鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第67話 誤信

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 白み始めた空を切り裂くように、ドラグリヲは振り返ることなくひたすら天を翔る。 

 死すべき者どもへの裁きは終わり、助け出された人々はあるべき場所まで送り届けた。 

 だが、暫し留守にした都市の様子が気掛かりで、雪兎は内心不安に駆られながら帰路を急ぐ。

「カルマ! 敵機や害獣の反応は!?」
『幸いな事に今のところ見当たりません。 ただ、王鼠やその麾下の無人小型アーマメントビースト群の反応も検出されません』
「何だと!?」

 カルマの報告を聞いた瞬間に雪兎は血相を変え、ドラグリヲの出力を急上昇させると、増した推力を一切落とすこと無く、そのまま造りかけの都市のど真ん中に降着した。 

 間髪入れず、哀華と共に街に残っているであろう生意気なカルマの片割れに連絡を送りつける。

「グレイス! 大黒さん達は……皆は一体どこに消えたんだ!?」
『安心しなって。 あの元ならずものの集団や他の住人達なら、君らが奴等を殺しに飛び立ってすぐに持てる物だけ持ってここを離れたよ。 一度ならず二度までも命の危機に晒されれば、そりゃ誰だって身の保身を第一に考えるさ』
「そうか……、皆には悪いことをしてしまったな」
『いいやそうでもないんじゃないか? 兄ちゃんが居てくれなければ、あの人らは最初の襲撃で皆殺しにされていた。 兄ちゃんのおかげで大勢の命が救われたんだよ』
「おだてるなよ、別に褒めたって何もしてやれないぞ。 それになグレイス、お前は僕が本当に守ってやりたかった人を守れなかったことを承知しているはずだ」

 人の心が分からない存在らしいお世辞に苦言を呈しながら、雪兎はカルマを伴ってコックピットから飛び降りる。 

 そうして自然と顔を伏せると、ジェスターと蚕魂が確かにこの世に存在した痕跡であるグロウチウム装甲のペーストのそばで膝をついた。 

「ジェスター……、結局最後まで僕は君のことを知ることが出来なかったな……」

 最後の最後、彼女が垣間見せた彼女自身としての表情を思い出しながら、肝心なときに役に立てない己の力を呪う。 

 いくら強かろうが手遅れの力なんて欲しくはなかったと血が滲むほどに拳を握り、全ては己の怠慢だったと雪兎は悔恨の表情を浮かべながら深々と頭を下げた。 

 いつの間にか手に付着した鋼色のペーストが指先から虚しく零れ落ちていくのを見て、詫びるべき命は既にここにはないのだと改めて思い知らされながら。

「最初から君と本気で向き合っていれば、もしかしたら君を死なせずに済んだのかも知れない……。 全ては僕の責任だ……僕が全部悪いんだ……」
「本当にそう? 本当に貴方ばかりが悪いことなの?」
「っ!!!」

 押し付けられた罪の重さに悶え、馬鹿正直に受け止めた悲しみに苦しむ雪兎を見かねて声をかけたのは、グレイスの手によっていつのまにか外に連れ出されていた哀華。 

 彼女は驚いて動きを止めた雪兎の真横を黙って通り過ぎると、そのままグロウチウムのペーストの中へ足を踏み入れていく。

「哀華さん!? 一体何をやっているんです!」
「貴方が貴方にしか出来ないことをやったように、私は私にしか出来ないことをやるだけよ」
『そういう訳だからさ、たまには他人を信じて黙って見てなよ兄ちゃん』

 思わず哀華の背中に伸ばした手をグレイスが放った蔦で絡め取られ、雪兎は瞬間的に殺意を抱くも、対するグレイスは馴れ馴れしく雪兎を宥めながら、共に哀華を見守ろうと雪兎が咄嗟に握り込んだ拳を解きほぐす。

 そうするうちにも二人を放置して鋼色のペーストの上で一人佇んでいた哀華は、自らの体内から生成した根をペースト全体を覆うように伸ばすと、ゆっくりとその場に跪き祈りを捧げた。 

 刹那、彼女が持つ世界樹の細胞とグロウチウムが反応し、猛烈な勢いで何かを生み出していく。

 哀華を中心にして絹糸のような繊維と蔦のような物体が周辺の物質を取り込みながら幾重にも絡み合い、やがて出来上がったのは繭のような形状をした巨大な何か。 

 それは哀華を外へ排出した後、繭の細かい傷を全て塞ぎ、完全に外界との繋がりを絶った。

「何だ!? 一体これは……」
『かつてまだ人類と世界樹の戦力が均衡であった頃、さらなる戦力を欲した世界樹は自らの腹を痛めて三匹の害獣を産み落とした。 鉄獄蛇、星海魔、そして蝕甚天と呼ばれる神話級害獣の祖。 人類側から三位と呼ばれて畏れられたこれらの三体は、戦争の大勢が決すると揃って地上から姿を消した』
『鉄獄蛇は世界樹の命があるまでマントルの中に眠り、星海魔は勇気ある人々の心に焦がれて自ら下った。 しかし蝕甚天の行方は、彼に似た天使型害獣が浮塵子のように現れて以来一切掴めないままでした』
「待ってくれ、お前等はいきなり何の話をしているんだ? 僕には全く理解できない!」

 勝手に大昔の話を始める人外二人に付いていけず、たまらず雪兎は彼らに苦言を呈する。 

 するとグレイスは呆れたように首を振り、歴史の授業を畳んで不機嫌に語り始めた。

『端的に言うとね、さっき殺された姉ちゃんに注がれた血は世界樹自身の子供と称して違わない神話級害獣のものなんだ。 神話級害獣の力は末端の個体でもこの世の法則にすら平気で覆す程に強い。 そんな怪物の血を受けたものが、たかだかミンチになるまで磨り潰された程度で完全に死に絶えるはずが無いんだよ。 だから、お姉ちゃんにお願いして投与された細胞に呼びかけて貰ったんだ。ゆっくりでも構わないからとにかく“生き返れ”ってね』
「なんだと!? そんな馬鹿げたことが……」
『勿論普通なら出来ないよ。 哀華姉ちゃんがここまでの精度で我が始祖の力を行使してみせたからこそ出来た芸当なんだ。 まったく、リンやアルフレドにはいくら感謝しても足りないよ』

 今さら何を言ってるんだといわんばかりに雪兎へ呆れの視線を返すグレイス。 

 彼は雪兎への説明責任は終えたと一方的に判断すると、想定以上に己の力を使役して見せた哀華に笑みを投げ掛けた。 

 それに対する哀華の反応は軽く手を振ってみせる程度の軽いものであったが、それでもグレイスにとっては感極まるものだったらしく、照れ隠しに雪兎の影に隠れると、抑えきれない感情をはしたなく誰かに見せてしまわないよう、ドラグリヲが鎮座する方向へと駆けだしていった。

「哀華さん……」
「心配しないで、私は私以外の何者でもない。 獣の血肉を宿した貴方が、真継雪兎以外の何者でも無いように」

 嬉しげに小躍りしながらドラグリヲのボディを駆け上がるグレイスの背中を見送って、哀華は雪兎の方へ向き直ると、いつもと変わらぬ愛情に満ちた視線と言の葉を向ける。 

 雪兎以外には決して見せることのない身も心も蕩けるような感情の発露。 

 それを真正面から浴びせられた雪兎は己の胸の高鳴りと顔面の紅潮を同時に知覚するが、それに水を差すように届いたカルマからの提案が、雪兎を夢想から現実へと引き戻す。

『ユーザー、残念ですが我々も一旦ここを離れるべきです。 貴方は確かに社会の病巣をこの世から摘出しましたが、連中が垂れ流した甘い汁をのうのうと啜り続けた小悪党共は未だ健在です。 彼らは自らの権益を侵した貴方の存在を決して許しはしないでしょう。 故に、報復として一体何をしでかすか分かりません』
「僕にクズ共を見逃せというのか。 大勢の人々が血と汗と涙を流す傍らで、あんなにも惨いことを行ってきた連中の同類を」
『貴方が助け出した名士達が力を取り戻すまでの辛抱です。 私としても不本意なのですがここは一つお願いします。 これ以上あの卑劣な男を喜ばせ続けるわけにはいかないのですよ』
「……そうか」

 繰り返し嘆願するカルマが語り口から、サンドマンが小賢しく暗躍する姿が脳裏に浮かび、雪兎は思わず反吐が出るような気分になりながらも渋々頷く。

「分かったよ。 だが具体的にこれからどうするつもりだ?」
『お二人に文化的な生活を保障出来る程度の資源を調達することなど我々には容易いこと。 ほとぼりが冷めるしばらくの間、列島に攻め寄せてくる害獣や賊共を狩りながら辺境に身を潜めておきましょう。 政界の再編が滞りなく進めば、近いうちに同盟船団国家やI.H.S.も元通りの活動が可能になると思われます』
「思われますって、相変わらず希望的観測に満ちた提案だな。 本当に上手くいく保証があるのか?」
『私にだって確実な予測は出来ません。 故に今は、社会を構成する大多数の人々を信じましょう。 人にとって理不尽な存在そのものと成り果てた今の我々には、それしか出来ないのですから。 ……でも』

 雪兎の陰りのある訝しげな視線を何故か痛ましく感じたのか、カルマは少し悲しげな表情をしながら一旦言葉を切る。 

 しかし首領が健在だった頃の思い出を胸に自らぎこちない笑顔を作ると、再び雪兎を正面から見つめながら言葉を紡いだ。

『“人は馬鹿で間抜けで愚かであるも、決して救いようのない存在ではない” それは貴方が一番ご存じのはずです。 人の暗いところも明るいところもその目で見てきた貴方なら』
「……そうだな」

 全く機械らしくないカルマの言葉を耳にして雪兎は軽く苦笑すると、哀華を伴ってドラグリヲの方へと歩き始める。

 かつてアルフレドが雪兎に語った言葉。 それが正しかったことを信じて。
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