恋してしまった、それだけのこと

雄樹

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最終章【未来17歳/沙織29歳】

最終話 恋してしまった、それだけのこと【未来17歳/沙織29歳】

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 時は流れ、3月。
 私は、卒業式の朝を迎えていた。

「今日で未来の制服姿を見るのも最後になるのか」
「あらあなた、その言い方、何かいやらしいですわよ?」

 しみじみと感慨深いお父さんに対して、茜さんは少しからかうように言葉をかけた。
 朝、相変わらずコーヒーの匂いで家の中は包まれている。
 お父さんの目の前には新聞がおいており、その横にトーストが置いてある。
 いつも通りの、変わらない朝。
 いつもまでも続くと思えそうなこんな朝も、今日で最後なのだと思うと何か変な気がしてくる。

「未来ばかり見ているけど、一応、俺の制服姿も今日が見納めなんだけどな…」

 リビングの奥から、玲央くんが出てきた。
 この家の中で、一番大きい。茜さん、あんなに小さいのに、どうして玲央くんはこんなに大きいのだろう?

「男はいいのよ。卒業式の主役は、やっぱり可愛い女の子だもの」

 茜さんはそう言うと、またからからと笑った。
 亡くなったお母さんとはまるでタイプが違う人のはずだったんだけど、お父さんや私たちと一緒に暮らしていくうちに、茜さん、だんだんとお母さんに似てきたような気がする。

 思い出が同化されていっているだけかもしれないけど。

「玲央くんかっこいいよ!」

 真っ赤なランドセルを背負ったまま、紬希はそう言うと、ぱたぱたっと玲央くんの近くに走ってやってきた。こらこら、家の中を走らないの。

「ありがとな、紬希」
「えへへー」

 頭を撫でられてご満悦だ。そしてそのついでのように、紬希は私の方を見てにこっと笑った。

「お姉ちゃんも可愛いよ!」
「はいはい、ありがとねー」

 私はしゃがんで、紬希の頬を指で掴んで引っ張る。柔らかい紬希の頬は、え、ここまで伸びるの?と私がびっくりするくらい、にゅーっと伸びていった。

「あにするのー」
「あははっ」

 不満そうに手をばたばた回す紬希を見ながら、私は笑った。
 こんなに穏やかな気分で卒業式を迎えることが出来るなんて、思ってもみなかった。
 たくさんの事があったけど、私はみんなに愛されて、支えられて、今日この日を迎えることが出来ていた。

「未来、お父さんたちも後から行くから、気を付けていってきなさい」
「うん、ありがとう」
「今夜は遅くなるの?」
「うん。卒業式が終わった後…いろいろあるから」

 お父さんと茜さんからの質問に、ひとつひとつ答える。
 嘘は言っていない。
 いろいろある…そう、いろいろ、あるのだ。

「じゃぁ俺、先に出るわ。未来、原付の後ろに乗っていくか?」
「最後の最後、卒業式の日に捕まりたくないからやめとく」
「そうか。じゃぁ、また学校で」
「また学校で」

 玲央くんは手をふって家を出ていった。少しして、原付のエンジンの音がして、そのまま音が遠くに消えていく。

「ふぅ…」

 息を吐いて、私も、玄関へと向かう。
 靴を履き、立ち止まり。
 振り返って、そして、言う。

「行ってきます。紬希、お父さん、それに…お母さん」

 驚いて、茜さんが私を見つめてくる。手を口元にあてて、少しだけ、目が潤んでいるようにみえる。

「今…私のこと…お母さんって…」
「…うん。いつもありがとうね…お母さん」

 顔を見るのが恥ずかしくなって、そのまま踵を返して外へと向かう。

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」

 この家で交わされる、最後の挨拶。

 私は今日、卒業して…そして。

 この家を、出る。



■■■■■


 今年の前半は毎朝の楽しみだったホームルームも、後半からは別に楽しみではなくなっていた。
 でも、そんな朝の行事も、今日で最後だと思うとやはり感慨深いものがある。

「みなさん、おはようございます。…最後のホームルームを始めます」

 そういうと、担任の結城先生は今日の流れを説明してくれる。
 金髪で、美人で、素敵な先生。
 もちろん嫌いではないし、むしろ好きな先生なんだけど…それでも、沙織さんにはかなわない。

「…今日で最後だね」
「…うん…やっぱり…寂しいね」

 隣の席の凛が、寂しそうに私を見つめてくる。
 凛が受けたのは、東京の大学。
 私が受けたのは、地元の大学。
 中学2年生の春に出会ってから、高校3年生の卒業する今日まで、ずっと一緒だった凛とも、この先は道が分かれてしまうことになる。
 寂しい。
 けれど、人生は選択の連続で、私も凛も、それぞれ別の道を選択した、という結果だった。そこに後悔はないけど…寂しさと未練だけは残っている。

「未来」
「なに、凛?」
「少しだけ、手、握ってもいい?」
「…うん。いいよ」

 結城先生の話を聞きながら、私と凛は、そっと手を握り合っていた。
 凛の手は柔らかくて、少し冷たくて、そして、白い。
 この手に何度救われてきたことだろう。
 この手を引っ張れば…凛は、全てを捨てて私についてきてくれるのかもしれない。けど、だからこそ、私たちはもう、お互いにこの手を離さなければならない時が来てしまったのだと気づいていた。

 結城先生の話が終わると、今度は教室の扉が開いて、後輩たちが手に花を持って入ってきた。
 一人ずつ席にきて、卒業生の胸元に白い薔薇をつけていく。

 私のところに来てくれたのは雪原くんで、凛のところに来たのは朝比奈さんだった。

「星野先輩、ご卒業、おめでとうございます」
「うん。有難う、雪原くん」
「会長…ご卒業おめでとうございます…あたし、寂しいですー」
「朝比奈さん、もうあなたが会長でしょう?いつまで私のこと、会長って言っているのよ」
「一生ですー」
「この子は、もう」

 涙ぐみながら胸に薔薇をつけてくれる朝比奈さんの頭を、凛は優しく撫でていた。
 周りからはクールで落ち着いていると評されている凛だけど、本当はこんなに優しい女の子だって、私はちゃんと知っているんだからね。

「今日の式の送辞、あたしがします…もちろん、卒業されるみなさん全員に送る言葉なんですけど、それでも会長のことを想って言いますから…」
「そう?答辞は私がすることになっているけど、私は別に、朝比奈さんに向けては言わないわよ」
「さすが会長ですー!」
「馬鹿ね…何をいっても褒めるんじゃないわよ。言葉が軽くなるわよ」
「あたしは馬鹿だから、それでいいんです」

 まだ式が始まってもいないのに、すでに朝比奈さんは涙ぐんでいた。この子は本当に…変わらず、まっすぐな子だなあ。

「だから、僕がついていますから」

 雪原くんはそう言うと、「さぁ、ずっとここにいても迷惑になるから、行こう」と朝比奈さんの手をとって立ち上がった。「うん、いつもごめんね、遼君」「どういたしまして」何気ないこのやりとりから、この2人がどれだけ安心できる関係を構築してきたのかを感じることができて、少し、嬉しくなる。

「それでは、また、卒業式で」

 他の後輩たちと一緒に、朝比奈さんも雪原くんも教室を出ていく。
 残された私たちは、卒業式までの残された時間を、1年間過ごしてきたこの教室で過ごしたのだった。



■■■■■


「卒業生、退場」

 その言葉と同時に、吹奏楽部による演奏が始まった。
 軽快なメロディで、別れを惜しむというより、明るい未来に歩き出す卒業生へのエールを感じることができる。

 私たち卒業生は立ち上がり、列をつくって、退場していく。
 その道には、後輩たちが華の輪を作ってくれていた。
 下をくぐり、歩き出す。

 たくさんの思い出が、胸の中に湧き上がってくる。
 いいこともあったし、つらいこともあった。
 嬉しいこともあったし、悲しいこともあった。

 でも、今、この瞬間。

 残っているのは、「楽しかったな」という春の陽気のような、じんわりと暖かい気持ちだけだった。

 講堂の扉をくぐり、空の下に出る。
 3月の空。
 晴れ渡った空。

 桜の季節にはまだ早いのに、私たちの心の中には、満開の桜が咲いていた。











 私は凛と葵、そして玲央くんと颯真と一緒に話をしていた。
 いつまでもこのまま語り合っていたい。
 卒業した私たちだけど、まだ、この場に残り続けたい。

 誰も口には出さないけど、みんな心の中でそう思っていたんだと思う。


「お姉ちゃーん!」

 聞きなれた、元気な声が聞こえてくる。
 声の方を向くと、紬希がぶんぶんと手をふっているのが見えた。
 約束通り、お父さんたちは卒業式に参加してくれていた。
 茜さん…お母さんもいて、紬希は朝見たときよりもさらににこにこ笑顔を浮かべている。
 お父さんは、亡くなったお母さんの遺影も持ってきてくれていた。

 私は、玲央くんの顔を見る。
 玲央くんも、うなづいた。

「そろそろ…行かないと」

 終わる。
 私の高校生活が、終わる。

「未来っ」

 突然、声がして、私は凛に抱き着かれた。
 普段大人しい凛が…顔をくしゃくしゃにして、私を掴んで離そうとしない。

「連絡するから…だから絶対、会いに来てね」
「当り前、だよ…」

 私も凛を抱きしめながら、美月のことを思い出していた。
 小学生の頃からの親友だった美月。
 中学でも親友だった美月。
 それが、別々の高校になり、ずっとずっと親友だよ、と言っていたのに、いつの間にか、連絡の間隔は開いていって、次第に疎遠になってきていた。

(永遠なんて、ないのかもしれない)

 あの時、私は美月との友情は永遠だと思っていた。
 今も、私は凛との友情は永遠だと思っている。

 それが…変わるのかな。
 変わるのは…嫌だな。寂しいな。

「凛…」

 ぎゅっと、抱きしめる。
 永遠なんて分からない。そんな先のことなんて分からない。けど、今、この瞬間の私の気持ちは、絶対だ。

「ありがとう」

 こんな月並みの言葉しか返せないけど、これは私の、まぎれもない本心だった。



 凛と葵は、迎えに来てくれていた両親のところに向かっていった。
 凛は何回も何回も、振り返っては私に手をふって来る。
 そのたびに葵が、相変わらずちょっと嫉妬したように手を引っ張っているのが、少しおかしかった。

(そういえば、凛の葵のお父さんとお母さんって、初めてみるな)

 ふと、そう思った。
 当たり前のことなのかもしれないけど、知らないことの方が多いのだ。
 だから私たちは、一つ一つ、前を向いていくのだろう。



「それじゃ、俺も」

 颯真はそう言うと、1人で去っていった。
 颯真には、迎えにくる両親はいないのだろうか。

「美月が、待っているからな」

 それが颯真の最後の言葉で、小学時代からの私の親友との別れは、思った以上にあっさりとしたものだったような気がする。






「いい卒業式だったね」

 お父さんはそう言うと、優しく笑ってくれた。
 お母さん、紬希、玲央くん。
 私の家族はここにあって…そして。

「うん。それじゃ…」

 私が向かうべき家族は、別にあった。

「気を付けて」

 お父さんが言う。

「風邪ひかないようにね」

 お母さんが言う。

「お姉ちゃんの家、遊びにいってもいい?」

 紬希が笑う。

「お前は…すごいよ」

 玲央くんは表情を変えず…でも、分かる人には分かるくらいの変化をして、言葉をかけてくる。


「今まで育ててくれて、本当に、ありがとうございました」

 私は礼をする。
 今日はいろんな人に、感謝するばかりだ。
 いくら感謝しても、し足りない。
 これから先も、たくさん迷惑をかけてしまうことだろう。
 それでも私は、もう、前を向くことをやめる気は毛頭なかった。

「行ってきます!」

 幸せに、なってきます。


 私はそれだけ言うと、私を待ってくれる人のところへと、駆け出した。
 この道の先には、きっと。

 私の未来が待っているのだと、信じて。






 


■■■■■



 太陽の光。
 柔らかな風。
 踏みしめる土の感触。
 鼻腔にはいる春の匂い。

 私は、走る。

 軽い。
 身体が、軽い。

 羽が生えていないのが信じられない。
 どうして私は、飛んでいないのだろう。

 卒業しました。
 私はもう、高校生じゃありません。

 私は、星野未来です。
 あなたの。
 あなただけの。
 恋人です。



「沙織さんっ」

 この名前を呼ぶのは、人生で何度目なのだろうか。
 100回?
 1000回?
 1万回?
 もっと、それ以上?

 何度呼んでも、そのたびに、新しい気持ちが吹き抜けてくる。
 私にとって、特別で大切な、たった一つの名前。

「未来…っ」

 私の名前が呼ばれる。
 好きな人に、呼んでもらえる。
 もうこれだけで、死んでもいい。
 …ううん、やっぱり、やだ。

 私はもっと、幸せになりたい。

 目の前に、恋人が立っていた。
 恋人が、私を見て、駆け寄ってきてくれていた。

「卒業、しましたっ!」
「卒業、おめでとう!」

 言葉は同時で、抱き着いたのも同時だった。
 白い世界に包まれる。
 世界が光で輝いて見えなくなる。
 もう、沙織さんしか見えなくなる。

 キスは、しない。
 いま、キスしたいとは思わない。

 だって、これから。

 何度だって、何回だって、ずっといつでも、キスしたいと思った時に、キス、できるんだもん。

「私、もう高校生じゃありません」
「そうね、頑張ったね」
「もう、教師と生徒の関係じゃありません」
「…うん、そうだね」
「沙織さん」
「なぁに?」
「約束、破ってもいいですか?」
「偶然ね…私も同じこと、言おうかと思っていたの」
「えー、おんなじですか?」
「たぶん、同じよ」

 えへへ。
 そうなのかな。
 おんなじこと、考えているのかな。
 もしそうなら…嬉しいな。

「私、まだ18歳になっていないんですけど、18歳になってから言おうって決めてたんですけど、でももう、我慢できません」

 私は、沙織さんの目を見る。
 綺麗…
 吸い込まれそう。

 頬が紅い。
 たぶん、私もおんなじ。
 沙織さんを見たら、いつもドキドキしてしまって、顔が真っ赤になってしまう。

 好き。
 大好き。
 8歳の時に一目ぼれしてから、ずっと、好き。

 だから、私は。
 8歳の時、初めて沙織さんに会った時、かけた言葉を、もう一度口にした。

「けっこん、してください」

 沙織さんは、ほほ笑んで。
 すこしはにかみながら、それでも私をまっすぐ見返してきて、答えてくれた。

「はい。喜んで」

 涙が出る。
 私の後ろで、8歳だった時の私が、笑ってくれているような気がした。

 私は沙織さんに抱き着いて、ぎゅーってして、沙織さんをたくさん感じて、そして泣きながら、何度も何度も、嬉しい、嬉しいです…って語り掛ける。
 沙織さんも、私を抱きしめてくれる。
 私を求めてくれている。

 どうしてこんなに幸せなんだろう。
 どうしてこんなに、嬉しいんだろう。

 この気持ちは、どこから来るのだろう。

 私は嬉しくて、幸せで、それで泣きながら、沙織さんに尋ねてみた。

 私、どうして幸せなんですか?
 私、どうして嬉しいんですか?

 沙織さんは笑って。
 私に抱き着いたまま、私の耳元で。
 そっと、呟いてくれた。

 どうして幸せなのか。
 どうして嬉しいのか。
 私だって同じよ。
 私だって、未来と同じこと考えている。

 その理由はね。
 簡単なことなのよ。

 私たちはね。
 お互いにね。

 ただ…




 恋してしまった、それだけのこと。
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