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第1話
しおりを挟む「おはよう」
梅雨のジメッとした、嫌な暑さ。
蒸し蒸しとした湿気が肌を濡らす。
「おはよう」
藤堂夫妻は6月の朝を迎えた。
「寛貴は今日から出張だっけ?」
「あぁ、大阪だ。お土産買ってくるよ。何が良い?」
「大坂土産って何があるんだっけ? たこ焼き? お好み焼き? 串カツ?」
「食べ物ばかりな上に、どれも持ち帰りが困難だな」
「えー! じゃあ、寛貴のおススメ買ってきて」
「わかったよ。梓」
そう言って、寛貴は梓の額にキスをした。
そして、押し倒される。
「ちょっとお」
唇を尖らせ、小さく反抗。
でも、梓は実のところ、こうして上から寛貴に見下ろされるのが好きだった。
今も隠しているが心臓は飛び上がりそうだ。
「昨日のおかわり、良い?」
今度は唇にキスをしてからそう言った。
寛貴が男の顔になる。
梓は女の顔になった。
「うん……お互い、遅刻しない程度なら……」
ウソ。
本当は1日中、寛貴と繋がっていたい。
1秒でも長く。
できるなら、会社なんて行かないで、少しでも、長く、彼といたい。
まさか、自分にこんな暮らしができるなんて、
まさか、自分にこんな感情があるなんて、
まさか、自分がこんなに人を好きになるなんて、
まさか、自分がこんなに人に愛してもらえるなんて、
夢にも思わなかった。
きっと、自由な暮らしはらできないし、
きっと、感情が欠落した人間で、
きっと、人を好きになる事なんてできなくて、
きっと、誰かに愛される事なんてない。
ずっと、そう思いながら、生きてきた。
周りは敵しかいなくて、少しでも、隙を見せれば漬け込まれる。
隙は見せてはいけない。
作ることさえ許されなない。
もし、私がそれを、見せたなら、それは、罠だ。
「梓、綺麗だ」
「そんな事……私の身体、傷だらけだし」
「それすらも、愛おしいよ。全く、許せないね。義理とはいえ娘にこんな事するなんて」
梓の全身は傷だらけだ。
それは、義父から、受けた性的暴行の際にできた傷という"設定"になっている。
「やっ、あん」
「可愛い声。もっと聞かせて」
「そんなとこっ。あっ、ダメだってば……」
果たして、彼には本当の自分を見せられているのだろうか?
彼は、本当に、愛してくれているのだろうか?
梓は唐突に不安で押し潰されそうになる。
昔はこんな感情、無かったのにな。
ふっと、笑って、今は、全てを寛貴に身を任せる事にした。
「あぁ、やっぱり梓が1番だよ。愛してるよ」
耳元で囁かれる。
「わたしも」
潤んだ瞳で寛貴にそう伝えると、彼の動きは一層激しくなる。
「あっ。やっ。だめぇえええ! いくぅ」
寛貴は梓を抱きしめながら、梓が逝った直後、自分自身もフィニッシュを迎える。
「朝から、悪いね。梓といるとしたくて堪らなくなる」
「もう、寛貴のえっち」
「上等。じゃあ、朝メシ食おうぜ」
「うん」
彼らはそれぞれ下着と服を身に纏い、出社の準備を始めた。
寛貴は大手物流関係。
梓は小さなデザイン事務所の助手をしている。
寛貴が仕事関係でその、事務所を訪れたのがきっかけだった。
わずか、出会ってから1ヶ月、交際3ヶ月のスピード婚だった。
「今日の朝メシは?」
「エッグベネディクト」
藤堂家のエッグべネディクトは簡単だ。
マフィンで目玉焼きとこんがり焼いたベーコンを挟む。
それで完成。
「あれ、美味しいよね。好き」
「知ってる。だからよ」
「ありがとう」
梓が卵を焼く間、寛貴は珈琲を淹れる。
トースターはマフィンを焼いている最中だ。
電動ミルで豆を挽き、珈琲メーカーに移す。
スイッチを入れれば蒸気と共にトポトポと心地よい音が溢れてくる。
キッチンの方では目玉焼きの焼ける音と香り。
目玉焼きを焼く際に、岩塩と3色胡椒を擦る。
ベーコンは塩が効いているので、3色胡椒のみ。
2人分の目玉焼きとベーコンが焼ける頃、丁度、珈琲メーカーが仕事を終えた。
寛貴が色違いのマグカップに珈琲を注ぐ。
トースターも仕事を終えた事を"チン"と知らせた。
梓が皿の上に早速マフィンを移す。
あち! あちち!
梓が、焼き立てマフィンと格闘している姿を食卓へマグカップを、運ぶ横目で見る。
可愛い! 可愛い! めちゃ、可愛いじゃん。なんなの。なんの兵器なの。
寛貴は心の中で騒いでいた。
なんとか、皿に移した梓はそのマフィンの上にベーコン、目玉焼きの順番で重ねていく。
出来上がったなら、それを寛貴の前へ持っていく。
「いただきます」
「いただきます」
2人の声は重なる。
いただきますは大きな声で、できる限り食事は2人で、これは藤堂夫妻のルールのひとつだ。
「寛貴、大阪出張って事は泊まりよね」
「あぁ、悪いな」
「ん、大丈夫。私も久々、職場の飲み会出てこようかなあ」
「梓のところ、飲み会なんてするんだ」
藤堂夫妻のルールのひとつ、お互いの仕事に干渉しない。
飲み会も、今や、仕事の一環になりつつある。
「うん。週イチくらいかな」
「俺んとこと変わんねぇな」
「そなんだ。じゃあ、寛貴も全然出てないだね」
「まぁ、会社の奴らと飲み食いなら、梓と飲みたいし、梓の事食べたいし?」
そう言って、スリッパを脱いだ足で器用に梓の脚を撫でる。
足はだんだんと上へ登り、
「んっ、ご飯中にお行儀悪いわっ、、あっ」
寛貴の足の指は梓の敏感な部分を探し当て、ピンポイントでつつく。
思わず、感じてしまう。
「梓も、食事中に感じるなんて、行儀の悪い淫乱だな」
「寛貴の変態っ!」
そう言い捨て、急いで残りを口に詰め込む。
女の朝は余裕が無い。
急いで、顔面加工をしなくては。
梓の顔面は整っている方だ。
大きな目、高い鼻。小さな口、色は白く、髪は漆黒のストレート。
街を歩けば声をかけられない日の方が少ないくらい。
それは、ナンパやキャッチ、スカウト……種類を問わない。
それでも、女には化粧をする事が求められる。
梓自身、メイクをする事は嫌いではないがやはり、手間だなぁと感じてしまう。
まぁ、特殊メイクより楽だけどね。
そう、心の中でつぶやきながら、ローションやクリーム、日焼け止めを塗る。
「あ、この日焼け止め、そろそろ切れるな、ストックあったかな……あとで確認しよ」
アイシャドウ、アイライン、アイブロウ、マスカラ、チーク、リップ、ハイライト……
「毎朝大変だよなぁ。俺は風呂ン時に髭剃るだけで十分だからな。お疲れ」
「ん、どうも」
鏡の中にはメイクアップされた自分。
うーん。今日は化粧乗りがイマイチだな。
昨日、夜更かししたからかな。
梓は昨日の夜のベットを思い出して少し赤くなり、首をこまめに振り、切り替える。
よし、出来た。
「寛貴! 私出るよ」
「ちょっとだけ待って! 一緒に行こう」
寛貴はトイレだ
「ういー」
玄関の鏡で最終チェック。
思ったより酷くないかも?
鏡の中の自分に問いかける。
勿論、返事はないが。
「お待たせ、行こうか」
梓が先に玄関を出て、寛貴がかぎを締める。
305と書かれた扉を見ながら締まったか、ガチャガチャと2,3回戸を引いて試す。
よし、締まってる。
どちらの当番と言うわけではなく、後から出た方が締めるというルーティーンだ。
「んー、今日忙しいかなぁ」
「どうだろうね。花金だからね。混むかもね」
健康の為と余程の事がない限り階段を使う2人だが、今日は寛貴がスーツケースを携帯している為、エレベーターだ。
「その言い方、古いよ。ジジイみたいだから辞めな。今時誰も言わない」
チン!
エレベーターが到着した。
梓が先に乗り込み、開延長ボタンを押す。
「通じちゃう梓チャンだって、ババァよ」
スーツケースを少し持ち上げてエレベーター内に持ち込む。
「うるせ」
2人でどっちが年寄りか、対抗している。
チン!
そんな言い合いをしている間にもエレベーターは1階に到着した。
エントランスを出て、歩道に降り立ち、2人は向き合う。
「じゃあ、また! 大阪出張行ってらっしゃい」
「おう! 留守番頼んだぞ!」
そう言って2人は踵を返してそれぞれの目的地へと向かう。
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