恋してしまった、それだけのこと

雄樹

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第五章【未来14歳/沙織26歳】

第59話 冬の夜【未来14歳/沙織26歳】

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 冬の空気は、夏よりも澄んでいる気がするのはなぜだろう?夏は暖かく空気もゆらゆら宙に浮いている感じで、冬の空気はしんしんとしていて、私を避けて地面に降り積もっていくような、そんな感じだ。
 なんというか、つまり、今夜は寒かった。

 月が出ていない窓の外は暗くて、私はこたつに入って広げたノートを広げていた。受験勉強中。来月には年が明けて、そして高校受験がある。今のままでも合格ラインには届いているのだけど、もしも油断して落ちてしまったら…沙織さんのいる高校に通えなくなってしまう。

(それだけは、絶対に嫌)

 眠くなる頭をふって、目を凝らす。
 少しでも、沙織さんに近づきたかった。沙織さんの高校に受かったら、毎日沙織さんに会うことができる。
 今みたいに距離が離れていたら、私が暮らしている間に、その時間の分だけ、知らない沙織さんができてしまう。

(毎日、沙織さんを見たい…)

 嘘偽りない、それが私の本音だった。
 頑張るぞ、と思ってもう一度ノートを開く。英単語を覚え、数式と格闘する。
 地道なこの一歩一歩の先に、明るい高校生活が待っているのだと信じる。

(…それはそれとして)

 燃料補給が欲しいな、と思う。
 この場合の燃料補給とは、栄養ドリンクやサプリメントなどではなく、心の燃料補給だ。
 ありていにいえば、沙織さん成分が欲しかった。

 ちょっと目をつむる。それを見計らったかのように、スマホが光る。

『お疲れ様。大丈夫?無理してない?』

 沙織さんからのメッセージだった。
 あぁ、この人は、どうして私が一番渇望している時に、一番欲しいものを届けてくれるのだろうか。

『有難うございます。沙織さんからのメッセージで、元気もらえました!』

 本音をそのまま送る。
 離れた場所にいるはずなのに、心がつながっている気がして、冬の寒さがとたんに暖かくなる。

『よかった。もう試験、来月だね。ラストスパートだけど、本当、無理はしないでね』
『ちょっとだけ無理します。だって、高校に受かったら、ずっと沙織さんと一緒にいれるんですもん。』
『うん。待ってる』
『沙織さん、わがまま言ってもいいですか』
『いいよ』

 躊躇なく、応えてくれる。嬉しい。私、甘やかされてるな…もっと甘やかしてほしい。もっとどろどろにしてもらいたい。

『沙織さんの写真ください』
『そういうと思った』
『私、分かりやすいですか?』
『彼女ですもの』

 普通に、彼女っていってくれる。ああ、もう、当たり前に、沙織さんは私の彼女で、私は沙織さんの彼女なんだ。こんなに幸せすぎていいのだろうか。

『でも、今私、お風呂からあがったばかりなの』
『やったぁ』
『なんで喜んでいるの?』
『お風呂上がりの沙織さんの姿見れるからです』
『送らないよ?』
『もし沙織さんの写真みれなかったら、私落ち込んでしまって、試験受からないかもしれません』
『彼女から脅迫されちゃった』
『彼女に脅迫しちゃいました』

 そんなやりとりをしながら、ふふっと笑ってしまう。最近、毎日勉強中に沙織さんとメッセージのやりとりしていて、そして毎日、お互いの写真を送りあっている。だから今日も、私が沙織さんの写真をおねだりするだろうという事は、沙織さんも分かっていたはずだ。
 分かっていて、それで、お風呂上りにメッセージを送ってきたという事は。

(つまり、そういうこと、だよね)

 と、己惚れてしまう。しばらく待っていると、スマホが震え、写真が添付されてきた。

(わぁ…)

 お風呂上がりの沙織さんの写真。まだ髪の毛が濡れていて、湿っているのが分かる。文字通りの、鴉の濡れ羽色になっている。艶めかしい…。そして、少し大きめの寝間着を着ていて、肩のあたりが少しはだけていた。沙織さんの首筋のラインがはっきりとわかる。見える。
 鎖骨。沙織さんの鎖骨がみえる。ほんのりと上気した肌は、画面越しからもいい匂いがただよってきそうだった。

『沙織さん、最高。もう、反則です』
『恥ずかしい。やっぱり消して』
『駄目です。もう画像保存しました』
『いじわる』
『これで受験勉強、頑張れそうです』
『本当?』
『沙織さんは生徒のやる気を出させる天才です。…でも、こんなに頑張らせて、どうするつもりですか?最高の教師です』
『駄目教師だぁ』

 たぶん、いま、沙織さん顔真っ赤にしているだろうなぁ。会いたいなぁ。早く見たいなぁ。
 そんなことを考えながら、やる気が満ち溢れてきた。

『ちょっとだけ外に出てきて、甘いもの買ってきて、それからあとひとふんばり、頑張りますね』
『夜は冷えるから、気を付けてね』
『はーい!』

 そう返事をした後、ちょっとだけ考えて。

『沙織さん、大好きです』

 と送る。

『私も。大好きだよ、未来』

 かえってきた返事に、胸が暖かくなる。
 これだけ暖かくなれば、暖房器具はいらないかもしれなかった。


■■■■■


 私は上着を羽織り、財布をポケットに入れて、「ちょっとコンビニに行ってくるね」とお父さんに伝えて家を出た。
 もしもつむぎが聞いたら、「つむぎもねーちゃといくー」といって付いてきただろうけど、もう夜も遅いからつむぎも寝ていて、お父さんの「気を付けるんだぞ」という返答だけしかかえってこなかった。

 夜は静かで、白い息がふわりと浮かぶ。
 街灯の光が、雪の代わりに淡い光を地面に落としている。

 波の音を聞きながら、遠くでぽつんと浮かぶコンビニの明かりを目指して歩いていった。
 人影はほとんどない。
 田舎だし、夜だから当たり前か。
 やはり寒いので、潮風があたるたびに身体が震える。私は少しでも早く温まろうと思って、駆け足になった。

「いらっしゃいませー」

 自動ドアが開くと、暖房の風が頬をなでてくる。
 コンビニの中は暖かくて、ほっとする。
 私は店内をぐるっと一周して、ホットココアとおにぎりを一つ手に取った。
 レジのお兄さんに渡す。お兄さんは眠そうな目をしながら袋を渡してくれた。

「ありがとうございましたー」

 コンビニを出る時、店員さんからマニュアルどおりのお礼を言われる。
 やはり外は寒い。
 さっきまで暖かいコンビニの中にいたから、余計にそう感じるのかもしれない。
 吐く息が白く膨らんで、すぐに消えていった。

(手袋、してくればよかったかな)

 そう後悔したけど、もう遅い。
 私はホットココアをカイロ代わりにして、足早に歩きだした。

 歩き出してすぐ、背後から声をかけられた。

「ねぇ、こんな時間に出歩くとか、危なくない?」

 びくりとしてふりむく。
 街灯の下、見知らぬ男たちが3人ほど、口元をにやにやさせがながら立っていた。
 ジャケットの下にパーカーを着ていて、この平和な田舎町には似つかわしくない、少し悪そうな人だった。

「すみません、急いでいるので…」
「警戒するなって。送ってやるよ。家、どのへん?」

 笑顔を浮かべながら近づいてくる。口調は軽いけど、目は笑っていなかった。
 私は思わず、一歩あとずさる。
 男たちの距離が近づいてくるたび、心臓が冷たくなる。

「やめてください」
「別になにもしねーよ」

 手を伸ばしてくる。
 男の手。
 私に向かってくる、男の、手。

 喉の奥から悲鳴が漏れそうになった時。

「勘弁してもらえませんかね」

 隣から、その手を遮って男の子が現れた。
 背が高い。
 大きな背中。
 金髪で、耳にピアスが何個もついている。
 街灯の光が逆光になって、姿はよく見えないけど、なぜかその背中からは安心感をかんじることができた。

「誰だ?お前?」
「俺は…」

 男たちからそうすごまれて、その男の子は…一瞬、私の方をふりかえった。

(あれ?この男の子)
(見たこと、ある)

 そしてその子は男たちの方に振り返ると。

「こいつの、兄貴だよ」

 知らない間に私に家族ができていた。

「適当なこといってるんじゃないぞ!?」

 男たちが激高する。
 いや、実は実際、この人適当なこと言っているんですけど…私にお兄さんなんていないし。でも、私を助けてくれようとしているのが分かったので、余計な口を挟まないようにしておく。

「それが、なにか?」

 男の子の声は低い。怒鳴るわけでもなく、威圧するわけでもない。
 でも、その淡々とした響きが、逆に男たちを圧倒していた。

「おい、ちょっと待て」
「あぁ?」
「あいつ…金髪に、三連ピアス…」
「南中の、藤原玲央じゃね?」
「え…あの」
「南冥の金狼!?」

 後ろにいた男が指さしておののき、それを聞いた絡んでいた男が驚いている…玲央なら、狼というより、ライオンとか獅子とかになるんじゃないかな…と、頭の中に突っ込みがはいってしまったけど、それもまた、口に出さないようにする。

 というか、藤原玲央…どこかで聞いた名前だなと思って、ああ、そうかと思い出す。つむぎの保育園に行ったときに会った、あの茜先生の息子さんだ。

「はぁ、なんか恥ずかしい呼び名ですけど、それでいいです」

 玲央くんは頭をかきながらそう言うと、つまらなそうに肩をすくめた。
 男たちは「やべえよ…」と見るからにうろたえているのが分かって、「チッ」と舌打ちをすると、足早にその場から離れていった。

 その背中が角を曲がって見えなくなって、ようやく私の膝の力が抜けた。
 コンビニの袋が地面に落ちて、私のカイロ代わりにしていたホットココアが転がった。

「はい」

 玲央くんはそれを拾って、私に手渡してくれる。その指先が、ほんの少し私の指先に触れる。
 その一瞬の体温が、冷え切った指の芯にしみてくる。

「ありがとう…玲央くん」
「はぁ」

 反応うすく、頭をぽりぽりとかいている。先ほどまであれだけの威圧感を出していた人と同じ人物とは思えない。さっきまでが野生のライオンだとしたら、今私の目の前に立っているこの男の子は日向ぼっこしている大きな猫みたいだった。

「最近は変なやつらも多いし、夜中にこんなところ歩くのは危ないですよ」
「…ちょっと受験勉強の息抜きしたくて」
「息抜きですか」

 俺と同じですね、と、玲央くんは言った。

「同じ?」
「俺もちょうど、受験勉強の息抜きと、あとついでに母さんからのお使いも頼まれてさっきのコンビニに行っていたんです」
「母さん…あ、茜先生?」
「です」

 見てみると、玲央くんの傍には自転車が置いてあって、その籠の中にコンビニ袋と、いろいろな商品が詰め込まれていた。

「星野さんが出た後、変なやつらが後つけてくの見えたんで、追いかけてみました」
「そうなんだ…有難うね」
「いえ、星野さんにはいつもお世話になっているので」
「私?」

 いやいや、私、玲央くんに何もしていないよ?
 きょとんとしている私の顔を見て、あ、そうか、と玲央くんが頭をかく。

「浩平さんの方です」
「浩平…あ、お父さんか」
「ですです」

 星野浩平、それがお父さんの名前。家ではいつもお父さんとしか言わないし、つむぎも私の真似してとーちゃとしか言わないので、お父さんの名前を久々に聞いたような気がした。

「お父さんが、玲央くんに?」
「はい。いつもよくしてもらっています」

 そうなんだ…知らなかった。でも、なんでお父さんが玲央くんに?と思ったけど、玲央くん、お母さんの手伝いで保育園によく行っているらしいし、そこでいろいろあるのかな、と思って納得することにした。

 2人で夜道を歩く。
 私をボディーガードしてくれているのか、玲央くんは自転車を押しながら私の隣を歩いていた。自然と車道側を歩いてくれているのは、にじみ出る彼の優しさなのかもしれない。

「そういえばさっき、玲央くんも受験勉強しているって言っていたよね」
「はい。来月が本番だから、最後の追い込みっすね」
「どこ受けるのか聞いてもいい?」
「別に構わないですよ」

 そう言って玲央くんが口にした高校は、私が受ける高校と同じだった。

「わぁ、偶然。なら来年から、私たち同級生になるんだね」
「俺が受かれば、ですけどね」

 いま合格ラインぎりぎりのところですから、と、玲央くんがいう。

「でもまぁ、いい高校にいって、母さん安心させたいですから」
「えらいね…」

 私とは志望動機がまったく違う…私はただ、沙織さんの…彼女が勤めている高校に行きたいだけという、不純な理由なのに…


 しばらく歩いて、家の前についた。

「送ってくれて有難うね」
「別に…ついでです」

 そう言うと、玲央くんはさっき歩いてきた道へとひき返していく。

(何がついでなんだか)

 家の方向、逆じゃない。
 私はなんとなく嬉しくなって、その小さくなっていく背中に向かって手をふった。

「受験勉強、一緒にがんばろうねー!来年、同級生になろうねー!あと、茜先生にもよろしくねー!」

 返事はなく、ただ玲央君は片手だけをあげて、そしてそのまま見えなくなっていった。

 
「さて、ではでは、頑張りますか」

 家に入ろうとしたら、まるでそれを待っていたかのように、スマホが光った。
 見なくても分かる。沙織さんからだ。

『もう帰った?』

 心配してくれている。嬉しい。
 私は家の扉をそっとあけて、リビングの奥で本を読んでいるお父さんに手を振る。さっき玲央くんに会ったよ、と伝えようかと思ったけど、早く沙織さんとつながりたかったから、特になにも伝えずに手だけを振った。
 お父さんも手をふりかえしてくれて、それからまた視線を本に戻した。

『いま帰りました』

 部屋に戻って、そう送る。変な男たちにからまれて、それから知り合いの男の子に助けてもらったんですよーと伝えようかとも思ったけど、変な心配をさせてもいけないので、それはやめておいた。
 代わりに、別のメッセージを送る。

『今からまた続き、頑張ります!』
『うん。だけど、本当に無理だけはしないでね』
『はーい!』

 こたつに入り、再びノートに向かう。
 買ってきたホットココアは少し冷めていたけど、それでもまだ温もりは残っている。
 鉛筆を手に取ろうとして…ちょっと止まった後、私はスマホをもう一度手に取った。

 写真フォルダを開く。
 さっきの写真を見る。
 お風呂上がりの、ちょっとえっちな沙織さん。

 私は右をみて、左を見て。
 誰もいないのを確認すると。

 そっと、画面上の沙織さんに、キスをした。


 外は寒い。
 窓の外に、ちらりと白いものがみえる。
 雪が、降ってきていた。


 来年になれば、私は高校生になる。
 高校生になったら…いろいろ、変わるのかな?

 そんな私の想いを覆い隠すように、外は白く染められていった。
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