貢物として嫁いできましたが夫に想い人ができて離縁を迫られています

藤花

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第一章

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 本来の姿をとった露珠は、森の中を走る。
 愛しい人の香りを辿って、逸る気持ちと、現実を見たくない気持ちが交互に押し寄せてくる中、努めて足並みを乱さぬように、走った。
 段々と凍牙の香りが強くなる、そこに、半妖の少女のものと思われる香りが混ざる。分かっていたとはいえこの期に及んで感じる胸の痛みを自嘲し歩を緩めた。そして、香りだけではない、周囲の気配に違和感を覚え立ち止まる。
 凍牙、高藤、そして半妖の少女――それ以外に何者かの気配と、森の一部分が騒がしい。
 本来の姿を隠し、気配を隠しながら目的の場所へと向かう。近づくにつれ、明らかに戦闘が行われているのがわかり、露珠は木陰からそっと様子を伺った。

 戦っているのは凍牙と高藤で、その前には黒いもやもやとした霧の様なものが蠢いている。触れていないのに感じるじっとりとした雰囲気と周囲に振りまく黒い影に隠しきれない禍々しさがある。
 凍牙と高藤の二人を覆ったとしても十分に余裕があるだろう大きさのそれは、二人への敵対を示すように、触手のような靄を蠢かせ、その一部を彼らに伸ばしている。
 伸ばされた触手の一端を切り伏せ、凍牙が忌々しそうに舌打ちをする。見れば切り伏せられた触手はすぐに霧散し、本体と思われる黒い塊に痛手を与えた様子がない。
 露珠には早すぎて見えなかったが、すぐに次の触手からの攻撃があったのだろう、凍牙が後ろに飛びのくと、直前まで凍牙が居た場所に大きな亀裂が走る。飛びのきざまに振った刀が触手を跳ね飛ばすが、どうにも様子がおかしい。左手がない、もしくは左半身を使えないようなその動きに露珠が違和感を持ったのと、その理由に気がついたのはほとんど同時だった。
 凍牙の左腕の上、その衣に包まれるようにして、ちらりと白い耳が見える。止まない攻撃を避ける度に揺れる凍牙の衣の隙間から見えたのは、その腕にしっかりと守られ、抱きしめられた少女の姿だった。
 姿を隠して様子を見ていたことも忘れ、露珠は木陰を出て凍牙の方にふらりと近づく。

 ふと姿を現した露珠に、凍牙は険しい視線を向ける。近づいてきているのは分かっていたが、木陰におとなしく隠れていればいいものを、なぜ戦闘中にふらふらと出てくるのか。
 凍牙の鋭い視線に怯んだのか、露珠はそこで歩みを止めて凍牙を見上げる。露珠が何事か呟いたようだったが、それを聞き返す前に、黒い靄からの新たな攻撃が襲い掛かる。

 シュワ

 なんともいえない音と共に、靄の中から液体が噴出される。ジュワっと不快な音をさせ、その液体が触れた木の幹や地面から、白い湯気があがり、一部が溶けたようになくなっている。

 その攻撃が対象に当たらなかったことを悟ったらしい黒い靄は、「溜め」のように一度靄を収縮させると、元の大きさに戻りながら液体を撒き散らした。顔を庇おうと腕を上げようとしたとき、露珠の目に飛び込んできたのは、既に腕の中に守っていた少女を更に抱きこみ、靄の攻撃から守ろうとする凍牙の姿だった。

「……っ!」

 途中で動きを止めてしまったために、袖で覆いきれなかった左の頬に熱さを感じて、露珠は小さく悲鳴を上げた。

「奥方様!」

 かすかな悲鳴を上げて頬を押さえた露珠に、高藤が駆け寄ろうとするが、それを制止するかのように凍牙の指示が飛ぶ。

「高藤、これを守れ」

 投げ出されるように宙を舞った半妖の少女を、高藤が受け止める。その様子を確認するより先に、地を蹴った凍牙は、今までの攻防とは見違える早さで、敵に切りつけた。右手の刀だけでなく、左手に込めた妖気を放出することで、一人で多重の攻撃を行っている。先ほどまでの防戦が嘘の様に、黒い靄が見る見る小さくなり、手のひら大にまでなったそれは、逃げるように後方の山に向かって飛んでいった。

 その様子を目で追っていた凍牙は、ちらりと後方の高藤に一瞥をくれると、「追う」とだけ言い残し、露珠を全く視界に入れることなく背を向けた。
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