帝国の魔女

G.G

文字の大きさ
上 下
26 / 36

●間話――絡み合う思惑①

しおりを挟む

仄暗い室内でゆらりと銀の髪がゆらめく。
ゆっくり起き上がったのは少女。肌から悦楽の雫が滴り落ちる。
体の下にはだらしなく横たわった男の体。ぴくりとも動かない。
――なぜ、うまく行かない?なぜ、失敗する?
瞳の奥は怒りに赤く燃えさかり、胸の内はどす黒く渦を巻く。

圧倒的魔力が失われた今、彼女の基本能力、精神支配は接触と相手の理性放棄に依存する。それは快楽の絶頂。
その瞬間、相手の精神は無防備になる。
そして、奥に潜めた欲望を解放させる。
『魔王復活団体』は良い手駒だった。
彼女の身元は彼らに依っていくらでも詐称できた。
高級娼婦、欲求不満の未亡人、位のある側女候補…………

最初、ギヌアードの瘴気を集め、魔物の大量発生を起こした。
同じタイミングでヨルド王国を動かし、マンレオタ領に侵入させた。
そしてリーアという娘が、魔素を根こそぎ持って行った魔女だと確認できた。
そこまでは思惑通り。
それからがうまく行かない。
国境から帝都に向かう領地の当たりをいくつかの王国軍に待ち伏せさせた。
しかし、リーアは消えてしまった。

随分最初の頃からサシャルリン王国の『影』を掌握していた。この諜報機関は極めて有能だと言う事は確かめていた。
その『影』がリーアの行方を一向に掴めない。
ギヌアードから溢れた魔物はマンレオタ領内を満たし、帝国だけでなく王国にまでも侵攻していく。そして帝国は報復のため王国へ攻め入る。王国も負けずと帝国へ攻め入る。
魔物に襲われ、戦闘で傷つき死んでいく。彼女にとって、そういう人間達の恐怖や絶望、苦しみは魂の糧になる。
戦場や魔物達の頭上を飛竜で駆け抜け、死にゆく者の心の叫びを享受する。

そうしているうち、帝都で探していた物をみつける。
空間魔法の波動だ。王宮の方角から何度も発生している。
彼女は騎士や侍従などに近づき、快楽を与え、精神支配する。
そうした一人に王宮侵入への手引きをさせる。
王宮の練兵場で兵に混じったリーアをみつけた。
その様子から、帝国上層部と深い繋がりがあると分かる。
もう見失わない。

後はいかに近づき、油断を見澄まして憑依するかだ。ただ、憑依するには体に触れる必要があり、意識を奪わなければならない。他の者はともかく、あの魔女は意識があると、あの魔法で逃げられてしまう。
魔王の力と知識を持ってしても、あの魔法の正体は皆目見当もつかなかった。もし、あの魔法に掴まったら今の魔王でも逃げようが無い。
憑依さえできれば、そのまま体を乗っ取っても良いし、魔素を取り返しても良い。

彼女は慎重に機会を覗う。
そして領主の館で食事を摂るという情報を『影』から知らされる。
給仕を一人、精神支配する。飲み物に催眠剤を入れさせるためだ。
『影』の腕利きを待機させる。リーアが意識をなくした所で掠わせるためだ。
だが失敗する。
ムイという女が催眠剤を見破ったのだ。あの女は邪魔だ。

『影』の男達にムイの抹殺を指令する。
『影』の男達は帝国兵に紛れて機会を覗う。
ムイが軍を離れ、数人と戦役を見守るように丘に陣取る。
機会が来たと『影』の男達は思った。
三方から矢を射かける。が、防がれた!
強力な魔法を使う者が居た。ムイ自身も『影』を凌ぐ手練れだった。

搦め手でダメなら圧倒的な力押し。
サシャルリンの『影』が掴んだターゲットを一人一人落としていく。
キャムレン第三皇子とチムジャ・コンドナイ魔道士団団長を籠絡し、帝国を手中に収めてその権力で追い詰める。
……筈だった。

だが、失敗した。
なぜだ?

この世界に召喚された魔王は、八百年経った今、生まれていた新しい力を知らない。
ライカリア皇帝の運命に干渉する力を。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

執務室のラムリア・サシャルリンは頭を抱えていた。
ヨルドの愚行以来、連合王国の諸侯はラムリアの意図しない帝国への侵攻を行った。結果は逆に反攻を受け、国境に沿った領地を失う始末。
特にデシャム会戦の結果は衝撃的だった。三万五千の王国軍が二万の帝国軍に完膚なきまで叩きのめされる。
その後の帝国軍も、目の覚めるような用兵で王国軍を圧倒した。

幸か不幸か、帝国軍は勢いに任せず、そこで留まっている。
――ふん、賢明じゃな。補給線を伸び切らせて叩かれるのを避けたか。
帝国軍には優秀な軍師が付いているらしい。
『影』の報告では、よりによって元王国の王子、アイン・サンデニという。
ラムリアにとって、これも腹立たしい限りだった。
この状態ではとても有利な条件での講和は望めないだろう。
今は密かに、アジャ商会を通して条件の摺り合わせを行っている。

ふいに、『影』とは違う気配を感じて叱咤する。
「何者か!」
ラムリアの異能は並外れた威圧。それで連合王国を従えてきた。
しかし、その気配は威圧を静かに受け流す。
「失礼仕る。我らは『闇』とも呼ばれる者。此度はお役目によって参上した」
『闇』とは正体不明の組織を、誰言うと無く広まった名前。
不可能とも思える依頼を、何一つ失敗無くやり遂げる者。彼らは連絡の取りようも無いのだが、いつ知ったか、どうしても必要な時に現れる。

「我の命か?楽には取れまいぞ」
「いや。依頼者の伝言を持参した。これを」
物陰から、黒い手が文箱を差し出し、床に置いた。
「誰にも他言無く」
その声と供に気配は唐突に消える。

何度もためらった後、ラムリアは文箱を開ける。
顔色が変わった。
『影は操られている。陛下の御手で掌握されたし。
向後、我らに障りあるとき、影は闇の下、存在を保てず。  無明より』
読み終わると、その文書は文箱ごと消え去った。

文箱は、彼女の足下の支えである『影』が何か彼女の意図しない動きをしている、と仄めかしているのだ。
それが『無明』と名乗る相手の逆鱗に触れた。
そのままでは『影』は消される?
『影』の誰もが『闇』の侵入に気づかず、ラムリアとの接触を許した。
『闇』は諸侯を従える威圧を受け流した。
おそらく、何事も無くサシャルリンの警戒網を抜け出しているだろう。
その事実がラムリアを震撼させた。
――『無明』には勝てぬ。
ラムリアは考えを巡らす。
『影』は連合王国支配の決め手。何世代もかけて育てた切り札なのだ。これを失うわけにはいかない。
――では、どうすれば良いのか。
ラムリアの思考は深く深く沈み込む。


テンドはサシャルリンから抜け出しながら、脂汗をかいていた。
――ぱね~~、あのおばちゃん。
ハミの用意した防御魔道具が無かったら、あの威圧に吹き飛ばされてたかもしれない。
テンドのハミへの信頼はまた跳ね上がった。
その魔道具を作成したのがニニとシャニナリーアだったのは、彼の知る所では無い。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「魔王復活団体?」ハミが眉を顰める。
「その女は名前も容姿も色々に変えているので、正体は依然不明ですが、魔王復活団体に絡んでいるのは間違いなさそうで」
「キャムレン皇子と関係したのはその女だと?」
「はい。皇子の態度が変わったのは、その女と会った後ですし、チムジャ・コンドナイとも接触しています。髪の色は違いますが、容姿は似通っています」
「『影』との関係は掴めたか?」
「それはまだ。何らかの関わりはあると睨んでますが」
「分かった。引き続き頼む」
「はっ」

「どう思う?ワガル」ハミは傍らの好々爺に問いかける。
「魔王復活団体がリーア様を狙う理由が分かりませんな。ただ、リーア様を探している領主や国王にその女の影がある以上、魔王復活団体が利用されている可能性もありますな」
「まだ情報が足りないな。そうだ、テンドはラムリアに手紙を渡せたか?」
「首尾良く」
「これで『影』が大人しくなれば良いんだが」
――リーア様のためにも、何としてでも……

しおりを挟む

処理中です...