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第2章

2-03転校生

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 その男子は、小学校5年生の7月初め頃に転校して来た。
 普通はこの頃に引っ越して来たとしても、転入は9月からだろう。
 しかも翌日から短縮授業という中途半端なことが、さくらの関心を惹いたのかも知れない。
 慌てて転校しなければならない事情があったのだろうと感じたが、詮索するような真似はできない。
 男子の名は“如月湧”。
 あまりパッとしない名前だ。
 しかも転校生という異端意識が働いているのか、性格なのか、さくらの第一印象としては、とにかく“暗い”の一言に尽きた。
 クラスに馴染もうという努力はおろか、話しかけてくるクラスメートたちともまともに会話をしようとしなかった。
 1学期最後の日、つまり終業式の朝、とうとうさくらは見るに見かねて、湧を叱りつけた。
 「あんたがみんなと仲良くしないのは勝手だけど、その陰気な顔は止めて欲しいの! いるだけでクラスの雰囲気が悪くなるのよっ!」
 クラスメートたちはそこまで言う気はなかった。
 確かに湧が来てからクラスの雰囲気は暗くなっていた。
 が、その反面、湧以外のクラスメートの結束は固く、他のクラスでは当たり前のようになっていた、小さないじめが皆無になっていた。
 そして、それこそがさくらが我慢出来なかった最大の理由なのだった。
 このままでは本当に湧はクラスの異物になってしまう。
 「ありがとう。でも、いいんだ。俺は…」
 「な、何がいいのよっ! 良い訳無いでしょっ!」
 誰の為にさくらは怒っているのか? 湧に気持ちが伝わらないことが悲しかった。
 「本当に…。俺には関わらない方が君のためだよ」
 「私のため? 何ソレ? いったいどこから目線なのよっ! もう勝手にしなさいっ!」
 涙が滲んで来て、さくらは教室を飛び出した。

 夏休みに入って二週間経った頃、
 「ゴッドスパイラルアロー!!」
 「え?」
 弓道場の前を通りかかったさくらは、聞き覚えのある声にぞっとした。
 格子窓から覗くと予想通り、如月湧が射場に立ち、再び奇声を上げ始めているのだった。
 「ちぃよぉ~っとぉ! まったぁ~!!」
 叫びながら弓道場に飛び込み、礼もそこそこに射場に駆け上がった。
 「ここは神聖な弓道場よっ! 大声あげるなんて許されないのっ!」
 「へっ? あぁ…柳瀬川…さん? さくらさんだっけ? こんにちは」
 さくらの癇癪など全く意に介さず、のんびりと挨拶する。
 「どっちでもいいから、さっさと出て行きなさいっ!」
 「出て行く必要はないぞ、如月君」
 「何を言っ…お、おとう…道主っ? どういうことですかっ?」
 さくらの抗議に平然と応えるさくらの父、柳瀬川保。
 この道場の主であり、柳瀬川家の当代宗主だ。
 つまりどんなにさくらが異を唱えようと、一喝のうちに黙らせることができる唯一の存在なのだ。
 「如月君は私に頼まれて演技見本を行ったのだ」
 「演技見本ン? 何ですか? それ…」
 さすがにさくらもキョトンとした顔で、聞き直してしまった。
 「まあ、道場の者には私語厳禁、粗雑な行動禁止など厳しい礼儀を強制しているが、教室に通う生徒さんたちには、まず弓の楽しみを知ってもらう方が良い」
 「それはそうですが…、それと礼を損なう行いは違うのでは?」
 周りで固唾を飲んで様子を見ていた生徒たちは、とても小学5年生のセリフだと思えないさくらの発言に関心していた。
 「武術は礼に始まり礼に終わる。これは鉄則というより、心得のはずです」
 「さくらは固いなぁ…だから教室の生徒さんがお前に近づかないのだ」
 保はガックリと肩を落として、娘のかたくなさを嘆いた。
 保は続ける。
 「なに、簡単なことだ。初心者には矢を射るタイミングが掴みにくい。有段者ともなれば、心を無にして、精神集中する術を得ているが、それは長い時間をかけて取得する技術なのだ」
 「そ、それはそうです。そういう心を研ぐ事が弓道の本意です。その上で矢ぶる技術を研鑽することが修行ですから」
 さくらは挑む様に父親に喰ってかかった。
 自分も血の滲むような修行に耐えて、今の自分があるのだ。
 そう簡単に誰でも得られる簡単なものではない。
 「…さくらぁ~、お前それ本気で言ってるのか?」
 柳瀬川保は呆れ顔で呟いた。
 「おとうさん! 何よそれ! 私の修行の時にお父さんが言った言葉でしょ!」
 「これこれ、ここは神聖な射場じゃなかったのか? そんなに心に荒波立てて…、まだまだ修行が足りんなぁ、お前は…」
 「…(ぁぅ…ぁぅ…ぉ…しゅ…しん…)…」
 さくらはパニックを起こしかけた。
 (一体なんなんだこの状況はっ!)
 とはいえ、言葉を発する事ができなかった。
 「ああ、如月君すまなかった。続きを頼む」
 「承知致しました」
 湧は動じた様子も見せず、簡潔に応えて第2射の準備に入った。
 「いいか。矢ぶることはリズミカルに行うことで、流れる様な演技となる。如月君のように自分の掛け声でそれを得られるなら、是非行うべきだ。そして慣れてきたら心の中で唱えればいいだけのことなのだ」
 「それまでは神輿の担ぎ手みたいに掛け声をかけても良い…と?」
 さくらは自分の主張を変えない。頑固すぎる性格が最近の上達を鈍らせていることに本人は気付いていないのだった。
 「シャイニング・フラッシュ・スター!」
 湧は掛け声のテンポに合わせて、弓を上げ、弦を引き、矢を放つ。
 確かに『無心』で矢ぶる上級者と比べ、小気味良く、しかも全行程が短い。
 演舞ならともかく、実戦だったら矢ぶる時間は短い方が良い事は確かなのだ。
 「如月君がブツブツいいながら矢ぶるの見ていて、いっそ、声に出した方が良いのでは? と思ってな」
 保は楽しそうに話す。
 さくらは父親が射場でこんな風に優しい顔をしたのを初めて見た。
 それほど湧が気に入ったらしい。
 「で、しきたりも礼も無視してやらせたんですね?」
 「さくらは不満かもしれないが、声に出しながら矢ぶった時は全て的心を得てるぞ」
 保のドヤ顔が鬱陶しいが、実際に自分の目で見ていると確かに…
 「…かっこいい…」
 つい、声に出してしまい、さくらは真っ赤になって射場を飛び出してしまった。

 勘がいいのか、才能があったのか、湧は素晴らしい上達をみせた。
 その頑張りが波及したように、他の生徒たちも湧に負けじと真剣に練習に励んだ。
 湧は良い意味で教室のカンフル剤になり、ムードメーカーになり、ステータスになっていた。
 その上、道場でのマナーやルールも、ともすれば門下生たちより厳格に守る場面が多々あったのだ。
 ここまで来るとさすがにさくらも文句が言えない。
 木々から葉が全て落ちた頃には、さくらも湧の練習風景を優しい表情で眺めるほどになっていた。

 「はいぃぃぃっ? やめた? 教室をぉ!」
 さくらは三学期が始まって間もない日曜の昼前、居間でくつろいでいたところに保が暗い表情で入って来た。
 「うむ、突然都合が悪くなったと言って辞めてしまったのだ。門下生ならともかく、教室の生徒では、引き止める訳にも行かなくてな…」
 確かに年明け最初の練習には湧の姿がなかった。
 「理由は聞かなかったんですか? 都合ってなに?」
 「あ…ぁぁ…まぁ…心当たりがないわけじゃ…ない…が…」
 保が急に言い淀む。
 さくらは父が原因で湧が教室を去ったと直感した。
 「…道主…」
 まだ11歳だというのに、さくらの表情は身も縮む様な冷たい圧力を放っていた。
 「あぁぁ…なんというか…彼は10年…、いや100年に一人と言っていい程の逸材だ。それで時間を無駄に消費するのは愚かだと思う。だから…道場への入門を薦めたのだ」
 「はぃぃぃ? ち、ちょっと、おとうさん!」
 あまりの事にもはや宗家をきどっている場合ではなかった。
 「柳瀬川家の門下生は、いわゆる諜報部隊ですよっ! そこに全く無関係な、しかも子どもをっ!」
 「そんなことは重々判っておる。しかしな、彼は…、…、…、いや、何でも無い。忘れろ」
 保は明らかに動揺していた。その理由はさくらには判らなかったが、何かを隠している事だけは確信した。
 ――― 如月湧には何かある ―――
 さくらは渋々口を塞ぎ、居間を出た。

 三学期が始まってしばらく経った頃、始業前に教室でいずみと昨夜のTV番組の話しをしていたら…
 「マグレブデザートヨーヨー!」
 <ごちん!>
 廊下から奇声が聞こえ、机に突っ伏した。
 「うぅぅ…なんか、すごくデジャヴってる…」
 「ん? どうしたの? さくら?」
 いずみは不思議そうな顔でさくらに訊ねた。

 湧は廊下でクラスメートの何人かと、今流行っている特撮ヒーロー戦隊ごっこをしていた。
 湧は紙皿2枚を張り合わせて凧糸をつけた、お手製のヨーヨーを手にしていた。
 どうやらあれが武器らしい。
 「…はぅ…今度はヨーヨーかいっ!」
 「そうなのよ! しかも今回は番組開始と同時に発売という力の入れ様で、番組内の小物デザインをメーカーのカンダイが手掛けたから、同時進行でグッズも開発したの!」
 さくらの呟きを聞き止め、いずみが喰い付いてきた。
 しかも聞いてもいないのに、グッズの解説を宣った。
 「でね。でね。予約抽選制なので、当たるかどうか不安だったけど…ジャァ~~~~ン!」
 と言いながら、いずみは鞄からそのグッズらしきヨーヨーを取り出した。
 「はい? なにこれ?」
 「な、なにいってんのよ! これが今ネットではプレミアムが付く程の大人気の…」
 「あ! マグレブヨーヨーだっ! すげ~」
 目敏く湧が見つけて近寄って来た。
 「にはは…とうとう買っちゃったわ、マグレブヨーヨー!」
 と、うれしそうにパッケージを開けた。
 「俺も予約したけど外れちゃって…今度はいつ入荷するのかなぁ。いいなあ~」
 湧は本当に羨ましそうだ。さくらは湧の子どもっぽい表情をみて、
 (へえ、こんな顔もするんだ…。でも…)
 「にゃはは。日頃の行いの違い? かな?」
 「俺だって日頃の行いは…、う~ん。よし! これからは正義のヒーロー目指すぞ!」
 湧はこの時から校内で“正義のヒーロー”を標榜し始めた。
 「へえ~、でも特撮ヒーローごっこばっかりやってても…ねぇ~」
 いずみはからかうが、湧は半ば本気の様子。
 二人の会話が妙に弾んでいるのが気に入らない。
 「だけど…ただのスーパーヨーヨーでしょ? そんなおもちゃに価値があるの?」
 さくらが嫌味っぽく口にした途端に…
 「『おもちゃじゃない! これは特撮ヒーローの必殺兵器(なのよ)だぞ!』」
 みごとなユニゾンで切り返された。
 「見てなさい! ここをこうすると…」
 《マグレブソニックヨーヨー!》
 「こら! 音出すんじゃない!」
 「すげえ! TVと同じだぁ!」
 ムっ!として、さくらはいずみと湧に両手で脳天チョップを喰らわせた。

 いずみと湧が特撮ヒーロー番組で盛り上がっているのを横目で見ながら、さくらはぼんやりと想いに耽っていた。
 (なんでやめたの? もう弓道に興味なくなったの?)
 その問いかけは結局口にできなかった。
    <続く>
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