天才は今日も俯く

湖瑞

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3話

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「そこまで追い込まれてたのなら、早く言いなさい」
「…すみません」
全く…と溜息交じりに包帯を巻く保健医さん。
ボクは、どうやら自分の左腕を短刀で刺していたらしい。
(全く記憶にないのだが)
その姿を見た生徒が先生を呼び、ボクは保健室に強制送還されたというわけだ。
(全く記憶にないのだが)
「貴方、これが初めてじゃないでしょう」
「え…?
そう…なんですか?」
「何回にも及ぶ傷で皮膚がボロボロよ。
完全な再生は難しそうね」
…そんな…
こんなこと、今までないと思っていた。
最初に血を見た時、誰かを殺してしまったのかと思った。
まさか、自分の左腕を傷つけていたなんて…
しかも初犯じゃなく、常習犯だなんて…
「…ボクは、軍師失格だ」
保健医さんはキョトンとして…そして笑った。
「そうね。体調管理のできない軍師なんて、失格よ。
でも、それだけ背負ってきたものが多かったのね」
「…そんなこと…」
ボクの背負う荷物は、きっと軽い。
もっと重い荷物を背負う人は大勢いる。
そんな人からしたら、ボクは頑張ってなんかいない奴だ。
だから、頑張らないと。
そんなボクの考えを察したのか、保健医さんはゆっくりと口を開いた。
「…ねえ、『黒い犬』って知ってる?」
「『黒い犬』
気の病のことですよね…?
感情を蝕んでいくっていう…」
保健医さんは短く頷き、言葉を紡いだ。
「貴方は、今幸せ?
苦しくない?辛くない?」
「ボクは…」
ボクは…
苦しいのか?
辛いのか?
幸せと心から言えるのか?
どれでもない。
答えは一つ。
「幸せ、です。
…多分」
『生きているだけで幸せ』
幸せと言わなければならない。
苦しさを、涙を飲み込む。
それが軍師。
「…そう…
本当に?」
「…はい。
誰かの幸せのためならば、ボクは苦しんで構いません。
ボクが我慢することで、誰かに幸せを与えられるなら…それがボクの幸せです。
だから、ボクはいつでも幸せでいなければならない…そう思うんです」
それは事実だった。
ボクが我慢すれば丸く収まることは、多かった。
今まで我儘だけで人を振り回し、周りを不快にしたことも事実だった。
だから、ボクが報いを受けなければ。
誰かを幸せにするには、誰かが妥協しなくてはならない。
妥協せずに生きてきたボクは、そろそろ妥協しなくてはならない。
「…そう。
なら、いいんだけど…」
言い澱む保健医さんにボクは微笑んで言った。
「包帯、有り難う御座います。
それでは失礼します」
「あ…ちょっ…月見里くん!」
扉の向こうで保健医さんの声が響く。
「…これでいいんだ。
ボクは…大丈夫だから」
ぎゅっと左腕を握りしめる。
ズキズキ走る痛みにボクは、歯を食いしばった。


「只今帰りました」
「遅ーぞ!軍師!!」
寮に帰るなり、みんなからの熱烈な歓迎を受ける。
「軍師、怪我したんだって?
入学早々やるなぁ~!」
辰巳が言った。
「そんなんじゃないよ…
辰巳、実習の時は有り難う。
それから…ごめん」
いいってことよ!と笑う辰巳。
内心ホッとする。
辰巳は、小柄でオンオフの切り替えがはっきりしている。
だから、最初は隠密部隊だと思っていたのだ。
…しかし…
「あ!榊!
お前、また菓子食って!!
夕食、食えなくなっても知らねーからな!」
実は気配り屋だった。
視覚が敏感で、視野が広い。
本来ならば、情報調達に回すべき人材だったのだ。
全ては、ボクの人選ミス…
取り返しのつかないことをしてしまった。
「だって、美味しいし。
風見も食う?」
「俺は遠慮しとく」
「そ。
じゃ、三枝にあげよ」
榊と風見は自由人だ。
榊は遠距離に強い。
無意識下に風の抵抗、飛距離、角度等を掴んでいて今回の実習もほぼ100発100中だった。
風見は近距離型の特攻隊だ。
俊敏さと冷静さを兼ね備えていて、臨機応変な対応もできる。
…こんないい人材、ボクにはもったいないくらいだ。
父さんや赤城なら、もっと本領を発揮させてやれるだろう。
でも、ボクには到底できない。
「軍師ー?
生きてるー?」
「…わっ!?
あ、えと…ごめんね?」
ふん!と何故か自慢げな榊。
風見は溜息をついている。
「…えっと…皆さん、今日は…その、色々と申し訳ありませんでした」
そこにいた全員が固まった。
みんなキョトンとした表情をしている。
「その…ボクのせいで討たれた人もいるし…何より、軍師を討てなかった…から」
シン…と静まり返る寮。
しばらくして、榊が言った。
「いいよ、別に」
「…え?」
榊は、にっと笑って改めてボクに言った。
「だから、いいよって!
軍師1人のせいじゃないし。
…てゆうか、勝ったし」
「そーそー!
軍師がいなきゃ負けてたぜ!」
「軍師の作戦通りにいく戦いの方が少ないでしょ。
臨機応変って大事だし」
みんなの声が明るくなっていく。
ボクを赦してくれる人たちがいた。
一人一人の言葉の温もりが優しくて、ボクの表情も綻んでいく。
「軍師、反省点とかある?」
辰巳の声にみんながボクの方を向く。
「えっと…ごめん。
あとで改めて紙で渡すけど、取り敢えず口頭で…」
ボクは話した。
人選ミスで迷惑かけてしまったこと、今日の動きで改めて感じた相手の作戦…
「えっと、何か質問あるかな…?」
ボクが恐る恐る聞くと、風見が手を挙げた。
「軍師、3人残せって言ったじゃん?
あれ、どうして?」
「あれは…
えっと、ほんとは実戦しか使わないから訓練では良くないのかもしれない…だから…」
_気にしないで。
ボクがその言葉を紡ぐ間はなかった。
辰巳が笑ってボクの肩を叩いたからだ。
「大丈夫だって!
軍師の行動にはちゃんと理由があったろ?
さっきみたいに堂々と話してみろよ」
…堂々と…
そんな風に話せてたんだ。
「…うん…
辰巳、有難う。
えっと…あれは、本来対スパイとかの戦いに使うやつなんだ。
相手がこっちの求めてる情報を取得している可能性もある…だから、『情報屋』を残しておいてその人から聞き込むほうが効率がいいんだ。
調べる為にまた闘争を行う手間が省けるから…
本当は、1人に絞った方がいいんだけど…
ボクにはできないから…2,3人残してくれてると助かるんだよね。
ごめんね。
本当は、ちゃんと見極めないといけないんだけど…」
みんなが静かにボクを見る。
…なんか変なこと言っちゃったかな…
いや、変なことばかりなんだけど。
出しゃばりだって言われるかな。
実際、みんなの意見聞かずに色々言っちゃったし…
「…軍師…
お前、あの数分でそんなこと考えてたのか?」
風見が聞いた。
「…え、うん…」
遅過ぎたかもしれない。
判断力に欠けると言われるに違いない。
ボクはぎゅっと目を瞑った。
「…凄いな…
お前、やっぱり凄いよ」
「…え…?」
風見の感服の声にボクは目を見開いた。
「何、呆けた顔してんだよ!」
辰巳も、にっと笑う。
「…だって…怒らないの?
遅過ぎたって…
判断力に欠けるって…」
「そんなことないって。
軍師は、ちゃんと頑張った。
俺らの為にちゃんと指示してくれたじゃん。
それ、判断力?ってやつでしょ。
欠けてないよ。ちゃんとあるよ」
榊がゆっくりと力強く言う。
言われたのは初めてだった。
『天才』なんてありきたりな慰めじゃなくて、ちゃんと見てくれてる人が沢山いた。
「…よかったぁ…」
「…?何が?」
風見が顔を覗き込んでくる。
「ううん、なんでもないよ。
それで…」
ボクの話は長々と続き、寮母さんに「消灯時間!!」と怒られるまで続いた。
「ごめん、なんか…長引いちゃって…
みんな、疲れた…よね?」
「うん」
榊は即答で返した。
「でも、楽しかったから良い!」
「随分、楽観主義だな…」
辰巳が苦笑いして言った。
「そろそろ寝ようか。
お休みなさい」
おやすみ、とみんな各々の部屋へと移動する。
ボクは談話室を一通り片付けて、溜息をついた。
「…ここは、すごく居心地がいい」
生まれて初めて、自分が進んできた道が正しかったんだと確信できた。
きっとこの人たちに会う為にボクはここに来たんだとそう言えるくらいの感動を胸に、ボクは微笑んだ。
そして、我に返り時刻を見る。
「…え…」
もうとっくに丑三つ時を過ぎていた。
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