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1:二度目の生
1:二度目の生(1-2)
しおりを挟む夏生は未だ起き上がる気配のない男の身体を無理矢理に引きずり、人気のない場所まで移動させることにした。
地面に擦れた背中は後から痛むかもしれないが、悪くは思わないで欲しい。あのまま人だかりの中に転がっていては通行人に踏み潰されかねない。
道行く人の訝しげな視線を感じながら自分よりやや背の低い身体を引きずって歩いていくと、今にも崩れそうなトタン屋根の建物と廃ビルの間に細い路地を見つけた。
薄暗い其処に人影はなく、無造作に打ち捨てられたゴミの山だけがどうにか耐えられる程度の悪臭を放っている。夏生は地面に散らばる屑の中に肌を切りそうな物が無いかだけ確認して、腋下に手を入れる形で抱えていた身体を壁に凭れさせた。
綺麗とは言い難い場所だが、此処ならば雨が降ってきたとしても窓の庇で多少は凌げるだろう。
改めて男の顔を見る。目の焦点は相変わらず定まっていなかった。流石に倒れた時の気が違ったような笑みは消えていたものの、今度は目脂だらけの目に涙を一杯に溜めて恐怖の表情を浮かべている。夏生は一瞬男が自分の姿に怯えているのかと思ったが、すぐにそうではないことを悟った。
「、あいつがくる、あいつが……」
「……おい、しっかりしろ」
熱に浮かされたように譫言を零す男の頬を軽く叩く。しかし過敏になった神経にその刺激は寧ろ逆効果だったらしく、男の口から引き攣ったような悲鳴が漏れた。男の背後は壁で、これ以上取れる距離などないのに、座り込んだまま後ずさるように足だけをじたばたと動かしている。
――もう手の施しようがない。夏生の脳裏に先程の係員が呟いた言葉が蘇った。
「なあ、あんたは死にたいのか?」
不意に漏れた言葉が思ったより途方に暮れた響きになって、夏生は眉間に皺を寄せた。男には夏生の声が聞こえていないようで――というより、たとえ聞こえていたとしても理解は出来ない状態なのだろう、答えは返ってこなかった。
男を移動させるのに随分と時間を食ってしまった。そろそろ帰路につかなければ日没までに家に戻れない。彼をこのまま置いていっていいものか少し迷ったが、自宅に連れ帰るわけにもいかない。それに物盗りだって、これ以上この男から奪うものなど何もないだろう。夏生はそう結論づけて、薄暗い路地裏を後にした。
鉄条網を背にして、等間隔に兵士が並んでいる。此方を監視するような彼らの視線を避けて目を伏せながら、夏生はその脇を足早に通り過ぎた。
『境界』と呼ばれるこの縁によって、この街――『新東京』とその外の世界は断絶されている。
数十年前に起きた三度目の大戦によって、人類は莫大な損害を被った。そんな中で、夏生の暮らす新東京は、壊滅的な崩壊を免れた数少ない――世界が今の状態になった後に生まれた夏生が教わった情報から推測する限り、もしかしたら唯一なのかもしれない――都市だ。新東京内の全ては中央政府と彼らが所有する軍の管理下に置かれており、それによってある程度の秩序が保たれている。彼らの力は大きく、貧民が多く暮らすこの境界周辺の地域でも政府に対する大規模な暴動は滅多に起きない。もっとも政府が介入しない部分に関してはその限りではなく、先程の男が服用していたような怪しげな薬物の流行や、住民同士の暴力沙汰は日常茶飯事ではあるのだが。
かつての繁栄が嘘のように世界中が荒廃しきってからというもの、新東京が他国から攻撃を受けたことは一度もない。にもかかわらず、この街が敵の襲撃に備える城郭都市のように外界と隔たれた造りをしているのには理由がある。
『警報発令、Bー1地区にて三体の出現を確認』
鉄条網の傍に設置されたスピーカーからサイレンが鳴り響く。直ぐに低い声の放送が流れて、夏生は思わずその場で立ち止まった。境界に沿うように立つ兵士達の方を見遣ると、彼らの顔にも隠しきれない緊張が走っていた。
『警戒レベルは2、境界付近に居られる方も、避難の必要はありません』
続けて齎された情報に、夏生はふっと安堵の息を吐いた。強張っていた兵士達の表情も心なしか緩んでいる。住民を監視する職務に当たる彼らは、あまり事が大きくならない限りは、境界の外側で起こることの処理へは駆り出されないのだろう。――そのことに胸を撫で下ろすのも無理はない。どんな人間であれ、あいつらと直接相対する立場になるのは避けたいだろうから。
「三体」という言葉の通り、新東京を脅かす外敵は人間ではない。何処からともなく向かってくる人外の存在――『異形』によって、この街は数十年以上も危険に晒されている。
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