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ゆうべには白骨となる
【九】お呼び出し致します。
しおりを挟む「――あーあ」
長い沈黙は、えらく間の抜けた声で破られた。
彼女は細くため息をついたのち、しばらくは目線を上げて言葉を選んでいたようだったが、やがて吹っ切れたような顔で腕組みを解いた。
「……バレちゃったか」
悪戯を見咎められた子どものような、あどけない笑顔がそこにあった。
「もうちょっと引っ張れると思ったんだけどなぁ」
言って、腰に手をあて前髪を掻き上げる。指通りの良い艶やかな髪が、指間を抜けて滑らかに流れ落ちていく。
「やっぱり隠し事は、あたしの性に合わないみたい」
タネが割れてしまったのだから、これにてショーは終演ね――彼女の弛緩した口元には、そんな開き直りとも受け取れるような諦めの色が如実に表れていた。
これは状況から察するに、犯人の自供に耳を傾ける場面なのだろうか――
そんなことを考えながら、誠人は神妙な面持ちで一気呵成に次の言葉を引き出そうと口を開く。
が、その矢先に――
ぱんっ!――と、空気が破裂する音が鳴り響いた。
佐和子が突然、柏手を打つように両の掌を勢いよく叩き合わせたのだ。
目の前で風船が割られたかと思い、誠人がびくりとして上体をのけ反らせる。
その瞬間――それまでの、肌もひりつくような異常に張りつめていた空気が、あっさりと打ち破られたような気がした。
まるで、術師が自身でかけた催眠を解いたかのようだ。それまで義憤に駆られる思いで探偵さながらに犯人を追い詰めていたつもりの誠人は、彼女の放った一手により、突如として目を覚ましたような感覚に陥った。
まるで自分が、知らず知らずのうちに舞台に上げられていた演者のひとりに過ぎなかったのだと気付かされたような、そんな気恥ずかしさがどこからか湧き上がってくる。
状況が呑み込めず狼狽えてしまい、かけるべき言葉を失ってしまった。
彼女はそんな誠人ににこりと笑いかけると、演目の途中で早々にステージを放棄する手品師のような潔さで踵を返し、事務所のほうへと軽快な足取りで歩みはじめた。
「――ちょ、ちょっと! まだ話はこれからなんですけど!」
猫だましを食らって呆気にとられていた誠人が、我に返るなりハッとして声を張る。
「音喜多さん!」
その背中を追う足取りは、彼女とは対照的に沼地を往くような重さを感じた。
道中、誠人が矢継ぎ早に放った「なぜ?」「どうして?」という疑問の雨を背中に受けながらも、それでも彼女はおかまいなしといった歩調で、ずかずかと事務所に躍り込む。
誠人が一足遅れて事務所に入ると、佐和子は口元で湯呑を傾けながら何度か喉を鳴らしていた。流し目でちらりとこちらを見やると、空いたほうの手を「わかった、わかったから」と制止するように差し向けた。
やがて彼女は、いままでの喉の痞えを吐息に乗せるようにして一息ついたのち――
「……はー。生き返った」
――タンッと小気味よい音を立て、湯呑がデスクに置かれた。
「……そんな目で見ないでよ。こうなった以上は、もう逃げも隠れもしないってば。――聞きたいことがあるなら、おかまいなくどうぞ」
このとき、誠人はおおいに戸惑っていた。
それもそのはず。誠人としては犯人確保に向けて「はやる気持ちを抑えるのがやっと」という思いで勇み立って参上したというのに、当の相手方はというと、いましがた犯行が露見した人物とは到底思えぬ軽薄さでへらへらと笑っているからだ。
聞きたいことがあるか、だと? そんなもの、山ほどあるに決まってるだろう。
――彼女はいったい何を、どこまで知っているのか。
――そして何故いままで、知らないふりをしていたのか。
――遺体の失踪にはどこまで関与しているのか。などなど……
彼女の密事に関して未だに判然としないことは枚挙に暇がない。
しかし――頭の中で膨れ上がった疑問の数々も、いざあらたまって聞かれると目詰まりした排水溝のように上手く口から抜き出すことができないでいた。
まごついている様子を察して、佐和子が先に口を開く。
「まあ、戸惑うのも無理ないか――ごめんね。マコ」
「どうして……謝るんですか」
「さっきはお互い、ちょっと気持ちが昂ってたでしょ……だから、あたしもつい言葉が過ぎちゃってさ。でもまぁ、概ねあんたの推理したとおりよ。あたしは、あんたにウソついてたの。だから……ごめんね」
ウソ、という言葉が呼び水となって誠人もぽつぽつと話をはじめた。
「ウソ……やっぱり、そうだったんですね。さっきの『バレちゃった』っていうのは……あれは、何に対しての言葉だったんですか? ――自分は静観を決め込んで、ぼくをずっと泳がせていたことがですか? それとも……実際は、本社に連絡なんかしていないってことですか?」
「まぁ、そうね。……色々と、かな。――やっぱり勘付いていたのね。あたしが本社の人間を呼び出してないってこと」
「……さすがに到着が遅すぎましたからね。三十分で来れる距離だというのに一向に現れないので、ずっと不審には感じてました。音喜多さんは『取り込み中ですぐに出られなかったんじゃないか』と仰いましたが……それでも、事態の重大さを鑑みるに、何を差し置いてでもここへ来るのが優先されるべきだと、ぼくは思いましたから」
言うと、彼女はカーディガンのポケットから垂れ下がるようにはみ出た細長い紐を指で摘まんだ。
あれは――携帯電話に括り付けられたストラップだ。
するすると引き上げると、二つ折りの携帯電話がポケットから抜き出され、宙吊りになって目線の高さでくるくると横に回った。
「それ……社用携帯……。音喜多さんが席を外すときに持って出たやつですね」
ス――と、彼女が目を細める。
「携帯の中を『見せろ』って、いつあんたが言い出すかとヒヤヒヤしてたわ。発信履歴を見られたら一発だったからね。――まぁ、そこまでは気が回らなかったか。よっぽど追い詰められていたのね」
「……言ったところで、音喜多さんがすんなり応じてくれるとも思えませんでしたけど」
負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、実際、彼女とのやり取りの中で発信履歴に言及しようと思ったことは何度かあった。それが彼女の口を割らせるための最短距離にして、言い逃れのしようがない物的証拠だということは、誠人にも充分わかっていたからだ。
しかし――最後の最後まで、彼女に後ろ暗いところがあってほしくないと強く思う気持ちが楔となって、結局は最後通告を突きつける判断を鈍らせつづけた。
「教えてください。音喜多さん――あなたは、事務所の席を外していた数分間……本当は何をしていたんですか?」
誠人は固唾を飲んで彼女の答えを待った。その間にも、彼の脳内では佐和子への疑惑がとめどなく渦を巻いていく。
――音喜多さんはぼくに対してだけでなく、本社の人間にも同様に事実を隠していたものと思われる。いったい何のためにそんなことをしたのだろうか。まさかとは思うが、田中さんのご遺体を隠したのが他ならぬ彼女自身の仕業によるものだったとでもいうのか……。
部下にそのことを察知されたと知るや、席を外して本社と連絡を取るふりをしながら証拠を隠蔽してまわっていたとでも? ばかな。どうして……悪戯にしては度を越えている。冗談で済まされるようなことではない。
もし……本当にそうだったとしたら――誠人は想像してひどく胸を痛めた。
日頃の態度からして、彼女がそのような行為に及ぶことも、あながち「無い」とは言い切れないから困る。すべては自分をからかうために仕組んだ質の悪い悪戯だったと……慌てふためくその様子を見て実はこっそり楽しんでいたのだと彼女の口から語られてしまったら、そのときは――
それが、誠人の最も恐れていた答えだった。
そのときは――いくら佐和子が相手でも笑って水に流すことは難しい。たとえ「悪気は無かった」と言われたところで到底、許せそうにない。自分はもう二度と、以前のような真っ直ぐな気持ちで彼女の背中を追いかけることが出来なくなるだろう――そうなってしまうことが、ただただ怖くて仕方がなかった。
「――あたしが、何をしていたか……ね」
やがて佐和子が、重たそうに口を開いた。
「あのときは……事務所を出て、あんたに声の届かない場所で連絡を取っていたの。電話口で呼び出していたのよ――本社じゃなくて、別の人間をね」
「連絡を……取っていた?」
意外な答えだった。相手が誰であれ電話を掛けていたこと自体が彼女の嘘だと思い込んでいたからだ。
誠人が思わず前のめりになって急き立てる。誰と連絡を取っていたのか。何かを報告したのか。それを本社より優先して耳に入れておきたい人物がいたのか。そしてその人物は、事件にどこまで関係があるのか――
「誰なんです? その――呼び出したヒトっていうのは……」
次に彼女が放った一言は、誠人の胸中に渦巻いていた彼女への疑念を根底から吹き飛ばすものだった。
彼女が呼び出したのは――
「この事件の犯人――って言ったら……あんた、信じる?」
ハンニン……はんにん……
犯人…………?
――はじめて耳にする日本語のように脳内で反芻する。
「犯人っていうのは……つまり……『犯人』っていう意味ですか?」
言って、我ながらアホな質問だな、と思った。
これには佐和子も
「他に意味を知ってたら教えてちょうだい」
と、呆れた様子でいる。
彼女の言葉が耳から脳へと届くまでには数秒の時間を要した。しかし――
「は……犯人を知ってるんですか!?」
その意味を理解した瞬間、かつてない衝撃に頭の中で稲光が何度も打ち鳴らされた。佐和子が犯人を知っていたという事実もさることながら、そもそもの話、悪夢とも現実ともつかないようなこの不可思議な現象に、それを引き起こしたとされる明確な『犯人』なる人物が実在していたことも誠人にとっては改めて驚きだった。
「そんなに仰天するほどのことじゃないわ。だって、あんたも自分で言ってたじゃないの――あたしは最初からすべて知っていたのよ」
「そんな! ぼ、ぼくは……あくまでも音喜多さんが『遺体の入れ替わり』という異常事態を前もって察知していたんじゃないかって……そこまでの疑いしか持ってなかったんですよ!? それじゃあ、あなたは……真相まで含めてすべて最初からお見通しだったってことですか!」
なにをいまさら――と、きょとんとした顔で佐和子がデスクに腰掛ける。
「当たり前でしょ。すべてわかったうえで、ちゃんと予め手を打ってあるに決まってるじゃない。――でなきゃ、ここまで余裕をこいてなんかいられないっての」
「ど、どこで真相がわかったんです? 今朝のドライ交換のときですか? それとも、午前中に式場の準備をしているあいだに?」
「午後イチに帰社してすぐだったかしらね」
佐和子が人差し指を顎に押し当て「んー」と軽く唸った。
視線をやや上げて思い返すように言葉を紡いでいく。
「あたしは……外から戻った直後に『異変』に気付いたわけだけど、ちょっと頭を捻ったら割とすんなり謎が解けたのよ。――で。真相がわかったはいいものの『これからどう対応しようかしらん』とぼんやり事務所で考えに耽ってたの。そのさなかに、死に物狂いであんたがここに飛び込んできたってわけ。あんたから受けた報告は、大筋を掴んだあたりで途中から聞き流してたんだけど、おかげでそのあいだに対応策もある程度まとまったから、適当なタイミングで席を外して何本か電話を掛けに行ったのよ」
「その、電話の内容というのは?」
「――まず、会社の人間の何人かに連絡して事実関係の裏取りをしたわね。それで自分の考えに間違いがないことを確信してから、満を持して犯人に連絡を取ってここに呼び出した。この時点で対処としては、あらかた完了ってところね。あとは仕上げを御覧じろって感じになったから、最後に本社へ一報を入れといたわ。――あんたは最後まで疑ってたみたいだけど、あたしちゃんと連絡は入れていたのよ? まあ、救援を要請したわけじゃなくて、単に『解決しました』って事後報告をしたに過ぎないんだけどね」
信じられない――と、誠人は驚愕の目で佐和子を見ていた。
彼女が帰社したのは、自分が熊男と対面したのとほとんど変わらない時間だったはず。だというのに、事務所に駆け込んだ時点で彼女はすでに真相に辿り着いていたというのだ。霊安室でパニックに陥っていたあのわずかな時間で、彼女はつとめて冷静に事態を捉え、最小限の手がかりから解法を導き出した、と――
「じゃ、じゃあ……その犯人って誰なんですか? 音喜多さんは、どうやってその真相を――っていうか、なんでそれをいままで黙ってたんですか!?」
「いっぺんに聞きなさんなって。黙っていたのは自分でも悪かったと思ってるわ。でも、言い訳させてもらえるなら、それなりに理由ってもんがあるのよ。そうね……強いて言うなら、これは――」
――と、そこまで言って言葉が途切れた。
佐和子は自分の発言を宙に放り投げたまま、事務所の一角の、ある一点を見つめて固まっていた。
その視線は、監視映像を映したモニターに注がれている。
「――来たみたいね」
その言葉を受け、誠人も後追いでモニターに目をやる。
画面が切り替わる間際、ロビーを横切る人影がちらりと映ったのを確認した。遅れをとったせいで、生憎それが誰かまでは判別がつかなかったが。
「――本当に来たんですね。犯人……」
画面がとうに切り替わった後も、誠人は得も言われぬ脱力感に包まれながらそれを見つめていた。
――この、急激に力が奪われていくような感覚はなんだろうか。
一切の心配事が杞憂に終わったという安心感、といえば聞こえは良いかもしれない。しかし悪く言えば、佐和子の思惑に散々振り回されたことによる徒労感のようにも思えてきた。
寿命を縮める思いをしてまで、がむしゃらに行動した意味は果たしてあったのだろうか――と、デスクに突っ伏して魂を吐き出すように息をつく。しかし振り返ってみれば、このとき心の底から湧いて出てきたものはやはり、至上の安堵感に他ならなかった。
来訪者が上がってくるのを座して待つ。
「ねぇ――」と間を持たせるような呼びかけで彼女と目があった。
「――マコの好きな推理小説だとさぁ……このあと、どんな展開になると思う?」
「え? そ、そうですね……。呼び出しに応じて犯人が姿を現したわけですから、あとは探偵役が推理を披露して、真実を詳らかに明かしてくれるだけ、のはずですが……」
言うと、佐和子は端正な顔をくしゃっと崩して「そっか。」と笑った。
「お役目を果たせなくて残念だったわね。探偵さん?」
「期待に添えられなくて、すみません。所詮、ぼくはそんな器じゃなかったってことですね……」
「そう悲観的になることもないわよ。たしかに、あんたが最後まで自力で解決してくれるのがベストだったんだけどね――でもまぁ、あたしの言葉尻から無理矢理に真相を引っこ抜いてみせた手腕はなかなかだったんじゃない? 顔に似合わず、けっこう強引なのね」
「残念賞くらいはもらえますか」
言って、二人で声を上げて笑った。誠人はこの日はじめて、自分が自然に笑えていることに気付いた。
「なによそれ。図々しいやつね。……でも、いいわ。残念賞とお詫びも兼ねて、ここから先はあたしが大役を引き継いであげる。葬儀の担当者として責任を持って、この事件に幕を引いてあげるわ」
遠くから、こつこつと足音が響いてくる。
やがて――ドアの向こう側に、擦りガラスを通して人影が朧に映し出された。
「それじゃあ、マコ。――あのドアが開いたら……『解決編』に突入ね」
コン、コン――――
二度繰り返されたノックの音を、佐和子が「どうぞ」と招き入れた。
ドアノブが回り、扉がゆっくりと開いていく。
「――――あ!」
覗き込まれたその顔を見た瞬間――
誠人は、驚声があがるのを抑えきれなかった。
(【解決編】につづく)
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