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第二章 果報者
15 月姫の結婚
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「畏まりました」
留守居役はわらわの不吉な言葉をどう思ったかわからぬが、そう言った。
「この先、そなたに面倒をかけるかもしれぬが、よしなにな」
留守居役は他の家中や御公儀との交渉事を担っておる。姫の縁組だけでなく、養子縁組等についても。
「若殿様のことゆえ、すぐにようなりましょう」
「ならばいいのだが。ところで、月姫の縁組はどうなっておる」
「加部豊後守様から近々お話がありそうです」
「豊後守様は御隠居なさるのであろう」
「はい。その手続きが終わった後にということで」
「老中になれなんだのは、返す返すも口惜しいことであろうな。豊後守様が老中であれば郡上の騒ぎももっと早く解決したかもしれぬ」
わらわの言葉に留守居役は驚いておった。郡上の騒ぎのことなど知らぬと思っていたのであろう。
「馬場とかいう講釈師がおろう。秋田の騒動の話がずいぶんと噂になっておったが、近頃は郡上の話をしておる。中屋敷の者に密かに講談を聞きに行かせておるのじゃ。若殿様の蘭学仲間もその話をしておるしな」
元御家人の馬場文耕という講釈師の話はわらわも若殿も興味を持って聞いていた。八代将軍吉宗公の功績を讃える講談を最初は面白いと思って聞いておったが、最近は大名家の事件も語っておる。一体いかなる伝手を使って話の種を集めておるのやら。
それはともかく月姫の縁談である。
「姫より強い男でなければならぬかもな。剣術の稽古、どうじゃ」
「決められた刻限より早く来て練習しております」
「そうか。頼むぞ」
わらわは中奥の寝所に案内した。
留守居役が寝所に入ると、若殿は咳き込みながらも起き上がろうとしたが、わらわは止めた。
「すまぬ、見苦しいさまを見せて」
そう言って横になったままの若殿の首元の汗をわらわは黙って拭った。
留守居役はわらわの不吉な言葉の意味を理解したようであった。
「思ったよりお顔の色がよろしいので安心しました」
これは見舞いの決まり文句、まことは顔の色はよくない。
「月姫は元気にしておるか」
「はい」
「縁組のこと、よしなに」
「畏まりました」
このやりとりだけで、留守居役は病室を辞した。
阿弥の方は名を須恵と改めた。若殿を憚ってのことである。
なれど、阿弥が懐妊したことも須恵と名を改めたことも若殿は知らなかった。わらわも女達も病の若殿に伝えることができなかった。熱や咳がおさまったかと思って安心していると、またぶりかえすという繰り返しであった。
八月になると、若殿は手つきの女達の行く末が心配だと言いだし、わらわに縁組の世話を頼むと言いだした。わらわは幾人かの女達の縁談や次の奉公先を決めた。阿弥については上屋敷の奥方様に引き続き仕えることになったとだけ伝えた。
「阿弥には可哀想なことをした。子どもさえ生きておれば。国に帰りたいと申したら帰してやるよう母上に伝えてくれ。私の身に何かあっても落飾せずともよいから」
若殿は臥せったままそう言った。わらわは決して阿弥の懐妊は伝えまいと決めた。
同じ頃、国許では殿様が若殿の病と来年に予定していた隠居を先延ばしにすることを公表された。
来年で殿様は六十一。本来なら隠居して四十一になる若殿に家督を譲るのにちょうどよい年回りであったはずである。
それを知ったわらわは、恐らく若殿は廃嫡されるであろうと思った。では世継ぎはどうなるのか。
月姫か雪姫に婿をとらせ養子とするか、あるいは親戚から養子をとるか、あるいは若殿の弟の国家老の杉谷又右衛門とするか。
誰にするにせよ、わらわが口出しすれば厄介なことになる。ゆえにわらわはこれに関しては口をつぐむことにした。決めるのは殿様なのだ。奥方様のように名を出せば家中を二分、三分することにもなりかねぬ。
煤払いの十二月十三日の夕刻、上屋敷の須恵の方が産気づいたという知らせがあった。医者の見立てより少し早かった。
翌日十四日の早朝に男児誕生の報を受けた。
なれど、このお産も難産であった。赤子は無事生まれたが、須恵は夕刻に絶命した。
須恵の行ないは決して褒められたものではない。なれど、命を懸けて新たな命を生んだ事実は重い。上屋敷の奥方様は次郎丸と名付けた赤子を我が子のように育まれた。
無論、若殿には伏せていた。若殿はほとんど寝所から出ることができなくなっていた。体調のいい時期と悪い時期が繰り返したが、悪い時期のほうが長くなっていた。
この年の二十九日であったか、講釈師の馬場文耕が打ち首獄門となった。郡上の騒動などを面白おかしく語ったことが御公儀の怒りに触れたのであろう。一度くらい屋敷に呼んで講談を若殿に聞かせたかったと思ったもののこうなっては致し方ない。
年が明け桜の季節になっても、花見に出ることはできなんだ。
代わりにわらわや姫達で花見に行ってくれと若殿は言った。気が進まなかったわらわに若殿は言った。
「そなたも少し気持ちを晴らしたほうがよい。春の気を浴びれば頭の痛みも楽になろう。そうだ、桜餅を頼む。あれを食べればこの部屋の中も春になるであろう」
桜餅を手に入れるため、わらわは雪姫と上屋敷の月姫とともにお忍びで隅田川の堤へ参った。
若殿のいない花見は寂しかった。なれど桜はいつもの年と変わらず咲き散っていた。なじみの料理茶屋で昼餉をとった後、駕籠に乗ろうとした時であった。わらわは駕籠をかく六尺の顔が赤いことに気付いた。相棒の六尺が申し訳なさそうな顔で言った。
「ここへ来る前に寺の近くの酒屋で一杯やってしまいまして。ここまで担いで参りましたので、お屋敷までは大丈夫かと」
困ったことになった。人出の多いこの時期、飲酒した六尺が人や他の駕籠にぶつかり事を起こせば厄介なことになる。供の者が茶屋の主人にこの辺りの駕籠屋で六尺を融通できぬか尋ねたが、生憎花見の時期で駕籠屋はどこも大忙しで手すきの者はいないと言う。
赤い顔の六尺はますます足元がおぼつかなくなっていた。
月姫がわらわは他の奥女中とともに歩くので母上と雪は駕籠でと言ったが、嫁入り前の姫を中屋敷まで歩かせるわけにはいかない。
そこへさる譜代の御家中の御家来衆が声をかけてくださった。なれどよく知らぬ御家中、有難いお言葉だが甘えるわけにはいかなかった。
すると御家中の若様が乗り物から降りてきたかと思うと、月姫の手を取った。
「お離しください」
月姫が叫ぶと、若様は手を離した。
「これは失礼。それがし秋山但馬守が嫡子十郎太と申す。月姫様のご機嫌を損ねて申し訳ない」
驚いた。秋山家といえば老中を出した家である。しかも月姫の名を知っておるとは。月姫も驚いておった。若様は月姫の手を再びとって己の乗っていた乗り物に乗せようとした。さすがにそれはまずい。
「それがしが責任をもって山置家の上屋敷までお送りする」
しかも月姫が上屋敷に住んでいることまで知っている。
「そのようなことをされるいわれはない」
月姫がそう言うと若様はにっこり笑った。
「それがしを信じてくだされ」
わらわもさすがにこれには呆れた。唇を震わせながら言った。
「十郎太殿、このような振舞、いくら当家が小身とはいえあまりななされよう」
「御母上様、御心配なら上屋敷まで御同道を」
若様はにっこりと笑って言った。
「上屋敷には元々参るつもりでおります」
我らも上屋敷には奥方様に桜餅を持って行くために寄るつもりであった。
「では、何も困ったことはない。当家も木挽町からそう遠くないゆえ」
そう言うと若様は乗り物の戸を開けた。
「姫様、御乗りを」
月姫は困惑しておった。
「山置家の者がかような乗り物に乗ったとわかれば大目付様から御咎めを受けるのでは」
「あなた様が当家の者になれば大目付も何も言いますまい」
なんということを、わらわは叫びそうになり慌てて己の口を押さえた。月姫は意味がわかっていないようだった。
「わらわは養女などになるつもりはない」
「では、それがしの妻になればよい」
月姫はその言葉の意味がすぐにはわからなかったようであった。
「お気を悪くされたら申し訳ない。なれど、先日、加部豊後守様の仲立ちで当家の留守居役がそちらの留守居役に話をしておるはず」
そんな話、わらわも聞いておらぬ。これは上屋敷の留守居役を問い質さねばならぬ。
月姫は何と言っていいのかわからぬようで、俯いた。
「さあさあ、早くお戻りにならねば屋敷の皆様が心配されましょう」
秋山家の家来衆はそう言って、月姫を乗り物にせきたてるように乗せた。
「また会えて本当によかった」
若様はそう言うと、自ら戸を閉めた。
秋山但馬守の嫡子と名乗っておるのだから悪いことにはなるまいとわらわも覚悟を決めた。
こうして月姫は秋山家の乗り物で上屋敷に戻った。
後でわかったのだが、秋山十郎太様は月姫が疾風を一橋様のところへ連れて行くところを見初め、跡継ぎが急死した秋山家の養子に入ると、養父を説得して月姫を妻とすることを承諾させたのだと言う。まことそこまでする男がいるというのは驚いた。
ただ相手があまりに格上であるため、留守居役は殿様の許しを得てから知らせようと考えておったらしい。
三月末に江戸に参勤した殿様はこの縁談を許した。
ただし家の格を考え、月姫を奥方様の実家加部家の養女とした。嫁入りの支度も加部家が出した。衣装の一部は上屋敷の奥方様とわらわがそれぞれの化粧料から出した。
祝言は端午の節句の数日後と決まった。
養女となってすぐに加部家の屋敷に入った月姫は輿入れの前々日に中屋敷に父を見舞い、嫁入りの衣装を披露した。
若殿は布団を背もたれにして娘の晴れ姿を見つめた。話をすると咳き込むというので、何も言葉は発しなかったが、わらわには若殿の月姫の幸せを願う気持ちがわかった。わらわもまた月の幸せを心から祈った。
秋山家に輿入れした月姫を待っていたのは十郎太様だけではなかった。
一橋様のところにいた疾風が仔犬たちとともに待っていた。十郎太様の養父但馬守様からの贈り物だったそうじゃ。
留守居役はわらわの不吉な言葉をどう思ったかわからぬが、そう言った。
「この先、そなたに面倒をかけるかもしれぬが、よしなにな」
留守居役は他の家中や御公儀との交渉事を担っておる。姫の縁組だけでなく、養子縁組等についても。
「若殿様のことゆえ、すぐにようなりましょう」
「ならばいいのだが。ところで、月姫の縁組はどうなっておる」
「加部豊後守様から近々お話がありそうです」
「豊後守様は御隠居なさるのであろう」
「はい。その手続きが終わった後にということで」
「老中になれなんだのは、返す返すも口惜しいことであろうな。豊後守様が老中であれば郡上の騒ぎももっと早く解決したかもしれぬ」
わらわの言葉に留守居役は驚いておった。郡上の騒ぎのことなど知らぬと思っていたのであろう。
「馬場とかいう講釈師がおろう。秋田の騒動の話がずいぶんと噂になっておったが、近頃は郡上の話をしておる。中屋敷の者に密かに講談を聞きに行かせておるのじゃ。若殿様の蘭学仲間もその話をしておるしな」
元御家人の馬場文耕という講釈師の話はわらわも若殿も興味を持って聞いていた。八代将軍吉宗公の功績を讃える講談を最初は面白いと思って聞いておったが、最近は大名家の事件も語っておる。一体いかなる伝手を使って話の種を集めておるのやら。
それはともかく月姫の縁談である。
「姫より強い男でなければならぬかもな。剣術の稽古、どうじゃ」
「決められた刻限より早く来て練習しております」
「そうか。頼むぞ」
わらわは中奥の寝所に案内した。
留守居役が寝所に入ると、若殿は咳き込みながらも起き上がろうとしたが、わらわは止めた。
「すまぬ、見苦しいさまを見せて」
そう言って横になったままの若殿の首元の汗をわらわは黙って拭った。
留守居役はわらわの不吉な言葉の意味を理解したようであった。
「思ったよりお顔の色がよろしいので安心しました」
これは見舞いの決まり文句、まことは顔の色はよくない。
「月姫は元気にしておるか」
「はい」
「縁組のこと、よしなに」
「畏まりました」
このやりとりだけで、留守居役は病室を辞した。
阿弥の方は名を須恵と改めた。若殿を憚ってのことである。
なれど、阿弥が懐妊したことも須恵と名を改めたことも若殿は知らなかった。わらわも女達も病の若殿に伝えることができなかった。熱や咳がおさまったかと思って安心していると、またぶりかえすという繰り返しであった。
八月になると、若殿は手つきの女達の行く末が心配だと言いだし、わらわに縁組の世話を頼むと言いだした。わらわは幾人かの女達の縁談や次の奉公先を決めた。阿弥については上屋敷の奥方様に引き続き仕えることになったとだけ伝えた。
「阿弥には可哀想なことをした。子どもさえ生きておれば。国に帰りたいと申したら帰してやるよう母上に伝えてくれ。私の身に何かあっても落飾せずともよいから」
若殿は臥せったままそう言った。わらわは決して阿弥の懐妊は伝えまいと決めた。
同じ頃、国許では殿様が若殿の病と来年に予定していた隠居を先延ばしにすることを公表された。
来年で殿様は六十一。本来なら隠居して四十一になる若殿に家督を譲るのにちょうどよい年回りであったはずである。
それを知ったわらわは、恐らく若殿は廃嫡されるであろうと思った。では世継ぎはどうなるのか。
月姫か雪姫に婿をとらせ養子とするか、あるいは親戚から養子をとるか、あるいは若殿の弟の国家老の杉谷又右衛門とするか。
誰にするにせよ、わらわが口出しすれば厄介なことになる。ゆえにわらわはこれに関しては口をつぐむことにした。決めるのは殿様なのだ。奥方様のように名を出せば家中を二分、三分することにもなりかねぬ。
煤払いの十二月十三日の夕刻、上屋敷の須恵の方が産気づいたという知らせがあった。医者の見立てより少し早かった。
翌日十四日の早朝に男児誕生の報を受けた。
なれど、このお産も難産であった。赤子は無事生まれたが、須恵は夕刻に絶命した。
須恵の行ないは決して褒められたものではない。なれど、命を懸けて新たな命を生んだ事実は重い。上屋敷の奥方様は次郎丸と名付けた赤子を我が子のように育まれた。
無論、若殿には伏せていた。若殿はほとんど寝所から出ることができなくなっていた。体調のいい時期と悪い時期が繰り返したが、悪い時期のほうが長くなっていた。
この年の二十九日であったか、講釈師の馬場文耕が打ち首獄門となった。郡上の騒動などを面白おかしく語ったことが御公儀の怒りに触れたのであろう。一度くらい屋敷に呼んで講談を若殿に聞かせたかったと思ったもののこうなっては致し方ない。
年が明け桜の季節になっても、花見に出ることはできなんだ。
代わりにわらわや姫達で花見に行ってくれと若殿は言った。気が進まなかったわらわに若殿は言った。
「そなたも少し気持ちを晴らしたほうがよい。春の気を浴びれば頭の痛みも楽になろう。そうだ、桜餅を頼む。あれを食べればこの部屋の中も春になるであろう」
桜餅を手に入れるため、わらわは雪姫と上屋敷の月姫とともにお忍びで隅田川の堤へ参った。
若殿のいない花見は寂しかった。なれど桜はいつもの年と変わらず咲き散っていた。なじみの料理茶屋で昼餉をとった後、駕籠に乗ろうとした時であった。わらわは駕籠をかく六尺の顔が赤いことに気付いた。相棒の六尺が申し訳なさそうな顔で言った。
「ここへ来る前に寺の近くの酒屋で一杯やってしまいまして。ここまで担いで参りましたので、お屋敷までは大丈夫かと」
困ったことになった。人出の多いこの時期、飲酒した六尺が人や他の駕籠にぶつかり事を起こせば厄介なことになる。供の者が茶屋の主人にこの辺りの駕籠屋で六尺を融通できぬか尋ねたが、生憎花見の時期で駕籠屋はどこも大忙しで手すきの者はいないと言う。
赤い顔の六尺はますます足元がおぼつかなくなっていた。
月姫がわらわは他の奥女中とともに歩くので母上と雪は駕籠でと言ったが、嫁入り前の姫を中屋敷まで歩かせるわけにはいかない。
そこへさる譜代の御家中の御家来衆が声をかけてくださった。なれどよく知らぬ御家中、有難いお言葉だが甘えるわけにはいかなかった。
すると御家中の若様が乗り物から降りてきたかと思うと、月姫の手を取った。
「お離しください」
月姫が叫ぶと、若様は手を離した。
「これは失礼。それがし秋山但馬守が嫡子十郎太と申す。月姫様のご機嫌を損ねて申し訳ない」
驚いた。秋山家といえば老中を出した家である。しかも月姫の名を知っておるとは。月姫も驚いておった。若様は月姫の手を再びとって己の乗っていた乗り物に乗せようとした。さすがにそれはまずい。
「それがしが責任をもって山置家の上屋敷までお送りする」
しかも月姫が上屋敷に住んでいることまで知っている。
「そのようなことをされるいわれはない」
月姫がそう言うと若様はにっこり笑った。
「それがしを信じてくだされ」
わらわもさすがにこれには呆れた。唇を震わせながら言った。
「十郎太殿、このような振舞、いくら当家が小身とはいえあまりななされよう」
「御母上様、御心配なら上屋敷まで御同道を」
若様はにっこりと笑って言った。
「上屋敷には元々参るつもりでおります」
我らも上屋敷には奥方様に桜餅を持って行くために寄るつもりであった。
「では、何も困ったことはない。当家も木挽町からそう遠くないゆえ」
そう言うと若様は乗り物の戸を開けた。
「姫様、御乗りを」
月姫は困惑しておった。
「山置家の者がかような乗り物に乗ったとわかれば大目付様から御咎めを受けるのでは」
「あなた様が当家の者になれば大目付も何も言いますまい」
なんということを、わらわは叫びそうになり慌てて己の口を押さえた。月姫は意味がわかっていないようだった。
「わらわは養女などになるつもりはない」
「では、それがしの妻になればよい」
月姫はその言葉の意味がすぐにはわからなかったようであった。
「お気を悪くされたら申し訳ない。なれど、先日、加部豊後守様の仲立ちで当家の留守居役がそちらの留守居役に話をしておるはず」
そんな話、わらわも聞いておらぬ。これは上屋敷の留守居役を問い質さねばならぬ。
月姫は何と言っていいのかわからぬようで、俯いた。
「さあさあ、早くお戻りにならねば屋敷の皆様が心配されましょう」
秋山家の家来衆はそう言って、月姫を乗り物にせきたてるように乗せた。
「また会えて本当によかった」
若様はそう言うと、自ら戸を閉めた。
秋山但馬守の嫡子と名乗っておるのだから悪いことにはなるまいとわらわも覚悟を決めた。
こうして月姫は秋山家の乗り物で上屋敷に戻った。
後でわかったのだが、秋山十郎太様は月姫が疾風を一橋様のところへ連れて行くところを見初め、跡継ぎが急死した秋山家の養子に入ると、養父を説得して月姫を妻とすることを承諾させたのだと言う。まことそこまでする男がいるというのは驚いた。
ただ相手があまりに格上であるため、留守居役は殿様の許しを得てから知らせようと考えておったらしい。
三月末に江戸に参勤した殿様はこの縁談を許した。
ただし家の格を考え、月姫を奥方様の実家加部家の養女とした。嫁入りの支度も加部家が出した。衣装の一部は上屋敷の奥方様とわらわがそれぞれの化粧料から出した。
祝言は端午の節句の数日後と決まった。
養女となってすぐに加部家の屋敷に入った月姫は輿入れの前々日に中屋敷に父を見舞い、嫁入りの衣装を披露した。
若殿は布団を背もたれにして娘の晴れ姿を見つめた。話をすると咳き込むというので、何も言葉は発しなかったが、わらわには若殿の月姫の幸せを願う気持ちがわかった。わらわもまた月の幸せを心から祈った。
秋山家に輿入れした月姫を待っていたのは十郎太様だけではなかった。
一橋様のところにいた疾風が仔犬たちとともに待っていた。十郎太様の養父但馬守様からの贈り物だったそうじゃ。
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