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14話
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かつかつと静かな教会のなかに靴音だけが響く。昼間に来る神殿は厳かな雰囲気こそあれ、鳥のさえずりや行き交う神官、神を訪ねにきた者の声や音で溢れていた。
燭台に灯る火と月明かりだけが照らす通路を歩きながら、リネットはちらりとローレンスを見上げる。
これほど静かだということは、おそらくほかの神官は眠っているのだろう。ならばどうしてローレンスは外に出ていたのか。リネットとしてはとてもありがたいことではあるが、外に出なければいけない用事があったのなら、それを邪魔してしまったのではないかという罪悪感が胸をよぎる。
「あの……ローレンス様」
ちらりと見上げると、隣を歩いていたローレンスは足を止め、緑色の瞳を柔らかく細めた。
少しだけ身をかがめるのに合わせて、長い金色の髪が揺れる。
「どうかされましたか?」
「いえ、たいしたことではないのですが……何か、用事があったのではないかと思って」
本腰を入れて話す体勢に入るローレンスに、リネットは慌てて首を横に振った。
「用事といえるほどのものではありませんよ。神の仮宿を何人たりとも侵してはならないという約束を交わしているとはいえ、まったくの無防備ともいかないため、夜間の巡回を任されているだけです。下っ端の辛いところ……といいたいところですが、おかげであなたを迎えることができたので、悪いことばかりではありませんね」
「……じゃあ、私のせいで中断することになったのでは……」
「我々を快く思っていない人と、神に助けを求めに来られた方……どちらを優先すべきかなんて考えるまでもありません。比べるのもおこがましいほどです。……ですので、あなたが気に病むようなことではないので、お気になさらず」
顔色ひとつ変えずに言い切られ、リネットはぎゅっと胸元で手を握った。
リネットが教会に通いはじめたのは七歳のころで。月に三、四回程度とはいえ、かれこれ九年ちかく通い続けている。
教会は、神を祭る大神殿から派遣された神官が、神の教えを説く場所として各地に建てられている。リネットが足しげく通っている王都の教会もそのひとつだ。
そして教えを説くだけではなく、救いを求める者がいれば手を差し伸べ、神の恩恵を求める者には神と対話できる場を設けたりもする。実際に神が直接答えるわけではないことも、リネットは知っている。
だが知っているだけで、教えを求めたことも、救いを求めたことも、恩恵を求めたこともない。
リネットは信者ではなく――そもそも、神の存在を信じてすらいない。ただ居心地がいいから通っていただけだ。
(今も、神様に助けてほしかったわけではなくて……)
リネットの知るなかで、優しく接してくれたのが教会にいる神官たちだった。疑うことも責めることも怪しむこともなく、快く接してくれていた。
だから、逃げると決めたとき、教会を目指した。神ではなく、彼らなら受け入れてくれると思って。
「リネット」
優しい声色で名を呼ばれ、落ちかけていた視線が上がる。
「我々は神のしもべです。神は教えを説く口も持ってはおりません。差し伸べる手もありません。向かうための足もありません。すべてを見通す目と、求める声を拾う耳があるのみ。ですから我々は神のしもべとして、神の口と手と足の代わりを担っているのです。我々のもとに通われるのであれば、それは神のもとに通われているも同義。我々に助けを求めるのなら、それは神に助けを求めているも同然。ですので何度もお伝えしておりますが、あなたが我々のために心を痛めたり、気に病んだりする必要はないのですよ」
ローレンスはリネットが訪ねてくるといつも、神の客人として彼女を招き入れていた。
それはほかの神官も同じで、神に祈りを捧げないリネットに難色を示したことは一度もない。
(そういえば、通いはじめたころも同じようなことを言われたような)
そのときのローレンスは神官見習いで、あのときの男の子にもう一度会いたいからとやって来たリネットを招き入れてくれたのは、今の大神官だ。
『どのような理由で来られたのだとしても、追い返すようなことはしませんよ。神のしもべとして、教えは説きますが』
そう言って微笑んで、九年が経っても変わらずにリネットを歓迎し、神の教えこそ説くがそれ以上を求めることはない。
(それなのに……快く思っていない人がいるんだ)
押し付けがましくなく、来る者を拒まず、去る者を追うこともしない。用がなければ関わらないであろうこの場所を快く思っていない――夜間に巡回しなければならないほどの悪意を抱く人がいる。
それを信じられない、と思うことはない。何もしなくても明確な悪意を向けてくる人がいることを、リネットはいやというほど思い知っている。
燭台に灯る火と月明かりだけが照らす通路を歩きながら、リネットはちらりとローレンスを見上げる。
これほど静かだということは、おそらくほかの神官は眠っているのだろう。ならばどうしてローレンスは外に出ていたのか。リネットとしてはとてもありがたいことではあるが、外に出なければいけない用事があったのなら、それを邪魔してしまったのではないかという罪悪感が胸をよぎる。
「あの……ローレンス様」
ちらりと見上げると、隣を歩いていたローレンスは足を止め、緑色の瞳を柔らかく細めた。
少しだけ身をかがめるのに合わせて、長い金色の髪が揺れる。
「どうかされましたか?」
「いえ、たいしたことではないのですが……何か、用事があったのではないかと思って」
本腰を入れて話す体勢に入るローレンスに、リネットは慌てて首を横に振った。
「用事といえるほどのものではありませんよ。神の仮宿を何人たりとも侵してはならないという約束を交わしているとはいえ、まったくの無防備ともいかないため、夜間の巡回を任されているだけです。下っ端の辛いところ……といいたいところですが、おかげであなたを迎えることができたので、悪いことばかりではありませんね」
「……じゃあ、私のせいで中断することになったのでは……」
「我々を快く思っていない人と、神に助けを求めに来られた方……どちらを優先すべきかなんて考えるまでもありません。比べるのもおこがましいほどです。……ですので、あなたが気に病むようなことではないので、お気になさらず」
顔色ひとつ変えずに言い切られ、リネットはぎゅっと胸元で手を握った。
リネットが教会に通いはじめたのは七歳のころで。月に三、四回程度とはいえ、かれこれ九年ちかく通い続けている。
教会は、神を祭る大神殿から派遣された神官が、神の教えを説く場所として各地に建てられている。リネットが足しげく通っている王都の教会もそのひとつだ。
そして教えを説くだけではなく、救いを求める者がいれば手を差し伸べ、神の恩恵を求める者には神と対話できる場を設けたりもする。実際に神が直接答えるわけではないことも、リネットは知っている。
だが知っているだけで、教えを求めたことも、救いを求めたことも、恩恵を求めたこともない。
リネットは信者ではなく――そもそも、神の存在を信じてすらいない。ただ居心地がいいから通っていただけだ。
(今も、神様に助けてほしかったわけではなくて……)
リネットの知るなかで、優しく接してくれたのが教会にいる神官たちだった。疑うことも責めることも怪しむこともなく、快く接してくれていた。
だから、逃げると決めたとき、教会を目指した。神ではなく、彼らなら受け入れてくれると思って。
「リネット」
優しい声色で名を呼ばれ、落ちかけていた視線が上がる。
「我々は神のしもべです。神は教えを説く口も持ってはおりません。差し伸べる手もありません。向かうための足もありません。すべてを見通す目と、求める声を拾う耳があるのみ。ですから我々は神のしもべとして、神の口と手と足の代わりを担っているのです。我々のもとに通われるのであれば、それは神のもとに通われているも同義。我々に助けを求めるのなら、それは神に助けを求めているも同然。ですので何度もお伝えしておりますが、あなたが我々のために心を痛めたり、気に病んだりする必要はないのですよ」
ローレンスはリネットが訪ねてくるといつも、神の客人として彼女を招き入れていた。
それはほかの神官も同じで、神に祈りを捧げないリネットに難色を示したことは一度もない。
(そういえば、通いはじめたころも同じようなことを言われたような)
そのときのローレンスは神官見習いで、あのときの男の子にもう一度会いたいからとやって来たリネットを招き入れてくれたのは、今の大神官だ。
『どのような理由で来られたのだとしても、追い返すようなことはしませんよ。神のしもべとして、教えは説きますが』
そう言って微笑んで、九年が経っても変わらずにリネットを歓迎し、神の教えこそ説くがそれ以上を求めることはない。
(それなのに……快く思っていない人がいるんだ)
押し付けがましくなく、来る者を拒まず、去る者を追うこともしない。用がなければ関わらないであろうこの場所を快く思っていない――夜間に巡回しなければならないほどの悪意を抱く人がいる。
それを信じられない、と思うことはない。何もしなくても明確な悪意を向けてくる人がいることを、リネットはいやというほど思い知っている。
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