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第1章.嘘つき預言者の目覚め
31 意図と違う道 ①
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「…ではルー湿原に帰路を取った方が襲われる危険は無いと言う事だな」
ニキアスは赤らんでいる頬をマヤ王女へ見せたくないのか少し横を向きながら尋ねた。
ニキアスの言葉にマヤは深く頷いた。
「そうです。衣服などでヒルへの対策さえすれば湿原を恐れる必要は無い筈です。少なくとも街道で出没する様な盗賊達は出てきません」
「そうか分かった。俺は今一度本部へ戻らねば。君は取り敢えず…衣服と身を清めた方が良い」
とニキアスは丁度テントに入ってきた奴隷の少女を呼んだ。
「マヤ王女の湯あみと着替えと食事を頼む」
「すでに準備できております。ナラと申します。お世話させていただきますね、マヤ様」
と奴隷の少女はペコリと頭を下げた。
「…休みたかったら俺の寝所を使ってもいい。俺はもう一度会議に出る」
とマヤへ言うと、ニキアスはバサリと音を立ててテントを出て行った。
少女の奴隷は丸い顔を更に笑顔で丸くしながら言った。
「大事にされてらっしゃいますね」
「だ…大事にされてる?」
(誰が?)
「だってお風呂や着替え、食事をしてしかもニキアス様のいい匂いのする寝所で眠っていいなんて恋人か愛人と同じ扱いですよ」
「そ、そう?…」
急にニキアスに馬上で引き寄せられた時と同じような戸惑いの気持ちが生じて、思わず言葉に詰まってしまった。
(ニキアスが優しいのは…わたしがした帰路の預言が正しくて役に立つと思っているからよ)
(あの堅物なニキアスが『愛人』みたいにわたしを思うなんて)
――あり得ない。
そもそも酷い言葉を投げつけ、離れたのはマヤの方の筈なのだ。
(そんな簡単に許されるなんて思ってないわ)
大きな木のたらいに防水の布を敷き湯を張った簡易的な浴槽に湯が張ってある。
薄荷の匂いのするそれに身体を浸けると心地よさにため息をついた。
「はあ…気持ちいい…」
それから髪や身体についた頑固な泥汚れを落していった。
結構こびり付いた汚れを落とすのに時間が掛かる。
ナラは丁寧に泥を取りながら、蜂蜜色の髪を鋤いて洗ってくれた。
「びっくりするぐらい泥がついていらっしゃって…お美しい髪とお肌が台無しですよ。さあお身体も洗いましょう」
「ありがとう…じゃあ背中だけお願いします」
『後は自分で洗うわ』と言うとナラはびっくりしたようにわたしを見た。
「マヤ様...あの、ご自分で洗われるんですか?」
「え?自分で...洗わないの?」
どうやら高貴な身分の人間の殆どは自ら自分の身体を洗わないらしい。
ふと気になってナラに訊いてみた。
「ええと…ニキアスもそうなの…?」
ニキアスも何人かいた女性の奴隷に身体を洗ってもらっているのだろうか。
その言葉にきょとんとしたナラは、ふふと含み笑いをしながらわたしを見た。
「ニキアス様は大丈夫ですよ、マヤ様。髪以外は全て自分でしかも高速で洗い終えてしまうんです」
「そ、そうなの?」
ナラの興味深そうな視線にわたしは顔が熱くなるのを感じて思わず俯いた。
「うふふ…マヤ様って可愛いお方ですねえ」
と言うと、ナラはたっぷりの泡でわたしの背中を洗いはじめた。
******
ダナス副将軍は、唖然としながらニキアスへ問うた。
「もう一度伺って良いですかな?将軍閣下」
「ルー湿原を通る帰路を使ってみようと思う」
ニキアスは副将軍と部隊長らの前で言った。
(向かった事がある者が滅多にいない、しかも異国の土地だから仕方がないとは言え)
結局、湿原ルートは誰からの情報も取れなかった。
最終的に『大盗賊団が出没する』という情報のみの街道ルートで帰ると思っていた部隊長らからは、青ざめショックを隠し切れずにすぐに不安や不満の声が上がった。
「そんな冗談ではない」
「なっ…あんな醜い…ヴェガの遣いが居る場所なんて行きたくない」
「ニキアス様は我々をどうしたいのだ?生贄にするつもりか?」
「兵が呪われてしまいます」
華々しい戦績を残した将軍の指示でも流石に皆が畏れる死神『ヴェガ』の領域に入るのは不可能と言う事らしい。
丁度カーラを自分の父のテントへ連れて行ったユリウスが作戦本部に戻って来た。
そして部隊長等の様子を見てあきれ顔をしていた。
「…部隊長らから続々と非難の言葉が出ております。下手をすると兵らから強烈な反対を受けその結果、離軍者が続々と出る事になるかもしれませんな」
ダナス副将軍はさも『当然』と言わんばかりに頷いた。
「将軍閣下は、陛下の義弟侯であるというお立場を今一度お考えになった方が良いかと思われますぞ」
ニキアスは思い切り舌打ちしたい衝動を抑えながら、年長然としたダナス副将軍の言葉を聞いた。
*******
元々戦の直前に任された皇軍が『ティグリス』だった。
戦直前にして将軍のひとりが皇軍『ティグリス』の指揮をとれなくなったという背景があり、当時『イェラキ』隊の隊長だったニキアスが戦の能力を買われ仮の指揮を執る事になっただけに過ぎない。
ニキアスが一時的に預かった軍に過ぎない為、自らの指揮が行き届かない懸念はしていた。
とは言っても――。
(戦の最中はともかく、帰路の選択でこんなに意見がまとまらんとは)
形式状はニキアスが将軍職でも実質はダナス副将軍の影響が遥かに大きい。
ダナス副将軍が強硬に帰路をルー湿原に取ると言えば、しぶしぶでも部隊長は付いていくだろうが彼がそうする様子は全く無い。
(くそ…仕方がないが街道を使うしかない)
大盗賊団やゼピウス国残党の恰好の餌食のもなるかもしれないが、警戒しながら帰るしかない。
(これ以上…戦死者以外の犠牲者が出るのは避けたいが)
これ以上の湿原ルートのごり押しはかえって危険だった。
離軍者は勿論だが『それならハルケ山を通るルートの方に戻そう』と言われては元も子もない。
一瞬忠告してくれたマヤ王女の顔が浮かんだがニキアスはそれを消す様に頭を振ると
「――分かった。街道を使おう…何かあっても皆後悔するなよ」
部隊長等と副将軍を前にニキアス=レオス将軍は決断した。
ニキアスは赤らんでいる頬をマヤ王女へ見せたくないのか少し横を向きながら尋ねた。
ニキアスの言葉にマヤは深く頷いた。
「そうです。衣服などでヒルへの対策さえすれば湿原を恐れる必要は無い筈です。少なくとも街道で出没する様な盗賊達は出てきません」
「そうか分かった。俺は今一度本部へ戻らねば。君は取り敢えず…衣服と身を清めた方が良い」
とニキアスは丁度テントに入ってきた奴隷の少女を呼んだ。
「マヤ王女の湯あみと着替えと食事を頼む」
「すでに準備できております。ナラと申します。お世話させていただきますね、マヤ様」
と奴隷の少女はペコリと頭を下げた。
「…休みたかったら俺の寝所を使ってもいい。俺はもう一度会議に出る」
とマヤへ言うと、ニキアスはバサリと音を立ててテントを出て行った。
少女の奴隷は丸い顔を更に笑顔で丸くしながら言った。
「大事にされてらっしゃいますね」
「だ…大事にされてる?」
(誰が?)
「だってお風呂や着替え、食事をしてしかもニキアス様のいい匂いのする寝所で眠っていいなんて恋人か愛人と同じ扱いですよ」
「そ、そう?…」
急にニキアスに馬上で引き寄せられた時と同じような戸惑いの気持ちが生じて、思わず言葉に詰まってしまった。
(ニキアスが優しいのは…わたしがした帰路の預言が正しくて役に立つと思っているからよ)
(あの堅物なニキアスが『愛人』みたいにわたしを思うなんて)
――あり得ない。
そもそも酷い言葉を投げつけ、離れたのはマヤの方の筈なのだ。
(そんな簡単に許されるなんて思ってないわ)
大きな木のたらいに防水の布を敷き湯を張った簡易的な浴槽に湯が張ってある。
薄荷の匂いのするそれに身体を浸けると心地よさにため息をついた。
「はあ…気持ちいい…」
それから髪や身体についた頑固な泥汚れを落していった。
結構こびり付いた汚れを落とすのに時間が掛かる。
ナラは丁寧に泥を取りながら、蜂蜜色の髪を鋤いて洗ってくれた。
「びっくりするぐらい泥がついていらっしゃって…お美しい髪とお肌が台無しですよ。さあお身体も洗いましょう」
「ありがとう…じゃあ背中だけお願いします」
『後は自分で洗うわ』と言うとナラはびっくりしたようにわたしを見た。
「マヤ様...あの、ご自分で洗われるんですか?」
「え?自分で...洗わないの?」
どうやら高貴な身分の人間の殆どは自ら自分の身体を洗わないらしい。
ふと気になってナラに訊いてみた。
「ええと…ニキアスもそうなの…?」
ニキアスも何人かいた女性の奴隷に身体を洗ってもらっているのだろうか。
その言葉にきょとんとしたナラは、ふふと含み笑いをしながらわたしを見た。
「ニキアス様は大丈夫ですよ、マヤ様。髪以外は全て自分でしかも高速で洗い終えてしまうんです」
「そ、そうなの?」
ナラの興味深そうな視線にわたしは顔が熱くなるのを感じて思わず俯いた。
「うふふ…マヤ様って可愛いお方ですねえ」
と言うと、ナラはたっぷりの泡でわたしの背中を洗いはじめた。
******
ダナス副将軍は、唖然としながらニキアスへ問うた。
「もう一度伺って良いですかな?将軍閣下」
「ルー湿原を通る帰路を使ってみようと思う」
ニキアスは副将軍と部隊長らの前で言った。
(向かった事がある者が滅多にいない、しかも異国の土地だから仕方がないとは言え)
結局、湿原ルートは誰からの情報も取れなかった。
最終的に『大盗賊団が出没する』という情報のみの街道ルートで帰ると思っていた部隊長らからは、青ざめショックを隠し切れずにすぐに不安や不満の声が上がった。
「そんな冗談ではない」
「なっ…あんな醜い…ヴェガの遣いが居る場所なんて行きたくない」
「ニキアス様は我々をどうしたいのだ?生贄にするつもりか?」
「兵が呪われてしまいます」
華々しい戦績を残した将軍の指示でも流石に皆が畏れる死神『ヴェガ』の領域に入るのは不可能と言う事らしい。
丁度カーラを自分の父のテントへ連れて行ったユリウスが作戦本部に戻って来た。
そして部隊長等の様子を見てあきれ顔をしていた。
「…部隊長らから続々と非難の言葉が出ております。下手をすると兵らから強烈な反対を受けその結果、離軍者が続々と出る事になるかもしれませんな」
ダナス副将軍はさも『当然』と言わんばかりに頷いた。
「将軍閣下は、陛下の義弟侯であるというお立場を今一度お考えになった方が良いかと思われますぞ」
ニキアスは思い切り舌打ちしたい衝動を抑えながら、年長然としたダナス副将軍の言葉を聞いた。
*******
元々戦の直前に任された皇軍が『ティグリス』だった。
戦直前にして将軍のひとりが皇軍『ティグリス』の指揮をとれなくなったという背景があり、当時『イェラキ』隊の隊長だったニキアスが戦の能力を買われ仮の指揮を執る事になっただけに過ぎない。
ニキアスが一時的に預かった軍に過ぎない為、自らの指揮が行き届かない懸念はしていた。
とは言っても――。
(戦の最中はともかく、帰路の選択でこんなに意見がまとまらんとは)
形式状はニキアスが将軍職でも実質はダナス副将軍の影響が遥かに大きい。
ダナス副将軍が強硬に帰路をルー湿原に取ると言えば、しぶしぶでも部隊長は付いていくだろうが彼がそうする様子は全く無い。
(くそ…仕方がないが街道を使うしかない)
大盗賊団やゼピウス国残党の恰好の餌食のもなるかもしれないが、警戒しながら帰るしかない。
(これ以上…戦死者以外の犠牲者が出るのは避けたいが)
これ以上の湿原ルートのごり押しはかえって危険だった。
離軍者は勿論だが『それならハルケ山を通るルートの方に戻そう』と言われては元も子もない。
一瞬忠告してくれたマヤ王女の顔が浮かんだがニキアスはそれを消す様に頭を振ると
「――分かった。街道を使おう…何かあっても皆後悔するなよ」
部隊長等と副将軍を前にニキアス=レオス将軍は決断した。
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