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第二章
後悔の足音(エリナとレオナルト)
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一方でリシェルの母国――グランツフェルト国では不穏な足音が聞こえてきた。
ベルトラム公爵家では、エリナが王太子妃教育の初日にして、早くも困惑の色を隠せず、早々に帰されていた。
義務としての立ち居振る舞いや言葉遣い、食事の作法まで――今まで学んできたものが覆されるほどすべてが彼女にとって未知の領域であり、頭では理解しても体がついていかなかったのだ。
帰宅後、待っていたのは王太子妃教育の復習だった。
「え、まって!私、学んできたばっかりよ……?」
小さな悲鳴とともに、手元の皿が微かに揺れる。母である公爵夫人は柔らかく微笑み、そっと手を添える。
「大丈夫よ、エリナ。ゆっくりでいいの。失敗しても怒ったりはしないわ」
母の手の温もりに、エリナはほっと息をついた。しかし、王城で教育を受けて来たにもかかわらず、なぜ休める家でも…と不満の色は隠せない。
胸の奥には焦燥感が渦巻く。自分が王太子の婚約者として選ばれた重みを、まだ実感できていないのだ。
一方で父である公爵は、冷静に現実を見据えていた。リシェルを手放したことに少しの後悔を覚えつつも、エリナに甘いだけでは王家の要求に応えられないことも理解している。
「エリナ、お前の立場はリシェルから奪ったものだ。逃げることは許されん」
その言葉に、エリナは肩を竦め、唇をかみしめる。母の優しい声と父の厳しい視線に挟まれ、焦燥と戸惑いが混ざり合った。
王宮では、レオナルトもまた心穏やかではなかった。
婚約を解消した今、エリナを後ろ盾として押し立てるだけで王太子妃としての立場を任せた判断が本当に正しかったのか、問い続ける日々。
教育係から届く報告書には、ぎこちない所作のエリナの姿が詳細に記されていた。
「まだ始まったばかりと見るか、この時点でここまでしか能力がなかったと見るか…」
書斎に腰を下ろし、肩を落とす。手元の書類を握りしめると、指先に無意識の力が入り、爪がわずかに肉を押す。
窓の外に見える庭園の穏やかさとは裏腹に、心の奥がざわつく。思わず深く息を吸い、吐き出すたびに胸の締め付けが増す。
「……こんなはずじゃなかったのに」
漏れた声は、低くかすれ、誰にも届かぬ独り言のようだった。
エリナの不器用さに直面し、期待が空回りしている現実を痛感する。同時に、公爵の冷静な判断を思い、己の甘さを思い知らされる。
そして、リシェルとの日々は、自分の想像以上に心地よかったのだと…。
書類を置き、額に手を当てる。指のひらに感じる紙の冷たさが、かえって孤独を際立たせる。
隣国からの報告書には、自由に笑いながら街を歩くリシェルの姿が詳細に描かれていた。誰かに大切にされることを自然に受け入れ、楽しそうに手を振る姿――その光景は、胸の奥に小さな痛みを生む。
自分の隣で笑っていた日々を思い返す。あの頃は、義務としての婚約の隣。今は、遠く離れた国で自由に生きる彼女。
指先に軽く力を入れ、拳を握るたびに胸が締め付けられる。
「あの時、もっと……リシェルに素直になっていればよかったのか」
声にならない呟きと共に、肩を落とし、組んだ手に額をつける。目の前の景色が滲む。義務、期待、立場――すべてを背負わせてしまった自分の判断と、リシェルの自由で楽しげな姿が、交錯して胸を苦しめる。
少し視線を上げ、窓越しの空を見上げる。夕陽に染まる庭園の緑が、まるで遠くの彼女の笑顔のように柔らかく揺れる。
悔恨、焦燥と切なさ。すべてが絡み合った感情が、胸の奥で静かに、しかし確かに燃えていた。
「リシェルは……今頃、何をしているのだろうな」
呟いた声には、焦りだけでなく、切ない羨望も含まれていた。
自分が与えられなかった自由、喜び、そして笑顔――それを遠くで享受する彼女を想像するだけで、胸が痛む。
ベルトラム公爵家での教育は日々続く。母親の温かさに支えられつつも、父親の厳格な目に鍛えられるエリナ。胸の奥で焦燥感を抱えながら日々学び、成長を模索する。
一方、王宮でレオナルトは、リシェルへの思いを募らせ、複雑な後悔と羨望に胸を締め付けられるのだった。
ベルトラム公爵家では、エリナが王太子妃教育の初日にして、早くも困惑の色を隠せず、早々に帰されていた。
義務としての立ち居振る舞いや言葉遣い、食事の作法まで――今まで学んできたものが覆されるほどすべてが彼女にとって未知の領域であり、頭では理解しても体がついていかなかったのだ。
帰宅後、待っていたのは王太子妃教育の復習だった。
「え、まって!私、学んできたばっかりよ……?」
小さな悲鳴とともに、手元の皿が微かに揺れる。母である公爵夫人は柔らかく微笑み、そっと手を添える。
「大丈夫よ、エリナ。ゆっくりでいいの。失敗しても怒ったりはしないわ」
母の手の温もりに、エリナはほっと息をついた。しかし、王城で教育を受けて来たにもかかわらず、なぜ休める家でも…と不満の色は隠せない。
胸の奥には焦燥感が渦巻く。自分が王太子の婚約者として選ばれた重みを、まだ実感できていないのだ。
一方で父である公爵は、冷静に現実を見据えていた。リシェルを手放したことに少しの後悔を覚えつつも、エリナに甘いだけでは王家の要求に応えられないことも理解している。
「エリナ、お前の立場はリシェルから奪ったものだ。逃げることは許されん」
その言葉に、エリナは肩を竦め、唇をかみしめる。母の優しい声と父の厳しい視線に挟まれ、焦燥と戸惑いが混ざり合った。
王宮では、レオナルトもまた心穏やかではなかった。
婚約を解消した今、エリナを後ろ盾として押し立てるだけで王太子妃としての立場を任せた判断が本当に正しかったのか、問い続ける日々。
教育係から届く報告書には、ぎこちない所作のエリナの姿が詳細に記されていた。
「まだ始まったばかりと見るか、この時点でここまでしか能力がなかったと見るか…」
書斎に腰を下ろし、肩を落とす。手元の書類を握りしめると、指先に無意識の力が入り、爪がわずかに肉を押す。
窓の外に見える庭園の穏やかさとは裏腹に、心の奥がざわつく。思わず深く息を吸い、吐き出すたびに胸の締め付けが増す。
「……こんなはずじゃなかったのに」
漏れた声は、低くかすれ、誰にも届かぬ独り言のようだった。
エリナの不器用さに直面し、期待が空回りしている現実を痛感する。同時に、公爵の冷静な判断を思い、己の甘さを思い知らされる。
そして、リシェルとの日々は、自分の想像以上に心地よかったのだと…。
書類を置き、額に手を当てる。指のひらに感じる紙の冷たさが、かえって孤独を際立たせる。
隣国からの報告書には、自由に笑いながら街を歩くリシェルの姿が詳細に描かれていた。誰かに大切にされることを自然に受け入れ、楽しそうに手を振る姿――その光景は、胸の奥に小さな痛みを生む。
自分の隣で笑っていた日々を思い返す。あの頃は、義務としての婚約の隣。今は、遠く離れた国で自由に生きる彼女。
指先に軽く力を入れ、拳を握るたびに胸が締め付けられる。
「あの時、もっと……リシェルに素直になっていればよかったのか」
声にならない呟きと共に、肩を落とし、組んだ手に額をつける。目の前の景色が滲む。義務、期待、立場――すべてを背負わせてしまった自分の判断と、リシェルの自由で楽しげな姿が、交錯して胸を苦しめる。
少し視線を上げ、窓越しの空を見上げる。夕陽に染まる庭園の緑が、まるで遠くの彼女の笑顔のように柔らかく揺れる。
悔恨、焦燥と切なさ。すべてが絡み合った感情が、胸の奥で静かに、しかし確かに燃えていた。
「リシェルは……今頃、何をしているのだろうな」
呟いた声には、焦りだけでなく、切ない羨望も含まれていた。
自分が与えられなかった自由、喜び、そして笑顔――それを遠くで享受する彼女を想像するだけで、胸が痛む。
ベルトラム公爵家での教育は日々続く。母親の温かさに支えられつつも、父親の厳格な目に鍛えられるエリナ。胸の奥で焦燥感を抱えながら日々学び、成長を模索する。
一方、王宮でレオナルトは、リシェルへの思いを募らせ、複雑な後悔と羨望に胸を締め付けられるのだった。
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