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17.【出題編】テディ・グレイストーン②
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2人の刑事が帰った後、アメリアとミセス・グレンロスは次の客人を迎えた。
ミセス・グレンロスにとっては、間違いなくこちらが今日のメインの客人だ。
「初めまして、ミセス・グレンロス。こんにちは、レディ・メラヴェル」
応接間に通されるなり、にこやかに笑って挨拶したのは、柔らかそうな黒髪とブラウンの瞳の若い紳士――先日アメリアに訪問を約束したミスター・テディ・グレイストーンだった。
ミスター・グレイストーンは礼儀正しく一通り自己紹介をして、ミセス・グレンロスに勧められたソファ――アメリアの近くのソファ――に座った。
「先日訪問カードを置きに立ち寄らせていただいたばかりだというのにすみません」
ミスター・グレイストーンは穏やかに言った。
彼は日曜日に自身の名前と身元が書かれた社交用の訪問カードを置きに立ち寄ってくれた。
そこにはメラヴェル男爵家のレディたちの次の在宅日である火曜の午後に訪問したいと書かれていた。
確かに急ではあるが、貴族名鑑を見て彼が間違いなくグレイストーン男爵家の推定相続人であることを確認したミセス・グレンロスは喜んで彼を歓迎することにしたのだった。
「実は、今日はレディ・メラヴェルとぜひお話ししたいことが……」
ミスター・グレイストーンはアメリアに探るような視線を送った。
アメリアは彼が母の前で事件の話をして良いか確認してくれているのだと察し、わずかに首を振った。
彼女の意図を誤らず解釈した彼は、すぐに話題をデヴァルー子爵夫人の近況に切り替えた。
「先日私たちを引き合わせてくれたレディ・デヴァルーですが、今度私的な詩集を編纂される予定でして――」
アメリアはミスター・グレイストーンの心遣いと機転に感謝した。
一方で、事件について何かあったのだろうかと胸がざわついた。
それから、ミスター・グレイストーンは巧みに無難な話題――彼とメラヴェル男爵家の共通の友人のこと、彼自身がアメリアの亡父と同じケンブリッジ大学出身であること――を展開し、ミセス・グレンロスを満足させた。
「ミスター・グレイストーンは娘とはレディ・デヴァルーのご紹介で知り合ったのですわよね?」
アメリアがつい事件のことに思考を巡らせていると、いつの間にかミセス・グレンロスが話題を元に戻していた。
「ええ、レディ・デヴァルーからレディ・メラヴェルが若くして思いがけず男爵位を継承なさったのだと聞いて、責任感のある素晴らしいレディだと思ったのです。しかも、大変賢くもいらっしゃる――」
――あら?
アメリアはわずかに眉を上げた。
先ほど彼が事件の話をしかけていたので、アメリアはてっきり彼は今日は求婚者としてアメリアを訪ねて来たわけではないのだと解釈していたが、今彼は明確にアメリアへの好意を口にした。
アメリアの手が無意識にティーガウンの胸元のリボンを撫でた。
「――私も兄の急死によってにわかに男爵家の推定相続人になった身ですが、爵位に伴う責任を何とか果たそうとしています。その点でレディ・メラヴェルとは通じ合うところがあるように思うのです」
アメリアはヘーゼルの瞳を見開いた。
自分の女男爵という地位により疎まれることはあっても、「通じ合う」ことがあるなどと考えたこともなかった。
その様子を見たミスター・グレイストーンに微笑みかけられて、アメリアの胸が騒いだ。
ミセス・グレンロスは彼が娘を褒める言葉に満足したのか、すっかり頬がほころんでいる。
「ねえ、アメリア。ミスター・グレイストーンにお庭を案内して差し上げたら?」
初訪問の求婚者に対して娘と庭を散歩することを許すとは、聞いたことがないくらい寛大な対応だ。
しかし、アメリアは当然彼と共に庭に出ることにした。
ぜひ庭を歩きながら彼が話そうとしていた事件の話をしようと思ったのだ。
***
「私はダリアが好きなんです。幾何学的美しさがあるでしょう?」
「ええ……」
庭に出た2人はテラスで見守っているミセス・グレンロスから十分に離れたダリアの花壇の前に来ていた。
シルヴァリー伯爵家の庭には赤いダリアが咲いていたが、メラヴェル男爵家の庭には白とピンクのダリアが咲いている。
「あの、もしかして今日は、先日最後におっしゃっていた“赤毛の男性”のことを聞きにいらしたのでしょうか?」
アメリア尋ねるとミスター・グレイストーンは一度だけ瞬きをした。
少なくとも否定ではないと受け取ったアメリアは話を続ける。
「その方はレディ・シルヴァリーとレディ・デヴァルーの弟さんでしたわ。ヘンリー卿がレディ・シルヴァリーから同じようにお聞きになっていたことも確認しましたの」
「ああ、なるほど!それでレディ・デヴァルーは隠していたわけですね」
ミスター・グレイストーンは深く頷いた。
「本当にあなたは推理がお得意なのですね」
ミスター・グレイストーンはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「でも、私が今日あなたを訪ねたのは第一には"求婚者"としてなのですよ」
明確に"求婚者として訪ねている"と聞いてアメリアの鼓動は一瞬速くなった。
ミスター・グレイストーンは改まった表情でアメリアのヘーゼルの瞳を見つめる。
「ただし、事件のことについて話したいのも事実です。その二つは密接に関係しているのです」
事件の話と聞いてアメリアは一度息を吐いて心を落ち着けた。
「実は、レディ・デヴァルーが警察関係のご友人からロンドン市警がいよいよレディ・シルヴァリーを殺人犯と決めてかかって証拠固めを始めたとの情報を得たのです」
これは先ほどヘイスティングス警部から聞いた通りだった。
アメリアは妹を守ろうと八方手を尽くしているレディ・デヴァルーのことを思うと心が痛んだ。
今や警察はレディ・デヴァルーのことも共犯と見ている。
「それを聞いて私は――まずあなたが心配になりました」
姉妹のことに思いを馳せていたアメリアは一瞬耳を疑い、思わず一度瞬きをした。
しかし、彼女を見ている彼のブラウンの瞳は真っすぐだった。
「先日少しお話ししただけであなたが責任感の強い方だとわかりました。なので、万が一、レディ・シルヴァリーが逮捕されるなんてことになったら、あなたはご自身を責めてしまうのではないかと思ったのです」
彼の声は真剣だった。
そして、言っていることは当たっていた。
今や伯爵未亡人本人だけではなく幼い当代のシルヴァリー伯爵のためにも、アメリアはこの事件の真実の追求を自分の義務と考えていた。
その義務を果たせずに誤った人が裁かれることになるなどとても耐えられない。
「それで、今日はこうして急遽お訪ねしました。あなたの推理に私が何かお役に立てることがあればと」
アメリアは胸が温かくなった。
目の前の紳士は、母をはじめ世間からは"余計なこと" だとか"レディに相応しくないこと"だとかと言われても当然の彼女の"探偵"としての活動を支援しようと言ってくれている。
「……ありがとうございます」
アメリアが心からそう言うと、ミスター・グレイストーンは穏やかに微笑んだ。
何の含みもない思いやりに満ちた笑顔だった。
不意にアメリアの頭の中で、彼女の結婚相手についての母ミセス・グレンロスの言葉が響いた。
――爵位をお持ちの方か、少なくとも推定相続人の方でないと。
――あなたの地位や財産、賢さに気後れせず、あなた自身を妻として愛して大事にしてくれる夫が必要なの。
ミスター・グレイストーンはグレイストーン男爵家の推定相続人で、グレイストーン男爵家は地位も財産もアメリアのメラヴェル男爵家と同程度だ。
そして、彼にはケンブリッジ大学で第一級の成績を収める賢さもある。
その上、アメリアの"探偵"としての活動を咎めるどころか、協力を申し出てくれている。
とすると、ミスター・グレイストーンこそアメリアが結婚すべき紳士なのだろうか。
――私も彼から好意を向けられて胸が騒ぐのは事実だわ。でも、これはきっと……。
そこまで考えて、アメリアは我に返りミスター・グレイストーンから視線を反らした。
そして、ピンクのダリアの花びらを数えながら平常心を取り戻す。
――今は事件の推理に集中しなければ。
アメリアは一つ咳ばらいをして切り出した。
「ミスター・グレイストーン、あなたは視覚的な記憶に優れているとお見受けしますわ」
アメリアが言うと彼は眉を上げた。
「よくわかりましたね。確かに私は一度見た人や物、光景のことは大抵覚えているのです。特に特異な場面では」
アメリアは彼に向かってにっこりとした。
そうであれば、事件発生時の様子もよく覚えているに違いない。
「では、シルヴァリー卿がお倒れになった前後に見たことをできるだけ細かく教えていただけませんか?」
「ええ、もちろんです」
ミスター・グレイストーンは軽く目を閉じて、顎に手を当てて記憶を探り始めた。
数秒後、当時の記憶に行き当たったらしい彼は記憶を辿るように話し出した。
「シルヴァリー卿がお倒れになる直前……シルヴァリー卿以外の皆で庭に迷い込んだコーギーを見ていました」
ミスター・グレイストーンは目を瞑ったまま話し続けている。
頭の中に浮かぶイメージをできるだけそのまま言葉に変換しようとしているようだ。
「すると、背後でシルヴァリー卿がお倒れになる音がしました。振り返って見ると、彼は白い上着の下に手を入れてウエストコートの胸のあたりを掴んでいました。まず、レディ・シルヴァリーが駆け寄って、彼の近くに屈みました。その内、たまたま水差しを運んで来ていた執事が応接間に入ってきたので、レディ・シルヴァリーは彼に医者を呼ぶように指示しました。他の人たちは私を含めて、ただショックを受けて立ち尽くしていました……」
ここまでは他の客人から聞いた話と一致している。
アメリアは自分自身に確認するように頷き、更に質問した。
「物の様子はどうでしたか?例えば、シルヴァリー卿の席があったテーブルの上置かれていた物は?」
「ええと……まず、執事が医者を呼びに行く前に置いた新しい水差しがありましたね――これは当然水で満ちていました。それから、二人分のティーカップ――ミスター・レジナルド・シルヴァリーとヘンリー卿は窓際にソーサーごと持っていらっしゃっていたので、テーブルに残っていたのはシルヴァリー卿ご夫妻の分です。紅茶はほぼ手つかずでした。あとは、2人分の空のグラス――シルヴァリー卿の水のグラスとレディ・シルヴァリーのレモネードのグラスです。食べ物も中央の皿の上に残っていました――サンドイッチが1つ、スコーンが1つ、ヴィクトリアンスポンジとシードケーキはなかったな」
アメリアは目を見開く。
彼の話の中であることが引っかかったのだ。
彼女は後でゆっくり考えようとそのことを頭の中にしっかりとメモしておいた。
「ありがとうございます。よくわかりました」
アメリアが言うと、ミスターのグレイストーンは目を開いて数回瞬きをした。
彼は、記憶を絞り出して少し疲れたのか長く息を吐いてから言った。
「しかし、こんな複雑な事件を一体どう考えたら良いのでしょう?」
「あなたならどう推理なさいます?ミスター・グレイストーン?」
アメリアは自分以外の人の見解を聞いてみたくて尋ねた。
前回の事件もこうして他の人と議論しながら推理を進めていったのだ――もちろん、そのときの相手はアルバート卿だった。
「そうですね……シルヴァリー卿が毒殺されたというのは警察の見立てですから一旦信じることにします。そして、シルヴァリー卿だけが亡くなっているという事実から考えると、やはり彼だけが飲んでいた水に毒が入っていたと考えるのが妥当です。しかし、そうするとご本人以外で水差しに触れたレディ・シルヴァリーに疑いがかかってしまいますね」
ミスター・グレイストーンは悩ましげに唸った。
彼の推理は数学の証明のように論理的だった。
論理的に正しいことが真実であるのならば、結局は、レディ・シルヴァリーが犯人なのだろうか?
しかし、今回の犯行手口はやはり彼女の人柄と合わない気がする。
「残念ですが、時間切れです」
上着の内ポケットから取り出した懐中時計を見てミスター・グレイストーンは言った。
いつの間にか彼が訪問してから20分ほど経っていた。
彼は今日は“求婚者”として来ているので、マナーを守らないわけにはいかない。
アメリアは頷いて、彼と屋敷の方に戻ることにした。
「……そういえば、当家にはボルゾイ犬が一頭がいるのですが、いつかあなたにも紹介できたらと思っています」
2人で並んで歩きながらミスター・グレイストーンは器用にも"求婚者"の顔に戻って朗らかに言った。
アメリアは思わずくすりと笑ってしまった。
「最近、犬好きな方によくお会いする気がしますわ」
「ああ、ミスター・レジナルド・シルヴァリーのことですね?もしかして、捜査の過程で彼のベドリントン・テリアに会いましたか?ロティという愛らしい雌の犬です」
アメリアは頷いた。しかし、アメリアが最初に思い浮かべていたのは別の人だった。
その思考を脇に追いやろうと、アメリアはロティの話をした。
「そういえば、ロティは心臓が悪いとミスター・シルヴァリーの家政婦が言っていましたわ。犬も年をとると心臓が悪くなるのですね」
「ええ、犬も人間と同じです。デヴァルー卿も――あの方はレディ・デヴァルーよりかなり年上なのですが――心臓が悪くてお悩みのようです」
「あら、お気の毒に」
アメリアはそう答えながらも、つい数時間前にヘイスティングス警部がデヴァルー卿が心臓の治療のためにジゴキシンという薬を処方されていると聞いたことを思い出していた。
彼女は、その"ジゴキシン"という薬の名前をどこかで見た気がしていたので、後で調べねばならないと思っていたのだった。
「ロティの方もミスター・シルヴァリーの家政婦が煎じた薬を飲んでいるはずですよ。あの家政婦の女性は昔ながらの薬に詳しいのだと、いつだったか聞きました」
それを聞いたアメリアのヘーゼルの瞳に今度こそ完全な閃きが走った。
その瞬間からミスター・グレイストーンを帰るのを見送るまで、アメリアは全くの上の空だった。
ミスター・グレイストーンは辞去する際に「また訪ねます」と言っていた気がするが、その言葉さえ彼女の耳を通り抜けていった。
彼が帰ると、ミセス・グレンロスがミスター・グレイストーンについて話したそうにしているのに気づかないふりをして、アメリアはすぐに屋敷の図書室に向かった。
そして、真っ先に引っ張り出したのは――植物図鑑だった。
ミスター・レジナルドの屋敷の庭でジギタリスを見たときに、彼の家政婦からジギタリスから作る薬の話を聞いたので、そのことを図鑑で調べたのだ。
ジギタリスが載っているページを開くと、求めていた記述はすぐに見つかった。
"ジギタリスからはジゴキシンという心臓薬の元になる化合物が抽出される。"
ジゴキシンはジギタリスから抽出することができる。
先ほどミスター・グレイストーンが言っていたこと――ミスター・レジナルドの家政婦が犬の心臓薬を煎じていること――が事実だとしたら、その薬はきっと彼の庭のジギタリスから煎じられる"ジゴキシン"のはずだ。
つまり、レディ・デヴァルーの他に、ミスター・レジナルドも"ジゴキシン"を入手することが可能だということだ。
ミセス・グレンロスにとっては、間違いなくこちらが今日のメインの客人だ。
「初めまして、ミセス・グレンロス。こんにちは、レディ・メラヴェル」
応接間に通されるなり、にこやかに笑って挨拶したのは、柔らかそうな黒髪とブラウンの瞳の若い紳士――先日アメリアに訪問を約束したミスター・テディ・グレイストーンだった。
ミスター・グレイストーンは礼儀正しく一通り自己紹介をして、ミセス・グレンロスに勧められたソファ――アメリアの近くのソファ――に座った。
「先日訪問カードを置きに立ち寄らせていただいたばかりだというのにすみません」
ミスター・グレイストーンは穏やかに言った。
彼は日曜日に自身の名前と身元が書かれた社交用の訪問カードを置きに立ち寄ってくれた。
そこにはメラヴェル男爵家のレディたちの次の在宅日である火曜の午後に訪問したいと書かれていた。
確かに急ではあるが、貴族名鑑を見て彼が間違いなくグレイストーン男爵家の推定相続人であることを確認したミセス・グレンロスは喜んで彼を歓迎することにしたのだった。
「実は、今日はレディ・メラヴェルとぜひお話ししたいことが……」
ミスター・グレイストーンはアメリアに探るような視線を送った。
アメリアは彼が母の前で事件の話をして良いか確認してくれているのだと察し、わずかに首を振った。
彼女の意図を誤らず解釈した彼は、すぐに話題をデヴァルー子爵夫人の近況に切り替えた。
「先日私たちを引き合わせてくれたレディ・デヴァルーですが、今度私的な詩集を編纂される予定でして――」
アメリアはミスター・グレイストーンの心遣いと機転に感謝した。
一方で、事件について何かあったのだろうかと胸がざわついた。
それから、ミスター・グレイストーンは巧みに無難な話題――彼とメラヴェル男爵家の共通の友人のこと、彼自身がアメリアの亡父と同じケンブリッジ大学出身であること――を展開し、ミセス・グレンロスを満足させた。
「ミスター・グレイストーンは娘とはレディ・デヴァルーのご紹介で知り合ったのですわよね?」
アメリアがつい事件のことに思考を巡らせていると、いつの間にかミセス・グレンロスが話題を元に戻していた。
「ええ、レディ・デヴァルーからレディ・メラヴェルが若くして思いがけず男爵位を継承なさったのだと聞いて、責任感のある素晴らしいレディだと思ったのです。しかも、大変賢くもいらっしゃる――」
――あら?
アメリアはわずかに眉を上げた。
先ほど彼が事件の話をしかけていたので、アメリアはてっきり彼は今日は求婚者としてアメリアを訪ねて来たわけではないのだと解釈していたが、今彼は明確にアメリアへの好意を口にした。
アメリアの手が無意識にティーガウンの胸元のリボンを撫でた。
「――私も兄の急死によってにわかに男爵家の推定相続人になった身ですが、爵位に伴う責任を何とか果たそうとしています。その点でレディ・メラヴェルとは通じ合うところがあるように思うのです」
アメリアはヘーゼルの瞳を見開いた。
自分の女男爵という地位により疎まれることはあっても、「通じ合う」ことがあるなどと考えたこともなかった。
その様子を見たミスター・グレイストーンに微笑みかけられて、アメリアの胸が騒いだ。
ミセス・グレンロスは彼が娘を褒める言葉に満足したのか、すっかり頬がほころんでいる。
「ねえ、アメリア。ミスター・グレイストーンにお庭を案内して差し上げたら?」
初訪問の求婚者に対して娘と庭を散歩することを許すとは、聞いたことがないくらい寛大な対応だ。
しかし、アメリアは当然彼と共に庭に出ることにした。
ぜひ庭を歩きながら彼が話そうとしていた事件の話をしようと思ったのだ。
***
「私はダリアが好きなんです。幾何学的美しさがあるでしょう?」
「ええ……」
庭に出た2人はテラスで見守っているミセス・グレンロスから十分に離れたダリアの花壇の前に来ていた。
シルヴァリー伯爵家の庭には赤いダリアが咲いていたが、メラヴェル男爵家の庭には白とピンクのダリアが咲いている。
「あの、もしかして今日は、先日最後におっしゃっていた“赤毛の男性”のことを聞きにいらしたのでしょうか?」
アメリア尋ねるとミスター・グレイストーンは一度だけ瞬きをした。
少なくとも否定ではないと受け取ったアメリアは話を続ける。
「その方はレディ・シルヴァリーとレディ・デヴァルーの弟さんでしたわ。ヘンリー卿がレディ・シルヴァリーから同じようにお聞きになっていたことも確認しましたの」
「ああ、なるほど!それでレディ・デヴァルーは隠していたわけですね」
ミスター・グレイストーンは深く頷いた。
「本当にあなたは推理がお得意なのですね」
ミスター・グレイストーンはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「でも、私が今日あなたを訪ねたのは第一には"求婚者"としてなのですよ」
明確に"求婚者として訪ねている"と聞いてアメリアの鼓動は一瞬速くなった。
ミスター・グレイストーンは改まった表情でアメリアのヘーゼルの瞳を見つめる。
「ただし、事件のことについて話したいのも事実です。その二つは密接に関係しているのです」
事件の話と聞いてアメリアは一度息を吐いて心を落ち着けた。
「実は、レディ・デヴァルーが警察関係のご友人からロンドン市警がいよいよレディ・シルヴァリーを殺人犯と決めてかかって証拠固めを始めたとの情報を得たのです」
これは先ほどヘイスティングス警部から聞いた通りだった。
アメリアは妹を守ろうと八方手を尽くしているレディ・デヴァルーのことを思うと心が痛んだ。
今や警察はレディ・デヴァルーのことも共犯と見ている。
「それを聞いて私は――まずあなたが心配になりました」
姉妹のことに思いを馳せていたアメリアは一瞬耳を疑い、思わず一度瞬きをした。
しかし、彼女を見ている彼のブラウンの瞳は真っすぐだった。
「先日少しお話ししただけであなたが責任感の強い方だとわかりました。なので、万が一、レディ・シルヴァリーが逮捕されるなんてことになったら、あなたはご自身を責めてしまうのではないかと思ったのです」
彼の声は真剣だった。
そして、言っていることは当たっていた。
今や伯爵未亡人本人だけではなく幼い当代のシルヴァリー伯爵のためにも、アメリアはこの事件の真実の追求を自分の義務と考えていた。
その義務を果たせずに誤った人が裁かれることになるなどとても耐えられない。
「それで、今日はこうして急遽お訪ねしました。あなたの推理に私が何かお役に立てることがあればと」
アメリアは胸が温かくなった。
目の前の紳士は、母をはじめ世間からは"余計なこと" だとか"レディに相応しくないこと"だとかと言われても当然の彼女の"探偵"としての活動を支援しようと言ってくれている。
「……ありがとうございます」
アメリアが心からそう言うと、ミスター・グレイストーンは穏やかに微笑んだ。
何の含みもない思いやりに満ちた笑顔だった。
不意にアメリアの頭の中で、彼女の結婚相手についての母ミセス・グレンロスの言葉が響いた。
――爵位をお持ちの方か、少なくとも推定相続人の方でないと。
――あなたの地位や財産、賢さに気後れせず、あなた自身を妻として愛して大事にしてくれる夫が必要なの。
ミスター・グレイストーンはグレイストーン男爵家の推定相続人で、グレイストーン男爵家は地位も財産もアメリアのメラヴェル男爵家と同程度だ。
そして、彼にはケンブリッジ大学で第一級の成績を収める賢さもある。
その上、アメリアの"探偵"としての活動を咎めるどころか、協力を申し出てくれている。
とすると、ミスター・グレイストーンこそアメリアが結婚すべき紳士なのだろうか。
――私も彼から好意を向けられて胸が騒ぐのは事実だわ。でも、これはきっと……。
そこまで考えて、アメリアは我に返りミスター・グレイストーンから視線を反らした。
そして、ピンクのダリアの花びらを数えながら平常心を取り戻す。
――今は事件の推理に集中しなければ。
アメリアは一つ咳ばらいをして切り出した。
「ミスター・グレイストーン、あなたは視覚的な記憶に優れているとお見受けしますわ」
アメリアが言うと彼は眉を上げた。
「よくわかりましたね。確かに私は一度見た人や物、光景のことは大抵覚えているのです。特に特異な場面では」
アメリアは彼に向かってにっこりとした。
そうであれば、事件発生時の様子もよく覚えているに違いない。
「では、シルヴァリー卿がお倒れになった前後に見たことをできるだけ細かく教えていただけませんか?」
「ええ、もちろんです」
ミスター・グレイストーンは軽く目を閉じて、顎に手を当てて記憶を探り始めた。
数秒後、当時の記憶に行き当たったらしい彼は記憶を辿るように話し出した。
「シルヴァリー卿がお倒れになる直前……シルヴァリー卿以外の皆で庭に迷い込んだコーギーを見ていました」
ミスター・グレイストーンは目を瞑ったまま話し続けている。
頭の中に浮かぶイメージをできるだけそのまま言葉に変換しようとしているようだ。
「すると、背後でシルヴァリー卿がお倒れになる音がしました。振り返って見ると、彼は白い上着の下に手を入れてウエストコートの胸のあたりを掴んでいました。まず、レディ・シルヴァリーが駆け寄って、彼の近くに屈みました。その内、たまたま水差しを運んで来ていた執事が応接間に入ってきたので、レディ・シルヴァリーは彼に医者を呼ぶように指示しました。他の人たちは私を含めて、ただショックを受けて立ち尽くしていました……」
ここまでは他の客人から聞いた話と一致している。
アメリアは自分自身に確認するように頷き、更に質問した。
「物の様子はどうでしたか?例えば、シルヴァリー卿の席があったテーブルの上置かれていた物は?」
「ええと……まず、執事が医者を呼びに行く前に置いた新しい水差しがありましたね――これは当然水で満ちていました。それから、二人分のティーカップ――ミスター・レジナルド・シルヴァリーとヘンリー卿は窓際にソーサーごと持っていらっしゃっていたので、テーブルに残っていたのはシルヴァリー卿ご夫妻の分です。紅茶はほぼ手つかずでした。あとは、2人分の空のグラス――シルヴァリー卿の水のグラスとレディ・シルヴァリーのレモネードのグラスです。食べ物も中央の皿の上に残っていました――サンドイッチが1つ、スコーンが1つ、ヴィクトリアンスポンジとシードケーキはなかったな」
アメリアは目を見開く。
彼の話の中であることが引っかかったのだ。
彼女は後でゆっくり考えようとそのことを頭の中にしっかりとメモしておいた。
「ありがとうございます。よくわかりました」
アメリアが言うと、ミスターのグレイストーンは目を開いて数回瞬きをした。
彼は、記憶を絞り出して少し疲れたのか長く息を吐いてから言った。
「しかし、こんな複雑な事件を一体どう考えたら良いのでしょう?」
「あなたならどう推理なさいます?ミスター・グレイストーン?」
アメリアは自分以外の人の見解を聞いてみたくて尋ねた。
前回の事件もこうして他の人と議論しながら推理を進めていったのだ――もちろん、そのときの相手はアルバート卿だった。
「そうですね……シルヴァリー卿が毒殺されたというのは警察の見立てですから一旦信じることにします。そして、シルヴァリー卿だけが亡くなっているという事実から考えると、やはり彼だけが飲んでいた水に毒が入っていたと考えるのが妥当です。しかし、そうするとご本人以外で水差しに触れたレディ・シルヴァリーに疑いがかかってしまいますね」
ミスター・グレイストーンは悩ましげに唸った。
彼の推理は数学の証明のように論理的だった。
論理的に正しいことが真実であるのならば、結局は、レディ・シルヴァリーが犯人なのだろうか?
しかし、今回の犯行手口はやはり彼女の人柄と合わない気がする。
「残念ですが、時間切れです」
上着の内ポケットから取り出した懐中時計を見てミスター・グレイストーンは言った。
いつの間にか彼が訪問してから20分ほど経っていた。
彼は今日は“求婚者”として来ているので、マナーを守らないわけにはいかない。
アメリアは頷いて、彼と屋敷の方に戻ることにした。
「……そういえば、当家にはボルゾイ犬が一頭がいるのですが、いつかあなたにも紹介できたらと思っています」
2人で並んで歩きながらミスター・グレイストーンは器用にも"求婚者"の顔に戻って朗らかに言った。
アメリアは思わずくすりと笑ってしまった。
「最近、犬好きな方によくお会いする気がしますわ」
「ああ、ミスター・レジナルド・シルヴァリーのことですね?もしかして、捜査の過程で彼のベドリントン・テリアに会いましたか?ロティという愛らしい雌の犬です」
アメリアは頷いた。しかし、アメリアが最初に思い浮かべていたのは別の人だった。
その思考を脇に追いやろうと、アメリアはロティの話をした。
「そういえば、ロティは心臓が悪いとミスター・シルヴァリーの家政婦が言っていましたわ。犬も年をとると心臓が悪くなるのですね」
「ええ、犬も人間と同じです。デヴァルー卿も――あの方はレディ・デヴァルーよりかなり年上なのですが――心臓が悪くてお悩みのようです」
「あら、お気の毒に」
アメリアはそう答えながらも、つい数時間前にヘイスティングス警部がデヴァルー卿が心臓の治療のためにジゴキシンという薬を処方されていると聞いたことを思い出していた。
彼女は、その"ジゴキシン"という薬の名前をどこかで見た気がしていたので、後で調べねばならないと思っていたのだった。
「ロティの方もミスター・シルヴァリーの家政婦が煎じた薬を飲んでいるはずですよ。あの家政婦の女性は昔ながらの薬に詳しいのだと、いつだったか聞きました」
それを聞いたアメリアのヘーゼルの瞳に今度こそ完全な閃きが走った。
その瞬間からミスター・グレイストーンを帰るのを見送るまで、アメリアは全くの上の空だった。
ミスター・グレイストーンは辞去する際に「また訪ねます」と言っていた気がするが、その言葉さえ彼女の耳を通り抜けていった。
彼が帰ると、ミセス・グレンロスがミスター・グレイストーンについて話したそうにしているのに気づかないふりをして、アメリアはすぐに屋敷の図書室に向かった。
そして、真っ先に引っ張り出したのは――植物図鑑だった。
ミスター・レジナルドの屋敷の庭でジギタリスを見たときに、彼の家政婦からジギタリスから作る薬の話を聞いたので、そのことを図鑑で調べたのだ。
ジギタリスが載っているページを開くと、求めていた記述はすぐに見つかった。
"ジギタリスからはジゴキシンという心臓薬の元になる化合物が抽出される。"
ジゴキシンはジギタリスから抽出することができる。
先ほどミスター・グレイストーンが言っていたこと――ミスター・レジナルドの家政婦が犬の心臓薬を煎じていること――が事実だとしたら、その薬はきっと彼の庭のジギタリスから煎じられる"ジゴキシン"のはずだ。
つまり、レディ・デヴァルーの他に、ミスター・レジナルドも"ジゴキシン"を入手することが可能だということだ。
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