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第九章 鬼起つ

03 夜の儀式

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 サカリアスは後宮から続く長い廊下をカルロスとともに出たところで侍従のホセに呼び止められた。

「殿下、これより黒龍の間へお越しください」
「何かあったのか?」
「陛下からのお召しです」

 カルロスが不安そうな顔でホセに尋ねた。

「私も行っていい?」
「子どもはもう寝る時間だ。先に北の宮殿に行け」

 黒龍の間は会議等に使われる部屋である。恐らくコーンウェルの件が会議中に報じられたのだろう。サカリアスは現地に行ったことがあるから情勢の説明をせよと言われるに違いない。公爵とはいえ、子どものカルロスに聞かせていい話ばかりではない。サカリアスは弟を同席させぬほうがよいと判断していた。
 携帯端末でどこかに問い合わせをしたらしいホセは言った。

「ゴンサレス公爵様も同席されてよいと陛下が仰せです」

 カルロスは嬉しげに笑った。サカリアスは釘を刺しておいた。

「はしゃいではいけない。軍人の自分を呼ぶのだから、戦いに関することだ。黙って陛下の前に控えているのだ」
「はい」

 黒龍の間までホセが二人を案内した。子どもの頃宮殿を遊び場にしていたサカリアスは場所を知っていたが、ホセに従った。

「殿下のお越しにございます」

 ドアの前のマイクにホセが声を掛けると、ドアが自動的に開いた。
 ホセの後に続いてカルロスとともに入ったサカリアスはやけに人が多いと思った。閣僚と軍警察消防の関係者だけでなく宮内省の者らしい古めかしい衣装の者が数人前に立っていた。宮内省の職員は重要な行事がある時は帝國建国当時に制定された古代の地球風の衣装を身につけ、当時の髪型のかつらをつけて臨むのだ。これは何かあるなと思った。

「陛下のお召しにより、サカリアス・アルフォンソ、参上しました」

 前に進み出て目上の者に対する右手を胸に当て左手を少し上げる礼をした。

「うむ。サカリアス・アルフォンソ、もっと近うへ」

 皇帝の椅子に一歩だけ近づく。

「顔を上げよ」

 慣例の通り、一度目は上げない。

「上げよ」

 二度目で上げた。1メートルも離れていない位置に皇帝がいた。
 一体、何が始まるのか、サカリアスは呼吸を整えた。

「サカリアス・アルフォンソ、そなたをビダル公爵に叙する」
「へ?」

 思わず声を上げてしまった。これは現実なのか。夢ではないのか。
 皇帝の脇に控えるメネンデス宮内大臣がゆっくりと口上を述べた。

「これより叙爵の儀を行う」

 公爵や侯爵は新たに任じられる際に儀式を行う。サカリアスは三年前の弟の儀式を思い出そうとしたが、大部分は忘れていた。ただあの時は皇帝もカルロスも重たげな正装をしていた。今夜は正装をしている者は誰もいない。皇帝は袖のあるイブニングドレスだし、サカリアスは軍服である。宮内省の職員だけがそれらしい恰好をしている。

「急のことゆえ略式になるが許せ」

 皇帝の言葉が終わると、宮内省の職員らが列をなしてサカリアスの前に進んだ。
 宮内大臣に近い所に立った職員がサカリアス・アルフォンソ・ベテルギウスをビダル公爵に叙するという内容の文書を読み上げた。さらに隣の職員がサッシュと公爵位を示す勲章を載せた黒い盆をサカリアスの前に捧げた。

「ゴンサレス公爵、ビダル公爵にサッシュを懸けて勲章を着けておやり」

 皇帝に言われ、カルロスはつかつかと前に進み出た。本来は親戚の年長の貴族がやる役目だが、該当する者はここにはいなかったのである。
 カルロスは堂々とした態度でサッシュをサカリアスの身体に懸けた。サカリアスは少し膝を曲げ懸けやすくした。
 勲章を着けるとカルロスはさっと兄の背後に移動した。
 宮内省の役人がおめでとうございますと声を発すると、それを合図に総理大臣ヴィレム・マティアス・フィヘーが発声した。

「ビダル公爵、万歳!」

 それに合わせてその場の一同が万歳と三度繰り返した。続いて「皇帝陛下、万歳!」「帝國万歳!」がそれぞれ三回繰り返された。

「これにて叙爵の儀を終了する」

 カルロスの時は一時間以上かかっていたはずである。これは本物の勲章なのだろうかとサカリアスは思った。もしかすると映像端末で放送されているとかいうドッキリなんとかとかいう類の番組の撮影ではなかろうか。いくらなんでも皇帝がそんな低俗番組に協力するわけはないとサカリアスは思いなおした。
 宮内省の古めかしい衣装の一団が退場した。宮内大臣は皇帝の側から離れた。だが、他は誰も身動き一つしなかった。
 サカリアスも皇帝の側を向いたまま立っていた。
 皇帝の前に総理大臣と軍務大臣、それにどこかで見たことのある顔の男がぞろぞろと並んだ。
 軍務大臣が厳かな顔で言った。自宅で妻の料理を食べている時とは別人の顔だった。

「ビダル公爵、早速だが勅命により、ケプラー星系コーンウェルに赴き陛下の代理として海賊による犠牲者の追悼式を執り行うように。先ほど、クリスティのスーシェ基地から、コーンウェルで臣民の武力蜂起が起きたとの一報が入った。チャンドラーの基地などが襲われ、軍人までもが蜂起に参加している。この状態を鎮めるには閣下の力が必要なのだ」

 勅命ということは皇帝の命令である。だが、その内容は予想もしないものだった。コーンウェルで追悼式をするというのはわかる。コーンウェルの人心を落ち着かせるには追悼式は大事だろう。だが、軍人の自分が皇帝の代理でそれをするというのには違和感があった。
 もし自分がコーンウェルの人々に受け入れられず、攻撃されるようなことがあった場合は、人々に銃を向けることも想定されているのではないか。
 ここでかしこまりましたと言えるわけはなかった。

「大臣、もしそれがしがコーンウェルの人々に攻撃されたらということも想定されてのことですか」

 ざわめきが人々の間に広がった。

「そうだ」

 皇帝が答えた。

「だから、艦隊をつける。といっても、スナイデルに向かっている部隊の半分だけだ。コーンウェルでは臣民が蜂起し、基地を襲っている。故にそなたも攻撃される恐れがある。そうなったらそなたの率いる部隊とスーシェからの部隊があれば鎮圧できよう」

 無茶な話だと思った。艦隊を率いて皇帝の息子である公爵が来れば、皆警戒するに決まっている。

「つまり、某がコーンウェルで転んだだけでも、石を放置した臣民のせいだと言って攻撃の口実にするということですか」

 皆顔をこわばらせた。一人だけ軍務大臣の隣にいる男だけが必死に笑いを堪えていた。

「殿下、いえ閣下、不敬ですぞ」

 内務大臣ベラスコ・カバニージェスが顔を真っ赤にしていた。
 そこへ財務大臣エドムンド・アキレス・マドリガルが助け船を出した。

「おそれながらコーンウェルの臣民への課税を一年間免除することを検討しております。故に閣下がコーンウェルに行く頃には情勢はいささか落ち着いていると思われます」
 
 大胆な策だとサカリアスは思った。だが、必要な策だった。経済的な問題は重要だった。死傷者が多かっただけでなく焼けた建物も多い。家だけでなく職を失った者達も多いはずである。生き残っても暮らしが立たなければ、不満は募る。
 とはいえマドリガルの策だけでは不足だろう。ただ、それをこの場で口に出せば、大臣たちの心証を害する恐れがあった。

「そのような策を講じてくださるならば、安心してコーンウェルへ赴くことができます。謹んで勅命を承ります」

 サカリアスは皇帝に深く頭を下げた。
 周囲の緊張した空気がわずかに緩んだようだった。
 
「よろしく頼む、ビダル公爵」

 皇帝は立ち上がり、専用のドアから退出した。
 人々はほおっと息を吐いた。

「お兄さま、おめでとうございます」

 カルロスが抱きつかんばかりに駆け寄った。

「お兄さまが筆頭の公爵になられてよかった」

 公爵家には序列がある。アギレラ大公、ビダル公爵、ガルベス公爵、ゴンサレス公爵の順である。今までは第一皇子ガルベス公爵アレホが筆頭公爵だったが、サカリアスがビダル公爵になったことで筆頭になったのである。恐らくカルロスは父親のような年齢の兄ガルベス公爵に行事等で威圧されていたのではあるまいか。
 兄より序列が上というのは少々まずいように思うが、武力蜂起まで起きているコーンウェル側は、皇帝の代理にただの軍人より筆頭の公爵が来たほうが気分を害することはあるまい。

「サカリアス、君は変わらないなあ」

 軍務大臣の隣にいた男が近寄って来た。軍務大臣と総理大臣は驚いて顔を見合わせた。

「貴様はエルヴィン・リートフェルト!」

 サカリアスにとっては少々苦手な男だった。




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