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第一章 悪童(元禄十一年~宝永二年)
03 天狗との出会い
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お天道様が真上近くになった頃、一行は坂瀬川のほとりの木陰で昼食をとった。
おむすびを食べていると、他の町からの少年達も続々とやって来て、周辺で休憩を始めた。
同じ道場に通う少年が信之助のところにやって来たのは、この先の道中の相談であろうか。
昼食を食べた子どもらは川の水を飲んだり、顔を洗ったり、思い思いに行動していた。勿論、坂瀬川の流れが速く危険なことは親から言われているから、川に入る者はいない。
これがもう少し年かさになって水練でもするようになれば、川に入る者も出るのだろうが、小さな子どもの目から見れば坂瀬川は恐ろしく深く速い川のように見えた。
昼食後は辰巳町、大手町、戌亥町の三町合同での行動となった。
白石村までの二里の山道はこれまでよりも険しくなる。坂瀬川の流れに沿った涼しい道もあれば木々で薄暗くなった道もあり、十人以上で行けば多少は心強いのだった。
それにこの頃になると弱音を吐く子も出てくる。だが、他の町の同じ年の少年が頑張っているのを見れば弱音もそうそう吐けなくなるものだった。
村まであと一里という峠の坂道を上っている時だった。急峻な道を汗をかきながら登るのは信之助でさえつらいのだが、それを口に出すわけにもいかず、引率する辰巳町の子や他の町の子らに目配りする。
なんとか耐えられそうだと思っていると大手町の引率でついてきた川合孝之進が何やら辛そうに見えた。無理もない。孝之進は背丈こそ信之助と同じだが、身体の横幅が太い。肥え過ぎだと道場の先輩や同輩から言われている。城代家老の父親も似たような体格だが、孝之進の方が目方は重いと皆思っている。
信之助は少し速度を緩め、孝之進に声をかけた。
「あと一里のことだ」
「わ、わかっておる」
汗をだらだら流す孝之進の上着はすでに汗でぐっしょり濡れている。
「わしらがしっかりせねば示しがつかん。」
小さい声で信之助は言った。
孝之進はうなずき、両足を交互に動かし前に進んだ。信之助は少し安心した。
それにしてもと信之助は思う。この行事は子どものためというよりも、引率する我らのためのものでもあるかもしれぬと。
幼い頃は何も考えずにただ歩けばよかったが、それを引率する身となれば、歩く速度、休憩の頻度、声掛けなど、様々なことを考えてやらねばならぬ。
まるで将来、参勤交代のお供をするための訓練のようではないか。
そういえば自分が七つの時に引率してくれた小田切様は今は江戸でお殿様の近習をしていると聞く。
ここで頑張れば、将来への道が次男の自分にも開けるような気がした。
「着いたぞ、後は下りじゃあ」
坂道の頂上に最初に着いたのは卯之助だった。松之丞がそれに続いた。
その後、続々と子どもらが登り坂のてっぺんに到達した。信之助も間もなくという時だった。
背後でどさりと音がした。
「孝之進、どうした」
信之助は振り返り駆け寄った。前のめりに倒れた孝之進は荒い息を吐き、苦しげだった。幸い道の端の叢に向かって倒れたので、真っ赤に上気した顔は小石だらけの路面にぶつからなかった。
大手町の子どもらも駆け寄った。
「兄様」
孝之進によく似た顔の子どもは弟だった。
信之助は動けなくなった孝之進をとりあえず、仰向けにして近くの木陰に引きずり運ぶことにした。戌亥町の森左源太が手伝ってくれたが重かった。
こんな時、道場なら頭から井戸の水をかけるのだが、ここはあいにく峠の頂上近く、川からかなり離れている。
松之丞が自分の竹筒を持って来た。
「これをお使いください」
「わしのも使ってください」
卯之助も差し出した。他の子らも竹筒を差し出した。なんという子達だろうと信之助は思う。自分たちもつらいはずなのに。
「ありがとう」
そう言った時だった。
頭上の木の枝が揺れ木の葉がはらりと数枚落ちたかと思うと、上から男が飛び降りて来た。色黒で目つきが妙に鋭かった。
「それではいけん。着ているものをゆるめよ。籠もった熱を出して息を楽にしてやれ。子ども衆は少し離れて風を通してやれ」
皆、男の装束に目を見張った。山伏装束に似た白一色の衣裳で、足元を見れば一本歯の下駄を履いている。
「天狗」
そう言った卯之助を男はちらりと見たが、すぐに言った。
「はよせい」
「はい」
孝之進のまわりに集まっていた子らは二歩三歩後ずさりした。隙間ができて風が流れた。
左源太が袴の紐を信之助が上着の合わせを緩めた。男は近くにいた松之丞に持っていた扇を渡した。
「これで扇いでやれ」
松之丞は扇を広げ孝之進の緩めた合わせのあたりを扇いだ。男は背中に背負った笈を下ろし白い小さな塊を取り出し、松之丞の竹筒にそれを入れ振った。
「う、うーん」
孝之進は薄目を開けた。意識が戻ってきたようだった。
「孝之進、しっかりせい。水じゃ」
信之助は孝之進の頭を上げて、自分の膝にもたれさせた。男が竹筒を口に宛がうと、孝之進はごくりと飲んだ。
「少しずつ飲むがいい」
水を少しずつ飲ませるうちに孝之進の顔色が次第に元に戻っていく。
「まことにかたじけない、お名前をお教えくださいませ」
信之助の問いに男は答えず、頭上の木へと跳び上がった。木の葉が数枚落ちて来た。
「天狗」
卯之助はつぶやいた。
森左源太が子ども達を連れて先に峠を降りて村に行くことになった。
信之助は孝之進の様子を見て、後から一緒にそれを追うことにした。
信之助の手には男の持っていた扇がある。白地に何の絵も文字もない。それで孝之進を扇いでやった。
それにしてもあれは何者であろうか。天狗ではあるまい。どう見ても人間だった。
あの常人離れした身のこなしは、只者ではない。
そういえばと信之助は思い出す。自分の七つの時に、どこの子とも知らぬ子どもが一緒に陰陽神社に参詣していたことを。彼らも七つだが、身のこなしが恐ろしくすばやかった。
彼らは城下の子弟よりも遅い刻限に家を出て、早朝陰陽神社に着いていた。参詣した後は、信之助らが出発するより後に出たのに、白石村の前で追い抜かれたのだ。
もりくら衆だと誰かがつぶやいていたことを思い出す。
その名は長ずるにつれ時々信之助の耳に入ってくるようになった。ただしその名が語られる時の人々の声は小さい。あたりをはばかるかのように。
半刻ばかりした頃、峠の下の白石村の者達が迎えに来た。まだ子らは到着していないはずだった。
彼らが持って来た戸板にまだ動けない孝之進を乗せた。戸板はなんとかその重みに耐えた。男達はそれを四人がかりで持ち上げた。手伝おうとした信之助を男らは慣れているわしらが運んだほうが早く村に着くからと言って断った。
「かたじけない」
そう言う信之助に村の若者は気にせんでくださいと言った。
「わしらは山伏様に頼まれただけのことじゃから。」
どうやらあの男は山伏で、あの後、白石村まで行き孝之進のことを知らせたらしい。
信之助は結局村まで孝之進の横を歩きながら扇いでやることしかできなかった。
村に着くと、先に着いた子供らが出迎えた。
「兄様」
孝之進の弟が戸板にかけよった。
「大丈夫じゃ」
孝之進の弱弱しい声に、弟は安堵したようだった。
「信之助様、ありがとうございます」
弟は頭を下げた。信之助はあの山伏殿のおかげと言い、弟に兄に付き添うように言った。
孝之進が運ばれて行ったのは庄屋の家だった。孝之進の父は家中の重役だから、庄屋としては放っておけないのだろう。
信之助は庄屋にお世話をかけて申し訳ないと頭を下げた。庄屋は中老の沢井様の子息が頭を下げるのに慌てた。
「いえいえ、こちらこそ。暑い盛りには村の衆も畑仕事の途中で気分を悪くすることもあります。ましてや城下にお住まいの身で慣れぬ山歩きは。」
そう言った後、庄屋はところでと切り出した。
「失礼ながら、今年の参拝のお子の中に、お一人ちと面白い方がおいでのようで」
信之助の脳裏に浮かんだのは卯之助だった。
「他の子は歩き疲れておりますのに、一人で村のあちこちを見て回り、これは何、あれは何とお尋ねになる。先ほどなど御休息処を覗いておりましてな」
「なんと」
御休息処とは、白石村近くにある坂瀬川の白金川原に涼みにおいでになる殿様がお泊りになる建物で、庄屋の家のそばにある。
殿様が夏においでになる時以外は閉めており、掃除をする庄屋の家族以外は勝手に入れないことになっている。
そこに近づくなどあってはならぬことだった。
「承りました。粗相のないようにいたします。」
信之助はまたも頭を下げ、庄屋の屋敷を辞すると、すぐに卯之助を呼んだ。
するとその声を聞きつけ松之丞とともにすぐに卯之助が走って来た。
信之助は道の脇に卯之助を呼び、御休息処を覗いてはならぬ、あれはお殿様のお使いになる場所で関係ない者が近づいてはならない場所なのだと言い聞かせた。
「わしたちはお殿様の家来の子どもだから関係ないものではないと思います」
卯之助は信之助を見上げた。信之助はそのまっすぐな目に一瞬ひるみそうになった。子どもとはいえ、卯之助の目は時々こういう強い力を感じさせることがあった。だが、言うべきことは言わねばならない。
「御休息処はお殿様の家。留守にしている家を勝手に覗いたりするのは、盗人のやることだ」
さすがに盗人と言われれば、卯之助も納得せざるを得ないようだった。
「かしこまりました。もうしわけありません」
素直に頭を下げた卯之助だった。その横で松之丞も頭を下げた。
「二度とするな」
そう言った後、信之助は辰巳町の宿泊場所である村役人の五平の家に向かった。
すでに五平の家には辰巳町の子ども二人が上がっていた。信之助は五平にお世話になりますと挨拶した。
子らを集めて、お世話になる五平殿の迷惑にならぬようにと言い、明日の予定を告げた。
話が終わると、卯之助が尋ねた。
「川合様はいかがでしょうか」
「案ずるな。明日には回復しよう」
本当は信之助も不安だったがこう言わねば、子らが心配する。
「やはり天狗様ののませた白いものがきいているのでしょうか」
「天狗とな」
「あの白い御召し物を着ていた方です」
恐らくは山伏を装ったもりくら衆であろうが、好奇心の強い卯之助に話せばさらに質問攻めに遭うことは予想できたので、信之助は否定しなかった。
「効いたのであろうな」
卯之助は目を輝かせていた。
おむすびを食べていると、他の町からの少年達も続々とやって来て、周辺で休憩を始めた。
同じ道場に通う少年が信之助のところにやって来たのは、この先の道中の相談であろうか。
昼食を食べた子どもらは川の水を飲んだり、顔を洗ったり、思い思いに行動していた。勿論、坂瀬川の流れが速く危険なことは親から言われているから、川に入る者はいない。
これがもう少し年かさになって水練でもするようになれば、川に入る者も出るのだろうが、小さな子どもの目から見れば坂瀬川は恐ろしく深く速い川のように見えた。
昼食後は辰巳町、大手町、戌亥町の三町合同での行動となった。
白石村までの二里の山道はこれまでよりも険しくなる。坂瀬川の流れに沿った涼しい道もあれば木々で薄暗くなった道もあり、十人以上で行けば多少は心強いのだった。
それにこの頃になると弱音を吐く子も出てくる。だが、他の町の同じ年の少年が頑張っているのを見れば弱音もそうそう吐けなくなるものだった。
村まであと一里という峠の坂道を上っている時だった。急峻な道を汗をかきながら登るのは信之助でさえつらいのだが、それを口に出すわけにもいかず、引率する辰巳町の子や他の町の子らに目配りする。
なんとか耐えられそうだと思っていると大手町の引率でついてきた川合孝之進が何やら辛そうに見えた。無理もない。孝之進は背丈こそ信之助と同じだが、身体の横幅が太い。肥え過ぎだと道場の先輩や同輩から言われている。城代家老の父親も似たような体格だが、孝之進の方が目方は重いと皆思っている。
信之助は少し速度を緩め、孝之進に声をかけた。
「あと一里のことだ」
「わ、わかっておる」
汗をだらだら流す孝之進の上着はすでに汗でぐっしょり濡れている。
「わしらがしっかりせねば示しがつかん。」
小さい声で信之助は言った。
孝之進はうなずき、両足を交互に動かし前に進んだ。信之助は少し安心した。
それにしてもと信之助は思う。この行事は子どものためというよりも、引率する我らのためのものでもあるかもしれぬと。
幼い頃は何も考えずにただ歩けばよかったが、それを引率する身となれば、歩く速度、休憩の頻度、声掛けなど、様々なことを考えてやらねばならぬ。
まるで将来、参勤交代のお供をするための訓練のようではないか。
そういえば自分が七つの時に引率してくれた小田切様は今は江戸でお殿様の近習をしていると聞く。
ここで頑張れば、将来への道が次男の自分にも開けるような気がした。
「着いたぞ、後は下りじゃあ」
坂道の頂上に最初に着いたのは卯之助だった。松之丞がそれに続いた。
その後、続々と子どもらが登り坂のてっぺんに到達した。信之助も間もなくという時だった。
背後でどさりと音がした。
「孝之進、どうした」
信之助は振り返り駆け寄った。前のめりに倒れた孝之進は荒い息を吐き、苦しげだった。幸い道の端の叢に向かって倒れたので、真っ赤に上気した顔は小石だらけの路面にぶつからなかった。
大手町の子どもらも駆け寄った。
「兄様」
孝之進によく似た顔の子どもは弟だった。
信之助は動けなくなった孝之進をとりあえず、仰向けにして近くの木陰に引きずり運ぶことにした。戌亥町の森左源太が手伝ってくれたが重かった。
こんな時、道場なら頭から井戸の水をかけるのだが、ここはあいにく峠の頂上近く、川からかなり離れている。
松之丞が自分の竹筒を持って来た。
「これをお使いください」
「わしのも使ってください」
卯之助も差し出した。他の子らも竹筒を差し出した。なんという子達だろうと信之助は思う。自分たちもつらいはずなのに。
「ありがとう」
そう言った時だった。
頭上の木の枝が揺れ木の葉がはらりと数枚落ちたかと思うと、上から男が飛び降りて来た。色黒で目つきが妙に鋭かった。
「それではいけん。着ているものをゆるめよ。籠もった熱を出して息を楽にしてやれ。子ども衆は少し離れて風を通してやれ」
皆、男の装束に目を見張った。山伏装束に似た白一色の衣裳で、足元を見れば一本歯の下駄を履いている。
「天狗」
そう言った卯之助を男はちらりと見たが、すぐに言った。
「はよせい」
「はい」
孝之進のまわりに集まっていた子らは二歩三歩後ずさりした。隙間ができて風が流れた。
左源太が袴の紐を信之助が上着の合わせを緩めた。男は近くにいた松之丞に持っていた扇を渡した。
「これで扇いでやれ」
松之丞は扇を広げ孝之進の緩めた合わせのあたりを扇いだ。男は背中に背負った笈を下ろし白い小さな塊を取り出し、松之丞の竹筒にそれを入れ振った。
「う、うーん」
孝之進は薄目を開けた。意識が戻ってきたようだった。
「孝之進、しっかりせい。水じゃ」
信之助は孝之進の頭を上げて、自分の膝にもたれさせた。男が竹筒を口に宛がうと、孝之進はごくりと飲んだ。
「少しずつ飲むがいい」
水を少しずつ飲ませるうちに孝之進の顔色が次第に元に戻っていく。
「まことにかたじけない、お名前をお教えくださいませ」
信之助の問いに男は答えず、頭上の木へと跳び上がった。木の葉が数枚落ちて来た。
「天狗」
卯之助はつぶやいた。
森左源太が子ども達を連れて先に峠を降りて村に行くことになった。
信之助は孝之進の様子を見て、後から一緒にそれを追うことにした。
信之助の手には男の持っていた扇がある。白地に何の絵も文字もない。それで孝之進を扇いでやった。
それにしてもあれは何者であろうか。天狗ではあるまい。どう見ても人間だった。
あの常人離れした身のこなしは、只者ではない。
そういえばと信之助は思い出す。自分の七つの時に、どこの子とも知らぬ子どもが一緒に陰陽神社に参詣していたことを。彼らも七つだが、身のこなしが恐ろしくすばやかった。
彼らは城下の子弟よりも遅い刻限に家を出て、早朝陰陽神社に着いていた。参詣した後は、信之助らが出発するより後に出たのに、白石村の前で追い抜かれたのだ。
もりくら衆だと誰かがつぶやいていたことを思い出す。
その名は長ずるにつれ時々信之助の耳に入ってくるようになった。ただしその名が語られる時の人々の声は小さい。あたりをはばかるかのように。
半刻ばかりした頃、峠の下の白石村の者達が迎えに来た。まだ子らは到着していないはずだった。
彼らが持って来た戸板にまだ動けない孝之進を乗せた。戸板はなんとかその重みに耐えた。男達はそれを四人がかりで持ち上げた。手伝おうとした信之助を男らは慣れているわしらが運んだほうが早く村に着くからと言って断った。
「かたじけない」
そう言う信之助に村の若者は気にせんでくださいと言った。
「わしらは山伏様に頼まれただけのことじゃから。」
どうやらあの男は山伏で、あの後、白石村まで行き孝之進のことを知らせたらしい。
信之助は結局村まで孝之進の横を歩きながら扇いでやることしかできなかった。
村に着くと、先に着いた子供らが出迎えた。
「兄様」
孝之進の弟が戸板にかけよった。
「大丈夫じゃ」
孝之進の弱弱しい声に、弟は安堵したようだった。
「信之助様、ありがとうございます」
弟は頭を下げた。信之助はあの山伏殿のおかげと言い、弟に兄に付き添うように言った。
孝之進が運ばれて行ったのは庄屋の家だった。孝之進の父は家中の重役だから、庄屋としては放っておけないのだろう。
信之助は庄屋にお世話をかけて申し訳ないと頭を下げた。庄屋は中老の沢井様の子息が頭を下げるのに慌てた。
「いえいえ、こちらこそ。暑い盛りには村の衆も畑仕事の途中で気分を悪くすることもあります。ましてや城下にお住まいの身で慣れぬ山歩きは。」
そう言った後、庄屋はところでと切り出した。
「失礼ながら、今年の参拝のお子の中に、お一人ちと面白い方がおいでのようで」
信之助の脳裏に浮かんだのは卯之助だった。
「他の子は歩き疲れておりますのに、一人で村のあちこちを見て回り、これは何、あれは何とお尋ねになる。先ほどなど御休息処を覗いておりましてな」
「なんと」
御休息処とは、白石村近くにある坂瀬川の白金川原に涼みにおいでになる殿様がお泊りになる建物で、庄屋の家のそばにある。
殿様が夏においでになる時以外は閉めており、掃除をする庄屋の家族以外は勝手に入れないことになっている。
そこに近づくなどあってはならぬことだった。
「承りました。粗相のないようにいたします。」
信之助はまたも頭を下げ、庄屋の屋敷を辞すると、すぐに卯之助を呼んだ。
するとその声を聞きつけ松之丞とともにすぐに卯之助が走って来た。
信之助は道の脇に卯之助を呼び、御休息処を覗いてはならぬ、あれはお殿様のお使いになる場所で関係ない者が近づいてはならない場所なのだと言い聞かせた。
「わしたちはお殿様の家来の子どもだから関係ないものではないと思います」
卯之助は信之助を見上げた。信之助はそのまっすぐな目に一瞬ひるみそうになった。子どもとはいえ、卯之助の目は時々こういう強い力を感じさせることがあった。だが、言うべきことは言わねばならない。
「御休息処はお殿様の家。留守にしている家を勝手に覗いたりするのは、盗人のやることだ」
さすがに盗人と言われれば、卯之助も納得せざるを得ないようだった。
「かしこまりました。もうしわけありません」
素直に頭を下げた卯之助だった。その横で松之丞も頭を下げた。
「二度とするな」
そう言った後、信之助は辰巳町の宿泊場所である村役人の五平の家に向かった。
すでに五平の家には辰巳町の子ども二人が上がっていた。信之助は五平にお世話になりますと挨拶した。
子らを集めて、お世話になる五平殿の迷惑にならぬようにと言い、明日の予定を告げた。
話が終わると、卯之助が尋ねた。
「川合様はいかがでしょうか」
「案ずるな。明日には回復しよう」
本当は信之助も不安だったがこう言わねば、子らが心配する。
「やはり天狗様ののませた白いものがきいているのでしょうか」
「天狗とな」
「あの白い御召し物を着ていた方です」
恐らくは山伏を装ったもりくら衆であろうが、好奇心の強い卯之助に話せばさらに質問攻めに遭うことは予想できたので、信之助は否定しなかった。
「効いたのであろうな」
卯之助は目を輝かせていた。
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