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第五話
救い
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「おーい彩花。いつまで寝てるんだ? 早く起きないと遅刻するぞ」
九条彩花を起こす優しい声が聞こえる。彼女はこの声に聞き覚えがあった。兄である九条彰の声だ。
そうか。あたしはあの嵬俚という世界から戻ってきたんだ。どうやったかは覚えてないけど、なんだかんだでお兄ちゃんのことを助けることができたらしい。よかった。
「うーん……。まだ寝てたいよお……」
「休日ならまだ寝かせてあげたいところだけど、今日は平日だから。そういう訳にはいかないよ」
彰は彩花を揺するが、起きる気配はない。痺れを切らした彰は
「しょうがないな」と呟くと、勢いよく彩花の掛け布団を捲った。
「ちょっとお兄ちゃん何するの? 寒いじゃん! ……って、金ちゃん?」
彩花は飛び起きたが、そこに彰の姿はなく、いるのは彩花を微笑ましく見つめる鷹司鈴音と近衛金時だった。
「すまんな彩花。だが、やはり妹というものはどんな人間でも同じ反応をするものだな。昔はよくこうやって金蘭を起こしたものだ」
金時はガハハ、と豪快に笑い飛ばす。
「おはよう彩花。昔の夢でも見てたの?」
「うん。お兄ちゃんの夢。ねえ鈴ちゃん、お兄ちゃんを殺さずに助ける方法はないの? やっぱ嫌だよ。お兄ちゃんを殺すなんてできない」
「気持ちは分かる。だがな、そうしないとお前の兄の中にはずっと鬼の魂が入っていることになる。それに、確か椿は鈴音を喰わせて父を完全に蘇らせると言っていたな。であれば、少なくとも一人の人間は確実に殺されることになる。彩花、もう兄が人を殺すところを見たくはないだろう?」
「それはそうなんだけど……」
三人が話していると、襖が開き少女が顔を覗かせた。
「賑やかだと思ったら、皆様起きていたんですね。ご飯はもうできていますよ」
少女が駆けていくのを見送ると、三人も少女に続いた。
膳の上には米、焼き魚、汁物が置かれていた。
「ごめん寝ちゃってた。手伝えなくてごめんね」
「ううん。彩花達はこれから鬼と戦うんだもん。ちゃんと寝て体力をつけて」
「鬼との戦いの前に美味しいご飯が食べれて嬉しいよ。ありがとう霞」
霞は鈴音に礼を言われ、頬を赤く染める。
「だが霞が椿と知り合いということには驚いた。こういう偶然もあるものだな」
*
蒼天殿が椿と鐃藍に襲われ、古びた小屋に逃げ込んだ彩花達。そして恋華から彰を救う為の方法を聞き、彰を殺す決意を胸にそこで一晩を過ごす。
迎えた朝。鬼にどう立ち向かうかということを話し合っていると、小屋の扉が開き一人の少女が入ってきた。それが白川霞。霞は秘密基地として使っていた小屋に見知らぬ人がいることに驚いていた。その場に立ち尽くす霞。しばらくして目の前にいるのがこの国の天皇であることに気付く。
「……っ! 鈴音さま? こんな所で何を……?」
「ちょっと家が壊されちゃってね。ここに避難させてもらってるんだ。ここの家の人? 勝手に入っちゃってごめんね」
「別にわたしの家ではないので勝手に使っても大丈夫なんですけど。家が壊されたって、何かあったんですか?」
「まあちょっとね。信じてくれるか分からないんだけど、鬼が現れてね」
鬼。霞は少し前に知り合った小さい角を持った鬼の少女を思い出した。少女は角を前髪で隠していた。角が隠れていて見えないその姿は、普通の可愛らしい人間のようだった。
「その話、わたしは信じますよ。鬼に会ったことあるから。可愛い女の子でした」
「女の子? もしや、その者は椿と名乗っていなかったか?」
「うん。椿ちゃん。あの時、わたし達は初めて鬼を見たから気が動転しちゃってたんだけど、椿ちゃんには悪いことしちゃった。多分あの子はわたし達と仲良くしたかっただけなのに」
霞の脳裏には他の少女達と一緒になって椿に石を投げつけた光景が映る。大勢の罪もない人達を襲い喰った鬼。母もその犠牲者の一人だ。いくら椿に殺意がなかったのだとしても。母を喰った鬼のことを思い出してしまう。やはり鬼と人が仲良くなるなど到底無理な話なのだ。
「どうしたの? さっきからぼうっとして?」
「すみません。考え事をしてました。……そうだ。鈴音さま、家に来ませんか? この小屋には何もないですから。皆様もお腹が空いているんじゃないですか? 豪華な食事は用意できませんが、わたし料理得意なんです。どうでしょう?」
霞の提案に三人は顔を見合わせる。
「せっかくこう言ってくれてるのだ。お言葉に甘えるとしよう」と金時。
「あたしも賛成。これから鬼と戦うので、腹ごしらえをしておかないと」と金時に続き彩花も賛同した。
「という訳だ。少しの間お世話になるよ」
「はい。では、早速行きましょう」
しばらく歩いていると、霞の家に着いた。
「普段はお兄ちゃんと二人で暮らしてるんだけど、お兄ちゃんは仕事で数日は帰ってこないんです。だから久しぶりに人と食べるご飯って考えただけで楽しい。しかもその中に鈴音さまがいらっしゃるなんて」
家の中は綺麗に片付いていた。話を聞いていると、どうやら霞は料理や掃除といったそういう家事が得意らしい。霞はだいぶ年下だが、こういうところは見習いたいなと思った彩花だった。
「鈴音さまと金時さまは先にお部屋で休んでいてください。お姉さん、すみませんが手伝ってもらっていいですか?」
「料理下手だから力になれるか分からないけど」
ありがとう、と鈴音と金時が部屋に消え、それを笑顔で見送った後のことだった。
「お姉さんと鈴音さまってどういう関係なんですか? 結構距離が近いようでしたけど」
さっきまで笑顔で柔らかい印象だった霞が急に低い声で問い詰めてきた。彩花はあまりの変わりように戸惑う。同時にどう誤魔化そうかと頭を働かせていた。なのに口から出たのは、
「どうしてそんなこと訊くの? 鈴ちゃんのこと好きなの?」という煽るような言葉だった。
「鈴ちゃん? 渾名で呼び合うような親密な関係なんですか?」
「あ、いや、違わないけどそれは違くて……。うーん、どう説明しようかな?」
信じてくれるか分からないけど、と彩花は話し始める。日本というところからこちらの世界にやってきたこと。広幡妖華という鈴音と金時と仲の良かったらしい人物の魂が宿っていること。自分の身に起こったことを事細かに話していく。その間霞は静かに話を聞いていたが、あまり理解できていないような顔をしていた。
「……っていう訳なの。だからあたしは鈴ちゃんとそういう仲ではないよ」
「よく分からなかったけど、なんとなく分かりました」
「難しいよね。それよりその恋の話聞かせてよ。久しぶりに恋バナしたいな。でもあの鈴ちゃんがねえ。確かに彼、顔はいいけど」
「鈴音さまは憧れですけど、別に恋心は……」
「憧れも立派な恋心でしょ? それと、あたしは彩花。敬語も使わなくていいから」
「うん、分かった。よろしく彩花。わたしは霞」
*
「ご馳走様でした」
はーい、と霞は三人の食器を片付け洗い始める。それを見て彩花も台所へついて行き、霞を手伝う。
「これから鬼の所へ行くんでしょ? 休まなくていいの?」
「この家に来てから何もできなかったから、これくらいはやらせて?」
「ふふ。ありがとう」
そして出発の時。
「では行って参る。世話になったな、霞」
「行ってらっしゃいませ。鈴音さま、一つお聞きしますが、どうしてわざわざ鬼に有利な夜に出向くのですか? 昼間の方が安全かと」
「いくら憎い相手とはいえ、本調子じゃないところを叩くのは卑怯だと思ってね。それに、今から会いに行くのは僕の友達なんだ。元気な姿で話したいからね」
「鈴音さまは友達想いなのですね。皆様のご武運をお祈りしております。それと、椿ちゃんによろしくとお伝えください」
「あい分かった。ではな」
鬼の隠れ里に向かう道中、彩花はずっとぶつぶつ呟きながら歩いていた。
「さっきから何一人で喋ってるの?」
「え? うん。自分に言い聞かせてるの。今から人を殺すけど、これはお兄ちゃんを救う為だって。今から自分のすることは正しいことだって」
「ああ。俺達は今から国にとって脅威となる者を排除しこの国を守る。そして、お前の大切な人を救う。それは正しいことだ。何も間違っちゃいない。自信を持て」
「もし鐃藍と椿に会ってやっぱり怖いと感じたら逃げてもいいよ」
「ううん、逃げない。ちゃんと向き合う。大好きなお兄ちゃんだから、あたしの手で楽にしてあげたいの」
そう言うと、彩花は改めて彰を殺すことを胸に決意する。そんな彩花を鼓舞するかのように、頭上では綺麗な満月が彼女を照らしていた。
鬼の隠れ里。鈴音の後を金時、彩花と続き、ある小屋を目指していた。辿り着くと、そこはかつて鐃藍と椿が暮らしていた家だった。
「こんばんは鐃藍。僕達の因縁に決着をつけるに相応しい素敵な夜だね」
「どうして来たの? 今日からあたしとお父さんは改めて家族として生活していくの。お父さんがいなくて寂しかった分、いっぱい遊んでもらうんだから。早く帰ってよ。あたし達の邪魔しないで」
「ふざけないで。その人は貴女のお父さんじゃない。あたしのお兄ちゃんなの。自分が寂しいからって見ず知らずの他人を巻き込まないで。お兄ちゃんを返して!」
荒ぶる鬼神よ。我の命に耳を傾けよ。汝の忠誠をここに示せ。出でよ、式神。
彩花が呪文を唱えると、式神の恋華が姿を現した。
「悲しいけど、これもお兄ちゃんを救う為。恋華、手加減はしないで。思い切りやっちゃって」
「承知しました」
彩花に命令されると、禍々しい瘴気のようなものが恋華の周りを纏う。しばらくして瘴気が晴れると、それまでの少女の姿から九尾の狐へと姿を変えていた。九尾の狐へと姿を変えた恋華はとても美しかった。少女の姿の時も髪はツヤツヤで手入れが行き届いているようだったが、狐の姿でも毛並みがツヤツヤとしている。妖華に愛されていたんだなと強く実感した。
「そっちがその気なら、あたし達だって本気でやるから! いくよお父さん!」
椿の言葉に鐃藍は頷く。だが、その表情はどこか悲しげだった。
鈴音、金時、恋華の三人が攻撃を仕掛けても、鐃藍は反撃をしない。それどころか、向こうから攻撃を仕掛けてくることはなかった。鐃藍はただ防御するだけ。ボロボロになっていく鐃藍を見て椿が怒鳴る。
「ちょっとお父さん、真面目にやってるの? なんであいつらを攻撃しないの? このままじゃやられちゃうよ……」
「もういいんだよ椿。お前と過ごした数日間はとても楽しかった。体と共に思い出まで蘇らせてくれた。でももうここまでだよ。僕は本当は蘇っちゃいけない生き物なんだ。僕はあるべき所へ帰らないと。椿、お前とはここでお別れだけど、ちゃんといい子にして生きていけるはずだよね? お前は誰よりも優しい牡丹の娘なんだから」
「なんでそんなこと言うの? 寿命まであげて生き返らせたのに。これじゃ寿命のあげ損じゃん。ねえ、これから先ずっと一緒に生きていこうよ?」
椿の目からは涙がこぼれ落ちそうになっている。そんな娘を鐃藍は優しく抱きしめた。
「それはできないよ。たまに見える僕じゃない人の記憶。それは、この体の持ち主の彰の記憶。彼はずっと抵抗していたよ。自分の体を他の誰かに取られないように。もう死んでいる僕より未来がある彰に体を返してあげるべきだ」
鐃藍はそのまま彩花の方を見る。とても優しい目だった。
「君が彩花だね? よく彰が君の名前を呼んでいた。そこで君に頼みがある。僕の魂と彰の体を引き離してくれないか? 君の手でやってくれた方が彰も喜ぶと思うんだ」
「だってさ。鐃藍の思いを汲んでやってよ」と鈴音が彩花に自分の刀を渡す。刀を受け取った彩花は、鐃藍の前まで行くと刀を振り上げた。
「貴方は優しい人ですね。お兄ちゃんの体を奪ったことは許せないけど、お兄ちゃんの体にいるのが貴方で良かった。もし貴方が生まれ変わったらどこかで会えるといいですね」
彩花は刀を振り下げ首を斬る。首と胴体が分かれた時だった。鐃藍の顔がにこりと笑った様な気がした。
首と胴体が地面に転げ落ちると、鐃藍の体は彰へと姿を変えた。血だらけで横たわる彰は、憑き物が取れたような安らかな顔をしていた。
「ねえお父さん。やっとまた会えたのに、死なないでよ。あたしをまた一人にしないで……」
椿は彰に駆け寄り、揺さぶりながら話しかける。その目からは涙がボロボロと溢れていた。
「椿、もう分かってるだろう? それは君のお父さんじゃない。金時、こいつを牢に入れておけ」
鈴音に命令され
「はっ」と応えると、椿の肩を掴み里を後にしていった。恋華は彰の死体を見て放心状態になっている彩花を支え金時の後に続く。鈴音は横たわる彰を抱え上げると、四人の後を追った。
九条彩花を起こす優しい声が聞こえる。彼女はこの声に聞き覚えがあった。兄である九条彰の声だ。
そうか。あたしはあの嵬俚という世界から戻ってきたんだ。どうやったかは覚えてないけど、なんだかんだでお兄ちゃんのことを助けることができたらしい。よかった。
「うーん……。まだ寝てたいよお……」
「休日ならまだ寝かせてあげたいところだけど、今日は平日だから。そういう訳にはいかないよ」
彰は彩花を揺するが、起きる気配はない。痺れを切らした彰は
「しょうがないな」と呟くと、勢いよく彩花の掛け布団を捲った。
「ちょっとお兄ちゃん何するの? 寒いじゃん! ……って、金ちゃん?」
彩花は飛び起きたが、そこに彰の姿はなく、いるのは彩花を微笑ましく見つめる鷹司鈴音と近衛金時だった。
「すまんな彩花。だが、やはり妹というものはどんな人間でも同じ反応をするものだな。昔はよくこうやって金蘭を起こしたものだ」
金時はガハハ、と豪快に笑い飛ばす。
「おはよう彩花。昔の夢でも見てたの?」
「うん。お兄ちゃんの夢。ねえ鈴ちゃん、お兄ちゃんを殺さずに助ける方法はないの? やっぱ嫌だよ。お兄ちゃんを殺すなんてできない」
「気持ちは分かる。だがな、そうしないとお前の兄の中にはずっと鬼の魂が入っていることになる。それに、確か椿は鈴音を喰わせて父を完全に蘇らせると言っていたな。であれば、少なくとも一人の人間は確実に殺されることになる。彩花、もう兄が人を殺すところを見たくはないだろう?」
「それはそうなんだけど……」
三人が話していると、襖が開き少女が顔を覗かせた。
「賑やかだと思ったら、皆様起きていたんですね。ご飯はもうできていますよ」
少女が駆けていくのを見送ると、三人も少女に続いた。
膳の上には米、焼き魚、汁物が置かれていた。
「ごめん寝ちゃってた。手伝えなくてごめんね」
「ううん。彩花達はこれから鬼と戦うんだもん。ちゃんと寝て体力をつけて」
「鬼との戦いの前に美味しいご飯が食べれて嬉しいよ。ありがとう霞」
霞は鈴音に礼を言われ、頬を赤く染める。
「だが霞が椿と知り合いということには驚いた。こういう偶然もあるものだな」
*
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「……っ! 鈴音さま? こんな所で何を……?」
「ちょっと家が壊されちゃってね。ここに避難させてもらってるんだ。ここの家の人? 勝手に入っちゃってごめんね」
「別にわたしの家ではないので勝手に使っても大丈夫なんですけど。家が壊されたって、何かあったんですか?」
「まあちょっとね。信じてくれるか分からないんだけど、鬼が現れてね」
鬼。霞は少し前に知り合った小さい角を持った鬼の少女を思い出した。少女は角を前髪で隠していた。角が隠れていて見えないその姿は、普通の可愛らしい人間のようだった。
「その話、わたしは信じますよ。鬼に会ったことあるから。可愛い女の子でした」
「女の子? もしや、その者は椿と名乗っていなかったか?」
「うん。椿ちゃん。あの時、わたし達は初めて鬼を見たから気が動転しちゃってたんだけど、椿ちゃんには悪いことしちゃった。多分あの子はわたし達と仲良くしたかっただけなのに」
霞の脳裏には他の少女達と一緒になって椿に石を投げつけた光景が映る。大勢の罪もない人達を襲い喰った鬼。母もその犠牲者の一人だ。いくら椿に殺意がなかったのだとしても。母を喰った鬼のことを思い出してしまう。やはり鬼と人が仲良くなるなど到底無理な話なのだ。
「どうしたの? さっきからぼうっとして?」
「すみません。考え事をしてました。……そうだ。鈴音さま、家に来ませんか? この小屋には何もないですから。皆様もお腹が空いているんじゃないですか? 豪華な食事は用意できませんが、わたし料理得意なんです。どうでしょう?」
霞の提案に三人は顔を見合わせる。
「せっかくこう言ってくれてるのだ。お言葉に甘えるとしよう」と金時。
「あたしも賛成。これから鬼と戦うので、腹ごしらえをしておかないと」と金時に続き彩花も賛同した。
「という訳だ。少しの間お世話になるよ」
「はい。では、早速行きましょう」
しばらく歩いていると、霞の家に着いた。
「普段はお兄ちゃんと二人で暮らしてるんだけど、お兄ちゃんは仕事で数日は帰ってこないんです。だから久しぶりに人と食べるご飯って考えただけで楽しい。しかもその中に鈴音さまがいらっしゃるなんて」
家の中は綺麗に片付いていた。話を聞いていると、どうやら霞は料理や掃除といったそういう家事が得意らしい。霞はだいぶ年下だが、こういうところは見習いたいなと思った彩花だった。
「鈴音さまと金時さまは先にお部屋で休んでいてください。お姉さん、すみませんが手伝ってもらっていいですか?」
「料理下手だから力になれるか分からないけど」
ありがとう、と鈴音と金時が部屋に消え、それを笑顔で見送った後のことだった。
「お姉さんと鈴音さまってどういう関係なんですか? 結構距離が近いようでしたけど」
さっきまで笑顔で柔らかい印象だった霞が急に低い声で問い詰めてきた。彩花はあまりの変わりように戸惑う。同時にどう誤魔化そうかと頭を働かせていた。なのに口から出たのは、
「どうしてそんなこと訊くの? 鈴ちゃんのこと好きなの?」という煽るような言葉だった。
「鈴ちゃん? 渾名で呼び合うような親密な関係なんですか?」
「あ、いや、違わないけどそれは違くて……。うーん、どう説明しようかな?」
信じてくれるか分からないけど、と彩花は話し始める。日本というところからこちらの世界にやってきたこと。広幡妖華という鈴音と金時と仲の良かったらしい人物の魂が宿っていること。自分の身に起こったことを事細かに話していく。その間霞は静かに話を聞いていたが、あまり理解できていないような顔をしていた。
「……っていう訳なの。だからあたしは鈴ちゃんとそういう仲ではないよ」
「よく分からなかったけど、なんとなく分かりました」
「難しいよね。それよりその恋の話聞かせてよ。久しぶりに恋バナしたいな。でもあの鈴ちゃんがねえ。確かに彼、顔はいいけど」
「鈴音さまは憧れですけど、別に恋心は……」
「憧れも立派な恋心でしょ? それと、あたしは彩花。敬語も使わなくていいから」
「うん、分かった。よろしく彩花。わたしは霞」
*
「ご馳走様でした」
はーい、と霞は三人の食器を片付け洗い始める。それを見て彩花も台所へついて行き、霞を手伝う。
「これから鬼の所へ行くんでしょ? 休まなくていいの?」
「この家に来てから何もできなかったから、これくらいはやらせて?」
「ふふ。ありがとう」
そして出発の時。
「では行って参る。世話になったな、霞」
「行ってらっしゃいませ。鈴音さま、一つお聞きしますが、どうしてわざわざ鬼に有利な夜に出向くのですか? 昼間の方が安全かと」
「いくら憎い相手とはいえ、本調子じゃないところを叩くのは卑怯だと思ってね。それに、今から会いに行くのは僕の友達なんだ。元気な姿で話したいからね」
「鈴音さまは友達想いなのですね。皆様のご武運をお祈りしております。それと、椿ちゃんによろしくとお伝えください」
「あい分かった。ではな」
鬼の隠れ里に向かう道中、彩花はずっとぶつぶつ呟きながら歩いていた。
「さっきから何一人で喋ってるの?」
「え? うん。自分に言い聞かせてるの。今から人を殺すけど、これはお兄ちゃんを救う為だって。今から自分のすることは正しいことだって」
「ああ。俺達は今から国にとって脅威となる者を排除しこの国を守る。そして、お前の大切な人を救う。それは正しいことだ。何も間違っちゃいない。自信を持て」
「もし鐃藍と椿に会ってやっぱり怖いと感じたら逃げてもいいよ」
「ううん、逃げない。ちゃんと向き合う。大好きなお兄ちゃんだから、あたしの手で楽にしてあげたいの」
そう言うと、彩花は改めて彰を殺すことを胸に決意する。そんな彩花を鼓舞するかのように、頭上では綺麗な満月が彼女を照らしていた。
鬼の隠れ里。鈴音の後を金時、彩花と続き、ある小屋を目指していた。辿り着くと、そこはかつて鐃藍と椿が暮らしていた家だった。
「こんばんは鐃藍。僕達の因縁に決着をつけるに相応しい素敵な夜だね」
「どうして来たの? 今日からあたしとお父さんは改めて家族として生活していくの。お父さんがいなくて寂しかった分、いっぱい遊んでもらうんだから。早く帰ってよ。あたし達の邪魔しないで」
「ふざけないで。その人は貴女のお父さんじゃない。あたしのお兄ちゃんなの。自分が寂しいからって見ず知らずの他人を巻き込まないで。お兄ちゃんを返して!」
荒ぶる鬼神よ。我の命に耳を傾けよ。汝の忠誠をここに示せ。出でよ、式神。
彩花が呪文を唱えると、式神の恋華が姿を現した。
「悲しいけど、これもお兄ちゃんを救う為。恋華、手加減はしないで。思い切りやっちゃって」
「承知しました」
彩花に命令されると、禍々しい瘴気のようなものが恋華の周りを纏う。しばらくして瘴気が晴れると、それまでの少女の姿から九尾の狐へと姿を変えていた。九尾の狐へと姿を変えた恋華はとても美しかった。少女の姿の時も髪はツヤツヤで手入れが行き届いているようだったが、狐の姿でも毛並みがツヤツヤとしている。妖華に愛されていたんだなと強く実感した。
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椿の言葉に鐃藍は頷く。だが、その表情はどこか悲しげだった。
鈴音、金時、恋華の三人が攻撃を仕掛けても、鐃藍は反撃をしない。それどころか、向こうから攻撃を仕掛けてくることはなかった。鐃藍はただ防御するだけ。ボロボロになっていく鐃藍を見て椿が怒鳴る。
「ちょっとお父さん、真面目にやってるの? なんであいつらを攻撃しないの? このままじゃやられちゃうよ……」
「もういいんだよ椿。お前と過ごした数日間はとても楽しかった。体と共に思い出まで蘇らせてくれた。でももうここまでだよ。僕は本当は蘇っちゃいけない生き物なんだ。僕はあるべき所へ帰らないと。椿、お前とはここでお別れだけど、ちゃんといい子にして生きていけるはずだよね? お前は誰よりも優しい牡丹の娘なんだから」
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椿の目からは涙がこぼれ落ちそうになっている。そんな娘を鐃藍は優しく抱きしめた。
「それはできないよ。たまに見える僕じゃない人の記憶。それは、この体の持ち主の彰の記憶。彼はずっと抵抗していたよ。自分の体を他の誰かに取られないように。もう死んでいる僕より未来がある彰に体を返してあげるべきだ」
鐃藍はそのまま彩花の方を見る。とても優しい目だった。
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「だってさ。鐃藍の思いを汲んでやってよ」と鈴音が彩花に自分の刀を渡す。刀を受け取った彩花は、鐃藍の前まで行くと刀を振り上げた。
「貴方は優しい人ですね。お兄ちゃんの体を奪ったことは許せないけど、お兄ちゃんの体にいるのが貴方で良かった。もし貴方が生まれ変わったらどこかで会えるといいですね」
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首と胴体が地面に転げ落ちると、鐃藍の体は彰へと姿を変えた。血だらけで横たわる彰は、憑き物が取れたような安らかな顔をしていた。
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椿は彰に駆け寄り、揺さぶりながら話しかける。その目からは涙がボロボロと溢れていた。
「椿、もう分かってるだろう? それは君のお父さんじゃない。金時、こいつを牢に入れておけ」
鈴音に命令され
「はっ」と応えると、椿の肩を掴み里を後にしていった。恋華は彰の死体を見て放心状態になっている彩花を支え金時の後に続く。鈴音は横たわる彰を抱え上げると、四人の後を追った。
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