素直になれない番たち

ねこセンサー

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5 裕貴目線

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しまった、と思った。

至極あっさりと、自分の体を差し出す発言をしたあいつをマジマジと見上げてしまう。

加奈子は、困ったような、今にも泣きだしそうな表情で、首をかしげて笑っていた。

ーー間違っても、お前に話すべき話題ではなかったー


そんな、泣きそうな表情するなよ。今、自分がどんな顔してるか、わかっているのか。


自分を大事にしない、あいつ。

真面目に手入れすれば艶やかであろう黒髪を、無造作に束ね、若干色の入った分厚いメガネを着用し、流行遅れの服を着回して、他人を拒絶するあいつ。

あいつの“人嫌い”は筋金入りだ。

今でこそ会話をするまでに回復はしているが、幼い頃は男を見るなり冷や汗を吹き出し、ガクガクと震えて嘔吐したり、ひどいものだった。

突然始まったその症状に、当時の俺は深く考えなかったが。

今ならわかる。

男をみると怯える。触れられると半狂乱で騒いでしまう。そして、それから過保護が加速した、あいつの家族の反応。

そして、俺の家族が言ったこと。

「かなちゃんは、いまとても辛いの」

「今は遊びにいけないくらいだから、お前は遊びに行かないようにしてあげなさい。かなちゃんも辛いんだ」

「…お前も男なら、加奈子を守ってやれ」

…兄貴は、知ってたんだな…

あれ以来、兄貴は加奈子に寄り付かなくなった。かなり年が離れていたし、年相応のもんかとあのときは思っていたけど。

あとで、加奈子に害をなした奴に兄貴の背格好が似ていたことを、聞いてしまった。

兄貴は加奈子を守るため、寄宿制の学校に進学し、そのまま向こうで就職した。それを知ったのは、佐々木のおじさんおばさんが、うちの親と自宅で話していたときだった。

「拓海君には…悪いことをした。うちの娘のために…」

「あいつの選択です。『たまたま、すきなものがこっちになかっただけ』、気にするなと本人もいっているよ」

「『さすがに可愛い妹分に辛い思いをさせたくない』し、あっちでいい出会いもあったみたいよ。気にしないで。かなちゃんは私にとっても可愛い娘みたいなものなんだから」

「…っ、ごめん、なさい…」

「かなり性格に歪みが出てしまったけれど…かなちゃんが踏みとどまれてよかったわ。私もかなちゃんがあんな顔をしているのを見るのは、辛かったわ…」

「…うちの裕貴だけは、大丈夫みたいですし、あいつに慣れたらもしかしたら改善されるかもしれない。あいつも満更でもないみたいですし、使えるときは使ってやってください」

「…本当に、申し訳ない。ですが、お宅の息子さんの人生は、彼自身に決めさせてあげてください。うちの娘のために、全てをなげうつ必要はありません」

「えぇ、そのつもりよ。ひろちゃんの好きにさせるわ。だから、あなたたちも必要以上に構えなくていいのよ。きっと、あの子達はあの子達自身で決めるでしょうから。信じてあげましょう?あの子達は、強いわ」

「…えぇ…ありがとうございます」

たまたま夜中にトイレに下りてきて、ふとリビングに抜けるドアの前で立ち止まった。本当に、偶然だった。そのときに聞こえてきた、親たちの会話。

ガキだった俺には、その時全てを理解することはできなかったけれど、なぜかその会話を、忘れることができなかった。

だから、成長してから全てを知ったんだ。

あいつが他人を受け入れない理由。

自分の体や命を、軽視する理由。

あいつをやたらと周りの大人たちが甘やかす理由。

全てが、ひとつの事実を指していることに。



あいつが、幼い頃若い男におぞましい欲を向けられ、それ以来あいつは自ら記憶を一部封じ、改竄して徹底的に人から遠ざかるようになってしまった、ということを。


そんなあいつに、俺は最低な申し出をしてしまったのだーー
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