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後編

過去と理由と約束

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 ◆

「お兄ちゃん」
「…………」

 小学校二年生の俺と幼稚園の妹、唯を残して、ある日父さんと母さんはいなくなった。
 あまりに突然の出来事で、俺は心の半分を何処かになくしてしまった。それは、とてつもない大きな喪失感と絶望の穴。ぽっかりと顔を見せているそれから、妹を守らないと、と思った。気を抜けば、この穴に残ってる大切なものまで全部飲み込まれてしまう。そんな気がして――。だから、俺の残った半分の心で決めたんだ。

 新しいお父さん、お母さんは、父さん母さんと同じくらい優しい、いい人だった。事故で亡くなった母さんの兄、月城伊織つきしろいおりさんがお父さんで、月城香澄つきしろかすみさんがお母さん。二人の子ども、薫が俺と同い年の、二ヶ月だけ遅い生まれだった。
 二人は俺と唯をしっかりと育ててくれた。ただ、お母さんは時おり、自分の本当の子ども、薫にだけ本音をもらしていた。「もう一人くらい、欲しかったな」と。

 それを聞いた薫は、俺がいなければいいのにと思うようになったそうだ。ただ、唯は、そう思えなかった。
 薫は、――――唯が好きだった。
 もちろん、告白なんてしてない。ずっと兄妹として育てられたから。クソマジメな薫は、どうしても、その呪縛から逃れられなくて、ただ一人の「兄」という存在になれればそれでいいと思うようになってしまったらしい。

 つまり、薫にとって邪魔なのは、俺という存在だけ。ただ、薫も優しいヤツだから、面と向かって言えなかったんだろうな。思いだけが膨れ上がっていき、その願いが強く強くなったある日、薫の前に神様ユウが現れた。願いを聞いてやるからゲームに協力してくれと。

 中身が、他人になるなら薫は俺を切り捨てられる。だから、ユウの話にのったんだ。俺を巻き込んで欲しいと。
 ただ、薫の誤算は帰る為に対の相手がいること。まさか、それで唯が巻き込まれるとは思ってなかったそうだ。
 まあ、すぐに挽回して、俺を残して見事帰ったわけだけど。

 腕輪外しはユウがやったんだとよ。アイツが何を思って、動いてるのかしらねーが。
 まあ、それで、――エリナに出会ったんだ。

 ◇

 アルテの独白が終わると、小さな静寂があたりに広がった。
 何て言えばいいのだろう。彼に、聞いてはいけない事を聞いてしまった。そして、私は絶対に彼に言ってはいけないことを考えてしまっていたことに気付かされる。
 この世界にずっといると、ユイを一人にする。父と母、二人を失った彼女から、兄までも奪うことになる。
 私は、ぎゅっと自分の手を握りしめた。

「……ごめんなさい」

 謝る言葉しか出てこない。

「ごめん……なさい……」

 目が熱くなって、何かがこぼれ落ちる。ぽたり、ぽたりと。
 数滴落ちた時、アルテが立ち上がり、横に座った。

「何を謝る必要がある? 話したのは俺だ。エリナは悪くない」

 そう言って、彼はぽんと頭に手をのせてきた。その手はそのまま、ふわりふわりと私の頭の上を撫でていく。
 私の勝手で、ユイからこの人を奪っちゃ駄目だ。たった一人の家族宝物なんだ。

「……はやく、帰らないとだね。すぐ戻る?」
「――少し、迷ってた。薫の気持ちもわかるし、……それに」
「それに?」
「――――まだ、アルベルトとの再戦が残ってるだろ」

 少しの間の後にアルテが笑いながら言う。

「俺が受けたレースだからな。俺が戦わないと」
「そっか。頑張って」
「ナホのことと全部終わったら、戻ろう。薫には悪いがな――。俺は向こうでやることがあるんだ」

 戻る。今決めたはずなのに、その言葉でまた心が揺れる。

「エリナ。明日、付き合え!」
「えっ?」
「あそこのケーキ全種類制覇するんだろ。いくぞ」

 かかっといつもの顔に戻ったアルテが笑う。
 私とアルテの約束。

「うん。明日はきちんと切り分けてね!」

 私もつられて一緒に笑った。
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