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第3話 婚約者ができました?
ep.31 エリク
しおりを挟む不審そうな顔をしてぼくを見る人たちを無視し、他所の王宮なのに、勝手知ったる様で堂々と歩く。
そして、庭園に出て人目がなくなると、ため息をひとつ溢した。
……あんなこと、するつもりも言うつもりもなかった。だけど、あまりにもリディが無邪気に「好き」なんて言うから、悔しくなってしまった。
リディに、まったく男として意識されていないことが。
この旅行で、ぼくにしては積極的にリディに接していたつもりだった。少しは意識してくれているんじゃないかと期待していたけれど、それは完全にぼくの思い込みだったようだ。なにひとつ、ぼくの気持ちは彼女に伝わっていない。
リディに「好き」だと言われて、嬉しくなかったわけではない。それがたとえ異性に向けるような類ではなかったとしても、ぼくに好意を抱いてくれていることに変わりはないのだから。
しかし、なんの曇もなく、あんな無邪気な笑みを浮かべて「好き」と言われると、まるでぼくの抱くこの気持ちが邪なものであるような気がしてしまって、後ろめたくなった。
そして、それに腹が立って──思い知らせてやりたい、と思ってしまった。
その結果があの言動だ。
なんて、醜い。
ぼくのこの想いが純粋なものであるなんて思っていなかったけれど、ここまで拗れさせているつもりもなかった。そして、もっと自分を律することができると思っていた。
所詮はぼくもただの男だったということだ。
好きな雌を前にして、獣のように盛るただの雄。
本当に厄介だ。この気持ちも、沸き起こる本能的な衝動も。
ただ一つだけ言い訳をさせてもらえるのなら、キスなんてするつもりはなかった。
ちょっと脅して、あのわからず屋を困らせてやろうと思っただけだった。
予想外だったのは、リディのあの顔。
あのときリディは、驚いて、動揺して、困惑していた。
顔を青くするどころか、少しだけ頬を赤く染めて、潤んだ瞳でじっとぼくを見つめていた。
そこに嫌悪感はまったくないように思えて。なにより、いつも無邪気で子どものようなリディの女の部分が垣間見えたような気がして、その唇を奪おうとしてしまった。
それをほんの僅かに残った理性で唇のすぐ横にズラした。そのあとのリディの、どこか残念そうな顔を見て、越えてはいけない一線を軽く吹き飛ばしそうな自分が怖くて、逃げ出した。
リディにバカバカと言っているぼくだけど、本当のバカはこのぼくだ。いやバカよりもたちの悪い獣だ。なんて汚らわしい。
安全面とか、その他諸々の打算でリディと一緒の部屋にしたことを、今は心から後悔している。
深呼吸をして、なんとか心を落ち着かせる。
散々自己嫌悪に陥って、落ちるところまで落ちたらあとは浮上するだけだ。
リディのことだから、最初はそわそわしているだろうけれど、ぼくが普段通りにしていれば彼女も普段通りに戻るだろう。
ぼくが落ち着けばいいだけだ。そうすれば、きっと普段通りになる。
──さっきのことを、すべてなかったことにすれば。
だけど、さっきの言動はぼくの素直な気持ちだったり、リディに抱いてる劣情が表れたもの。つまりは、ぼくの本心だ。
それをなかったことにして、それでぼくはいいのか。
「……良くは、ないけど……」
難しい問題だ。明日のことを考えれば、なかったことにするのが正しい。だけど、その先のことを考えるなら、なかったことにするのは、回り道になるだろう。
……いや。〝なかったこと〟になんて、できるわけがない。今はそう振る舞えたとしても、あとあとでこれが活きるときがくるはずだ。
少しずつ、少しずつだけど、それはリディにぼくを意識させる楔になって根ざし、いつか振り向いてくれる日がくる──そう、信じたい。
違うな……〝信じたい〟のではなく、〝必ず振り向かせる〟んだ。
それが今のぼくの、なによりの目標であるのだから。
もう一度深呼吸をし、人目のある通りに出て部屋に戻る。
隣国の王子であるぼくが供もつけずに一人で歩いていることに、不思議そうな顔をされる。それはそれで自業自得であるので、ぼくは甘んじてその不審そうな視線を受け止める。
庭園から部屋まで、ちょうど半分くらいの距離に差しかかったとき、「エリク殿下」と声がかけられた。
「なにか?」
振り向くと、衛士の制服に身を包んだ人が、恐縮しような仕草をしつつ、ハキハキと答えた。
「王太子殿下がエリク殿下をお呼びです。恐れ入りますが、お時間をいただけないでしょうか」
「王太子殿下が……?」
タイミング的に、先ほどの花の件だろうか。
追っていた騎士たちからなんらかの連絡が入ったのかもしれない。
しかし、それをわざわざぼくに知らせる必要があるとは思えない。花を受け取ったのはリディだし、ぼくは偶然その場に居合わせただけだ。
そもそも、そんな危険なものが出回っているとぼくに知られること自体がこの国にとって利のあることではないはずなのに。
考えられるとしたら、ぼくにそれを説明しなければならない事情があるか──または、その方が利があると判断したからか。
どっちにしろ、ぼくの意見を彼らが聞きたがっていることは間違いない。
「わかりました。案内をお願いします」
「はっ。かしこまりました。こちらです」
きびきびとした動作の彼に続きながら、彼が本当に王太子に遣わされた者なのか、と考える。
偽者という可能性だってある。ぼくは他国の地で無条件に誰かを信じられるほど、楽観的ではない。
リディから言わせれば、面倒な性格ということになるのだろうけれど。
通された部屋には派手な赤毛の青年がいて、ぼくを見るとおや、という顔をした。
彼は見た限り、貴族のようには見えない。そんな人物が、王太子と面会できていることに違和感を覚える。
「じゃあ、お客さんも来たようですし、オレはこれで。なにかわかったらまた連絡します」
「ああ、頼む」
そう言って彼は軽やかな足取りで部屋を出ていく。
ぼくの横を通り抜ける際に「複雑な縁が絡まってるなあ。ご愁傷さま」と独り言のように呟き、思わず彼を見るとニヤリと笑ってなにも言わずに去っていった。
……なんなんだ、彼は。
「ああ見えて、彼は優秀なんだ。ヴィリーとは違う意味で重宝している人材だ」
「そうですか」
この王太子がそう言うのだから、本当に優秀なのだろう。どの分野に関して優秀なのかはわからないけれど。
「急に呼び出してすまないな、エリク。先ほどの件について、詫びをしなければと思って」
「いえ。こちらの運が悪かっただけなので、お気になさらず。……それで、ぼくになんの用でしょう?」
こんなありふれたやり取りをするために訪ねたわけではない。
王太子は率直に問うたぼくに、ニヤリと笑う。
「話が早くて助かるな。率直に聞こう。──あの花を、君はどう思った?」
「あの花ですか……?」
どう思ったと聞かれても。
あれを見たのはほんの僅かな時間だ。まじまじと観察する余裕もなく伯爵に渡した。
それなのに、どう思ったかと問われて、答えられようもない。
「珍しい色の花だな、と……あと、甘い臭いが鼻につきますね」
「うん、そうだな。あの臭いは残る。そういうふうに造られているのだろう」
「造られている……?」
王太子はなにが言いたいのだろうか。
思わず眉を寄せたぼくに、王太子はにこりとする。
「あの花には、人を惑わせる効果がある。あれが使われた騒ぎが、我が国ではよく起きていた」
「今は起きていないと?」
「ああ。少し前にパタリと騒ぎが収まってな。私が主催する夜会を控えたこの時期に」
「……なるほど。明日の夜会でなにか騒ぎが起こると、そう考えておられるのですね」
「そういうことだ。そして、これは我が国の問題だ。君はなにもしなくていい」
「……」
そういうことか。
王太子はぼくに念押ししているのだ。
なにもするな、と。
「明日は少し騒がしいかもしれないが、ゲストである君が気にかける必要はない。君の喜びそうなことも、無事に明日が終われば話そう。だから、君は婚約者殿と楽しく夜会を過ごしてほしい」
ほしい情報はあとでくれてやる。だから大人しくしていろということらしい。
そしてどうやら、明日の夜会ではちょっとした一悶着が起こることも、事前に忠告してくれている。それにぼくを関わらせないために。
「……わかりました。明日の夜会、彼女ともども楽しませていただきます」
大人しく頷いたぼくに、王太子は満足そうに頷く。
どうやら用件はこれだけのようだし、部屋に戻ろう。リディと接するのは、少しだけ気が重いけれど。
「早く仲直りができるといいな」
ふっと笑いながら言った王太子に、ギクリとしながらも、困ったように眉を八の字にする。
「……なんのことですか?」
「隠す必要はない。君がそれは深いため息をついていたと、とある人物が言っていてな」
くくっと喉を鳴らす彼を、ギロリと睨む。
とある人物とは、恐らくぼくの前にいた赤毛の彼のことだろう。人の気配はなかったはずだけど、どうやら彼は気配を殺して通り過ぎていったらしい。そういう気遣いは要らないというのに。
「……お気遣いいただき、大変恐縮です」
余計なお世話だ!
と、叫びたいのを堪えて笑うと、やれやれというように王太子は苦笑いをして、それにさらに腹が立ったのは、言うまでもない。
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