上 下
75 / 128
第三章 青嵐(正徳三年~正徳五年)

18 栗林家訪問(R15)

しおりを挟む
 殿様は江戸到着後、あちこちに挨拶に行ったり登城したりと忙しい日々を送っていた。
 隆礼たかゆきはそれに比べれば暇だったが、菩提寺参詣や親戚参りが一通り終われば国許と同じような日々が始まった。
 儒学者の講義、漢籍の講義、作歌の練習などが午前中に入るようになった。午後は弓術や剣術、槍術の稽古である。
 馬には乗れないのかと聞くと、下屋敷に馬場があるので、そちらに行けばできるということだった。
 ただ急にその日言われても馬の準備があるからということで、前日のうちに小姓頭に連絡しなければならなかった。
 剣術は屋敷内に道場があり好きな時に素振りができそうに思えたが、家臣達が練習するので御遠慮くださいと言われた。
 夜は夜で、朝のうちに小姓からは今宵のお召しはどうされますかと問われる。
 二度目の召し以来、満津のことを思うと、女を召す気にはなれなかったので、今宵は不要と五日ほど続けて言うと、奥との取次をしている小姓が来て、あちらでは一体どうしたことか、御身体がどこか悪いのではないかと心配しておりますと言ってきた。
 体調は悪くないと言うと、では今宵はお召しをと言う。
 そんな気になれないのだと言えば、ならば、他のお女中をと言う。
 小姓は是が非でも女を召して欲しいらしい。こちらは別に必要ないと思っているのに。
 東平が小姓の時にどうしてしつこいんだと言うと、真面目な顔で言われた。

「畏れながら、若君様は、御女中をお召しあそばした翌朝は、すこぶる機嫌が宜しく見えますゆえ」

 そんなつもりはなかった。むしろ逆だった。満津のことを考えて憂鬱になっているのに。

「どうしてそんな風に見えるんだ」
「朝餉をおいしそうにお召しになりますれば」

 それは腹が減って仕方ないからだった。夜あれだけ動けば朝は腹が減って仕方ないではないか。

「それ以外はまずそうに食べているということか」
「そういうわけではございませんが」

 まったく思いもよらないようなことを小姓達は考えているようだった。
 あれこれ勘ぐられるのは面倒だった。
 だが、実際のところ、身体が欲しているという感覚は確かにあった。気になりだすと、儒学者の講義の間もついそのことばかりに気がいって、頭に入らないこともあった。
 仕方なく、そろそろ限界かと思われる頃に小姓に今宵はと言うと、小姓は待ってましたという顔になるのだった。
 ただ、改めて他の女中とどうこうというのは面倒だった。卯女は隆礼の要求をさほど抵抗なく受け入れるところがあったので、卯女をと伝えると、その夜、卯女が部屋に来るということになる。
 そういうわけで、一か月ほどの間に卯女とは五回ほど夜をともにした。
 その間、卯女を通じて奥の事情がなんとなく隆礼にもわかってきた。
 殿様の御渡りが少ないということが大問題らしかった。
 殿様と奥方様の仲は睦まじいのだが、殿様の仕事が多忙だったり、奥方様の身体の調子がよくなかったり、山置家の祖先や将軍家の命日に当たったりで、月に一回か二回しか夜の御渡りがないということだった。
 ちなみに上屋敷に入ってからは一回だけ。それもほとんど何もせずにお休みになったらしい。
 側室もいるが、そちらは殿様と同い年で数年前にお褥すべりとなって、夜のお勤めはしていない。
 もう一人は若いのだが、奥方様の体調が悪い時に代わりを勤めるというような感じで、こちらの御渡りも少ない。
 つまり、殿様の奥は活気がないということだった。
 隆礼も気づいたのだが、お勤めを検分する奥女中たちもあまり慣れていないようで、睦言が始まると、落ち着かない雰囲気がそちらからしてくることもあった。
 恐らく殿様がめったに奥に渡らないので、奥女中たちも検分に慣れていないのだろう。
 いっそのこと、女中達の検分をなくせばよいのにと隆礼が言うと卯女はそれはできないと言った。

「奥の記録に残さねばなりませんので。それに、もし検分役がいなければ、わたくしが、御年寄にじかにこうであったと報告しなければなりません」

 それはちょっと嫌だなと隆礼も思った。
 卯女のほうはすっかり、隆礼の虜になっていた。
 卯女の耳には豊後守の孫娘との縁談の話も入っていた。まだ九つであるならば、しばらくは二人だけでこうしていられるだろうと卯女は考えていた。
 寵が衰えぬように身体を磨き、化粧し、隆礼の気に入るように話をしなければと、卯女は卯女で毎日忙しく奥で過ごしていた。
 若君は歌や能を嗜むと知ると、女中の中にいる詳しい者に教わった。
 一日必ず歌を三つ作り、女中に見てもらった。それを知った眞里姫は自分の古今和歌集を貸してくれた。また御年寄も謡の本を広敷を通じて購入し、卯女に与えた。
 卯女はお付きの女中と謡を練習したり、歌の朗詠をしたりして過ごした。すると自然同じ趣味の女中達が集まり、卯女の部屋は賑やかになった。
 殿様の御渡りが少なく澱んでいたような奥に久しぶりの活気が甦ったのである。
 娘の出世を知った実家からはすっぽんが送られて来た。
 卯女自身も奥医師から話を聞いて、自分なりに様々なな工夫をしていた。
 ある日などは、行為の後、逆立ちをしようとしたので、隆礼は仰天した。

「女子の身体の中にある子袋に子種を早く送らねばなりませぬゆえ」

 いくらなんでも無茶だと、隆礼は止めた。腕の力がさほどないから、見ていて危なっかしいことこの上なかった。
 ともあれ、今や上屋敷では卯女は若様の寵愛を一身に受ける幸い人と言われていた。
 彼女は知らない。奥に卯女を帰した後、隆礼が満津のことを案じ、思い、悶々と悩んでいることを。
 香田角まで順調に文が届けば十六日ほどで着く。返事は文を送って約一か月後に届く。けれど、一か月たっても満津の返事は届かない。
 おまけについ先日には、豊後守の孫娘との縁談が内々に決まったことも国許への文で伝えられている。まだ公にはできないが、家老や中老には当然知らされるだろう。
 満津がそれを知ったらどんな気持ちになるのか。想像するだけで恐ろしかった。
 もし、これで身体を壊したりしたら、赤子に何かあったら、嫌な想像が際限なく広がっていく。
 こんな時はどうすればいいのか、兄に相談したいが、残念なことに殿様には子どもがいない。それに国許のお仙の方の件もある。相談するのが憚られる。
 そんな時だった。隠居の隆真から栗林家の中屋敷に遊びに来ぬかと誘いがあったのは。





 端午の節句も過ぎたある日の午後、隆礼は泊りがけで栗林家の愛宕下の中屋敷に出かけた。
 もちろん、お供を連れてのことである。挟み箱を持つ中間の他に近習の惣左衛門と小姓の与五郎、それに草履取りとして平太もついてきた。
 平太はどうも決まった役目があるようでないらしく、行く先々によって様々な役目をした。参勤の行列ではしんがりを務め、豊後守の上屋敷には徒歩のお供をし、そして此度は草履取りである。
 いずれも普通に役目を果たしていて、誰にも不自然さを感じさせないのはさすがである。
 途中、自分がいずれ住むことになる中屋敷の用地の前を通った。惣左衛門がここが例のと言うので乗り物の小窓を開けて見ると、まだ住人がいるようで人の出入りがあった。
 なんだか信じられなかった。上様へのお目見えが済んだら、この屋敷に入って奥の卯女が一緒に住むようになり、いずれ豊後守の孫娘の祝姫が輿入れすることになる。
 まだ江戸に着いて一か月余りなのに、そこまで決まったのが嘘のようだった。
 それにつけても、満津である。満津が子を産んだら、ここに呼び寄せることになるのだろう。
 卯女と二人、いやそこに祝姫が加わる。それに満津は耐えられるのだろうか。
 赤子の世話を狆の子でも育てるように言う祝姫のことを思い出すと、なんだか恐ろしくなってくる。
 満津は江戸の女達と比べれば、正直さほど美しくない。はきはきと物を言う祝姫は生まれた子を見て美しくないなどと言いかねないように思えた。それを聞いたら満津はどう思うか。
 そういった細々とした心配が次から次へと出てきて、隆礼は一人になるとため息ばかりが出るのだった。





 屋敷に着くと、隆真が長男以外の子どもとともに出迎えた。十四歳の長男は藩主なので、上屋敷に常住している。
 次男と長女、次女、それに側室に抱かれた赤子の三男がずらりと並ぶさまは壮観だった。
「叔父上様、ようこそおいでくださいました」
 十歳の次男はしっかりとした声であった。気のせいか、殿様に似ているように見えた。

「あいつは兄上に似てるだろ」

 座敷に案内された後、隆真も言った。

「あの子は側室の御子ですか」
「ああ。長男のほうは奥が輿入れして十月十日で生まれた。まさかの大当たりだ」

 次男を産んだ側室は長女を産んだ後亡くなり、次女と三男を産んだ側室とこの中屋敷で暮らしているのだと言う。

「御正室はどこにおいでなのですか」
「上屋敷だ。奥で長男の奥方をしごいてる」
「しごいてるって」
「暇なんだよ。私が隠居して好き勝手してるんで、自分も同じようにしてるんだ。まだ八つだから、ほとんど子どもなんだけどな。あれには女の子がおらぬから、可愛くてたまらんのだ」
「八つで御輿入れですか」

 いくらなんでも早過ぎだと隆礼は思った。

「ああ。形ばかりだが。そういえば、豊後守の孫と縁組だって。あっちもまだ九つだろ」
「はい」
「お許しを得て結納してとなると、来年か再来年の話だな」

 再来年でも十一である。

「早いほうがいい。家風の違いがあるから、早めに慣れさせないとな。私なぞ、それで苦労した。七つで養子になったんだが、もっと早く物心つく前だったらよかったんだが」

 隆真の目に陰鬱な光が感じられたのは気のせいだろうか。
 だが、それもわずかの間のことで、隆真は陽気に笑った。

「さて、それでは、そなたの話聞かせてもらうぞ。まずは、陰陽石の件」

 隆礼はなぜそれをと驚いた。

「そなたの話は、あれこれ耳に入ってくるのだ。近習の岡部とともに参ったのであろう、七つの年に」

 というわけで、茶を飲みながらの話となった。

「なんとまあ、そなたは神をも畏れぬことを」
「帰ってから、岡部の父に叱られました」
「岡部殿には感謝せねばな。それにしても、そなたを助けた者は一体何者であろう」
「山伏だと思いますが、恐らく忍びかと」
「さような忍びなど聞いたことがないぞ。栗林の忍びなど、今や閑職も同然。ただの倉庫番ぞ」

 守倉も武器倉の番人である。隆真が知らぬだけで、本当はこっそりと活躍しているのかもしれない。

「当家は、周囲に強国が控えておりますゆえ」
「それもそうだな。越中守様や薩摩守様がおるからな」
「そちらの方々とお話ししたことはあるのですか」
「あちらは城内でも控えの間が違うので、なかなかお会いすることができない。それに参勤で薩摩守様とは入れ違いじゃったからな」

 そういう話をしているうちに夕方近くなってきた。

「さて、今宵は幾人か客人が来る。そなたに会ってみたいと言う方ばかりじゃ」
「なぜに」

 自分に会ってどうなるというのだろう。隆礼とて、自分がただの二万石の大名の弟に過ぎないことくらいわきまえている。
 隆真が養子に入った栗林家は十万石である。先日訪問した加部豊後守は五万石だが、三河以来の家柄で家格は格段に高い。
 ほとんどの大名は二万石の山置家より大身なのだ。そんな家柄の自分に会ってみたいとはどういうことか。
 もしや好奇心であろうか。自分がこの年で父親になるという話を聞きつけた者が、興味本位で会ってみようと思ったのか。
 それではまるで珍しい動物か何かのようではないか。
 隆真はそんな隆礼の思いも知らず、楽し気な顔である。





しおりを挟む

処理中です...