが自分の肉棒をアインの肉壺に押し込みながら言い直す。
「いい加減結婚しろ、俺と」
「はっ!? って、あああっ!」
素っ頓狂な声を上げたアインだったが、次には強引にシェルミールの肉棒が押し込まれたために嬌声を上げる羽目になる。激しく突かれ、奥をえぐられながらアインは快感に耐える。それを無駄だというようにシェルミールはアインの体を抱え込み体重を乗せながら奥を貫き、えぐる。アインは普段はあまり意識していない子宮の入り口をえぐられているような感覚を覚えながら必死に唇を噛む。
「ん、んんーっ!」
「馬鹿。血が出るだろう」
シェルミールが声だけは優しく言って口を強引に開かせる。
「あ、あ、あああっ! や、ああっ! いく、いくからあっ!」
「ああ、好きなだけイケ……俺もお前の中に出すからな」
「やあっ! 中は……ああっ! だめ、だめだってえ! あかちゃん、できちゃ」
「はっ、アイン。教えてやる……そういう言葉はな、煽るだけだ」
がつんと最奥にぶつけるように肉棒を押し込むとアインの肉壺がシェルミールの子種を搾り取るように締め付ける。甘く、それでいて容赦の無いしめつけにシェルミールは堪える気もなく遠慮なしに中にぶちまけた。
「あ、あ、あああっ!」
悲鳴というよりは、甘い、甘い、叫び。嬌声。そうとしかいえない声と、溶けた顔で快感に耐えて耐えて弾けたらしいアインは、更に甘い匂いをまき散らした。
「ひ、う……あ、んんっ」
体を痙攣させながらアインは、シェルミールが触れてもいないのに小さな彼の肉棒から小さく白い液体を吐き出す。男性器でも感じていってしまったらしい。
「は、あ、ん……くっ」
「アイン」
噛み跡があるアインの唇を指でなぞると、それだけでも感じてしまうのか、体をびくびくと震わせてしまう。そんなアインに対してシェルミールはこみ上げてくるものを耐えきれず、夢中で唇を奪った。
「んんっ! ふーっ」
息苦しさに鼻で息を吸うアインにシェルミールは追い込むように更に唇を貪る。入れたままだった肉棒をアインの肉壺が最後とばかりに強くしめつける。きゅうきゅうと甘い締め付けに更に腰を押しつける。残っていた子種も注ぐようにシェルミールの肉棒が、震えた。
「ふ、あ……ば、か」
「は……なんのことだ」
「激しい、んだよ……きぜつ、するかと、おも、た」
涙目で怒るアインに詫びながら、ようやく肉棒を引き抜く。甘いしびれと共に、アインの肉壺から入りきらなかったシェルミールの精液が溢れ出る。
「……ばか」
「何の文句だ」
「……避妊薬、のんでない」
ぶっきらぼうに言うアインに、シェルミールは汗で張り付いた前髪をかきあげて、額にキスする。
「後でも、ある程度、きくけど……できたらどうすんだ」
「別に俺は困らん。お前と子どもの一人や二人程度なら養える」
「……囲うために弟子にしたのかって言われるぞ」
「半分以上正しいから何も言えんな」
「ふざけんな……お前みたいな倫理観ゼロの男なんてお断りだ」
言いながらもシェルミールの口づけも、指先も拒まない。だからシェルミールは我慢できなくなる。アインを――求めたくなるのに。
「本当に嫌ならもう少し嫌がれ」
「……」
シェルミールの言葉にアインは、少しだけ目を細めて、何も言わない。いつも、そうだ。口では拒絶していると言っておきながら彼は許す。シェルミールが触れるのも、愛するのも。本気で咎めたことはない。それなら、彼だって多少なりともシェルミールに思うところがあるだろうに、頑なに結婚の申し入れも、恋人の申し出も拒絶する。
「俺を不誠実な男にしているのは、お前でもあるんだぞ」
「……普通はな、関係をきちんと作ってから手を出すんだよ。責任転嫁するな」
「だったら魔術なり、精霊の加護なり使って拒絶しろ。そうでもしないと俺は……分からないし、諦められない」
「……」
シェルミールの再度の言葉にもアインは何も答えない。ただ疲れたたように目を閉じただけだ。
「……何を考えている。何を、俺に隠してる」
「なにも」
「なら、俺を見ろ」
シェルミールの言葉にアインは、従うようにゆっくりと瞳を開いてシェルミールを見つめた。美しい青い瞳。真っ直ぐにシェルミールを見つめる瞳には確実に熱も情も見て取れるのに。悲しげな色が必ず奥にある。
「……何も言わないなら、それでいい。だが、俺は諦めないし離さないからな」
「……ほんっとに」
シェルミールの言葉にアインは可笑しそうに、そして悲しそうに呟いた。
「しつこい上に、馬鹿な男だな。俺をいくら抱いたって得られる物なんて何も、ないのにな」
*********
その後もしつこく求められて、結局気絶するまで抱かれた日の次の朝。
「……馬鹿」
アインは寝不足と疲労でベッドから起き上がれそうになかった。顔色の悪いアインの頬を撫でて額に口づけるとシェルミールは、静かに告げた。
「文句は甘んじて受け入れるが、何度も言うがお前が完全に拒絶しないのが悪い」
「そういうのを責任転嫁っていうんだ……はあ」
つらそうに息を吐くアインの頬を労るように撫でながらシェルミールは告げた。
「無理をさせたのは悪かった。今日はゆっくり休め」
「……補講どうすんだよ」
「私がする。昨日もそう言ったつもりだったが」
シェルミールの言葉にアインは目を見開く。
「え……大丈夫、か? 補講だからな? どんなに馬鹿みたいなこと言ってもちゃんと、解説してやらないとあいつら本当に分からないままだからな? 途中でぶち切れて放置したら意味ないからな?」
「……分かっている」
アインの心配する声にシェルミールが低い声で返事した。
「本当に分かってんのか? 俺とかラナン姉さんみたいなお前に文句言える奴は、悪いが今期誰一人としていないからな?」
「……そんなに念を押さなくてもお前達二人が特殊だったことくらい理解している」
そもそも賢者の称号もちの大魔術師相手に萎縮しないほうが可笑しいのである。
「二年生と三年生、両方だぞ? 今日の補講」
「……今日だけは耐える」
しっかりと返事をするシェルミールにアインは、とりあえず今日は信じてみようとそれ以上はやめておいた。
「……なら俺は遠慮無く休んでるからな」
「ああ。気が済むまで寝ていろ」
「誰のせいだと思って……」
アインがむくれてみせるが、シェルミールには何処吹く風である。
「そろそろ行ってくる。ちゃんと寝ていろよ」
「言われなくても」
アインの頬にシェルミールが口づけて部屋を出ようとした時にアインは、小さな声でそっと囁いた。
「いってらっしゃい」
「……」
聞こえたらしいシェルミールが驚いたようにアインを見るが、アインは毛布を被って寝たふりを決めた。
「……帰ったら抱くからさっさと回復しておけ」
「お前俺を気遣う気ゼロだろ……ああ、もう、さっさと行ってこい! 遅れるぞ!」
シェルミールの言葉に思わずツッコミながらアインは、今度こそ眠ろうと目を閉じた。
*********
二年生の特進クラスはざわついていた。
「聞いたか? シェルミール先生の試験結果」
「ああ、誰も合格点いってないらしいってな」
「うそでしょ。ああ、でも、設問全部よくわかんなかったんだよね」
「通説がはっきりしないものばっかり題材にあってな。とりあえず分かる範囲で書いたけども」
落ち着かない気分で彼等は待っていた。三年生たちに聞いた限りでは最初にシェルミールから答案を返され、罵倒された後に彼の唯一の弟子にして助手が来て補講をしてくれるらしい。
「シェルミール先生より優しいって」
「先生より、だろ?」
「だけど、前に遠目から見たら超綺麗な人だった。シェルミール先生も一緒だったけど、すごく眼福って感じだった」
「なんか噂じゃできてるって聞いたけど」
「だけど助手の人って男の人じゃなかった?」
「今の世の中、あんまり関係なくね? 結構いるよな。有名な魔術師でも同性の恋人がいたり囲ってる同性の愛人がいるとか」
そんな話をしていると講義開始を告げる鐘がなる。同時に教室の扉が開かれ、噂のシェルミール・ベルドハンドが入ってきた。
「……試験の答案を返す。知っているとは思うが、全員不合格だ。二週間後に再試験を実施し、その試験で合格点を取れなければ下位クラスに移動してもらう」
シェルミールが宣告と共に一人一人に答案を返す。全員が全員、赤だらけ、ひどいものは×と書かれただけの答案が返される。
「……このまま設問の解説に移る。質問は私が許可した時のみ許す」
シェルミールの言葉に生徒達は目を丸くする。動揺する彼等を気にかけることなくシェルミールは設問の一番目から解説に入った。
「幻獣に関する問い。そも幻獣とは何か。簡潔に書いたつもりだったが全員が全員、通説では幻獣という存在に関する明確な定義は存在しない。そんな文章を判を押したように書いていた。そんな通説を聞きたくて私がこの設問を用意したと思ったのなら、お前達は全員魔術師としての素質はないということになるな」
シェルミールの言葉に生徒の一人でこの二年生では特待生枠のジェリスが勢い込んで立ち上がった。
「先生! 意見を言わせていただいても?」
「なんだ、言ってみろ」
「お言葉ですが! 設問の意図を完璧に読み取れとは無理があるのでは? これだけの設問では私たちの誰も先生の高尚な意図に気づくことはできません」
「……その言葉を発したことで今、お前は自分を物事を一点でしか読み取れない大馬鹿者だと言い切ったことになるが」
ジェリスがシェルミールの返答に目を剥く。
「ど、どういうことです?」
「質問を変えよう。お前はそも、魔術師とは何だと考えている」
「魔術師とは、何か……それは、あらゆる魔術を会得し新たな魔術を発明するものと」
「なるほど。お前の認識はそこにあるのか。そも、魔術に対する誤解をしているが故に私の設問の意図にも気づけず自ら愚かさを露呈した、ということか」
シェルミールの指摘にジェリスは、訳が分からないとばかりに周囲を見る。他の生徒たちも動揺するばかりで彼女の視線に答える者はいない。
「そもそも、お前達はいずれもこの世界にある全ての魔術を理解しきれると思っているのか?」
「……どういう、ことですか?」
「近代魔術の祖シエルード・ヴィエラ、お前達も名前くらいは聞いたことがあるだろう。彼の残した魔術書だけで百冊以上存在する。だが、その百冊も全て完全なオリジナルではなく、数十冊は写しや贋作だとも言われている。この時点でお前達は彼の残した魔術全てを会得できるといえない」
「あ、あらゆる魔術とは言いましたが、全てとは」
「古代帝国が滅亡した段階で魔法文明の八割が消失したと言われている。お陰でシエルード・ヴィエラは近代魔術の祖になれた訳だが……そんな彼でも魔獣と幻獣との契約による魔術の行使、いわゆる契約魔法を一定のレベルの魔術師が扱えるようにしただけに過ぎない。お前達が思っているよりも近代は魔術師に厳しい時代だ。我々の元から持っている魔力量は過去の文明の人間達が平気で行使できていた魔術も、契約魔法にて魔力リソースを得てやっと発動できるほどの代物。我々魔術師には、後がない」
「後が、ない?」
ジェリスの言葉にシェルミールは頷く。
「そうだ。失われた古代魔法の魔力リソースは精霊たちだった。現代では滅多にお目にかかれないがな。あちこちに精霊達と交信する場があり、聖域と呼ばれる精霊達を祀った場があったほどだ。それによって我々の祖先は多くの恩恵を受けていた。しかし古代帝国の滅亡後、彼等の存在は我々人間には知覚しづらい域に入ってしまった。理由は、わかるか?」
「……わかりません。精霊なんておとぎ話の存在だと認識しておりましたから」
「精霊信仰の崩壊だ。彼等の恩恵を受けるために古代の人々は精霊たちを神と同一視し信仰することでその恩恵にあずかった。彼等のあり方を、そうだと定義した人間が、古代帝国の滅亡によってごっそり失われた。その結果、彼等はこの地上でその力を充分に使えなくなった。そのために、新しくシエルード・ヴィエラが魔法を使うために選んだ存在が幻獣や魔獣たちだ。存在の補強と証明。それを彼は根気よくやってのけた。それだけが彼の功績だ」
「そうだとしたら設問の意図は……? かつて存在していた精霊たちの代わりの魔力源とでも書けばよろしかったので?」
「それも正しい。私ならばその回答でとりあえず良しとしよう」
シェルミールの言葉にジェリスは悲鳴を上げる。
「なんですって! そんな、そんなことでよかったと?」
「……ここで先ほどの質問に戻るぞ。お前にとって魔術師とはどう定義づける?」
シェルミールの問いにジェリスは首を振る。
「答えは同じです。私は多くの魔術を得て、私だけの魔術を得る。それを目標としてここにいます。ああ、なんて期待外れ! もっと素晴らしい回答が得られると思ったのに。わたし、このクラス抜けさせていただきます」
「好きにするといい。私が君を引き留めることはない」
「最年少の賢者と聞いて喜んで入学して、努力して特級クラスに入ったのに、こんな……お粗末な議論をしに来たんじゃないのよ、私は!」
言い捨ててジェリスは荷物を持って教室を出た。それを見送って顔色一つ変えずシェルミールは残った生徒を見る。
「他に、抜けたい者はいるか?」
「……聞かせてくださいませんか、シェルミールさま。魔術師とは、なんですか?」
一番前に座っていた小柄な少女が真っ直ぐにシェルミールを見つめる。シェルミールは静かに答えた。
「私の答えを求めているのなら、こう答えよう。この世の真理に至るための研究者だ。だが、この答えに満足しないものもいるだろう。それが、お前たち自身の答えだ。魔術の道は一つではない。魔術なんてこの世界に必要ないと証明することすら、魔術なのだから」
『!?』
シェルミールの言葉に生徒達は目を剥く。
「それすらも、魔術だと、おっしゃるのですか?」
「当然だ。私は、魔術師とはそれぞれの至りたい道への回答を追い求める者だと考えている。それならば、魔術を否定する魔術師がいても可笑しくないし、それを証明できるならその者は大した魔術師だろう」
「……」
「お前達は何を目的にして、ここに入った? 庶民でも魔術を学べるからか? 確かにそういった点ではこの学校は近道だ。だが――所詮、学んだ魔術を生かす場など限られてくる。先ほどのジェリスの答えもある種正しいだろう。そういった魔術師もいる。だがな……新しい魔術まで生み出すとなると気の長い時間と世界中の一定数の魔術師に自分の理論を披露し、認識させる苦行のような作業がいる。一朝一夕ではないだろう。それこそ……現存する魔術書の全てを網羅し、なおかつそれらのなし得ていない事柄を可能にする術式を組立てられなければ、不可能だろう」
シェルミールの言葉に生徒たちは悩む。
「……魔術師という称号だけが欲しいならこのクラスは不適切だ。上位クラスに移り可も不可も無い成績を維持して卒業を目指せ。そしてどこぞの王宮魔術師となるといい。彼等は大体が王宮内や都市部の防衛を担っている。実践的な魔術を数多く体得するのがいい」
「……なるほど。僕達は皆勘違いしてここにいたんだね。先生、この試験、このクラスに入れるかどうかの試験に変えた方がいいですよ。僕は先生の意図が何となく分かったし、何となく面白そうだからやってみたいけど、そうじゃない子も多いだろうし」
楽しそうに笑ったのは美しい金の髪にエメラルドグリーンの瞳の小柄な少女だった。
「お前は……パール=ローレライか。ん? ローレライとはまさか、あのローレライ導師の」
「そ。よろしくね、先生。次の試験はちゃんと僕の答えを書くよ。先生は僕達がどんな思考の癖を持ってるか見たかったってことでしょ? それによって教える分野とか変えてくれるつもりだったんじゃない?」
「……久しぶりに面白そうな奴が来たみたいだな。ラナンキュラス=アネモーネ、アイン・ミストーレに続く生徒はしばらく出ないと思ったが」
「へへ、なんかそういってもらえると嬉しいな。僕は残らせてもらうよ。頑張って先生の期待に応えられるようにするね」
パール=ローレライはそう言って嬉しそうに微笑んだ。
*********
「あの三大導師の一人、ローレライ導師の娘とはな。わざわざこの学校に来た理由はあるのか?」
「え? それ聞いちゃう? そんなの、くっそうざい父さんの弟子になんかなりたくなかったからだよ!」
笑顔で言い切るパールにさすがのシェルミールも二の句が告げずにいた。
「……アカデミーの最高顧問までしている、おそらく魔術師の多くが目標にしている方だと思うが」
「あっはっは! あんな屑、魔法ができなかったらタダの屑だから」
二度も屑と言った。シェルミールもアカデミー在籍時代、何度か声をかけてもらいアドバイスや便宜を図ってもらったことがあるためパールの言う屑がどういうものなのか判断に困った。
「大体ね、考えてもみて? 魔術師って一定のレベルの魔力量を保有できるようになったら見た目の変化が分かりづらくなるし元々あの屑、妖精との混血だから長生きだよ? それを差し引いたとしてもさ……こんな年端のいかない娘がいるって時点で察して」
「……あまり考えたくないのだが、もしや、愛人や認知できていない子どもが数多くいるとかいう」
「あったりー! 本人は真剣なロマンスの結果とか馬鹿みたいなこと言ってるけどね……ただの屑。下半身制御できない馬鹿だから。僕だって母親が下級とはいえ貴族の娘だったから認知したにすぎないからね? おまけに魔術師の素質がちょびっとあったからっていう理由。そういうのが無かったら母さん多分今頃首吊ってたよ? それくらい貴族の娘で未婚の母って大変なんだから」
「……ああ、そうだな。俺も……いや、私も覚えがある」
「先生も!? もしかしてお互い苦労枠? 益々親近感持ったかも! 先生、次の試験頑張って答えるからね! ちゃんと見てね」
「楽しみにしていよう」
「うん! じゃあ、またね、先生!」
元気よく手を振って去って行くパールに少々面食らったが、久しぶりに興味を引かれる逸材が来たとシェルミールも珍しく機嫌が良かった。
のだが
「……」
『……』
三年生の特級クラスはお通夜であった。理由は単純である。全員アインが来ると想って、特に問題の復習もせずのほほんと講義までの時間を過ごしていたからである。それはもう、シェルミールが今すぐにでも教室を飛び出したい衝動に駆られるほど全員、全くもって補講の準備をしていなかった。
「……貴様ら」
『ひい!?』
「よく分かった。なるほど我が弟子はそんなにもお前達に甘いのか。は、はっはっはっは。確かにあいつの言うことも一理あったな。あいつに任せきりにしていては育つものも育たん……ああ、私が間違っていたようだ!」
『ひいっ!?』
「これより抜き打ち試験を実施する。口頭試問だ」
『う、うっそおおおお!!!』
「安心しろ。準備をしてきていないお前達のために……私の出す題材について語ってもらう。持論でも構わん。私を納得させられれば良しとする」
『ひい……そ、それって二年時のあの悪魔の試験の再来』
全員がそれはそれは見事なユニゾンを見せ付ける。シェルミールは、笑う。
「分かっているなら話は早い。さて、お前達の成長、見せてくれるのだろうな?」
「た、たすけてええええ!」
「なんで今日に限ってアインさんじゃないんですか!」
「馬鹿どもが! 本来は私がお前達の担当だ!」
「うわあああ! 今までのこと棚にあげて、そんなこと言うの卑怯ですよおおお! 今まで全部アインさんがしてくれてたじゃないですか!」
「今後はアイン単独では来させん。どうやらお前達にあいつは大分甘いようだからな。あいつの指導も兼ねて私も毎回講義に参加する」
『ひ、ひえええええ!!!』
大騒ぎする三年生のクラス前を通りかかったマーロンは中から聞こえた言葉に目を丸くする。
「え、ええ……シェルミールが、ちゃんと指導しようとしてる? しかも次回以降もやるって? 一体何があったんだ……」
恐怖すら感じてしまうマーロンを他所にシェルミールは、鞭を振り回しながら生徒たちに怒鳴り散らしていた。
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