【完結】婚約を解消されたら、自由と笑い声と隣国王子がついてきました

ふじの

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第一章

無神経な婚約者

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 休日、学園の一室で王太子殿下主催のお茶会が開かれた。
 前回の昼休みの中座の詫びもあるが、国王陛下から「婚約者との親交を深めること、そしてアレク様との関係を築くこと」と命じられたと聞いている。

 出席者はごく限られていた。私とアレク様と、その側近カイル様。そして、なぜか義母と、共に訪れた義妹エリナ。
 違和感が募る小さな茶会だった。

 本来なら、婚約者である私がレオナルト様のお隣に座るはずだった。
 ──けれど。

「まあまあ、殿下。招待に預かりまして光栄ですわ。娘もお隣にご一緒させていただければと存じますの」

 義母がにこやかにそう告げた。

 淡いピンクのドレスに身を包んだエリナは、はにかんだように笑みを浮かべている。

「ご無沙汰しております、レオナルト殿下。お目にかかれて光栄ですわ」

「……ああ、エリナ嬢。こちらこそ」

 殿下は変わらぬ微笑みで応じられる。
 その瞬間、場の中心は自然にエリナへと移っていった。

「レオナルト様のご趣味は?音楽かしら?それとも乗馬?」

「どちらも嗜む程度だ」

「まあ素敵!わたくしも歌や竪琴を習っておりますの。いつかご一緒に演奏できたら嬉しいですわ」

「そうか。機会があれば、楽しそうだ」

「まあ!それならわたくし、曲を練習しておきますわ。レオナルト様のお好きな旋律をぜひお聞かせくださいませ」

 エリナの声は弾んでいた。周囲の空気まで明るくしてしまうような華やかさがある。
 レオナルト様も穏やかな笑みを崩さず、相槌を続ける。

「音楽のお話も素敵ですけれど、レオナルト様は乗馬もお得意と伺いました。わたくし、まだ駆け足が上手くできなくて……いつかご指導いただければ」

「……指導というほどではないが、心得を伝えるくらいなら」

「まあ!夢のようですわ」

 エリナの瞳はきらきらと輝いていた。
 私も隣に座っているはずなのに、レオナルト様はこちらを見ることはない。エリナの会話にも入れない。まるで透明人間のようだった。
 カップを手に取る指先が、少しだけ震えてしまう。

 義母の笑みは終始穏やかだった。悪意があるのではない。ただ「王太子を介して娘にも良縁を」と願っているだけ。
 それが分かるからこそ、苦しかった。

 ──その時。

「なあ、リシェル」

 明るい声が、別のテーブルから私を呼んだ。アレク様だった。

「お前、食べないのか?その菓子、すごく美味いぞ」

「え……あ、はい。いただきます」

 私は小さな菓子を一つ手に取り、口に運んだ。
 視線がふと交わる。

「どうだ?」

 アレク様がにこりと笑う。
 けれどその目は、ほんの一瞬だけ──私の様子を伺うように真剣だった気がした。

「……美味しいです」

「だろ?」

 豪快にパンを齧るその仕草は、いつも通りの気さくさだった。
 ふと透明人間から人に戻れた気がした。無機質に見えていた物ものたちが色付いていく。

「これも美味しそう、ですね」

「このクッキーなんかどうだ?俺の食べているパンも食べるか?」

「あ、あの食べきれないかも…!」

 次から次へとお皿に盛られる食べ物たちに、目を丸くする。それでも一口クッキーを口にすると、舌に馴染む甘みにホッと息をつくことができた。

「殿下、誤解されぬよう慎重に…」

 隣のカイル様が控えめに釘を刺す。

「……分かってるよ。でも気になるじゃねーか。」

 苦笑いをこぼしながら視線を逸らすアレク様。
 けれどその後も、心配顔のアレク様がちらりとこちらを見ていて、何度も目が合った。
 ふと、胸の奥に小さなざわめき生まれては消える。誰にでも気さくで、明るく振る舞う光に目が眩みそうだった。


 テーブルの話題がひと段落した頃だった。レオナルト様が穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。

「そういえばリシェルは、よく私に相談してくるのだ。家では居場所がなくて寂しい、と」

 私は思わず手を止めた。

「まあ!」

 義母が目を丸くし、エリナが小さく笑う。

「リシェルさんったら……子どもみたいですわ」

「姉様、冗談でしょう?父様もわたくしも、いつも一緒にいるではありませんか」

 エリナは小首を傾げ、愛らしく微笑んだ。

「そうか?だが、彼女はよく寂しそうにしている」

 彼は気にも留めないように、淡々と言い放ち、紅茶を口にした。それは「婚約者の環境をよくしたい」という温かみのある言葉ではなく、ただの話題提供のようだった。

 ──やめて。

 胸がずきりと痛む。
 義母の視線が探るように私に向けられていた。

「リシェルさんには気を遣わせてしまったわね。私たちに遠慮せず、どんどん輪に入るといいわ。」

「……はい」

 私はうつむき、かすれた声で答えた。
 その様子を見ていたアレク様が、椅子の背もたれに深々と身を預けながら低く呟いた。

「……無神経な奴だな」

「アレク殿下」

 カイル様がすぐさま制する。だがアレク様は不満げに口を尖らせた。

「いや、ここで言うことじゃねえだろ、普通」

 その声に気づいたけれど、私は顔を上げられなかった。


 * * *


 お茶会の帰り道。
 レオナルト様は学園での用事があると部屋で別れ、私たちだけで馬車止めへと向かった。
 義母とエリナは並んで楽しげに談笑している。私は一歩下がって歩いていた。
 アレク様は頭の後ろで手を組み、眉間に皺を寄せた鋭い眼差しでちらりとこちらを見ていた。

「ねえリシェル姉様、殿下があんなことをおっしゃるなんて驚きましたわ。案外可愛らしいのね、姉様って。寂しがり屋だなんて幼い子みたい。」

 エリナの声には悪意など欠片もない。だからこそ胸に刺さった。

「……」

 私は微笑みを浮かべるだけで、何も返さなかった。

 ──あの方に愚痴をこぼしたのが、間違いだった。頼ってはいけなかったのだ。

 レオナルト様の笑みの奥には、寄り添おうとする温もりなどなかった。
 国王陛下と王妃様のように、打算で結ばれる関係。そこに愛情や共感など、期待してはいけない。

 私は静かに息を吸い、心の奥で決める。

 ──もう、レオナルト様に本音を話すのは控えよう。

 表向きは穏やかな婚約者として役割を果たす。けれど胸の内は明かさない。弱さも寂しさも、晒すものか。

 そう決意したその瞬間。


「……やっぱり無理してるよな」

 背後から小さな呟きが聞こえ、私は思わず足を止めた。

 振り返ると、歩きながらこちらを一瞥したアレク様がいた。

「アレク様?」

「何でもない!」

 カイル様に慌てて口を塞がれ、アレク様はそっぽを向いてしまう。

 私は驚きに目を見開いた。
 自分の気持ちを慮ってくれる人がここにいる。この方なら、心を閉じなくてもいいのだろうか。



 帰りの馬車の中は、相変わらず義母とエリナは二人で盛り上がっていた。彼女たちの会話は、当然私を置き去りにする。だって二人は親子だから。
 私は窓の外をぼんやり眺めながら今日のことを思い出していた。

 ──「やっぱり無理してるよな」

 アレク様の低い声が、不意に甦る。
 軽い調子でしか話さないと思っていた人が、あんなふうに。まるで、私の心の奥を覗いてしまったかのように。

 胸の奥が、じんわりと温かくなる。
 ただ──誰かが私を見ていてくれる。理解しようとしてくれる。
 その事実が、こんなにも心を救うのだと、初めて知った。

 私は小さく息をつき、外に向かって微笑んだ。

 ──ありがとうございます、アレク様。

 声にならないその言葉は、車輪の音に紛れて消えていった。
 私は久しぶりに寂しさを感じることなく帰路につくことができた。
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