ナイフが朱に染まる

白河甚平@壺

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(第14話)俺の名前は伊藤。不思議な美女と出逢った。こいつは危ない綱渡りだと思った。

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「畜生!スケオの野郎。俺を散々コケにしやがって!」


スケオに証拠写真を撮られてしまい社長に訴えるとまで言われた俺は、資料室から荒々しく飛び出した。
もう少しでマコトをファックできたところなのに、ヤツは英雄きどりで目障りな野郎だ。
俺の頭が混乱して階段で一気に玄関まで駆け降りる。
俺は会うたびに潜在的にスケオと比べていた。
コンプレックスを隠してヤツを馬鹿にしてきた。
スケオはドジばかりこくが社員からは親しまれ、マコトからも尊敬されて好かれている。
クソ。大抵の馬鹿女は俺みたいな色男に堕ちて快く股を開く女ばかりだったのに、何故あんな小便臭いガキみてぇなマコトに嫌がられるんだ?
なぜだ。なぜだ。なぜだ。俺の方が一番なのに。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。
考えても答えが出てこない。頭が掻きまわされるような気持ちだ。


「クソーーーーーーーー!」


俺は声を張り上げて自販機の隣にあったゴミ箱をおもいっきし蹴とばす。
すると、いつのまにか目の前に掃除婦が現れた。
女は帽子の影からじっと見据えている。
俺は不思議な気持ちになった。


「な、なんだよ」


目の前にいる女は狼狽えている俺を見て笑っている。
赤い唇をペロリと舐めてから女は言った。


「伊藤さん……かしら。
今、誰かを殺したいという気持ちになったんじゃない?
どうかしら、私が力になってあげるわよ」


「なぜ俺の名を知っている?
……まさか、さっきの所を見てたのか?」


頭から冷や水を浴びせかけられたようだ。
女は微笑を湛えて言った。


「安心して。私は貴方の味方よ」


着ているものからして一見老けているが、良く見ると胸と尻がツンと上がっている。
肉付きの良い、締まっている体つきだと思った。
姿勢と体格からして若い女だとわかった。
俺はつい女と居る時のイヤラシイ目つきでじろじろと見てしまった。
女はモップを床に置き、柄の先端に手の甲を乗せて頬杖をつく。


「ねぇ。今から駅前の喫茶店にいきません?
そこでいろいろとお話をしましょうよ。ウフフ…」


俺はゴクリと生唾を呑んだ。
この女、只者ではない。
女はなにやら用事を済ませてから向かうので、先に喫茶店に行ってほしいと俺に言った。
普通ならイタズラだと思って無視して帰るのだが、俺の欲情が激しく掻き立てられてしまった。
期待を大きく膨らませて俺は会社から出て駅前の喫茶店へと向かった。



駅前にある青文字で書かれた“ブルボン”という喫茶店を見つける。
そこの扉を開けると軽やかにベルが鳴った。
天井からぶら下がったステンドグラスを重ねたようなランプが薄暗い店内を照らしていた。
花柄のカーテンのついた窓の側に、深緑色のソファーと茶色い丸テーブルが並べられている。
一目で昭和からあるようなレトロな喫茶店だと思った。
昼休みを外しているせいか、客は二人ぐらいしかいない。
カウンターにいるマスターに、コーヒー、と言って、ひっそりとした奥のテーブルの席へと進む。
俺は腰をおろし窓際に置かれていた雑誌を手に取って読んで女を待った。
注文したコーヒーが来た頃と同時に、黒い帽子を被った婦人が店に入ってきた。
俺は思わず息をのんだ。


(まさか、このとんでもない美女がさっきの掃除婦なのか?)


他の客も鄙びた店との場違いさに思わず口を開けて見惚れていた。
豊満な胸の上を描くように、カールされた金髪が垂れていた。
乳首が見えるか見えないかのギリギリのところまで開いた服の上に黒のロングコートを羽織っている。
太腿に密着したミニスカートから長い足が伸びていた。
女は間抜けな顔をしている俺の前に座り、帽子を脱いだ。


「うふふ。ちゃんと店に来てくれたのね。お利口さん」


大き目のサングラスをかけている。
ギリシャの像のような顔立ちをしているが、
笑うと俄然に女が美しく見えた。


「へへへ。べっぴんさんに声かけられちゃ誰だって言うことを聞くさ。なあ。この後、食事にいかねーか」
俺はすっかり鼻の下を伸ばしきっている。


「オホホ。その前にワタシの話を聞いてちょうだい」
女はマスターに、わたしにもコーヒー、と言って注文をする。
すると老いぼれたマスターは、ハァ~イ、と薔薇の金縁のカップに挽きたてのコーヒーを注いでいそいそと盆にのせてきた。
彼はコーヒーと、携帯番号を書いた一杯無料券をそっと置いて、
女にウィンクを投げかけて去っていった。


「おいおい。贔屓じゃねーか。このエロじじいめ」
カウンターで歯を剥きだして笑っているマスターを睨みつける。
目の前にいる女もオホホと笑っていた。


「伊藤さん。ちょっとお耳を」
女に耳を貸してやった。
すると、世にも恐ろしいことを言いやがった。
思わず肘がテーブルから滑り落ちそうになる。


「なんだと!
マコトを誘拐するから俺にスケオを殺してくれだって?!」
「しっ」


素っ頓狂な声が出てしまい、女に声が大きいと言われてしまった。


「そうよ。私がマコトさんを上手く誘き寄せて連れてくるから。
そしたらアナタは彼女を煮て食うなり焼いて食うなり好きにできるじゃない」
うふ、とニッコリ女は笑う。


「それをしたいのは山々だが、そんな上手くいくのかなあ。
で、俺はスケオを殺すのか。かなりリスキーで割に合わないなあ。
そんなことは殺し屋か警察にでも頼んでくれよ。お姉さん」


俺のスケベ心が出てしまい、目をパチクリさせている女の隣に座る。


「そんなことよりもさあ。うへへへ…」
女の肩を触ろうとした瞬間、目の前にキラリとしたものが走る。
俺の顎先にナイフが突きつけられた。


「ねぇ。これは冗談じゃないのよ。ちゃんと真面目に聞いて」


俺は生唾を呑み込み、脂汗を流した。
この女、只者ではない。
ゆるみかけた顔を引き締めて向かいの席に座り直した。


「それで、なんで俺なんだよ」


女はフフ、と笑いナイフを引っ込めた。
エナメルのバッグから大き目の封筒を取り出し、中身を取り出す。
テーブルの上に10枚の写真がトランプのようにして並べられた。
その写真を見た瞬間、俺の頭から血の気を引いてしまう。
女はタバコに火をつけ、煙を写真に吹き付けた。


「どうかしら?知らないとは言わせないわよ」


「こ、これは……
俺がラブホテルに入ろうとしている写真ばかりじゃねーか。
こんな物、いつのまに……」


俺は身を乗り出し穴が開くほど見た。


「ええそうよ。あなたが社内の女性たちをホテルに連れ込もうとしている写真。私の言うとおりにしないと、これを会社に見せる事になるわよ」
口は笑っているように見えるが、サングラスの奥には背筋が寒くなるほど残忍な目をしていた。
どこかで見たことあるような女だと思った。


「アンタ、どっかで見たことある顔(ツラ)だな。
探偵か殺し屋か。それともキャバクラで会ったか?」


女は露骨に嫌な顔をして見せる。
流石にキャバ嬢と思われたのが癪に障ったらしい。
女は無視して話を続けた。


「…今、社長のお嬢さんと結婚前提でお付き合いしているわね?」
「ああ。そうだよ。どこで調べたか知らねえがそうだよ。それが?」
「オホホ。この写真を社長さんにお見せしたらどうなるのでしょうね?
アナタ、学校もまともに行っていないじゃないの。
昔のお友達から聞いたわ。ヤンキーだったじゃないの」
「チッ。プライバシーというものが無いのかよ。
あんまり首突っ込むとロクな事無いぜ。お姉さんよ」
「オホホホホ。アナタの方こそ、私の話をちゃんと聞いてないとロクなことありませんわよ」


女は足を組み直し、ソファにもたれた。


「なんとか卒業し工場の事務員として働けたアナタを今の社長さんが才能を見出してくれて、自分の娘と結婚する条件で正社員として入社させてくれたらしいじゃない。
きっと人懐っこく見えたんじゃない。
顔が良いと得するのね。オホホホ」


冷や汗で腋の下をビッショリかいてしまった。
この女、どこまで知ってんだ。
最後まで聞くのが怖くなってきた。


「………どこまで調べたんだ」
「ウフフ。給料も他の社員よりも弾んでくれているのね?
自分の大事な娘のフィアンセだもの。
尽くすだけ尽くしているわよね?元ヤンキーのアナタなんかに。
でも、この写真を公表して社長さんに密告したらどうなるかしら?
婚約の破断はもちろん、会社も首になってアナタは路頭に迷うことになるわ。
折角の出世もオジャン。
再就職する時でも30過ぎの中卒のアナタを雇ってくれるまともな会社なんてあるのかしら?」


なんて恐ろしい女なんだ。
この女は刑事か、探偵か?それとも香港マフィアか?
しっかり俺の弱みを握っていやがる。
冷や汗が滝のように流れ出てきた。


「分かった。分かったよ。
アンタの言うとおりにする」
「オホホ。良かったわ。
それじゃあ、打ち合わせするわよ」
上機嫌になった女は並べた写真をサッと封筒にしまいバッグにいれた。
背筋がゾクゾクしてきた。
悪女は何考えてるのか恐い。
今まで付き合った馬鹿女とは全くワケが違う。
生唾を呑み込んだ。


女は新しいタバコに火をつけてバッグからなにやら、カラフルな三つ折りのパンフレットを出し、テーブルに広げてみせた。


「舞台はワンダー遊園地。
一か月後の12月24日の夜に決行しましょう」


遊園地なんて子供の頃に行ったきりだ。
だが、犯行には打ってつけの場所だ。
休館に忍び込んで大声をあげても誰もこない。


「ここではなんだから、場所を変えましょう。
ホテルは予約済なの。
そこでディナーをとって、アナタと今夜親密を深めたいんだけど、
どうかしら?」


真っ赤な唇から煙を吐き出すところを俺はつい見惚れてしまった。
こいつは非常に危ない駆け引きだ。
だが、俺は人生に一度でいいから危ない綱渡りをしたいと思っていた。
どうせ会社に戻ってもスケオの野郎は社長に俺が女達にしでかした事をバラしてるだろう。
俺の席はもうないと思ったほうがいい。
こうなったらもうヤケクソだ。
この悪女と手を組んで一世一代の大犯罪をしてやろうじゃないか。


「ああ。いいとも。俺はどこまでもアンタについていくぜ」


口の端を上にあげて見せると、女はニッコリと嬉しそうに微笑んだ。





(つづく)
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