恋してしまった、それだけのこと

雄樹

文字の大きさ
29 / 118
第三章【未来10歳/沙織22歳】

第29話 つむぎちゃん【未来10歳/沙織22歳】

しおりを挟む
 6月の風は優しさを運んでくる。
 さわやかな朝。
 気持ちのいい風。
 目が覚めた私を出迎えた匂いは…

「わー!つむぎちゃん、またうんちしてるーーー!」

 愛する妹の、うんちの匂いだった。

 おむつを替えるのもかなり慣れてきていた。
 私は手早くつむぎちゃんのおむつを替えると、「はい、つむぎちゃん、気持ちいいよねー!」と言って、ぺちんとお尻をたたく。

 あー、あー、とまだ声にならない声を出すつむぎちゃんを見て笑う。
 まだ二か月しか生きていないのに、泣く声だけはいっちょ前になっている。

「はいはい、つむぎちゃん、ミルクだよー」

 哺乳瓶をくわえさせると、そのままちゅっちゅと飲み始める。顔はしわくちゃで、肌はぷるんぷるんで、思わずほっぺを指で撫でてしまう。

「柔らかいなー」

 えい、えいっとほっぺを触る。触られるたびに身体をくねくねするつむぎちゃんのことが、可愛くて仕方ない。

「未来ちゃん、ミルクあげるのうまくなったね」

 台所から、沙織さんの声がした。
 今年の春、夢だった高校教師になった沙織さん。今が一番忙しい時期なのにも関わらず、週に二回は泊まりにきてくれて、一緒につむぎちゃんの面倒をみてくれている。
 申し訳ない気持ちも大きいのだけど、それ以上に、ありがたかった。私とお父さんだけなら、もう何をしていいかも分からなかっただろうと思う。

「今夜は、実家からお母さんも来てくれると思うから」
「おばあちゃんが?」
「ふふ。やっぱり孫が可愛くて仕方ないみたいね」

 沙織さんのお母さん、つまりは、私のおばあちゃんだ。
 いつも来てくれるたびに、飴玉とかもくれるので、私はおばあちゃんも大好きだった。
 沙織さんは実家暮らしなので、おばあちゃんとおじいちゃん、それに沙織さんの3人で生活している。「本当は家を出たいんだけどね…職場の近くに引っ越しもしたいし」と就職直後は言っていたけど、お母さんが亡くなってからはそんなことは一言もいわずに、いつも私の家に来てくれるのが…嬉しい。

「つむぎちゃん、全部のんだー!」
「えらいね」
「うん、さすが私の妹だー!」
「未来ちゃんもえらいよ」

 そう言うと、沙織さんが卵焼きとお味噌汁、それにご飯をお盆において、食卓に持ってきてくれた。
 沙織さんの作ってくれた朝ごはん。いい匂いがして、心がぽかぽかしてくる。

「美味しそう!」
「お口にあえばいいんだけど」
「沙織さんの料理に合わない口なんてこの世にないよ!」

 私は座って、いただきます、と手を合わせる。

「前はいつもパンばかりだったから、朝にご飯を食べるのは新鮮な感じ」
「…そう、だったよね」

 つい私がこぼしてしまった言葉を聞いて、沙織さんが少し顔を曇らせる。
 前。
 以前。
 …お母さんの作ってくれていた、朝ごはん。

(パンとお味噌汁って、変じゃない?)

 お母さんの軽口を思い出す。
 胸が、しめつけられそうになる。
 もう二度と、あんな日は返ってこないんだ…と、気持ちが落ち込みそうになった時、

「うーーー!ううーーーーー!!うー!!」

 突然、つむぎちゃんが泣き始めた。
 全身で、私、ここにいるよ、お姉ちゃんって、感じで。

「わーーー!ごめん、つむぎちゃん、どうしたのー?」

 落ち込みかけていた気持ちが、一瞬で吹き飛んだ。
 急いでつむぎちゃんを見て、さっきおしめ替えたばかりだし、ミルクものんだばかりだし、なんだろう?と思いながら、あたふたする。
 隣に沙織さんもきてくれて、そして。

 2人であたふたする。

 つむぎちゃんに振り回されて。
 つむぎちゃんに救われて。

 私と沙織さんは、顔を見合わせて、なぜか、笑った。
 心から笑った。

 お母さんのいなくなったこの家で、つむぎちゃんの加わったこの家で。

 私たちは、まるで親子のように、ずっと笑っていた。


■■■■■


「そんなわけで、死ぬほど眠いから、眠らせて…もしくは殺して…」

 小学校の昼休み、屋上に私は横たわり、空を見上げながら一緒にいる颯真と美月に語り掛けた。

「未来ちゃん、大変そう…」
「大変なんてもんじゃないよ…」

 あの暴君。
 暴君つむぎ。
 何考えているかわかんないのに、家の中心にずっといるあの可愛いバケモノ。

「まぁ、なんていうか、ほら、未来」

 颯真は手にしていたアイスを差し出してきた。「これでも食べて落ち着けよ」という事らしい。

「手に持つのもめんどくさいー。颯真、食べさせてー」
「まったく、お前は」
「駄目よ、未来ちゃん」

 美月は颯真の手からさっとアイスを奪い取ると、にっこり笑いながら私の口に差し出した。

「私が食べさせてあげるね」
「…ありがと」

 ちょっと怖い。
 まぁ、それはそれとして、アイスは美味しかった。口の中がひんやりとして、気持ちいい。

「あー…眠れるのって、最高…」
「未来ちゃん、今日の授業中、半分くらい寝ていたよね…」
「残りの半分は目を開けたまま気絶していただけだから…」
「結局、全部寝てるじゃねーか」

 目を閉じていても、空の明るさが瞼を超えて入り込んでくる。暖かくて、気持ちよくて、意識が遠くなりそうだった。

「今は家はどんな感じなの?」
「んー…おばあちゃんが来てくれてる」
「そうなんだ」
「飴ももらったよ」

 もう食べちゃったけど、と、むにゃむにゃしながら言う。

「お父さんも、てれわーく?ってのをして、週の半分くらいは家にいてくれるし、おばあちゃんも来てくれるし、それに」

 にこっと笑う。

「沙織さんもよく泊ってくれるんだ」
「相変わらずだなー、未来は」
「えへへへ」

 颯真の呆れ声を笑って返す。沙織さんは私の癒しなんだから、仕方ないじゃない。

「けどまぁ、なんいうか」
「なーに、颯真」
「未来…最近なんていうか…お姉ちゃんっぽくなったよな」
「えー、なにそれー」
「あ、私もそう思うよ」

 横に座っていた美月も口をはさんでくる。

「未来ちゃん、なんか雰囲気、大人っぽくなった」
「前は子供っぽかったのにな」
「よーし、颯真、頭出して、叩くから」
「なんで叩かれるって分かってて頭差し出さないといけないんだよっ」

 横になりながら目をあけて、あわてる颯真をみつめる。下から見上げているから、颯真の顔は逆光で黒く見えた。太陽がまぶしい。

「そうなのかなー。自分じゃわかんないや」

 ただ単にからかわれているだけかもしれないけど、なんか、胸の奥が少し暖かくなった。
 お母さんがいなくなって。
 私が、お母さんの代わりにならなくっちゃいけないから。

 朝早くおきて、つむぎちゃんのミルクつくって、おしめ替えて、泣いたらあやして…

 早く、大きくならないと。

「ちゃんとお姉ちゃんになれてるかな」

 空にむかってつぶやいてみる。
 お姉ちゃん。か。
 なんだか少し、こそばゆくなる。


■■■■■


「水瀬先生、さようなら」
「はい、さようなら」

 生徒たちの声を聞きながら、眠い目をこする。
 昨夜は未来ちゃんの家に泊まって、そのまま職場に来ていた。
 この高校まで、電車で片道30分。
 本当は、就職を機に実家をでようかな、とも思っていたんだけど、今はそんなことは言っていられない。

 あの日から、もう二か月。

 最近は、週に二回ほど未来ちゃんの家に泊まるようにしている。
 まだまだ新人教師として慌ただしい時期ではあるのだけど、今はなにより、未来ちゃんのことが心配だから。
 つむぎちゃんのミルクを手伝い、未来ちゃんと一緒にご飯を食べて、寝かしつけて。

(未来のこと、お願いね)

 姉さんの言葉がずっとずっと、心の奥に棘をさしたまま突き刺さっている。
 うん。姉さん。私にまかせて。

 姉さんの代わりにはなれないし、私は姉さんにはなれないけど。
 それでも、ちゃんと、未来ちゃんを見ていくから。
 未来ちゃんの…あの歳でお母さんを失くしてしまった未来ちゃんの…

 笑顔。

 私が顔を出すたびに、未来ちゃんは、本当に嬉しそうに笑ってくれる。
 私を、求めてくれている。
 未来ちゃんの為に、と言いながら、その実私は、自分のために、自分の居場所を求めてしまっているのかもしれない。

 姉さんで空いた穴を埋めるように。

「…」
「…」
「…水瀬先生」

 考え事をしていたので、自分が呼び止められているのに気が付かなかった。

「ごめんなさい、結城先生」

 返事を返しながら、隣に追いついて歩いてきている、先輩の結城美麗先生を見つめる。

(…美人)

 何度見ても、本当に、それしか感想が出てこない。
 世の中にはいろんなタイプの美人がいるし、私の中で姉さん以上の美人なんてこの世には…(ちょっと未来ちゃんのことを思い浮かべて、まだ10歳の未来ちゃんは早々にそのランキングの中から外す)いるわけがない。
 けど、この結城先生は、姉さんを殿堂入りとして外して考えるなら、私の人生で出会った女性の中でもトップクラスの美人だった。

「水瀬先生、お疲れのようですから」
「ごめんなさい、ご迷惑おかけしてますよね」
「そんなことありませんよ」

 そういうと結城先生は、にこっと笑った。
 笑顔と共に、その煌めく金髪が舞う。
 ちょっと息がとまるくらいの美しさだった。

「私、ちょっと、水瀬先生に興味があるんです」
「興味?」
「ええ…」

 結城先生は、そっと顔を近づけてきた。
 いい香り。
 なんの香水つかっているんだろう…鼻腔の奥がじんじんと熱くなるような。

「水瀬先生と私、同類なのかな、って」
「同類?」

 何を言っているんだろう?
 私がいぶかしんでいると、結城先生が、そっと私に耳打ちをする。
 甘い声。
 とろけるような声。
 蠱惑的な声。

 そんな声で、私に、そっと囁いてきた。

「女の人、好きでしょう?」

 私もなんですよ。
 好きなんです…女の人が。

 と。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

モヒート・モスキート・モヒート

片喰 一歌
恋愛
主人公・翠には気になるヒトがいた。行きつけのバーでたまに見かけるふくよかで妖艶な美女だ。 毎回別の男性と同伴している彼女だったが、その日はなぜか女性である翠に話しかけてきた。 紅と名乗った彼女は男性より女性が好きらしく、独り寝が嫌いだと言い、翠にワンナイトの誘いをかける。 根負けした翠は紅の誘いに応じたが、暑い盛りと自宅のエアコンの故障が重なってしまっていた事もあり、翠はそれ以降も紅の家に頻繁に涼みに行くようになる。 しかし、妙な事に翠は紅の家にいるときにだけ耐え難い睡魔に襲われる。 おまけに、ほとんど気絶と言って言い眠りから目覚めると、首筋には身に覚えのないキスマークのような傷が付いている。 犯人候補は一人しかいない。 問い詰められた紅はあっさり容疑を認めるが、その行動の背景には翠も予想だにしなかった事情があって……!? 途中まで恋と同時に謎が展開しますが、メインはあくまで恋愛です。

義姉妹百合恋愛

沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。 「再婚するから」 そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。 次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。 それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。 ※他サイトにも掲載しております

放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~

楠富 つかさ
恋愛
 中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。  佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。  「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」  放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。  ――けれど、佑奈は思う。 「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」  特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。  放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。 4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

身体だけの関係です‐原田巴について‐

みのりすい
恋愛
原田巴は高校一年生。(ボクっ子) 彼女には昔から尊敬している10歳年上の従姉がいた。 ある日巴は酒に酔ったお姉ちゃんに身体を奪われる。 その日から、仲の良かった二人の秒針は狂っていく。 毎日19時ごろ更新予定 「身体だけの関係です 三崎早月について」と同一世界観です。また、1~2話はそちらにも投稿しています。今回分けることにしましたため重複しています。ご迷惑をおかけします。 良ければそちらもお読みください。 身体だけの関係です‐三崎早月について‐ https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/500699060

ハナノカオリ

桜庭かなめ
恋愛
 女子高に進学した坂井遥香は入学式当日、校舎の中で迷っているところをクラスメイトの原田絢に助けられ一目惚れをする。ただ、絢は「王子様」と称されるほどの人気者であり、彼女に恋をする生徒は数知れず。  そんな絢とまずはどうにか接したいと思った遥香は、絢に入学式の日に助けてくれたお礼のクッキーを渡す。絢が人気者であるため、遥香は2人きりの場で絢との交流を深めていく。そして、遥香は絢からの誘いで初めてのデートをすることに。  しかし、デートの直前、遥香の元に絢が「悪魔」であると告発する手紙と見知らぬ女の子の写真が届く。  絢が「悪魔」と称されてしまう理由は何なのか。写真の女の子とは誰か。そして、遥香の想いは成就するのか。  女子高に通う女の子達を中心に繰り広げられる青春ガールズラブストーリーシリーズ! 泣いたり。笑ったり。そして、恋をしたり。彼女達の物語をお楽しみください。  ※全話公開しました(2020.12.21)  ※Fragranceは本編で、Short Fragranceは短編です。Short Fragranceについては読まなくても本編を読むのに支障を来さないようにしています。  ※Fragrance 8-タビノカオリ-は『ルピナス』という作品の主要キャラクターが登場しております。  ※お気に入り登録や感想お待ちしています。

身体だけの関係です‐三崎早月について‐

みのりすい
恋愛
「ボディタッチくらいするよね。女の子同士だもん」 三崎早月、15歳。小佐田未沙、14歳。 クラスメイトの二人は、お互いにタイプが違ったこともあり、ほとんど交流がなかった。 中学三年生の春、そんな二人の関係が、少しだけ、動き出す。 ※百合作品として執筆しましたが、男性キャラクターも多数おり、BL要素、NL要素もございます。悪しからずご了承ください。また、軽度ですが性描写を含みます。 12/11 ”原田巴について”投稿開始。→12/13 別作品として投稿しました。ご迷惑をおかけします。 身体だけの関係です 原田巴について https://www.alphapolis.co.jp/novel/711270795/734700789 作者ツイッター: twitter/minori_sui

学園の美人三姉妹に告白して断られたけど、わたしが義妹になったら溺愛してくるようになった

白藍まこと
恋愛
 主人公の花野明莉は、学園のアイドル 月森三姉妹を崇拝していた。  クールな長女の月森千夜、おっとり系な二女の月森日和、ポジティブ三女の月森華凛。  明莉は遠くからその姿を見守ることが出来れば満足だった。  しかし、その情熱を恋愛感情と捉えられたクラスメイトによって、明莉は月森三姉妹に告白を強いられてしまう。結果フラれて、クラスの居場所すらも失うことに。  そんな絶望に拍車をかけるように、親の再婚により明莉は月森三姉妹と一つ屋根の下で暮らす事になってしまう。義妹としてスタートした新生活は最悪な展開になると思われたが、徐々に明莉は三姉妹との距離を縮めていく。  三姉妹に溺愛されていく共同生活が始まろうとしていた。 ※他サイトでも掲載中です。

処理中です...