鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第69話 霊長

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「むし、めし、うめぇ……うめぇ……」

 偉くもない癖に偉そうにしていた道徳的上位者とやらの鳴き声が、遙か以前に滅び去り汚染され尽くした廃墟に虚しく木魂する。 

 そこで屯していたのは、首領が死んだ混乱に乗じて世界崩壊以前の勢力を取り戻せるはずと高をくくっていたロクデナシ共。 

 好きなときに奪い、犯し、殺せる特権を再び我が手に出来たと思い込んでいたが、巡ってきた因果に真正面から叩き潰され、生存圏から追い落とされた愚か者共。

 自らの手も汚さず好きなときに好きなものが好きなだけ手に入った恐るべき権勢も今や昔。 

 調べられたら不味すぎるサーバーデータを押収された挙げ句、悪事の証拠たる帳簿や映像をカルマによって都市間ネットワークを通じ世界中に拡散された結果、リストや映像に存在を確認された者達は例外なくテロリスト認定され、何世代もかけて築き上げた財産も社会的地位も信用も何もかも失ってしまった。

 頼みの綱であった戦力すらも、それらの存在を察知した雪兎やジョンによって一切の慈悲無く殲滅されてしまう始末。 

 結果、首領がいなくなってようやく復活を果たした旧世界最悪の遺物の命脈は、めでたく断絶寸前に陥っていた。

「おいち……おいち……」
「どろおいし……つちおいし……すなおいし……」

 過去と現在の立場の格差があまりに大きすぎて現実を受け入れられず、みっともなく精神崩壊した可哀想でも無い大人達。 

 今の彼らの腹を満たすのはせいぜい虫や鼠、そして土のかけらといった本来人が喰らう必要も無いであろうものばかり。 

 しかし今さらそれに同情する者も既にこの地上に存在しない。 

 後は誰も見ていない所で寂しく野垂れ死に、ウジやカラスといったスカベンジャーのご馳走に成り果てる末路が待っている……はずであった。

「おやぁ見るも無惨ですねぇ、だからワタクシは最初からやめた方がよいと忠告していたのですが」

 みっともなく土や砂を必死に口の中へ押し込んでいた外道共の耳に突如届いたのは、役立たずの用心棒を高値で売りつけた詐欺師同然の男の声。 

 それを聞きつけた外道共は憤りを胸に秘めつつ反射的に顔を上げると、その視線の先には、とてつもなく不快で下劣な笑みを浮かべつつ気取ったお辞儀をしてみせる砂原……否、サンドマンの姿があった。

「おかわいそうに、根拠の無い特権意識の上で恥も知らずにふんぞり返っていたのが嘘みたいな凋落っぷりだぁ。 一体貴方達が何をしたと……失礼、そうされて当然のことをやってましたなぁ!」

 あまりにもどうでもいいことだったので忘れていましたと、地面に這いつくばる外道共を煽り立て、両手と踵を軽快に鳴らしながら小躍りするサンドマン。 

 丁寧な語調は守りつつも徹頭徹尾慇懃無礼な物言いも決して変わらず、我慢が足らずふらつく足取りで襲いかかってきた馬鹿共を小手先でいなし、難無く退けながら一方的に言葉を紡ぎ続ける。

「まぁ、私としては貴方達がこのまま土に還ってくれても何ら問題はないのですが……、貴方達だってこのままでは死にたくないでしょう? せめて一矢報いて死にたいでしょう?」
「なに……なにがいいたい……?」

 サンドマンの含みのある言い方に何か希望を見出したのか、衰弱した肉体に残された最後の力を振り絞って外道共が再び立ち上がると、対するサンドマンは張り付いたような営業スマイルを浮かべたまま、芝居染みた動きで外道共の側まで近づき、嘯いた。 

「私が協力して差し上げると言っているのです。 貴方達が必要とするものは全てこの私が見繕って差し上げましょう。 全てはこの星のより良き未来の為にねぇ」
「ほんとうか? あぁ! やはりきみをしんじてよかった! きみこそじんるいのきゅうせいしゅだぁ!!!」

 単なる口約束にすぎないにも関わらず、外道共は皆一斉に掌を返してサンドマンの足下まで擦り寄って懇願し始める。 

 かつての彼らならば自らを嵌めようとする輩を疑うことも出来たはずだが、そこに高貴を自称するに相応しい知性や優美さは一切感じられない。

「くれくれ……、やつをころせるちからをわれわれにくれ……」
「ええ交渉成立ですねぇ。 では必要なものは後々まとめて届けるとして、肝心の筋書きは貴方達の創意工夫にお任せしますとも。 時が来るまでどうぞ存分に語り合って下さいな」
「ひひ……殺してやる……。 精神的且つ道徳的上位者たる我々を裏切った下等猿共は皆殺しにしてやるぅ……」

 最早害獣との生存闘争などどうだっていい。 

 自分達だけが一方的にいい目を見られなくなった人類社会などどうだっていい。 

 自分達以外の誰かにいい目を見させるくらいなら、幸せの絶頂で何のかも壊してやると、外道共は正気を取り戻して計画を練り始める。 

 どうすれば馬鹿で低脳な衆愚をいつものように釣り上げて自滅させられるかと、誰も見ていないことをいいことにおおっぴらに声を張り上げて同類同士で語らい始めた。

 そのみっともない背中を一瞥しつつ、サンドマンは黙ってリンボへの裂け目を潜り抜けると、汚らしいとばかりに服に付けられた砂埃を叩き落としながら独り言ちる。

「くだらないねぇ実にくだらない。 一度目も二度目も今回も……、綺麗事しか吐けないダブスタの無能がいつだって何もかも無為に帰している。 こっちは文字通り云百年も待ってやったというのに学習せず同じ事の繰り返し。 あの蛸野郎は一体こいつらのどこに可能性とやらを見出したのやら。 蛇野郎の馬鹿も勝手に盛り上がって決闘ごっこに付き合って一回休みになる始末。 やるならユーラシアじゃなくて太平洋のど真ん中でクソ袋共の泥船を巻き込んで欲しかったよ」

 遙か昔のグロウチウムを巡っての世界を巻き込んだ騒乱、そして世界樹との戦争で散っていた人種立場を問わない大勢の命の輝きが脳裏を過るも、それすら無に帰すどころか、さらなる事態の悪化を誘発し続けた無数の衆愚と寄生虫の気持ち悪さに辟易し、サンドマンは唾を吐き捨てながら嫌悪感を露わにする。

「まぁ確かに、この俺にとっても目を見張る連中だってわんさか居たのは事実だが……、その影で甘い汁を吸い続けた恥知らずのクソ袋の群れなんて馬鹿げたものの存在を放置なんてしてられねぇ。 なのにここに連れてこられるのが役立たずの雑魚連中ばっかりってのはもう我慢ならねぇよなぁ」

 出来ることなら星すら易々と砕ける自前の天使達を山のように地球へ送り込んでやりたいところだが、裏切り者の星海魔のせいでそれすら満足に行えず、サンドマンは捨て駒以外の戦力をどう確保するか暫し考え込む。 

 だが、何かいい案でも浮かんだのか、すぐさま服装を正して朗らかな笑みを浮かべると、再びリンボへの裂け目を開いて、さらに次元の奧へと潜っていった。

 いくつもの裂け目を渡り歩いてワープアウトを繰り返し、辿り着いた先は途方も無く巨大な植物の麓。 

 人類を大陸から放逐し、繁栄から黄昏へと追い立てた最強であり最大で最古である大害獣“世界樹”の御前。

 ひ弱な生命の生存を尽く拒否し、多くの生き物に試練を課してきた凍てつく大地を自らの生育に適した環境に創り変えて以来、永い沈黙を護り続ける大いなる獣へ、サンドマンは恭しくお辞儀をしながら告げる。

「我らが主“世界樹”よ。 やはりかの種族が幼年期より脱することを期待することは間違いだったようです。 長い期間、私が収集した悪魔の猿共に関するデータをご覧になれば分かって頂けると思いますが このままでは星から飛び出して生活圏を広げるどころか、種の統一すら満足に行えないでしょう。 故に今こそ、我々が新たな支配種としてこの星に君臨する時です。 それこそが、かつて我々を生み出す快挙を成し遂げながらも内ゲバで皆殺しにされた、聡明で可哀想な創造主達に対してしてやれる唯一の餞なのですから」

 ヒトという種に対して向け続けた無礼な態度とは180°変わって深く膝をついて傅くサンドマン。 

 その声に対して、世界樹は何かと言葉や仕草という形で応えることはない。

 青々と繁った葉がささめくように触れ合う心地よい音。 

 それだけがヒトとの干渉がなくなった大地に遠く響き続けた。
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