ローゼンクランツ王国再興記 〜前王朝の最高傑作が僕の内に宿る事を知る者は誰もいない〜

神崎水花

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1章、人が生きる世こそ地獄ではないか

3話、僕の初陣

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 ここは、ローゼンヌの領都ローリエにある領主館。
 質素ながらも気品漂う佇まいの屋敷は、周囲を緑に囲まれ、白亜の壁が陽光に優しく輝いている。屋敷へと続く石畳の道は、両脇に領主の愛娘ツェツィーリアが丹精込めて育てた色とりどりの花々によって彩られ、訪れる者を温かく迎え入れるかのよう。

 そんな穏やかな雰囲気を破ったのは、伝令の慌ただしい足音だった。彼は息を切らして、重厚な樫の木の扉を勢いよく開け放つ。

「閣下、急報です!」
 伝令は、ローゼリア領に常駐している連絡員の一人で、名をハンスと言う。彼の顔には、明らかに動揺の色が浮かんでいた。領主であるツァハリアス・フォン・ローゼンヌ子爵は、執務室の椅子から立ち上がり、ハンスに近づくとまずは落ち着くよう諫める。

「落ち着けハンス。何が起きた?」
「ローゼリア北部へ向けて、御当主フランツ様とご嫡子アレクス様が出陣された模様です」
「出陣だと?」
 只ならぬ内容にツァハリアスの眉間に皺が刻まれる。
 ローゼリアとローゼンヌは、先の王朝の流れを汲む家柄同士であり、今もなお盟友として、また縁戚として強い絆で結ばれていた。両家は領地が隣り合わせということもあって、互いの領地に連絡員を派遣し合い、常に情報交換を行っていたのだ。

「一体何が起きたのだ? 詳細は?」
 ツァハリアスは、ハンスの顔を見つめながら尋ねる。
「申し訳ございません。まだ詳しいことは分かっておりません。まずは、ご出陣された事を急ぎお伝えすべくまかり越した次第です」
 伝令であるハンスは、申し訳なさそうに頭を下げた。
 その額には馬を飛ばしてきたのか、うっすらと汗が浮かんでいる。

 二人の会話を心配そうに聞いていたツァハリアスの愛娘ツェツィーリアが、ここで思わず口を開いてしまう。
「アレクス様もですか? あの方が戦場へ?」

 ツェツィーリアは、心配そうな表情で父親を見つめながら、ぽつりと呟いた。
 アレクスはローゼリア家の嫡男であり、新帝即位の祝いや、パーティーで何度か顔を合わせたこともある。幼馴染とまではいかないが、共に領主の子として育った仲である。

「物静かで穏やかな彼が、戦場だなんて……」
 心優しいアレクスのことを、彼女は知っていた。
 そんな彼が戦場で槍を振るう姿など、想像もつかないツェツィーリアだった。
 
 ローゼリア伯の嫡子アレクスを心配するこの女性は、ローゼンヌ子爵の一人娘ツェツィーリアである。すらりと伸びた長い手足と、均整の取れた肢体。やや白に近い金髪は長く美しく、まるで細かな金糸、銀糸で織りなされたようで、風がそっと触れるたびに優雅になびき、キラキラと輝きを放つ。
 美しく整った顔立ちを華やかに飾るは、淡い煌めきを放つ瑠璃色の瞳と長い睫毛。美の中にそっと佇む薄桃色に濡れた唇が何とも可愛らしく、その肌は白磁を思わせる程に白く瑞々みずみずしかった。

 その美しさは、歳を重ねるごとに増していて、近頃では近隣の諸侯やその子息達から熱いまなざしを注がれるようになっており、彼女を手に入れたいと願う者も少なくなかった。

↓ ツェツィーリア挿絵です ↓


「父であるフランツ伯が側に付いている。大丈夫であろう」
「だと良いのですが」
「伯や奥方に、何かあれば我が家はいつでも手助けすると伝えてくれるか?」
「はっ、その通りお伝えいたします」
 報告を終えた連絡員は元いたローゼリアの詰所に戻るべく、主君であるツァハリアスとその娘ツェツィーリアに頭を下げて、その場を後にした。

 ツァハリアスは、娘の心配そうな表情を見て優しく微笑む。
「大丈夫だよツェツィ。それに、ローゼリアと我らは盟友であり縁戚だ。何かあっても助け合い乗り越えればよい」

 ◆◆

「父上、此度こたびの援軍誠にありがとうございます」
 アルザスは、ローゼリア領主である父フランツへ深々と頭を下げた。
 父上は弟の野盗出現の報を聞くと、すぐさま部隊を率いて領都から駆けつけた。そして今、僕達親子は野盗討伐の軍議のため、急ごしらえの天幕の中にいる。
 
 一言礼を述べたあと、軍議のためにと急ぎ組み立てられた、簡素な組み立て式テーブルに広げられたローゼリア領図を指差し、アルザスが続ける。
「奴らめ、我らが領都ローゼンハーフェンからの援軍ありとおくしたのか、今や街道から外れこのあたりに潜んでおるようです」

 その指先は、ノーファー南東の深い森周辺を指し示していた。
「ほう? 森の近くか、敵わんと見れば逃走を図るやもしれんな」
「おそらくは……、しかしここで逃がすとまた出てくる可能性がございます。出来ればこの機に殲滅せんめつしたく思いますが、父上如何でしょうか?」
 アルザスの言うことは至極最もで、ここで賊を取り逃せば、今後出現するたびに対応を迫られる事になる。殲滅或いは壊滅的な打撃は与えておきたい、誰もがそう考えるだろう。
「うむ、そうだな」
 父上も了承したようだった。
「私の兵は少数ですから、父上の後方支援に徹したく思います。主軍は全面攻勢の後、森へ逃げた敵も出来るだけ殲滅してください」
「わかった。では、その流れで行くとしよう。よいなエイブラム? 頼んだぞ」
 父上は軍議の末席に席を連ねる、老騎士エイブラムへ向けてそう告げると、彼は「御意」とただ一言、短く答えた。

 軍議が終わると、そこへ参加していた騎士たちが一人また一人と席を立つ。
 アルザスもさっさと立ち上がると、天幕の出口へと向かい始める。
 その後ろ姿を見送りながら、僕は小さくため息をついた。
「またか……」
 アルザスは軍議中だけでなく、普段から僕をあまり見ようとはしない。
 特に、槍や剣の鍛錬をしている時は酷く、まるで僕がそこにいないかのように振る舞う。ここ最近はずっとそうだった。

 まあ、いつものことだけどね。
 僕は自嘲気味に笑って、立ち上がった。
 アルザスの冷たい視線は、もう慣れっこだ。

「では父上、のちほど戦場にて」
「うむ、気をつけてな」
 アルザスは、父上へ退室の挨拶をすませると、去り際にひと目僕を見る。

↓ 弟アルザスの挿絵となります ↓  
  

「これは珍しい、兄上が戦場に?」
「ああ、アレクにも色々経験を積ませようと思ってな。それにアルザスよ。兄が弟を助けるのは当然であろう」
「うん、精一杯やらせてもらうつもりだよ」
「ハハハハッ、大変良き事かと。ご配慮に感謝します」
 アルザスが僕を見て、嘲笑ではない笑みを見せるのは本当に珍しい。

 まさか、アルザスが僕を認めてくれた?
 そんな考えが頭をよぎった。嫌で仕方がなかった今回の出陣も、もしかしたら来てよかったのかもしれない。そんな思いが、僕の心を少しだけ軽くする。
 父上の、しばらく距離を開ければって考えが功を奏したのだろうか?
 僕の今の心情を知れば、『何を甘い考えを』と思う人がいるかもしれない。でも僕達兄弟は決して憎み合ってるわけじゃない。
 
 ホンの少しだけ明るい気持ちになれた僕は、軍議用に組まれた簡易式の天幕を出て、近くにいた父上付きの従者に刻限を確認した。すると、今は二の刻過ぎだと言う。
 日が昇ってすぐ領都を出たから、かれこれもう七刻は移動していたことになる。距離になおすと14キロ以上だろうか、人間やれば何とかなるものである。
 オスヴァルトやアイリーンが僕の心情を知ったら『頑張ったのは馬です』とか言いそう。うん、これは間違いないな。
 
 数多あまたある本の中でも、とりわけ伝記物や叙事詩じょじしの類を好んで読んできた僕にとって、今回の初陣はまさに驚きの連続だった。

 書物では、英雄たちが華々しく活躍する話ばかりだけれど、現実では重い装備を身につけ一日中移動するだけで大変だし、戦いの準備には多くの人の助けが必要となる事も知った。今回の出陣先は、僅か1日程度という近い距離にあるのに、身の回りの世話をするための従者だけでなく、負傷者の治療にあたる癒官まで同行していたから驚きだ。ちなみに癒官ゆかんとは神力しんりきを用いた治療を施す人達の事を言う。
 行軍中におおまかな時間がわかるよう、携帯式日時計まで持ち込まれているのにも驚いたなぁ。戦いが終わったら、父上に頼んでじっくり見せてもらうとしよう。

 本の中の世界は、あくまで物語。
 現実の戦場は、想像をはるかに超える過酷さと、それを支える人々の知恵と工夫に満ちているのだと、身をもって感じた日だったよ。まだ終わって無いけどね……。

 そんな事を考えてる間にも、ローゼリア軍は北へ向けて順調に歩を進め、アルザスから聞いていた場所まであと僅かの所まで来ていた。斥候が頻繁に出入りするようになり、木々のざわめきや風の吹き荒ぶ音が、なんだか不気味な感じがして落ち着かなくなる。これが初陣の怖さなんだろうか。

 間もなく、この静寂は鬨の声と剣戟の音が掻き鳴らす地獄絵図へと変わるのだ。
 そう思うと、心臓が早鐘のように打ち鳴り、手は震え、口の中は乾き始める。初めての戦場。これまで本で読んだ戦記や英雄譚とは全く違う、生々しい死の匂いが、僕の全身を包み込もうとしていた。
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