『沈む世界に別れを』

りんご

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沈む世界に別れを

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10月29日17時50分…
秋の日は鶴瓶落としとはよく言ったものだ。
時計の長針は10を、短針は6の手前を刺している。夜行性の僕にとってはまだ一日が始まったばかりなのに、茜色の太陽はもう役目を終えようとしている。
頬を撫でる冷えきった風は秋の訪れを知らせていた。
ここから見える景色は、人生最後の景色としては案外悪くないもののように思えた。
さぁ、もう行こう。さよならだ……。
……?ビルの屋上から1歩踏み出したはず。しかし25階分落ちているような感覚は無かった。
どうやら後ろから引っ張られたようだ。

○『何してんの?』
……何してんの?……ときたか。どう見ても選択肢は一択だと思うのだけれど。
●『別に、気にしないでくれ。』
○『死ぬの……?』
●『そんなことないからほっといてくれ。』
○『嫌なことでもあったの?』
なんだこいつは、質問ばかりしてきて。止める気ならたぶん効果ないから関わらないでくれ。目の前の可憐な女の子にそんなことを言えるような人生は送ってないのでつい下手に出てしまう。
●『別にそういうわけではないさ。』
○『ふぅん……。じゃあただ屋上で夕日眺めるのが好きな変な人なのね。』
○『暇なんでしょ?ちょっと話付き合ってよ。』
……気が萎えた。帰ろう。
●『暇じゃないんだ。ごめん。それじゃ。』


家に帰ってきたものの、身辺整理を終えた無機質な部屋を見ると入る気も失せた。どっと疲れたのでドアの前に座り込んだ。
●『なんだったんだあいつは。どいつもこいつも興味ないくせに善人ヅラだけして。くそみたいな世の中だ。』
改めて、文句と弱音と煙を吐くことしか能のない人間だと思う。あの女の子に腹が立っているわけではない。世界にとってのゴミである自分に腹が立っているのだ。

○『そんなに言わなくたっていいじゃない。』
●『……は?』
状況の整理ができず、不覚にも数秒間見つめあってしまった。
●『なんでここにいる。』
○『心配だったんだもん。』
新手の詐欺か?それとも人を弄ぶのが趣味の変人か?少なくとも関わっていいことはないだろう。
無視して部屋に入ろうとするが、足を挟めこまれてドアを閉めさせてくれない。
●『なんだよ。』
○『話付き合ってくれてないじゃん!少しくらい話してくれてもさ、ね?』
……疲れた。どうせすぐ死ぬつもりだ。特に失うものもない。抵抗して疲れるよりも適当にあしらって終わらせよう。
渋々中に入れることにした。
●『はぁ……それで何?』
○『特に話したいこともないんだけど……何、飲むの?』
●『飲まずにやってられるか。』



ここから記憶がない。死を決意するというのは、思っていたより心のエネルギーを使うようだ。これほどすっかり記憶が飛ぶのはいつぶりだろう。疲れていたのか。色々と。



頭痛と喉の痛みで目が覚めた。
頭も喉も最悪だったが、鼻腔に与えられた刺激は心地よいものだった。
●『……何してんだ。』
○『何って朝ごはん作ってるに決まってるじゃん!さぁ食べる準備して!』

やけに美味しかった。そういえば手料理なんていつぶりだろう。
●『……うまい。』
○『ほんと!?良かった~!』
●『なんでお前当たり前のようにいるんだ。』
○『なんでって、昨日話したじゃん?』
●『何を。』
○『しばらく一緒に住むって話。』



??????
わけが分からない。酔った時のおれは何を言ったんだ。それとも架空の話をしておれが言ったと信じさせようとしているのか?
そう考えると急に怖くなった。

●『出ていけ。』
○『え?』
●『すぐに出ていけ。』
彼女は後ろに大きく倒れた。
軽く押したつもりだったが、思いのほか力を入れてしまっていたようだ。
とっさに心配してしまいそうになるのを堪えるのに必死だった。

俯いたまま彼女は出ていった。

1人の部屋は静かだった。いつも通りのはずなのにやけに静かに感じた。
罪悪感や寂しさを捨てるために、まだ温かい料理を片っ端からゴミ箱に捨てた。

……疲れた。タバコに火をつけようとしたが、タバコがないことに気がついたので買いに行くことにした。
……ない。鍵がない。持っていかれたのだろうか。やはり犯罪の類だったのだろう。
奪われて困るようなものはこの部屋にない。放っておいてコンビニに向かった。

帰ってくると部屋が片付いていた。
彼女が使っていた調理器具が無くなっていた。あれらは僕の家にあるものじゃない。おそらく私物だったのであろう。
まぁ知ったことではない
多少気味が悪いが、どうせ近々死ぬつもりだ。今更何があったところでどうでもいい。

横になった僕は二日酔いの頭痛に負けて死んだように寝た。

起きると手紙が投函されていた。
手紙の中身は謝罪と一緒にいたいという言葉だった。
こんなわかりやすい犯罪に巻き込まれるバカはいない。どれだけバカだと思われてるんだ。
「明日の17時50分に来ます。嫌だったらドアを開けないでください。一緒にいてもいいと思ってくれたならドアを開けてください。」
そう書かれていた。
開けるわけがない。何を言ってるんだ。


10月31日17時50分
インターホンが鳴った。
開けるわけがない。見るからに犯罪だ。
しかし鍵は返してもらわねば。
そう、鍵を返してもらうだけだ。ただそれだけ、一緒にいたいわけじゃない。
一緒にいたいからドアを開けるわけではない。
僕はドアを開けた。

ドアを開けた瞬間、彼女は泣き出した。

ここで胸を貸さないのは男としてよくないからな。鍵も返してもらわないといけないし。別に彼女が恋しいわけではない。ただなんとなく胸を貸しているだけだ。



彼女は1ヶ月だけだと言った。
1ヶ月だけ一緒にいてほしい。その代わり1ヶ月間私はあなたのものだ。ということだ。

…別に1ヶ月一緒にいる気はない。ただ死ぬまで美味いご飯を食べれるならいいと思っただけだ。


彼女はカレンダーを持ってきた。
一日ずつ交互に一言日記を書こうということだ。


11月1日
夜ご飯が美味しかった。

11月2日
つーくんがお酒を飲みすぎた!お酒禁止の約束をしました。

11月3日
今日の夜ご飯は鯛の煮付けだった。酒がほしい。

11月4日
つーくんがお酒を飲もうとしたので怒りました。罰としてタバコも禁止にしました。

11月5日
朝から遠出した。生活リズムが朝型になった。

11月6日
今日は雨だったので家で映画をみました。泣いちゃってやばい!って思ってたらつーくんも泣いてて安心しました。

11月7日
健康的な生活をしてる。人間みたいな生活してて不思議だ。

11月8日
喧嘩をしました。でもつーくんがケーキを買って仲直りしに戻ってきてくれました。幸せです。

11月9日
紅葉狩りに行った。弁当が美味かった。



………



11月30日
今までありがとう。幸せな日々をありがとう。さようなら。

12月1日
あいつがいなくなった。


あいつは何事もなかったかのように、元からそこには何も無かったかのようにいなくなった。
まぁ約束だしな、当たり前だ。
居て欲しかったわけではない、美味いご飯が食べれたから居座らせてだけだ、当たり前だ。
会いたいから気にしてるわけではない、1ヶ月も居座られて突然いなくなったから違和感があるだけだ、当たり前だ。



僕は家から飛び出していた。
2人で行ったスーパー、2人で歩いた公園、お揃いのマグカップを2人で買った商店街。
どこにも彼女の姿は見えなかった。


2人で過ごしたこの家に戻ってきた。そこには、2人ですごした温もりが、匂いが残っているような気がした。


僕は、会いたいんだ。そうだよ会いたいんだよ。
あいつがもし人を弄ぶ趣味がある変人だとしたら、作戦は成功だよ。会いたくて仕方ない、弄んでたんだとしてもいい、バカじゃないかと罵られてもいい。
戻ってきてくれよ。



1週間探し回ったが、彼女を見つけることはできなかった。

考えてみれば、僕は彼女がどこでどのような生活をしているのか知らない。
彼女の年齢も知らない。
名前すら。
僕は何も知らなかったのだ。



●「あ……。」
彼女に関する手がかりがこの部屋にはあったはずだ。
彼女が部屋に残したものはカレンダーと、机に置いてある花、それとあと1つだけ。
どこだ、どこにある。



あった。手紙だ。
感慨に浸りながら読み直したいものだが、今はそれどころではない。すぐに右下に目をやる。

『秋川 桜』

●「はは、なんだよ……そういうことかよ……。」
僕の部屋には似合わないと散々言ったのに、彼女が駄々をこねて置いた机の上の花は黒いコスモス、『秋桜』であった。


『秋川 桜』
その名前には初めて見たとは思えない懐かしさを覚えた。
僕は彼女と以前会っている。
遠い昔会っている。

この既視感の他に手がかりと思えそうなものは無かった。
僕はこの既視感を信じることとした。

小学校、中学校、高校の卒業アルバムを引っ張り出した。
学校生活に想い入れなんて無い僕がこれらを捨てずに持っていたことは奇跡と言う他ない。

顔写真の下に書いてある名前を追っていく。
高校……ではない。中学校……にもない。
小学校。6年2組。『秋川 桜』
顔写真を見た瞬間に思い出した。

彼女とは古い仲であった。
幼稚園の頃から親同士の仲が良く一緒に過ごしていた。
中学校は別だったので疎遠となったが。
なぜ忘れてたのだろう。なぜ忘れてしまったのだろう。


小学生とは思えないような言葉遣い、僕を弄んでいるかのような口元の歪んだ笑顔、無邪気に笑うと細くなる目、暖かく柔らかい手。

今なら鮮明に思い出せる。
同時に彼女が口癖のように言っていた言葉が頭の中に流れた。
〇「記憶なんていつか消えるんだよ。覚えてるなんてなんの信用もできない。覚えてるんじゃなくて想ってることが大事なの。今その時想ってる気持ちはここに残ってるから。」


僕は彼女が好きだった。
彼女も僕を好いていたように思える。
2人の関係が壊れるのが怖くて、僕らは踏み出せなかったんだ。


笑えてくる。
僕は今まで幼なじみに怯えていたのか。
好きだった女の子に怯えていたのか。

あいつの家は覚えてる。

傍から見ればストーカーと変わりないが、もう止まれなかった。


会いたい。今すぐ会いたい。
彼女と居られるなら何だってする。
真面目に働いて、タバコも酒もやめて、
桜とともに人間らしく生きる。
桜と生きていきたい。







気づいたら自分の部屋だった。
頭が割れるように痛い、二日酔いの痛みのような気がする。

なぜだ、確か昨日、
桜の家に着いた僕は、15年ぶりに会った桜の母親に挨拶をし、すぐに桜のことを聞いた。





桜は死んでいた。

三日前に。

半年前に余命を宣告されていたらしい。

1ヶ月だけ好きなことをしてくる、とだけ言って消え、戻ってきてすぐに体調が急変したのだそうだ。

思い残すことが無くなっちゃったからかも、と言っていたらしい。


そんなのないじゃないか。
なんでなにも言ってくれなかったんだ。
時間はたくさんあったじゃないか。
なんで、なんで。


僕は涙で崩れた顔のまま外に出た。
そして向かった、あの日の場所に。



時刻は17時50分。
僕は彼女を待った。

彼女が僕の前に現れる時はいつも17時50分だった。
今だって来てくれるはずだ。
何してんの?って。
興味無さそうに聞いてくるはずだ。
必ず、必ず。



18時50分……19時50分……21時。



気づくと夜になっていた。



●「来てくれない……のか。」

●「きっと来たいけど来れなかったんだよな。そうだよな。」


●「全くもう、仕方ないな。じゃあ、おれが迎えに行くよ。」



僕は満天の星空に一歩踏み出した。
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