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1:二度目の生
1:二度目の生(1-1)
しおりを挟むこの世界は救われない。この望みはきっと叶わない。
この身体が果てるまで歩いても君の許に辿り着けはしないなら、ここで足掻き続ける意味はどこにあるのだろう。
1:二度目の生
空は厚い雲に覆われていた。まだ昼下がりだというのに辺りはどんよりと暗くて、どことなく湿った嫌な空気に満ちている。
一雨来そうだ。夏生は仮設テントの中から空を眺めて苦々しく思った。いくら梅雨とはいえ、こうも悪天候の日が続くと気分も沈んでくる。もう一週間はまともに洗濯物を干せていない。自宅にはベランダや乾燥機なんて上等なものは置いていないから――そこまで考えた所で、左腕から血を吸い上げていた注射針が漸く抜かれた。
金持ちの多い地域はどうか知らないが、少なくとも夏生の住む貧民街では血液の売買は日常的な行為だった。長机とパイプ椅子を並べただけの仮設テントの中で、仕事の当ても無い貧乏人達は輸血業者に血液を売る。勿論そんなはした金だけで暮らしていけるはずもないが、明日の食費にも困る身には微々たる収入でも有難いことに変わりはない。採った血液が使えるものかどうか調べる作業に時間が掛かるらしく、実際に対価が支払われるのは数日後である所が煩わしいといえば煩わしいが。
テントの外で列を作る男達も、事情は夏生と同じようなものなのだろう。一様に疲弊した様子で順番待ちをしている。この業者は隔日で週に三度ほど仮設テントを設置しているようだが、日中に行列が途切れることはなさそうだ。
「……なあ、もっと抜けたりしないのか」
しかし、この血液の量の対価では家族全員の夕食分すら賄えるかどうかわからない。もっと多く売れはしないだろうかと、駄目元で係員に声を掛けてみた。
「無理だね。規定の量が決まってるんだ」
白衣姿の係員は夏生の問いを素気無く却下して、微かに赤くなった肌に手際良く絆創膏を貼る。貼り付けた箇所を確認するように軽く叩くと、「そりゃあこっちだって、いくら買い取ったって足りないぐらいだが」とうんざりしたように続けた。
「此処でぶっ倒れられても困るんでね。あんたの血が不良品でないとも限らないし」
「……見ての通り健康だ」
「どうだか。病気だけじゃない。最近この辺でも流行ってるんだろ、妙な薬とか……」
辟易した様子で唇を尖らせた係員がそう口にした時、突然二人の足元に何か大きな物体が転がってきた。反射的にパイプ椅子から飛び退いた夏生が目にしたのは、自分の真後ろに並んでいたであろう男が地面に倒れ込んだ姿だった。
浮浪者然とした恰好の、中年の男だった。身体は痩せ細っていて、何日も洗っていないのであろう髪には所々白髪が混じっている。仰向けに寝転がり、視線は虚空を見つめたままで起き上がる気配はない。擦り切れたジーンズを履いた下半身を視線で辿ると、伸ばしきった足の先だけがビクビクと痙攣していた。土埃の立った地面に全身を預け、口の端から涎を垂らしながらも、男の顔は笑っていた。
その表情を見て、夏生は彼が倒れた原因が貧血でないことを早々に悟った。
「……ほら」
「……」
倒れた男は恐らく、係員の言う「妙な薬」の常習者なのだろう。
「よくあるんだよなあ最近……おい、あんなの並ばせる前に追い払っといてくれよ」
係員はボリボリと頭を掻きながら同僚の男に指図している。よくあることだという言葉の通り、係員達は大して驚いてもいない様子で元の業務に戻り始めている。倒れた男の後ろに並んでいた者達は一瞬どよめいていたようだが、その喧騒すらも直に収まった。地面に寝転んで笑う男を目の前にしても、彼らは男が倒れる前と同じように疲れ切った顔つきで自分の順番を待っている。
まるで何も起こらなかったかのようだ。――いや、本当に何も起こってはいないのかもしれない。
夏生は暫く呆けたようにその光景を眺めていた。いつまでも動かない客に痺れを切らした係員は、夏生の右肩を叩いて耳元で声を張り上げる。
「あんたも早く行けよ。証明書はこっち、二日後にまた来てくれ。あんたの血に『何事もなければ』、金は払うよ」
「……ああ、ありがとう」
その声量にようやく我に返り、慌てて薄い紙を受け取って手早く四つ折りにする。夏生の血液が輸血に使用できる状態であれば、この証明書と引き換えに対価が支払われる。何の問題も出ないことを心の中でだけ祈って、慎重に懐に仕舞いこんだ。
軽く会釈して背を向けようとした時、係員がぼそりと独り言のように呟いた。
「まあ、こんなご時世だしな」
「もうどうなっても構わないって気になるのも、わからなくはないけどさ」
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