【完結】婚約を解消されたら、自由と笑い声と隣国王子がついてきました

ふじの

文字の大きさ
5 / 39
第一章

求められる役割

しおりを挟む
 久しぶりに穏やかな気持ちで過ごせた休日はあっという間に過ぎ、学園に登校する日を迎えた。
 アレク様が来てからは、レオナルト様も私も友人と過ごすことは減り、アレク様のサポートとして常に共にいるようになってきた。



 経営学の授業が終わり、多くの課題が出たため、アレク様を図書室を案内することになった。

「我が学園の図書館は、他の学園と比べても群を抜いて蔵書数が多い」

「王都の国立図書館にはない、貴重な書物もあるのです」

「へー!それはすごいな!でも俺、活字見てると眠くなるんだよね」

 それぞれの書物のありかを説明しながら予約をしていた個室に向かって歩いていく。

「あ、あの子……」

 高い棚から落ちそうになった本を、小柄な後輩が困ったように見上げていた。
 私は思わず声をかけた。

「危ないわ。私が取ってあげる」

 椅子に足をかけ、手を伸ばしたその瞬間――がさり、と本が崩れ落ちた。
 咄嗟に後輩を庇い、私は自分の肩に重い本を受けてしまった。

「っ……」

「リシェル様!大変申し訳ありません!」

 鈍い痛みが走る。
 後輩が真っ青な顔をして固まっている。

「リシェル!」

 真っ先に駆け寄ってきたのはアレク様だった。
 ばさばさと散らばる本を払いのけ、彼は私に声をかける。

「大丈夫か!?痛みは!?」

「アレク殿下、声が大きいです」

 カイル様が眉をひそめるが、アレク様は気にせず私の顔を覗き込んだ。

「痛そうじゃねえか……!なんで庇ったんだよ、危ないだろ!」

「……あの子が下敷きになるよりは」

 私は苦笑するしかなかった。
 そこに遅れてレオナルト様が現れた。
 散乱した本を見て、ふうとため息をつく。

「すまないね。医務室に伝えてきてもらえるかい?他のみんなも騒がせて悪かったね」

 そばにいた後輩に伝える。集まってきた学園生にも声をかけ、散り散りになったところで、レオナルト様が冷たい声を出した。

「リシェル」

 その呼び声に、私は反射的に姿勢を正す。

「危険なことは控えるべきだ。君は将来、王妃となる身だ。己の身を危険に晒すのは軽率だし、王妃が怪我をすれば国の顔に傷がつくことになる」

 その声音は叱責でも心配でもなく、淡々とした指摘だった。
 私は唇をかみしめ、「申し訳ありません」と頭を下げる。

「他人を庇う気持ちは立派だ。だが、王妃に求められるのは感情的な優しさではなく、国益にかなった振る舞いだ」

 正論――けれど、胸に重くのしかかる言葉。アレク様は小さく舌打ちした。

「……お前は優しいのにな」

 ぽつりと呟いたその言葉は、私の胸に小さな波紋を広げた。




 図書室の騒動が収まったあと、医務室で手当を受け、私はひとり校舎裏の庭園に足を運んでいた。
 花壇のそばで腰を下ろし、制服の肩口をそっと押さえる。青あざがじんわりと浮かび始めていた。

「……浅はか、だったわよね」

 小さく呟く。

 あの場で王太子――レオナルト様が告げた言葉は正しい。
 王太子の婚約者として、軽率に怪我を負うことは愚かだ。わかっている。
 けれど――。

「でも、あの子を庇いたかったの」

 後輩の驚いた顔を思い出す。
 自分よりも小さな体で、落ちてくる本に怯えていた少女。
 あの瞬間、体が勝手に動いた。

 正しいかどうかではなく、ただ守りたかったから。

「……王太子妃に感情なんて、いらないのかしら」

 ぽつりと零れる疑問。
 けれどその答えは、レオナルト様の言葉で示されていた。王太子妃に必要なのは「国益にかなった振る舞い」。優しさではなく、冷静な計算と打算。

 私は膝の上で指を組み、ぎゅっと握りしめる。

「お父さまは領地のこと、義母さまは以前の旦那様とエリナのこと。エリナは可愛がられて。レオナルト様は、国益。私だけが、そこに染まれない…」

 声にすると、胸の奥の孤独がじわじわと広がる。だからこそ、未来の王太子妃としての自分を磨かなくてはならない。そうでなければ、自分の居場所はなくなってしまうから。

 ――けれど。

「……お前は優しいのにな」

 アレク様の声が頭に蘇る。まっすぐで、飾らないその言葉。あれは正しさではなく、私自身を見てくれたようで――胸の奥が温かくなった。

 私はそっと胸に手を当てる。その温かさを確かめるように。

 ──私はまだ、未熟なのかもしれない。けれど、人を守りたいと思う気持ちまで、間違いだとは思いたくない。

 小さく目を閉じたその瞬間、庭園の入り口から足音が近づく気配がした。
 驚いて振り向くと、そこにアレク様が立っていた。アレク様に続く形でカイル様が近づいてくる。

「やっぱりここにいたか」

 肩をすくめるように言って、彼はためらいもなく花壇の縁に腰を下ろす。

「サボってんじゃねーよ、未来の王太子妃様。まあ、さっきのはお前は褒められたもんじゃないけど、人としては悪くないんじゃない?俺は嫌いじゃねーよ」

 軽口なのに、不思議と責められている気はしなかった。
 その何気ない調子が、胸の痛みをふっと和らげていく。

「……ありがとうございます」

 気づけば、声が漏れていた。アレク様は気づかないふりをして空を見つめた。

「さて、このまま一緒にサボっちまうか」

「いいえ。……教室に戻ります。」

 そう告げると、彼はそれ以上追及せず、ただ空を仰いだまま「ふーん」と小さく呟いた。その横顔を見ていると、胸の奥の張りつめたものがほどけていく。

 正しいことを突きつけられることもなく。弱さを否定されるのでもなく。ただそこにいて、受け止めてもらえる。
 そのことが、こんなにも私を安心させるなんて――。

 私はそっと息を吐き出した。
 ようやく、肩の力が抜けていくのを感じながら。




 しかし、その夜。
 私は父に呼び出され、重苦しい空気の中、執務室の椅子に腰を下ろしていた。

「リシェル」

 低く響く声に、背筋が自然と伸びる。

「お前が“居場所がない”などと、王太子殿下に漏らしたそうだな」

「……っ」

 思わず顔を上げた。
 まさか、あの呟きが父の耳に入っているなんて。

「……私は、ただ……」

「軽率だ」

 父の厳しい声が私の言葉を遮る。

「王太子妃となる者が、そのような弱音を吐けば、我が家の評判を貶めることになる。領民にも、王家にも示しがつかぬ」

 喉がきゅっと締めつけられ、呼吸が浅くなる。

「……申し訳ありません」

 最もだ。搾り出すように答えるしかなかった。だが、父の叱責は続く。

「聞けば、図書室で後輩を庇って怪我もしたとか。なぜお前はいつも、自分の立場を考えずに動くのだ。お前は公爵家の娘であり、王太子の婚約者だ。その身に傷がつけば、家の名誉も、王家の顔も汚すことになる」

 私は肩を震わせた。痛みよりも、胸に突き刺さる言葉の方が、ずっと重く感じられる。

「……私は、誰かを助けたいと思っただけです」

 かすれた声で告げた。しかし父は眉をひそめるだけだった。

「助けたいなどという感情で動くな。お前一人が怪我をすれば、助けられた者の命よりも大きな損失となるのだ。なぜそれがわからん!」

 机を打つ拳の音に、私はびくりと体を縮める。
 父は私を心配していないわけではない…はずだ。
 けれど、その心配の奥にあるのは常に「公爵家の名誉」や「婚約者としての責務」。
 私自身よりも、私が背負う肩書きの方が、父にとってははるかに大切なのだ。

「これ以上、失望させるな。死んだお前の母親も悲しむ。」

「………」

「近々、王家主催の晩餐会がある。そこで挽回せよ。これ以上の失態は許さぬと思え。」

「…承知いたしました。」

「お前の立場と公爵家を守るためだ。話は以上だ。下がるように。」


 私はそれ以上、何も言えずに小さく頭を下げ、執務室を後にした。


 扉の中から、叩きつけられたような何かが倒れた音がする。

「どうして伝わらぬのだ……!」

 低い呟きが聞こえた気がしたけれど、私の耳には届かなかった。

 胸に残ったのはただ一つ。
 ――私はやはり、この家には居場所がないのだ。

 重たい足を引きずるように廊下を歩いていると、ふと隣の部屋から明るい声が漏れてきた。

「まあ、エリナったら本当に可愛らしいわね」

「お母さまこそ、今のお話とても素敵でしたわ」

 笑い合う声。
 母と娘の、ごく自然な交流。

 立ち止まった私の胸に、チクリと痛みが広がる。その輪の中に、私は決して入れない。

 扉の向こうから続く笑い声は、遠い世界の響きのようだった。

 私はそっと目を伏せ、足早に自室へと向かう。家族なのに誰にも届かない孤独だけを抱えながら。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜

丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。 与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。 専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、 失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。 そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、 セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。 「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」 彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、 彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。 嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、 広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、 独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。 栄養と愛情を取り戻したセレナは、 誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、 社交界で注目される存在となる。 一方、セレナを失った伯爵家は、 彼女の能力なしでは立ち行かず、 ゆっくりと没落していくのだった――。 虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。

「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します

スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」 眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。 隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。 エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。 しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。 彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。 「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」 裏切りへのカウントダウンが今、始まる。 スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!

婚約破棄された宰相です。 正直、婚約者も宰相も辞めたかったので丁度よかったです

鍛高譚
恋愛
内容紹介 「婚約破棄だ! そして宰相もクビだ!」 王宮の舞踏会で突然そう宣言したのは、女性問題を繰り返す問題王太子ユリウス。 婚約者であり王国宰相でもあるレティシアは、静かに答えた。 「かしこまりました」 ――正直、本当に辞めたかったので。 これまで王太子の女性問題の後始末、慰謝料交渉、教会対応、社交界の火消し…… すべて押し付けられていたレティシアは、婚約も宰相職もあっさり辞任。 そしてその瞬間―― 王宮が止まった。 料理人が動かない。 書類が処理されない。 伝令がいない。 ついにはトイレの汚物回収まで止まり、王宮は大混乱。 さらに王太子の新たな女性問題が発覚し、教会は激怒。 噂は王都中に広がり、王宮は完全に統治不能に。 そしてついに―― 教会・貴族・王家が下した決断は、 「王太子廃嫡」 そして。 「レティシア、女王即位」 婚約破棄して宰相をクビにした結果、 王宮を止めてしまった元王太子の末路とは――? これは、婚約破棄された宰相が女王になるまでの 完全自業自得ざまぁ物語。

婚約破棄ですか?構いませんわ。ですがその契約、すべて我が家のものです

ふわふわ
恋愛
王太子ユリウスは、王立学園の卒業舞踏会で突然宣言した。 「カリスタ・ヴァレリオンとの婚約を破棄する!」 隣には涙を流す義妹ルミレア。 彼女は「姉に虐げられてきた可哀想な令嬢」を演じ、王太子はそれを信じてしまう。 だが――王太子は知らなかった。 ヴァレリオン公爵家が 王国銀行の資金、港湾会社の株式、商人組合の信用保証―― 王国経済の中枢を支える契約のほとんどを握っていたことを。 婚約破棄と同時に、カリスタは静かに言った。 「では契約を終了いたします」 その瞬間、王国の歯車は止まり始める。 港は停止。 銀行は資金不足。 商人は取引停止。 そしてついに―― 王宮大広間で王太子の公開断罪が始まる。 「私は悪くない!」 「騙されたんだ!」 見苦しく喚き暴れる王太子は、衛兵に取り押さえられ、床を引きずられるようにして連行されていく。 王太子、義妹、義父母。 すべてが破滅したとき、カリスタはただ静かに告げる。 「契約は終わりました」

薫る袖の追憶を捨て、月光の君に溺愛される

あとりえむ
恋愛
名門の姫君・茜は、夫の高彬に蔑まれ、寂れた離れで孤独な死を迎えた…… けれど意識が途切れた瞬間、視界を埋め尽くしたのは命を削って輝く緋色の夕映え。 目が覚めると、そこは高彬との婚約が決まったばかりの十五歳の春に戻っていた。 「二度目の人生では、誰のことも愛さず、ただあの方の幸せだけを願おう」 茜は、かつて自身の孤独を救ってくれた「最推し」の東宮・暁を、未来の知識で密かに支えることを決意する。 執着を捨て、元夫に無関心を貫く茜。 一方、高彬は自分に興味を失った茜の価値に気づき、今更遅い後悔に狂い始めるが……。 「見つけた。お前は俺の、運命の番だ」 正体を隠して東宮を支えていたはずが、冷徹な暁に見出され、逃げ場のないほどの執着と溺愛を注がれることに。 平安の雅な風情の中で描かれる、逆転と救済の物語。 最後は、二人が永遠の契りを交わす和歌で幕を閉じます。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

『無能な聖女』と婚約破棄された私、実は伝説の竜を唯一従える『真の守護者』でした。~今さら国に戻れと言われても、もう遅いです~

スカッと文庫
ファンタジー
「魔力値たったの5だと? 貴様のような偽聖女、この国には不要だ!」 聖女として国を支えてきたエルナは、第一王子カイルから非情な婚約破棄を言い渡される。隣には、魔力値を偽装して聖女の座を奪った男爵令嬢の姿が。 実家からも見捨てられ、生きては戻れぬ『死の森』へ追放されたエルナ。しかし、絶望の中で彼女が目覚めさせたのは、人間には測定不能な【神聖魔力】だった。 森の奥で封印されていた伝説の銀竜を解き放ち、隣国の冷徹皇帝にその才能を見出された時、エルナを捨てた王国は滅びの危機に直面する――。 「今さら謝っても、私の結界はもうあなたたちのために張ることはありません」 捨てられた聖女が真の幸せを掴む、逆転劇がいま幕を開ける!

ルヴェを侮辱した義妹は宮廷を追放されました ― 王妃クシェは最高の名誉職です ―

鷹 綾
恋愛
モンフォール公爵家の嫡女アデルは、王宮で王妃クシェという名誉職を務めていた。 王妃の就寝の儀礼で寝間着を差し出す――ただそれだけの役目。 しかしそれは、王妃の私室に入ることを許された宮廷で最も名誉ある地位の一つだった。 かつてアデルは王太子の婚約者だったが、側室の娘である義妹カミーユが甘い言葉で王太子を誘惑。 婚約は奪われ、アデルは宮廷で静かにクシェの役目を続けることになる。 だがある日、義妹は新たに与えられた王妃の朝の儀礼――ルヴェを聞いて嘲笑した。 「王妃の着替え係?そんなのメイドの仕事でしょう」 その一言で宮廷は凍りつく。 ルヴェとクシェは、王や王妃の私室に入ることを許された最高の名誉職。 それを侮辱することは、王妃そのものを侮辱することと同じだった。 結果―― 義妹は婚約破棄。 王太子は儀礼軽視を理由に廃太子。 そして義妹は宮廷から追放される。 すべてを失った義妹は、やがて姉の地位を奪おうと画策するが――。 一方、王妃の最側近として静かに宮廷に立つアデル。 クシェという「王妃に最も近い名誉職」が、やがて王国の運命を動かしていく。 これは、宮廷儀礼を知らなかった者が転落し、 その意味を理解していた者が静かに勝つ物語。

処理中です...