鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第61話 齟齬

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 眩い黄金の鱗粉が、新たに建造された都市の上空を渦を巻いては散る。 

 蚕魂がはらはらと翅をはためかせる都度に、幻想的な光の帯が街中を照らし、訳知らぬ住人達の目を和ませる。 

 しかしその実態は、外部への通信すべてを遮断する強力なチャフそのもの。

 私闘の邪魔させぬ為か、己の利すら捨てた行為にカルマは侮蔑半分呆れ半分の心境でその様を眺めていたが、ジェスターと実際に相対する雪兎にそんな余裕はない。 

 今まで守り抜いてきた都市を傷付けぬ為、アイトゥング・アイゼンを利用して生やした氷壁を足場兼防護壁とし、優雅に飛び回る蚕魂を慎重ながらも急いで追尾する。

 その途中にも見える糸と見えざる糸が複雑に編み込まれた斬撃の結界が、不用意に空を飛んだ者を輪切りにしようと待ち受けるが雪兎は一切怯まない。

「虚勢を張るなよジェスター、確かにそいつは良い機体だが、こいつ相手には地力が違いすぎる!」

 ただの害獣相手なら問題なく切り身に出来たはずの超硬度鋼糸が、フォース・メンブレンを貫通できずに焼き落とされていくのを見せつけながら、雪兎はジェスターへの呼びかけを続ける。 

 万が一民間人を巻き込むつもりなら、いくら同胞であろうと殺さざるを得ない。 

 その最悪な結末を避けるためにも、雪兎は返事がないことにもめげずにひたすら通信を送り続けた。

「アンタが何故僕を恨んでいるかは知らない。 だが、関係ない人達が巻き込まれるのは道理が通らないだろうが!」
『……よりによってお前がそれを言うのか、その言葉をほざく資格が無いお前が』

 雪兎の通信に対してようやく反応を示したジェスターだが、紡がれた言の葉から端的に匂わせたのは深い怨念。 

 たとえどんな手を公使してでも殺してやろうとする凄まじい感情の圧が、ジェスターの思惑を掴み切れていない雪兎を精神的に押し潰し、束縛する。

「資格だと? さっきからアンタは何を言っているんだ!?」
「わざわざ人に聞かなければ分からないか。 か弱い民草の命もお前にとってはその程度なんだろうよ」

 言葉のペースに乗せられて雪兎の戦意が微かに揺らいだのを見逃さず、鋼糸の先端に括り付けられた暗器が雪兎の死角から不規則な軌道の斬撃を見舞う。 

 しかしそれすらもドラグリヲの堅い甲殻に弾かれてあさっての方角へ跳ね飛んでいく。

「やめろと言ってるだろ! 自分から命を捨てるような真似をするな!」
『何を今さら、私はもうお前によって既に殺されたようなものだ』
「……何だって?」
『だから私は、お前を殺す為なら喜んでこの命を捧げよう。 お前の手によって焼き滅ぼされた私の故郷と、そこで生きていた全ての命の慰めの為にな』

 徐々に昂ぶっていきながらも、己を必死に律しながらやっとのことで紡がれるジェスターの言の葉。 

 そこまで言われてようやく、雪兎は彼が何者であるのか思い至る。 

「アンタは……、いや貴女はまさか……」

 今まで猛々しかった感情が一転、弱々しく表情が陰った雪兎の脳裏に辛く苦い記憶が鮮やかに蘇る。 

 呉を劇毒ごと焼き払った後、事後処理の最中に殺しにかかってきたうら若き女兵士の姿が。 

 彼女の絶叫と涙でひどく汚れた顔が、フラッシュバックの瞬間に雪兎の心へ鋭い一撃を見舞い、雪兎の戦意を根刮ぎ削ぐ。

「貴女はあの時の……、あの時僕を殺そうとした……」
「そうだ、ようやく思い出したかこのクズ野郎!!!」

 立場が逆であったのならば、間違いなく雪兎もそうしたであろう無謀な行為。 

 端的ながらも、雪兎が決して忘れられなかった鮮烈な衝撃。 

 それは雪兎の心に刻まれた傷を再び酷く膿ませ、ドラグリヲの歩みを図らずも止めさせた。

 刹那、糸の結界がドラグリヲを中心に収束し、そのままコックピットに座する雪兎ごと細切れにせんと捻上げられるも、自動的に発生したフォース・メンブレンによってあえなく焼き落とされ、炭の糸くずを街中に撒き散らす結果に終わる。

『無駄です、この機体は既に神話級害獣と等しい存在にまで成長している。 いくら小細工を弄しようが貴女の玩具では傷一つ付けられないでしょう』
「だろうね、あまりにごもっともな指摘過ぎて虫唾が走るよ。 この人擬きの冷血機械が」

 心を蝕む痛みに悶え、黙ったまま牙を噛み締める雪兎に代わり、イヤミ混じりの忠告をするカルマだが、ジェスターは何を思ったのか蚕魂に大きく距離を取らせると、仰々しく星屑の下に翅を広げさせた。

「だがな、そうやって余裕を見せ付けられるのもこれまでだ。 私はこれから神話と讃えられる獣と等しい存在へと生まれ変わる。 お前を絶望の渦中で惨たらしく殺してやるために」

 そうジェスターが語った瞬間、今まで頑なに閉じられていた映像回線が開き、雪兎の視界にジェスターの姿が映し出される。 

 真っ赤な液体に満たされたアンプルを首筋に添えたジェスターの姿。

「駄目だよせ! やめろ!!!」
「お前の寝言を聞くと思うなボケがあああああ!!!」

 それの正体を即座に察して雪兎は無意識のうちに手を伸ばすもそれで止められるはずもなく、ジェスターの体内にどろりとした害獣の血潮が注がれる。 

 通常ならば、人に対して毒にしかならない害獣の体組織。 しかしジェスターに注がれたそれは、害どころか更なる飛躍をジェスターにもたらした。

 初めて雪兎が害獣のDNAを受け入れた時と同じく、ジェスターの身体が凄まじい勢いで造り替えられていく。 

 知性と執念だけが取り柄の脆弱な人間から、ヒトから遠い生命である昆虫と、忌むべき害獣の一種たる天使のパッチワークへと。 

 その余波で顔を覆っていた仮面と、スレンダーな肢体を包んでいたパワードスーツが弾け飛ぶが、新たに生成された絹糸によって織り上げられた鎧が、彼女の身体を頭の先から足先までを余さず包み込み、護る。

「っ!!!」

 彼女が完全な変貌を遂げる直前、雪兎は彼女の素顔を偶然にも一瞬だけ垣間見てしまった。 

 健康的な褐色肌にショートヘアという快活な印象を与える記号で揃えられた端正な美女の素顔を。 

 しかし同時に、一途すぎる怨恨と復讐心に満たされた視線に胸を突き刺され、再び傷無き傷みに悶える羽目に陥る。

「僕が……彼女を変えてしまったのか……」
『何を馬鹿言ってるんですユーザー! 何に酔ってるのかは知りませんが、降りかかる火の粉を払わなければ丸焼きにされるのは私達ですよ!』

 だから早く攻撃しろと言わんばかりに、コックピットに現れたカルマが雪兎の身体を揺さぶるが、雪兎はドラグリヲを微動だにさせず、パイロットの変異に呼応して進化を始めた蚕魂の様子を黙って見守り続けた。 

 ジェスターの体内に新たに創造された細胞と機体を構成するグロウチウムが、パイロットと機体を繋ぐグロウチウムケーブルを介して共鳴し、蚕魂を見た目から機体内に至るまで成長を促す。 

 数多の害獣の血を啜り、進化を繰り返したドラグリヲと同じく。

 その果てに誕生したのは、蚕魂の意匠が各部に残された白絹と黄金の天使。 

 戦場となった中央区から程遠い住宅地から見守っていた住人達が、息をすることも忘れて見惚れるほどの優美さを醸す復讐の使徒。 

 半透明の翅を雄々しくはためかせ、幾筋もの絹の触手を目一杯に拡げるそれは、地上に這いつくばったドラグリヲを見下ろすと共に怨嗟の思念を雪兎に直接ぶつけてきた。

「裁きの時だ、人格者の仮面を被った腐りきった虐殺者め。 必ずお前を皆が遭わされたよりも惨い目に遭わせて殺してやる!!!」
「……っ」
『駄目ですね話が通じません。 ユーザー、残念ですが処分の決断を。 このまま彼女を生かしたところで二次災害による被害が増えるばかりです』

 子供の駄々と変わらないと、ジェスターの叫びを一蹴しながら遠回しに雪兎へ殺害を促すカルマ。 

 だが、彼女は雪兎の性格をほんの僅か見誤っていた。 

 彼のパーソナリティの基礎として憎悪と双璧を為す慈悲の重さを。

「……悪いなカルマ、僕は絶対に彼女を殺さない。 彼女は必ず生かして返す」
『は? 馬鹿なことを言わないで下さいよ! あれは我々を滅するつもりで襲ってきますよ!?』
「だろうな」

 カルマの必死の忠告を全力で聞き流しながら、雪兎はただ淡々とコンソールに手を伸ばし、自らのアドバンテージとなるものをあえて遠ざけていく。

『フォース・メンブレン、アイトゥング・アイゼン機能停止? 及びサルベイションプロトコル承認拒否!? お願いですユーザー! あんな奴の口車に乗せられないで!』
「大丈夫だよカルマ、僕は絶対に死なない。 ただ彼女とは、絶対に僕一人で向き合わなければいけないんだ」

 主の身体にしがみついて全力で懇願するカルマに対し、雪兎はふと悲しげに笑うと、密かに隠し持っていた制御用カチューシャを彼女の頭に飾ってやる。 

 その瞬間、カルマの愛らしい瞳から光が消え、高度人格機能が完全にシャットダウンした。 

 彼女の意志を現す全てが、電子の檻の中へ囚われていく。

『ユーザー……ぁぁぁ……』
「だから、しばらくの間眠っておいてくれ」

 一時的に感情の類いを喪失し完全にただの機械へと成り下がったカルマを、雪兎はコックピットの隅に匿ってやりながら、サブモニターに映ったジェスターだったものに語りかける。

「待たせたな、これで君の邪魔をする奴はもういない。 その怨恨、思うままに叩き付けるがいいさ」
「貴様に言われずとも今さらぁあああああああ!!!」

 獣の血肉に身体を貪られる以前のように、首領から教わった武術の構えをドラグリヲに取らせながら、雪兎は全力で殺到してくる蚕魂を睨み上げる。

「さぁ、……来い」

 自らを奮い立たせる為、敢えて誘いの言葉を零しながら拳を握る雪兎。 

 そこには背中を預け合う者も、いつもそばで励ましてくれた者もいない。

 星明りすら届かない闇の底でたった一人、雪兎にとって最も長く辛い夜が幕を上げた。

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